ライオンは強い 16
「…………レオンさ、アンさんと話したんだろ」
アンに啖呵を切っておいてベッドを使った俺は、両端に誰もいない状態で翌朝目覚めた。
起きたらアンはすでに仕事に行っていた。スバルは扉越しに俺を起こすと、いつもと同じ朝食を準備しておいてくれた。よそよそしい雰囲気の中丸パンをちぎって食べようとしたけど口が受け入れない。牛乳を飲んでみたけど味がわからなかった。
「どう思った」
「……怖いと思った」
「それが普通だよ。アンさんは僕達の世界にはなかったトンデモ能力を持ってる。僕も最初はレオンと同じような反応だったさ」
スバルはいつものむかつく雰囲気のまま話し続けた。
「でも今回の決断を下したのはキムさんだ。アンさんを恨むなよ」
「人殺しじゃんか」
「本人が望んでる」
「…………殺人だよ」
「同意書あるぞ。キムさんのサインが入ってる。カルテもあるし、カウンセリングの記録だって全部ある。納得できないんなら読んでいいぞ」
「…………俺は間違ってない!」
「まぁ、そうなるよ」
スバルは落としたてのコーヒーをマグカップに注いだら、ミルクポットの牛乳を入れた。徐々に薄い茶色になってカフェオレが出来上がる。
「人殺しでこの生活が成り立ってるなんて、俺知らなかった……!」
「人殺しじゃない、安楽死だ」
「同じだよ!まだ寿命も来てないならそれは殺すのと一緒じゃんか!」
「じゃあお前はどうしても助からない人を死ぬまでほっとけっていうの?穏やかに死ねる可能性を認めずに苦しみながら死ねっていうのか。自由に動けなくなって、自分でトイレに行けなくて、人に介護されないと生きられない自分が死ぬほど嫌でも、身体が元気なら生き続けろって?」
「……~~~!」
言葉に詰まって、行き場のない怒りを机を叩きつけてぶつけた。ガシャンと皿とスプーンが揺れてその衝撃でコップが倒れて水がこぼれる。スバルはそれを怒りはしなかったけど、はぁーっとため息をついてそばにあった布巾で拭き取った。
「よく考えろよ。お前、誰に助けてもらったんだ?アンさんはあの力のせいで、普通に、自由に生きることができなかった。アンさんはまだ22だぞ、レオンと7歳しか変わらない。僕らの時代なら普通に大学に通って毎日彼氏とデートしてるような年頃の女の子だ。なのにアンさんはあの力を受け入れてシスターをしてる。いち早く異変に気付いてジョシュアさんちに行けたのは、アンさんが日頃シスターとして働いてるからだ。レオンに十分な食事を与えられるのは、アンさんを崇拝してる人が献金の代わりに持参した食べ物や物があるからだ。この家でレオンを引き取るって決めたのは誰だ?服も寝床も用意して、物が足りない時代に無償で車椅子を譲ってもらえたのは誰のおかげだ?僕達みたいな余所者が物乞いせずに生きてられるのは全部アンさんの特別な能力と、これまでの努力のおかげだ」
やや感情的な言い方ではあったけど、父親が聞き分けの悪い子供に言い聞かすような雰囲気だ。スバルは俺の隣にわざわざ座り直して足を組んでカフェオレを一口飲む。
「口止めされてたから言わなかったけど。足。アンさんといる時は痛くないだろ。それもアンさんがお前の嫌ってる力でコントロールしてくれてるからだ。あの人がお前にどれだけ気を使ってると思ってる」
スバルは俺の千切れた左足を自分の足で小突いた。あぁ、それでここに来てからはしんどすぎる幻肢痛に悩まされたことがなかったのかとやっと気が付いた。確かにアンは俺によく触ってくる。ベタベタ触るのから軽く頭をぽんぽんっとするのまで一日に何度も触ってくる。俺はてっきりアンの距離感がバグってるだけだと思っていたけど、スバルの言葉で意味のある行動だったんだと理解した。
「――――まぁすぐ納得しなくっていいよ。アンさんはお前が動揺するのも当然って理解してる。ただ、この世界は僕達がいた日本とは常識が違うんだ。お前が思ってる以上にアンさんの力や考えはみんなに受け入れられてるし、安楽死の話を聞きつけて遠くから来る人だっているんだ。ここで暮らす以上は理解出来なくても、この土地の人たちの考えは受け入れろ」
「……俺、ここで暮らせないかもしれない」
「そう思ったんなら勝手にしな。次の家族探す手伝いくらいはしてやるよ」
スバルは飲み終わったカフェオレのカップを洗って布で拭いて食器棚に戻したら、食器棚のガラスに映った自分を見て髪を整え直した。
「……でもキムさんはお前にも来てほしいって言ってたよ。あとは自分で決めろな。今日は礼拝は無し。10分後に家を出るからな」
スバルの運転する小型の四輪駆動に自分の意思で乗った俺は、助手席でずっと上の空だった。
――――キムさんを見送るなんて嫌だ。
どうやったらアンとキムさんを止められるんだろう。いいアイディアは思い付かないけど、死なないでと嘘泣きでもすれば考え直してくれないだろうか。
途中ふとバックミラーに写る見覚えのある景色に気付いた。遠く小さくなった教会が映ったのを見て、頭の中で急に点と点がつながった。
あぁ、何で今まで気づかなかったんだろう。ジョシュアのおっさんの家の窓から見た教会ってここだったんだ。
「…………スバルは何回も、……エウタナーシャだっけ。何回もお見送りしてきたの」
「してきたよ」
「……嫌じゃない?殺しの手伝いしてきたってことじゃん」
