小説家になろう!
第6話 小説家になろう!❶
「ですから、お断りします」
アンさんがお手本みたいな笑みを浮かべながら告解室で男と向かい合っていた。普段僕はこの時間にこの部屋には入らないけれど今日は特別だ。客の様子がおかしいので同行している。まぁ、もやし体形の僕がいたって別にできることは少ないけれど抑制にはなるはず。この前アンさんに腕相撲負けたけど、役に立つはず。1mm、いや2mmくらいは。
「何故です?あなたが例のシスターでしょう?頼めば安楽死をしてくれるはずだ、聞いた話と違う」
目の下に濃いクマを浮かべた男が不機嫌そうに口答えをする。
「えぇ、どのような伝わり方をしてるかは存じませんが私が例のシスターですよ。文字通り命を握る行為ですからルールや条件などは必要に応じて都度都度で改定しています。ご理解いただけますと幸いです」
「わざわざ州を3つまたいで来たんだぞ。融通してくれ。見合うだけのものを出す」
「ご足労いただいたところ申し訳ないのですけれど、どなたでしょうが同じです。その様な理由ではお受けできません。仮に納得のいく理由だとしても、現在は特別な理由がない限り遠方の方でもカウンセリングを最低3度は行っています。そして、3度で済むのは本当にひと限りの人だけです」
同じようなやり取りをかれこれ1時間半続けていた。
目の前の男は今日この教会ですぐ安楽死を施してもらえるという話を聞いてアンさんを頼ってきたそうだが、誤情報を一向に受け入れようとしない。男は歯を剥き出しながら食い下がり続けるがアンさんも一向に折れる気配がない。
「無理やり追い出しましょうか?」
「大丈夫。最悪眠らせて追い出すわ。あとお腹空いた」
「サンドウィッチあります」
囁き声で打ち合わせると、僕はアンさんの後ろのでくの坊を続けた。
「これはシスターの立場より私個人としての考えですが、自作の小説を読んでくれる人がいないから死にたいだなんて考え直したほうがいいですよ」
アンさんの呆れたような声に、自称小説家のジョン・クリントンはアンさんの言葉に顔を真っ赤にして凄んだ。
「あんたに文学の何が分かるんだね!どうせ聖書しか読んでないくせに!」
クリントンさんが男としては高い金切声をあげるが、冒涜されても彼女は聖母のような微笑みを浮かべたままだ。誰よりも若い女主人として教会を運営し、僕とレオンの食い扶持を稼ぐアンさんは、この程度の迷惑行為に怯むような玉、最初から持ち合わせていない。良くも悪くもこんな事態に慣れている。
「その辺の人を捕まえて読ませればいいじゃないですか」
素人小説を読まされる人が可哀想だなぁと思ったけど黙っておいた。
「その辺の連中に私の小説が理解できるはずないだろう!」
「じゃあ試しに読ませてくださいよ。感想文くらい書きますよ」
「そんな読まれ方したくない!」
酔っぱらいに絡まれたときの面倒な空気が僕ら2人側には流れている。それでも、アンさんは変わらずにお手本みたいな笑みを浮かべて辛抱強くクリントンさんの話を聞き続けていた。
数日前の話だ。教会にかかってきた電話を取り、コードを指で巻きながらよそ行きの声で受話器にアンさんが挨拶をしたことから、クリントンさんとの出会いは始まっていた。
「ハロー?こちら教会です」
動力はよく分からないが何故か使える古い電話線を利用した電話のおかげで、科学が衰退している2223年でも電話で連絡を取ることができる。もちろんスマホや携帯は使えない時代に1人1台の普及は無理だから、電話を使いたいときは電話を置いている家庭や施設にわざわざ赴いて借りる必要がある。
面倒はあるけれどないよりはずっといい。今話してる相手も似たような方法で電話をかけてきたはずだ。
「ええ、はい、安楽死、エウタナーシャですね。はいうちで受け付けてますよ……はい……」
