ライオンは強い 17

「何て顔をしてるんよ、しゃんとしなさい、しゃんと」

「……できないよ」

「おばちゃんが前から決めてたことなんよ。ごめんねぇ。アンちゃんに八つ当たりはせんであげてね。アンちゃんも何度も引き止めていたし、何回もおばちゃんと話したうえで決めた事なんよ」


 キムさんが俺に軽くハグをすると、お線香みたいな匂いがした。


「アンちゃんが悲しそうだったよ。レオンくんに嫌われちゃったかもって」

「……」


 想像すると何も答えられなかった。


「おばちゃんの事理解できんやろぉ。しゃあないしゃあない。あんたくらいの歳の子、理解できなくてええことだからね。でもなぁ、おばちゃん人生でたーっくさん苦労してきたけど、同じくらいたーっくさん幸せな事があったんよ。幸せでいい人生だったって思いながら天国に行きたいんだわ。だからこの選択を悪い方ばかりに考えんといてほしい。おばちゃんなぁ、最後にレオンくんみたいなかわいい子に会えて嬉しかったぁ」


 抱きしめながら優しく俺に語りかけ、キムさんは顔をあげる。


「車椅子大事にしてな?これだけは伝えたかったんよ。旦那の形見だから」

「……何で死んじゃうの?」

「もう十分生きたからねぇ」

「やだ、寂しい」

「あはは、こんなババアにそう思ってくれるだけで嬉しいよ。あと50歳若かったらね」


 豪快に笑った後、あぁそうだとキムさんは机に奥に置いてあったポラロイドカメラを取って俺に渡した。


「ポラロイドカメラあんたにあげるわ。だから、たくさん写真撮りなさいね。写真さえあればいつでも思い出に会いに行けるの、こんな素敵な趣味はない。辛い事や思い出したくない事が山ほどあってもいつかは自分の糧になる日が絶対に来る。あんたは強い子だとおばちゃんは信じとる」


 キムさんは言いたいことを全部言ったんだろう。しわだらけの顔をにこっと笑わせて俺に微笑んだ。


「だからあんた、幸せになりなさい」


 それが最後の会話だった。


「みなさんありがとね」


 キムさんはアンと自分の寝室に向かった。残された俺達は寝室の前の廊下で待ち続け、しばらくするとアンのお祈りの声が聞こえてきた。エウタナーシャが終わったんだってわかった。だからみんなキムさんの冥福を祈りながら声を殺して涙を落とした。


 キムさんの庭の墓標にはキムさんの旦那さんと、子供達と思われる名前が書いてあった。

 子供の方は約20年前のパンデミックで亡くなったそうだ。生き残った旦那さんもショックからか酷い認知症を発症して、キムさんが最近まで面倒を見ていたらしい。大変だったのよと、最後まで一緒に残ったおばさんが俺に教えてくれた。

 棺桶で眠るキムさんに俺も百合の花を一輪添えた。葬儀を終えると「帰ろうか」とアンがいうから、俺はアンの運転する方に乗ることにした。行きと同じ道を大型の四輪駆動が走り抜けていく。さわやかな初夏の風を感じた。


 行きは青空だったのにもう赤い夕焼け空だ。

 俺達は帰ったらきっと夕食を食べる。風呂に入って、どうでもいいことを語り合って、布団で寝る。

 これはみんな一緒だ。今日のパーティに来てた人達も、悲しみの涙をのみ込んで、みんなそれぞれのいつも通りに戻るんだ。

 キムさんが亡くなったって、どんなに悲しくったって、どんなに辛くたって、どんなに寂しくったって、俺達の毎日は嫌でも続いていく。


 これからもずっと、死ぬまで永遠に続いていくんだ。


「ねぇ、アン……昨日はごめんなさい」


 真横で運転するアンに謝った。アンは煙草を吸おうとした手をピタッと止めてこっちを見る。まだ長い煙草の火を消してからハンドルを持つ手を変え、シャボン玉を触るようにそっと右手で俺の頭を撫でてくれた。


「いいよ」


 アンはそれ以上何も言わず、ただただ泣き出しそうな顔で笑っていた。


 スバルの作った夕食を食べた俺はすぐトレーニングを始めた。もっと動けるようになるには怠けて落ちた体力を取り戻さないといけないと思ったからだ。

 アンに足の先を抑えてもらって腹筋したり腕立て伏せとか色々してみたけど驚くほど全然できなかった。悔しいからこれから毎日筋トレとストレッチを行うことを日課とする。それに場の流れで始まった腕相撲大会で、スバルを抜いてアンが一番強いのも男として悔しかった。

 とりあえずは俺より背の高いアンをお姫様抱っこして見せるのが目標だ。

 それと、いつか義足が欲しい。自分の意思で自由に歩ける足が欲しい。


 夕食時、1人部屋を作って俺はそっちで寝るか?と2人に提案された。

 1人部屋自体は嬉しいからもらうことにした。だけど寝る時はしばらくアン達と同室を選んだ。キムさんとの約束を守るなら、この時間が俺にとって一番『幸せ』に近いからだ。

 アンが抱き着いてくるから寝がえりが打てないしスバルもいて狭いけど、3人でいつもの日常を過ごして、3人でダラダラ喋りながらいつの間にか寝るあの時間こそが、悔しいけど今の俺にとって一番居心地がよくて、安心する場所だと思った。


「俺、バスケしたいなぁ」


 寝る直前に独り言のように口にした。

 

「バスケってなに?」

「スラムダンク読んだことねーの?ボールをね、こう、ドリブルして……、高いとこにあるネットにこうやって入れるんだよ。あと、彼女欲しい。めっちゃ欲しい」


 まず、普通の15歳みたいなことがしたい。


「彼女?いいじゃない。それならたくさん外に出てたくさん人に出会わなきゃだね〜」

「…………アン、だから、あの、よかったら俺と付き合わない?」

「んふふ、だめ〜」


 真面目に言うのが恥ずかしかったから少し冗談っぽく言ってみたら案の定フラれた。

 それにアイマスクをつけているはずのスバルの視線が妙に怖かった。目は見えないのに絶対にこっちを睨みつけていた。ほんと、この2人はよく分からない。


 幸せって何だろう。キムさんのことがあっても、死ぬことが所謂幸せに直結することだとは到底思えない。

 とりあえず子供の俺にできることは、自分ができることをして、したい事に素直に従う事。

 がむしゃらでも不器用でも、がんばって生きていく事が最善なんじゃないかと思った。


「ねぇ、明日写真撮りたい。ポラロイドカメラ貰った。フィルムもいっぱいあるんだよ」

「あはは、いいわね。明日は3人でおしゃれしましょ」

「あ、スバルはいい」

「おい」

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