「まー、それは否定しないよ。好きな仕事ではない。ピアノの伴奏と先生してる時が一番楽しいかな」
両手でハンドルをしっかりと握り視線を前方からずらすことなくスバルは答えた。
「僕もね、知ってる人何人か看取ってきたよ。キムさんも寂しくなるな。パワフルでいい方だから」
「……ジョシュアのおっさんってさ、どうだったの」
「どうって」
「死体。俺が来た時には腐ってた?」
「……あの時期涼しかったし、見つけたのもまだ早かったからギリギリ腐ってはないかな。見つけてすぐ防腐剤ぶっかけたし、レオンが寝てるうちに葬式と埋葬したよ」
「ああいう死に方って多いの?」
「孤独死?それなら多いよ。僕とアンさんで見つけたことがある。時間が経ってたら……最悪な気分だよ。匂いが鼻から取れねーんだ」
「うわ……」
つい想像してしまって吐き気がした。
「誰だって死ぬのは突然だからな。教会で出席取ってるのはみんな元気か確認するためだよ。もし1人で死んだんなら早く見つけてやりたいだろ」
「……キムさんが今日死ぬのは孤独死よりマシだっていいたいの?」
「そーじゃねーよ」
視線を前に向けたままのスバルに軽くおでこを叩かれる。
「キムさんには1日でも長く生きてほしいよな。まだ生きられる命を無理やり終わらせるのなんて、残酷だし、命を弄んでる。苦しくても自然に死ぬ方が何倍もマシだって考えはあってもおかしくない。普通だよ」
「じゃあ……!」
「でも本人にしか分からない苦しみがあるんだ。僕達がとやかく口を出していい話じゃない」
緩やかにブレーキがかかるとキムさんの家のそばで車が止まった。家先でガーデンパーティをしていて、ピクニック用のテーブルには大皿に料理がたくさん並べられている。いつも教会に来る人たちがキムさんを囲って楽しげな雰囲気で過ごしていた。アンもその中に混じっていつもの太陽みたいな笑顔を振り撒いている。
「僕はもういくけど、車にいる?」
「…………行く」
スバルの後を追うようにシートベルトを外して車椅子に移った。
キムさんは化粧をして綺麗なワンピースを着ていた。俺が少し離れた場所からキムさん達を見ていると、そのうちの1人が気付いて俺の車椅子を押して仲間に入れてくれた。
子役だった頃のことを思い出して笑顔を作ろうと思った。演技は得意な方だったし、カメラが回っていればどんなことがあっても笑っていられるタイプだった。
なのに、今日はどうやったって作り笑顔にもなれない。暗い顔でキムさんと対面した俺は空気を噛むように口をぱくぱくさせたけど、こんちわって挨拶も出てこなかった。
「レオンくん来てくれたんかい!」
「…………」
「ありがとねぇ」
キムさんの傍にあるテーブルには写真が飾られていた。その中でも一番大きな額縁は家族写真で、若かりし頃のキムさんと思われる女性が笑っていた。旦那さんと3人の子供が写真の中で満面の笑みを浮かべている。キムさんの老け方からして20、30年くらい前の写真だと思った。
「それね、私の家族だよぉ。この人があんたが使ってる車椅子の持ち主さ」
30過ぎくらいの男の人を指差す。タヌキみたいな顔でマユゲの垂れた優しそうなぽっちゃり体形の男の人が、愛娘と思われる子を抱っこして笑顔でポーズを決めている。
「男前でしょ」
昔の記憶が脳裏によみがえったのか、懐かしそうに穏やかな微笑みを浮かべている。
「笑顔に一目惚れしてねぇ、私からアタックしたんよ」
キムさんの旦那さんの馴れ初めはまるで詩を綴るかのように語られた。特別ドラマチックでも何でもない普通の夫婦の恋物語を聞いてるだけなのに、キムさんの明るい声を聞いていると、俺は無性に悲しくなって涙が止まらなくなってしまった。
お別れパーティの間、泣き続けた俺は他の参加者に慰められ、さとされた。涙も鼻水も止まらないうちに時間はどんどん過ぎ去っていき、結局キムさんに「死なないで」なんて声をかけられなかった。
今日のためにおしゃれして、写真を並べて、親友のおばさん達と笑顔で過ごすキムさんに俺が何を言っても無駄だ。俺の妄想の域を出ない浅い考えなんて、キムさんの顔を見ればこれまでにすでに何十回も何百回も考えてきたことだと悟らざるを得なかった。
キムさんの人生の一部を垣間見ただけの俺なんかが口出しする権利なんてあるはずがない。
パーティーの参加者は思い思いに会話に耽って、食事をしたらじゃあねと言って帰っていった。最後までキムさんの家に残ったのはアンとスバル、それとキムさんと特に仲がいいと思われる数人だけだ。学生みたいに明るく過ごしているキムさん達を見てると、このあと遊園地にでも遊びに行くんだと勘違いをしそうになる。これから死ぬ人のお別れをする会だとはとてもじゃないけれど思えなかった。
「レオンくんちょっとこっちきておくれ」
キムさんに呼ばれた俺は涙と鼻水を拭いて車椅子のリムを動かした。昨日まで軽かったはずのリムが重く感じ、キムさんの顔をまともに見れない。
どうせなら楽しく終えたいだろうに、この会場で泣いてるのは俺だけなのがキムさんに申し訳ない。キムさんは自分のポケットからハンカチを取り出すと俺の目元を押さえて優しく涙を拭いてくれた。でも俺はそれもきつくって次から次へと涙が出てくる。
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