第10話 危ない目に遭い、

 父さんがに降りていってしばらく経った後、崖の下から誰かが上がってきたのが見えた瞬間だった。


 急にお母さんが僕の前に立った。

 左腕で僕の体を押さえて、自分の体で僕のことを隠しているみたいだった。

 僕は動かなかった。お母さんのその行動は力づくだったからだ。


 だから、目元以外を布で覆った男――間違いなくお父さんでは無い――が見えたのは一瞬のことだった。


 お父さんは……一体どうなったんだろうか?


 下から現れた人間は二人だったようだ。足音でわかる。

 二人目の人がお父さんなのだろうか。


 僕が戸惑っていると、ナラセさんが男に声をかけたみたいだ。

「つかぬ事をお聞きしますが、上から人が来られませんでしたかな?」

「ええ、すれ違いましたよ。まだ下に向かわれるみたいでしたが」

 淡々とした返事が返ってきた。

「そうですか」

 ナラセさんのその言葉も淡々としていた。


 二人の男は多分、二頭の馬が繋がれていた建物に近付いて行った。

 僕はその足音だけを聞いていた。そして足音は何故か止まった。

 なんで止まったんだろうか。怖い。


「あの、あの人はあなた方に何か話しかけませんでしたか?」

 お母さんが質問をするのが聞こえた。


「いいえ何も」

 と、素っ気ない返事が返ってきた。


 僕には、この二人は何か悪いことを考えているとしか思えなかった。

 二人は再び歩き始め、しばらくすると二頭の馬が走る蹄の音がして、そのまま向こう側へ遠ざかっていた。


 僕はやっとお母さんの背中から解放され、

 二人の顔を見上げた。

 そして、

 お母さんがわけのわからない事を言いだした。

「馬車の様子を見に行きましょう」

「そうですな」

「え? でもお父さんは?」

 あの二人と何かあったに決まっている。


「クロトは大丈夫です」

 お母さんはきっぱりと言いきった。

「そんなはずないよ! だってあの二人は何か悪いことを考えてるよ!」

 でもお母さんは聞く耳を持たなかった。

「ライラ、ここは私の言うことを聞いてちょうだい」


~~~~~~~~


 タミラさんとノマヤカさんは馬車の隣で話をしていたが、

 僕ら三人の存在に先に気づいたのはタミラさんの方だった。

「どうかされたのですか?」

 お母さんが答えた。

「まだ、何かが起きているとは言えません」


 そして、僕に馬車の中で待っているように言った。


「外を見ずに座っててね。……ノマヤカさん、よろしいですか?」

 ノマヤカさんは慌てていた。

「は、はい、大丈夫ですが、一体、どうしたのですか?」

 そう言いながらも馬車の扉を開く。僕は中に入った。


 ナラセさんが馬車の、お母さん達が居るのとは反対方向に移動した。

 何も言わずに周りを見ている。


 僕はお母さん達の話す内容に耳を傾けていた。

「この辺りに不審な者は現れませんでしたか?」

 タミラさんが慎重に答える声が聞こえた。

「……いいえ」


 ノマヤカさんの慌てる声も聞こえた。

「何人ですか? 外見は」

「今のところ二人です。 一人は青いケープを羽織った魔術師風の男、もう一人も男で顔を覆った格好です」

「その正体は?」

「賊……かもしれませんね」

「え? 嘘ですよね」

「ですから、まだ何かが起きると決まったわけではありませんよ」

「は、はぁ……それで、クロト様はどうされたのですか?」

「別行動しています。そちらの方は問題ありません」


 僕にはそれが一番わからないんだって。

 お父さんは一体どうなったんだろう?


 ナラセさんの報告がお母さん達に届いた。

「例の二人組はさっきまでこちらを見ておりましたが、消えました。私どもが進む方角とほとんど反対側です」


 それはそれで心配だ。

 マルズーの町に行ったかもしれないってことじゃないのか?


 その時、お父さんの間延びした声が聞こえた。

「おーい」

 僕はもちろん外を見た。お父さんの姿を見るためだったら窓の外を見たって許されるはずだ。


 お父さんはなぜかマントを脱いで、手で持っていた。


「どうしたんですか?」

 お父さんはお母さんの質問には答えずに、

「あの二人はまだいるか?」

 と聞き返した。

「魔術師のような格好をされた方ともう一人ですか?」

「そうだ」

 お母さんは首を振った。

「もういなくなりましたよ」

「どっちにだ?」

「マルズーよりももっと西の方角です」

「そうか。すぐに出発しよう。日が暮れる前に『フォウリアス』に着きたい」


 お父さんは馬に乗ると、周りの様子をうかがいながら走り始めた。


 お父さんが手に持っていたマントは、馬車の中に持ち込まれていた。

 僕は気付いた。

 そのマントに、鋭い刃物で切ったような跡があることに。

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