「いや出前かよ」
電話を片手にメモを取りながら通話をするアンさんを見ながらレオンがぼやいた。
「ほんと変な時代。そんなにみんな死にたいの?」
「人それぞれだって言っただろ」
「それでもやっぱ変だよ。生きてる方がぜったいにいいのに」
いちいち注意するのも面倒だから早くこの世界の当たり前に慣れてほしいけれど、レオンは2223年歴数週間の人間なのだから当然の感想だ。僕もだんだん感覚がおかしくなってきてるけど、自分を殺してほしいという依頼なんて僕らの時代ならそうとう頭のおかしい内容だもの。
「はい、はい。ではお待ちしてます。お気をつけて」
アンティークな外見の電話の受話器を置いて一息つくと、アンさんはさらにふうとため息をついた。
「……あー!無線電話ほしいー!ぜいたくを言うなら受話器を手に持たなくっていい奴が欲しい!」
「そっちですか」
「いつも思うけど、これメモが取り辛いの!ママの趣味で買ったオールドスタイルのデザインだから!コードが邪魔なの!300年前のデザインなんでしょこれ!?」
「僕の時代でも骨董品扱いでしたね。かわいいですけど」
古い時代のドラマに頻出する顔みたいなデザインの電話はこの家だと現役で使うことができる。見た目を真似ただけなので内部は当時よりはぐんと良くなっているけど、使い方は当時と同じだ。
「ショッピングモールに置いてる電話と交換すればよかったじゃん」
「だって取り外して壊れたら困るもの!電話だってなんで通じてるのか分からないままみんな使ってるんだから!変なことして壊れたらもう伝書鳩とかのろし使わなきゃだめなのよ!?あー、そんなのアンちゃんには無理」
気持ちは分かるけどそれに関しては多分、後ろの電話線のコードを付け替えるだけですよと心の中でツッコミを入れる。なんなら受話器も取り外しできるのにアンさんは気付いてない。でも僕はこの古風な見た目の電話に愛着がわいてるのであえて黙っておいた。アンさんは「スマホとか携帯電話が欲しいわ。アンちゃんより古代人の2人は持ってただなんてずるい」とブツブツ文句を垂れ流している。
「知らない人よ。ミスタークリントン。週末に初回カウンセリングの予約ね」
「承知しましたー」
その時の電話の相手が、次から次へと我儘を言い続ける目の前の男という訳だ。クリントンさんがぎゃあぎゃあ何か言うのをアンさんは忍耐強くニコニコ顔で聞き流している。クリントンさんの足元に置いてあるところどころ皮の禿げたカバンから覗く原稿用紙の束がきっと小説だろう。
「クリントンさん?執筆された物語を人に見てほしいという気持ちは分かります。ですけどそれを誰も読みに来ないからというのは、あまりにも受け身すぎでは?」
最初は聖母のような微笑みで命の大切さを説教していたアンさんだったけれど、だんだんとアンさん個人としての意見になりつつある。そして「受け身すぎ」という言葉を聞いた瞬間、クリントンさんは「うっ」と図星をつかれた顔をして急にしおらしくなった。
「私、見た目より若いのでパンデミック前の世界は知らない身ですけど、普通そういうのって人に読んでもらうために宣伝したり、広告をうったり、……SNSでしたっけ?外部に向けて何らかの宣伝活動をするんですよね?そのような行動を取られたことは?」
「……こ、こんな時代にどうやってしろと言うんだね」
「やり方はいっぱいあるでしょう。オフラインでも使える印刷機はたくさんあるはずですよ。紙に刷って人ん家のポストに入れるとか、お友達に頼んで読んでもらうとか色々あるじゃないですか」
「……そういうのはいいんだ。どうせ私が書く話がつまらないから。……身内は、誰も興味を持ってくれないし」
この時代には当然出版社はないし、それで食っていくのは不可能だ。
