ショッピングは楽しいぞ 8

「楽しかった、また来たいな」


 車に揺られながらレオンが少し眠そうにぼーっとした声で言った。「横になってれば?」と声をかけた時には「大丈夫」と答えたくせに、いつの間にかシートベルトを締めて座った姿勢のまま、空を見上げるようにすぴすぴ寝息を立ていた。アンさんはそれをバックミラーで確認すると、「のんびりドライブもいいかもね」と言って少しスピードを緩める。


 沈む夕日を見ながら走る海岸線は20年の間に透き通った空気のおかげかとても綺麗に見えてロマンティックだ。濃い青の水平線に沈んでいくオレンジ色をバックに、夕焼けを飛ぶ鳥の影が切り絵のように真っ黒に空に刻まれている。雲一つない様子を見ると明日もきっと晴れだし暑くなるんだろう。


「アンさん、服いっぱい持って帰ってましたけどいつもより多くないです?」


 山積みになった荷物をバックミラー越しに見ながら訪ねた。帰り道を運転するアンさんも同じくバックミラーを見てからすぐに前を向きなおす。


「……胸囲が大きくなってたから色々新調しようと思って」

「え?!」


 前回も同じ様な事言っていた気がする。僕は彼女にいやらしさとかエロさなんて感じないけど、さらなる成長を遂げた事実にさすがに驚いた。前もサイズを聞いた時、日本ではAVでしか聞くことのないアルファベットにびっくりした事しか覚えてない。


「別に悪いことしてるんじゃないからいいでしょ。スバルこそ何か持ち帰ったの?」


 後ろの荷物を振り返りながらアンさんが言う。僕も一緒に振り返って、今日自分が何を持って帰ったかを思い出していた。


「下着とかはレオンのやつと一緒に入ってますよ」

「何だ、つまんない。他にはないの?」

「楽譜は持って帰りました。レオンと教室用の初心者向けのやつ」

「そうじゃなくて、スバルの私物になるものはないの?服は?前も最低限のものしか持って帰んなかったじゃない。私2人の新しい服楽しみにしてたんだけど」

「……知らない曲の楽譜とか?」

「ないんかい!あはは、ピアノばかだ」


 アンさんがレオンを起こさないように小声で笑った。

 演奏は200年後でも趣味の1つとして人気だったので楽器屋に行くと楽譜をたくさん見つけることができる。アンさんにとっては生まれる前に発表された古い曲も、僕にとっては全部新曲なのだから興味しかわかない。隙間時間に楽器屋で楽譜をぱらぱらとめくってよさそうと思った物を選ぶ時間はとても楽しかった。だから僕は早く家に帰ってショッピングモールで眠っていた僕がまだ知らぬ曲を奏でたい。ピアノを弾いている時間が僕にとっては一番幸せな時間だ。


「でも服は今度私が選んであげるから着てよね」

「はいはい。またいきましょーね」

 

 「煙草取って」と言われたので僕はアンさんの尻ポケットにある煙草の箱を無言で抜き取ると、そこから1本煙草を出し火をつけた。そのまま彼女の手に渡してやると当たり前のようにありがとーと返事をしてアンさんは煙草を嬉しそうな顔をして吸い始める。


「レオンがいると賑やかでいいわよね。ママになったみたい」

「でもレオンは多分、アンさんの事は女性として見てますよ。僕でさえ分かるレベルです」

「あららあれ本気だったの?じゃあお姉ちゃんになった気分に修正するわ」

「身内のままじゃないですか」

「そんなこと言われても、レオンは弟だわ~」


 アンさんは困ったように笑っていたけれど、後ろで寝てる15歳は自分でも知らない間に失恋してしまった。狸寝入りしてるんじゃないかと心配になったけど相変わらずすぴすぴ言いながら眠り続けている。


「サトウさん、義足の話を受けてくれればいいんだけどね。誰だって自由に動き回れた方がいいもん」

「そうですね。レオン筋トレ頑張ってるし叶えばいいんですけど」


 他愛のない話のあとに助手席で景色を見ながら、僕は『帰ったらやること』を独り言のようにつぶやきながら指を折って整理した。

 まず家中の床を掃除して土足厳禁の土台を整えたら、絨毯を部屋と廊下と階段に敷いて、レオンが膝で歩いても痛くないような環境にする。買ってきた椅子をダイニングとレオンの部屋に置いたら、寝具とカーテンも交換して、スリッパを全部おろして、室内用の車椅子を出して、外用の車椅子も設置して、新しい服も1回洗ってからじゃないと汚いし…………あっ、夕食も作らないといけないし、レオンを起こして飯食わせたら風呂に入れないといけないし、


「……めんどくさっ。明日でいいか」


 明日があるっていいなと僕はぼんやり思った。僕もアンさんもレオンもみんな明日はやることが盛りだくさんだ。『明日やろうは馬鹿野郎』なんて名言があるけれど、こんな世界と僕にとって『明日やろう』の精神は万々歳して神棚に飾る程の価値がある。


「あはは、明日でいいよ。明日が楽しみね!レオンのファッションショーもしなきゃだし忙しいわ!」


 煙草を吸いながらけらけら笑うアンさんを見て僕は同意した。決めた、今日はもう何にもしない。

 やらないといけない事は明日やればいいや。死ぬまで時間はたっぷりあるのだから。


「でもピアノだけ弾いて。私スバルのピアノ好きだから」

「はは、おっけーです」


 アクセルを強く踏もうとしたアンさんに「もうちょっとゆっくり帰りましょうよ」と声をかける。そのまま、僕達は上り始めた星空の輝く道路を教会まで駆け抜けていった。

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