第8話 ついに姿を現したそれは、
リリーはもう歩いていなかった。走っている。
町の外に出てから徐々に足が速くなっていって、僕の見る景色が右から左へ流れていくのも速くなった。
「ライラ、……どう?」
どう?って言われても、色々思いついてしまうから答えにくかった。
「…………」
僕はお母さんの方を振り返ったけど何も答えることが出来なかった。そして顔が近かったからまた窓の外を見ることにした。
「どうしたの? 何か見えるの?」
「何も……ないよ」
実際、そうだった。
「町の中とは全然違うでしょう?」
「……うん」
「もし人や馬車の姿を見たら教えてね」
「うん」
それから、お母さんはナラセさんやタミラさんと話を始めた。
それを見て僕は思った。
何でみんなは平気な顔をしていられるのだろうかって。
怖くないのだろうか。
普通に会話して楽しそうにしているし、何の心配もしていないようにしか見えなかった。
お父さんの馬はノマヤカさんの馬よりも先を走っていた。右へ左へと振り返っている。だけど、怖がってはいないだろう。
ノマヤカさんもそうだ。あんな気弱な感じに見えたのに、今の後ろ姿からはそんなもの、想像も出来ない。
お母さんとナラセさんの会話の中にこんなものがあった。
「そういえば、ナラセさんは憶えていましたか? さっきの話」
それは、お父さんが浮遊馬車に乗りたがっていたという話だと思う。
「ええ、そういえば思い出しました。あれは確か……どこに移り住もうかを考えていた時でしたかな? あの頃の浮遊馬車は事故の知らせが絶えませんでしたが……」
「その時もだったけど、その前からもずっと乗りたいって言ってたのよあの人。俺は馬車が崖下に落ちたぐらいじゃ全然平気だからな、なんて言うんだもの。そういう問題じゃないのよって思ったわ」
一体何の話をしているんだろうと思った。
お母さんは、
「タミラさん、この話はここだけのことにしておいてくださいね」
の言葉を最後にこの話題を止めた。
タミラさんが「わかりました」と答えた。
本当に、何の話だったのだろうか?
浮遊馬車ってこれのことでしょ?
聞いてみることにした。
「ねえ? 今のは何の話?」
僕の顔を見るお母さんは少し困っているようだった。
「……あなたがまだ二歳だった時の話よ。この町に引っ越してくる時に、これに乗って移動したいって、クロトが言ってたのよ」
「でも乗らなかったってこと?」
「そう。結局ほとんど歩いて移動したわ。あの時はあたし達だけじゃなかった。あなたが昨日私に聞いてきたカレアドさんもいたし、フレイア、ネイスンさん、イツリさんもいたわ。ナラセさんももちろんいました。あの旅は本当に楽しかった……」
今の話は、僕にも少しだけわかったような気がした。何がわかったのかは自分でもわからなかったけど。
「タミラさん、今の話も……お願いしますね」
「わかっております」
僕は長椅子の上に膝立ちになって窓の外を見続けていた。
首をゆっくりゆっくり回しながら、気になる物がないか探した。
草原が広がっている。だけどどちらかと言えば土の茶色の方が多い。
……実は、
さっきから気になっていることがある。
馬車が少し傾いているような気がするのだ。
よくよく外を見てみると地面そのものが傾いていた。進む先の方が少しずつ高くなっている。
そしてごつごつした岩が転がっているのが見えた。こちらの方よりも向こう側の方がたくさん転がっている。
ノマヤカさんが、顔は前を向いたままで、背負っていた棒をこちらに向けて持って、馬車の扉の上を押さえた。
それから馬車の進みが遅くなりはじめた。
「あれは何してるの?」
僕はお母さんに聞いたけど、お母さんは僕に対して何か言いたげな顔をしてからノマヤカさんの方を見た。
「これは説明するのが難しそうね」
そうつぶやく。
「何なの?」
「……ああやって押さえていないとね、ノマヤカさんの馬にぶつかってしまうから……なんだけど」
「そうなの?」
「そうなの」
ふ〜ん。
「いつかクロトに分かりやすく見せてもらった方がいいわね。頼んでおくから楽しみにしててね」
「うん。わかった」
リリーの走りが遅くなっていき、ゆっくり歩くぐらいに遅くなると、ノマヤカさんはリリーから降りて話しかけるようにしてから左の方を指さした。リリーがそちらの方へ向かって歩き出した。
ノマヤカさんは次に僕らの馬車を直接手で掴んでゆっくり回転させながら、リリーの進路に合わせて後ろから押し始めた。
それは全く迷いのない動きだったので、
この人はどんな時にどんなことをすれば良いのか全部わかっているんだ、と思った。
父さんが乗る馬がもっと先の方に進むのが見えた。遠くの方で止まって、こちらに振り向いた。
~~~~~~~~
僕らは途中で止まった馬車を降り、馬車と共に待つノマヤカさんを後にして、
お父さんの元まで歩いて向かった。
ごつごつした岩の数がどんどん多くなっていく。
向こう側に行くにつれさらに地面が高くなっていき、そしてそれは、突然僕の目に見えるようになった。
地面が無くなっている場所が現れたのだ。
そして向こうの方に壁が見えた。
地面に空いた穴があまりにも大きいので、それは壁にしか見えなかった。
自分が立つここよりも低い場所にあるはずなのに……。
自分が小人にでもなったような気分だった。
左から右に向かって地面が大きなスプーンですくわれてしまったったかのようにも見えたけど、左の端も右の端も尖っていたから、スプーンはスプーンでも先の尖ったスプーンだ。
僕が立つこの場所から向こう側の壁までの長さは、高台にある僕の家の前から見える町と外との境目までの長さよりも、もっと大きく見えた。
「僕の町よりも広い」
と、僕はつぶやいた。
「そうだな、この亀裂全部の面積と比較したら確かにそうかもな」
お父さんがそんなことを言ったので、僕はすぐに振り向いてお父さんの顔を見た。
お父さんは僕の右側。お母さんは僕の左側に立っていて、
お父さんは向こう側の地面を、
お母さんはそれよりも少し下を見ているように思えた。
タミラさんとナラセさんは後ろの方に離れて立っていた。
僕には不思議だった。
お父さんとお母さんは僕と並んで同じものを見ている。なのに何にも怖いものは無いというように見えた。
僕は、こんなに怖いのに……。
僕は後ずさりして、足の踵が何かに引っ掛かったのを感じた。
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