それは重々承知だそうだけど、そうだとしても誰もクリントンさんに「小説を読ませてくれ」と言いに来ないらしい。だから死にたいと。えー。
「だから、死にたいほど誰かに読んで欲しいならぜひ私に読ませてください。読んだら電話で感想お伝えしますよ」
「そんな読まれ方をするのは嫌だ!」
読んでほしいくせに読まれるのは嫌だと言われてしまうと、僕らはどう対応するのが正解なのか分からない。
扱いに困る人だ。そりゃ誰も読んでくれないよとこれまでの背景を少し察してしまう。
そんなことよりもアンさんが心配だ。今日は午前中に別件で1件エウタナーシャがあった。午後もカウンセリングがいつもより多く入っていたからアンさんは1日中働きっぱなしで、涼しい顔をしているけど内心はかなりへとへとのはずだ。カウンセリングは精神力を削られるし、エウタナーシャはアンさんの体力を奪ってしまう厄介な能力だ。具体的に言うのなら、1件につき2、30km全力疾走した時みたいに疲れるらしい。朝と比べて、目の下にクマがうっすら浮かんできている様な気がする。
……可哀そうに。僕は仕事のパートナーとして助け船を出してあげるべきだろう。僕としては珍しく眉毛をきりっとつりあげながら、アンさんを差し置いてしゃしゃり出ることにした。
「……僕モ小説、読ミタイナ〜!」
「後ろの男は空気を読むんじゃない!情けなくなるだろう!」
「アンさん。こいつ殺そう」
「落ち着いてスバル」
埒が開かないので「時間です」と言って僕らはクリントンさんを無理矢理追い返した。教会の門の札を【本日は終了しました】と書かれた面にひっくり返すと、ギャアギャア叫び続けるクリントンさんを無視して僕は教会の鍵を閉めた。
「ここで自殺してやるからな!」
そんな風なことを叫んでいたけど、どうせあぁいう人は死なない。外の駐車場にあった見知らぬ車に乗って帰るだろう。分厚い扉越しに聞こえる声を無視して、耳を塞ぎながら僕らはさっさと家の方へと戻った。
後に予約が入っていないのが幸いだ。いつもの倍は疲れた顔をしているアンさんは家に入ると早々にウィンプルを外して頭をガシガシと掻いている。今日は早々に営業モード完全終了だ。
「さっきの人なんだったの?こっちにまで聞こえてたけど。アン大丈夫?」
家に帰ると、リビングで筋トレをしていたレオンが心配そうに声をかけてきた。告解室は教会側からは防音がしっかりした部屋だけど、クリントンさんは大声で騒いでいたので比較的薄い自宅側の壁はすり抜けてしまったらしい。アンさんはレオンを見ると息子に再会した母親の様にぱぁっと明るい顔になってすぐ駆け寄った。
「あー!レオンくん癒して〜!」
返事も待たず、アンさんはレオンを思いっきりハグして、餅みたいなほっぺたをこねくり回していた。レオンは「俺汗臭いよ」と恥ずかしがっていたけど、アンさんからのハグは満更ではない顔をしている。
「私の事、快楽殺人鬼だと思ってる人が来るのよねぇ……。レオンくん、もし電話クリントンって人からの電話取ったら予約でいっぱいですって言っていいからね?あの人はしばらくNGリストに入れるわ」
「NGリストとかあるんだ」
「どう考えても尊重できない理由もあるからねぇ。たまに雑談だけしに来る人もいるし。いや、あの部屋は何でも話していいんだけどね?元気なのは良いけど、ここはそういうお店じゃないのよ……」
アンさんはレオンで充電した後、電話のそばに置いている予定表の一番上のページに『NG:クリントン』と書き残した。そして気だるそうに「お腹空いたわ」と上目遣いで僕を見ている。
今日はレオンのリクエストで唐揚げだ。成長期だし、筋トレしてるレオンにはタンパク質が豊富なものを食べてもらいたいので、我が家ではこれから肉料理のメニューがどんと増えるだろう。そう思って前から保存しておいた鶏肉にはすでに下味を付けてある。
