九月二日

 つぎの日こういちはあのおかしなどもが今日からほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がしていつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうはこういちよりもっとそう考えていたとみえてとうにごはんもたべふろしきにつつんだ本ももって家の前へ出て孝一をっていたのでした。二人はちゆうもいろいろその子のことをはなしながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七、八人あつまっていてぼうかくしをしていましたがその子はまだ来ていませんでした。また昨日きのうのように教室の中にるのかと思って中をのぞいて見ましたが教室の中はしいんとしてだれこくばんの上には昨日そうのときぞうきんいたあとかわいてぼんやり白いしまになっていました。

「昨日のやつまだ来てないな。」孝一が云いました。

「うん。」すけも云ってそこらを見まわしました。

 孝一はそこでてつぼうの下へ行ってじゃみ上りというやり方でやりに鉄棒の上にのぼりりよううでをだんだんせて右のうでに行くとそこへこしけて昨日きのう又三郎の行った方をじっと見おろしてっていました。谷川はそっちの方へきらきら光ってながれて行きその下の山の上の方では風もいているらしくときどきかやが白くなみっていました。嘉助もやっぱりそのはしらの下じっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなにながく待つこともありませんでした。それはとつぜん又三郎がそのしものみちからはいいろのかばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。

「来たぞ。」と孝一が思わず下にる嘉助へさけぼうとしていますと早くも又三郎はどてをぐるっとまわってどんどん正門を入って来ると、

「お早う。」とはっきりいました。みんなはいっしょにそっちをふりきましたが一人もへんをしたものがありませんでした。それはみんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というようにならっていたのでしたがおたがいに「お早う。」なんて云ったことがなかったのに又三郎にそう云われても孝一や嘉助はあんまりにわかでまたいきおいがいいのでとうとうおくせてしまって孝一も嘉助も口の中でお早うというかわりにもにゃもにゃっと云ってしまったのでした。ところが又三郎のほうはべつだんそれをにする風もなく二、三歩また前へすすむとじっと立ってそのまっ黒なでぐるっとうんどうじようじゅうを見まわしました。そしてしばらくだれあそあいがないかさがしているようでした。けれどもみんなきろきろ又三郎の方は見ていてももじもじしてやはりいそがしそうにぼうかくしをしたり又三郎の方へ行くものがありませんでした。又三郎はちょっとあいわるいようにそこにつっ立っていましたがまた運動場をもういち見まわしました。それからぜんたいこの運動場はなんげんあるかというように正門からげんかんまでおおまたに歩数を数えながら歩きはじめました。孝一は急いでてつぼうをはねおりて嘉助とならんでいきをこらしてそれを見ていました。

 そのうち又三郎はむこうの玄関の前まで行ってしまうとこっちへいてしばらくあんざんをするように少し首をまげて立っていました。

 みんなはやはりきろきろそっちを見ています。又三郎は少しこまったようにりようをうしろへ組むと向うがわの方へしよくいんしつの前を通って歩きだしました。

 その時風がざあっといて来て土手の草はざわざわなみになり運動場のまん中でさあっとちりがあがりそれが玄関の前まで行くときりきりとまわって小さなつむじ風になって黄いろな塵はびんをさかさまにしたような形になってより高くのぼりました。すると嘉助がとつぜん高くいました。「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいつ何かするときっと風いてくるぞ。」「うん。」こういちはどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。又三郎はそんなことにはかまわず土手の方へやはりすたすたと歩いて行きます。

 そのとき先生がいつものようによぶをもって玄関を出て来たのです。

「お早うございます。」小さな子どもらははせあつまりました。「お早う。」先生はちらっと運動場中を見まわしてから「ではならんで。」と云いながらプルルッとふえを吹きました。

 みんなは集ってきて昨日きのうのとおりきちんとならびました。又三郎も昨日云われたところへちゃんと立っています。先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながらごうれいをだんだんかけてとうとうみんなはしようこうぐちから教室へ入りました。そしてれいがすむと先生は「ではみなさん今日からべんきようをはじめましょう。みなさんはちゃんとおどうをもってきましたね。では一年生と二年生の人はおしゆうのお手本とすずりと紙を出して、三年生と四年生の人はさんじゆつちようざつちようえんぴつを出して五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」

 さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも又三郎のすぐよこの四年生のつくえろうがいきなり手をのばして三年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは「うわああいぺんってわかんないな。」といながら取りかえそうとしますと佐太郎が「わあこいつおれのだなあ。」と云いながら鉛筆をふところの中へ入れてあとはじんがおじぎするときのように両手をそでへ入れて机へぴったりむねをくっつけました。するとかよは立って来て、「兄 兄の木ぺんは一昨日おとといくしてしまったけなあ。よこせったら。」と云いながら一生けんめいとりかえそうとしましたがどうしてもう佐太郎は机にくっついた大きなかにせきみたいになっているのでとうとうかよは立ったまま口を大きくまげてきだしそうになりました。すると又三郎は国語の本をちゃんと机にのせてこまったようにしてこれを見ていましたがかよがとうとうぼろぼろなみだをこぼしたのを見るとだまって右手にっていた半分ばかりになったえんぴつろうの前の机にきました。すると佐太郎はにわかに元気になってむっくりき上りました。そして「れる?」と又三郎にききました。又三郎はちょっとまごついたようでしたがかくしたように「うん。」と云いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。

 先生はむこうで一年生の子のすずりに水をついでやったりしていましたしすけは又三郎の前ですから知りませんでしたがこういちはこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。

 そしてまるで何と云ったらいいかわからないへんちがしてをきりきり云わせました。

「では三年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺんならってみましょう。これをかんじようしてごらんなさい。」先生はこくばんに25-12と書きました。三年生のこどもらはみんな一生けん命にそれをざつちようにうつしました。かよも頭を雑記帖へくっつけるようにして書いています。「四年生の人はこれをいて」17×4と書きました。四年生は佐太郎をはじめぞうこうすけもみんなそれをうつしました。「五年生の人は読本の〔一字空白〕ページの〔一字不明〕をひらいて声をたてないで読めるだけ読んでごらんなさい。わからない字はざつちようひろっておくのです。」五年生もみんな云われたとおりしはじめました。「こういちさんは読本の〔一字空白〕頁をしらべてやはり知らない字を書きいてください。」

 それがすむと先生はまたきようだんを下りて一年生と二年生のしゆうを一人一人見てあるきました。又三郎は両手で本をちゃんと机の上へもって云われたところをいきもつかずじっと読んでいました。けれども雑記帖へは字を一つも書きいていませんでした。それはほんとうに知らない字が一つもないのかたった一本のえんぴつを佐太郎にやってしまったためかどっちともわかりませんでした。

 そのうち先生は教壇へもどって三年生と四年生のさんじゆつの計算をして見せてまた新らしいもんだいを出すとこんは五年生のせいの雑記帖へ書いた知らない字をこくばんへ書いてそれをかなとわけをつけました。そして「ではすけさんここを読んで。」と云いました。嘉助は二、三度ひっかかりながら先生に教えられて読みました。又三郎もだまって聞いていました。先生も本をとってじっと聞いていましたが十行ばかり読むと「そこまで。」と云ってこんどは先生が読みました。

 そうして一まわりむと先生はだんだんみんなのどうをしまわせました。それから「ではここまで。」と云って教壇に立ちますと孝一がうしろで「気をけい。」と云いました。そしてれいがすむとみんなじゆんに外へ出てこんどは外へならばずにみんなわかれ別れになってあそびました。

 二時間目は一年生から六年生までみんなしようでした。そして先生がマンドリンをもって出て来てみんなはいままでにうたったのを先生のマンドリンについて五つもうたいました。

 又三郎もみんな知っていてみんなどんどん歌いました。そしてこの時間は大へん早くたってしまいました。

 三時間目になるとこんどは三年生と四年生が国語で五年生と六年生が数学でした。先生はまた黒板へ問題を書いて五年生と六年生に計算させました。しばらくたって孝一が答えを書いてしまうと又三郎の方をちょっと見ました。すると又三郎はどこから出したか小さなずみで雑記帖の上へがりがりと大きくうんざんしていたのです。


* は小さい「な」

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