さてと、厄介な仕事が終わったばかりだけど僕はこれから主夫としての仕事を始める時間だ。まず、洗米した米の入った土鍋に火をかけたら、炊けるまでの間に浴槽を洗って、いつでも風呂に入れるよう準備を整えようと頭の中で計画を立てる。
「スバル、私ね、今日はもう疲れちゃった。悪いけど先にお風呂入るわね!」
「あっ、じゃあ浴槽洗ってください!」
「はいはーい」
けれどアンさんが風呂に入っていったので1つ手間が省けた。それなら風呂はアンさんに任せるとして、僕はサラダのために新鮮な野菜を取りに行くことにしよう。
台所の隣にあるパントリーの勝手口から出てすぐ外の建物へと向かう。夏の生ぬるい空気を遮る扉を開けて姿を現すのは、季節を問わず新鮮な野菜を収穫できるアン家自慢の3階建超テクノロジーファームだ。ここは例の王による蛮行の被害を逃れられたので2190年代後半の最先端技術を今でも使うことができる。
とはいえ約20年前の施設だ。オンボロの部類に入るので多少は動作のおかしいところもあるけど、手入れすればちゃんと動いてくれるので僕はとても重宝している。食事の基準が2022年と変わらないことは大袈裟でも何でもなく心の支えだ。
1階では1日に何個も玉子が取れる未来の鶏ピヨちゃん′s(名付けをめんどくさがったアンさんのせいで全羽ピヨちゃんという名前だ)を飼育しており、2階、3階では野菜と薬草を育てている。僕は1階のピヨちゃん′sに適当に親しみを込めた声をかけてから2階に上がると、瑞々しい空気の中ですくすくと育つ野菜の森の中、贅沢に食べごろの野菜だけを選んで必要な数を収穫していった。
僕の最近の悩みは、レオンがトマト以外まともに野菜を食べないことだ。色々試行錯誤してみたけれど、野菜の形が少しでも残っていると屁理屈を並べて全然食べようとしない。もうあれこれ食わせるのを諦めて、毎度トマトの山で肉を食わせる方がお互い楽だろうか。僕としては、わがままを言わずにピーマンのような旬の夏野菜をもっと食べて欲しい。
アンさんはアンさんで食に関心のない人間なので毎日の献立には気を使う。彼女は食事に文句は言わないけどほっとくとまともな食事を取らない。だから彼女の食欲をそそる料理を毎日作らないといけないのは地味なプレッシャーだ。しかし最近はレオンがいるからか、アンさんは以前より積極的に食べるようになった気がするので僕は内心ほっとしている。下のきょうだいができると自然としっかり者になる年長の子供と一緒だと思った。
僕が収穫から家に戻るまでには5分もかからなかったと思う。勝手口から台所へと入ると、すぐレオンと目が合った。台所で水を飲もうとしていたみたいだけど、何故かいやに不思議そうな顔をして僕を凝視している。
「スバル。さっき戻ってきたのに、また外出て、また戻ったの?」
いつもなら調理中の僕に何も声をかけないくせに、何故そんなことを聞くんだろう。と思いながら台所のテーブルに野菜籠を置いた。
呑気に「今帰ったけど?」と返事をした僕の言葉を聞くと、レオンは目を真ん丸に見開きさぁーっと顔を真っ青にして、滝みたいな冷や汗をかきはじめた。
「じゃ、待って!?そこの扉、ついさっきがちゃんって言ったとこなんだけど!?」
その時だ。風呂場の方から異常を知らせる、金切声が聞こえたのは。
「――アンさん!?」
嫌な予感とともに、台所から数メートルしか離れていない浴室に全力で向かう。誰かが勝手口から侵入し浴室に向かったんだとすぐ理解した僕は、彼女に押し寄せた危険を感知し急いで浴室のドアを開けた。
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