ライオンは強い 6
せっかくいい気分だったのに、何だよこいつもそうなのかと、まるで、天から地へ落されたかのような感覚に陥った。あぁそりゃそうか。誰も善意で俺の事なんて助けちゃくれないか。
「男が触んな、止めろ、離せ」
身の毛がよだち、食べたものが全部出そうになる。ぎゃあぎゃあ叫んで必死で腕をぶん回してるうちに俺の拳がスバルの顎を直撃し「痛っ!」という声を共にスバルがひるんだ。早く逃げたい一心で床を這いずろうとするけど俺は即座に襟首を捕まれる。振り返るとキレ顔のスバルが自分の顎を押さえながらしゃべり辛そうに話した。
「な、何勘違いしてんだ……人の話聞いてなかっただろ……」
舌を噛んだのか口から血が出ててスプラッタ映画みたいだ。流石に怪我をさせたことに罪悪感を覚え、思わず「ごめん」と呟くまでに、アンがあわてて持ってきたタオルをスバルの顎に当てていた。
「ごめんねびっくりしたよね。さっきお風呂入ろうって声かけてたんだけどレオンくん眠くて聞いてなかったんだよね。私も途中まで付き添うし、頑張ってお風呂入ろっか?」
アンは痛がるスバルより、明らかに俺を優先して声をかけてくれていた。
連れてこられたのは石造りの綺麗な風呂だった。石鹸の位置やタオルの説明を一通り受け、アンが「椅子これ使って」と言ってプラスチックの椅子を持ってきてくれたから、補助なしでも普通に1人で風呂に入ることができた。シャンプーをして体を洗って、よじ登る様に石造りのバスタブに入るとお湯が俺の体の分だけ水面が上がる。カポン、という効果音が頭の中で流れた。
風呂から上がると、適当に体を拭いて綺麗な寝巻を借りた。半ズボンだけどあったかそうなジャージ素材だ。とりあえずその状態で風呂場から出るとすぐそばのリビングでソファに座っていたアンに見つかった。
「やだびちゃびちゃじゃない」と怒られたらリビングに連れていかれてタオルで再度体中を拭かれる。水気が取れたらついでにそのまま髪の毛を乾かしてもらった。
「レオンくんさ、足どうしたの?」
アンが俺の髪をドライヤーで乾かしながら、何も気まずくなさそうにさっぱりとした口ぶりで聞いてきた。普通気まずくて聞いてこないだろうと思ったけど、外国人だからタブーとか常識とかずれてるのかもしれない。
「……昔、交通事故で。車と車に挟まって千切れた」
だけど変に気を使われるより答えやすい。俺もできるだけさっぱりとした口調で返す。
「あらら、可哀そうに」
「……別にもういいよ足なんて」
「よくないでしょ生えてこないんだから」
「……ねぇ、何で俺を助けてくれたの?」
ドライヤーが終わったと同時にずっと気になっていたことを聞いた。アンは俺があんな場所にいたなんて知らなかったはずだ。
「――――助けてもらったお礼ってどうしたらいい?いっぱい迷惑かけたよね」
「律儀ねぇ〜子供なんだからそんなの考えなくって、」
「アンとエッチしたらいい?」
俺の唐突な発言にアンが青い目を丸くして手を止めた。
「アンならいいなぁ、女の人だし美人だし……。それともスバルの相手すればいいの……?」
俺の事を見返りもなく助けてくれるなんて発想がなかった。
きっとこの2人も今まで会ってきた大人と同じで俺で遊ぶに決まってる。どうせみんな顔の面の皮が目当てだ。
「さっき殴っちゃったから、仕返しされたら嫌だな。俺、男はもう嫌だ。痛いのも嫌だ……。でもお金ないし足もないから歩けないし、働けないし、だから、何かいるならそれ以外で返せるものなんて……」
誰かに期待して裏切られるなんてもううんざりだ。本当に俺のことを愛してくれたのなんてママ以外いるはずがない。
「でも、大丈夫だよ俺、ずっとそういうことして生きてきたし」
だから予防線を張らないと強く生きていける気がしなかった。
震えた声で俺がそう呟くと、アンは怒ってるのか悲しんでいるのか判りづらい暗い顔になった。無言で熱いままのドライヤーとブラシを放り投げるように机に置いた後、急に俺を包み込むようにがばっと抱きしめて、しばらく解放してくれなくなった。
誰かにギュッと抱きしめられて何度も頭や体を撫でてもらうだけなんて久しぶりだ。
誰かの胸元に頭を埋めるなんて真似はママが生きていた時以来だ。
アンの胸が俺の頭にあたってるけど不思議とエロい気分にはならない。疲れて帰った夜にふわふわのクッションに顔を埋めてるかのような気持ちにさせられる。
あったかくて柔らかい人からの宝物を抱きしめるみたいな優しいハグは、不思議と俺の心の警戒を解いていくようだ。自分の息とアンの体温で俺の顔が熱くなるくらいの時間、「大丈夫、もう大丈夫だから」と耳元でアンは何度も何度も呟いた。
「……お礼とか迷惑だとか何も考えないでいい。それに、これからは誰にもそんなことしないでいい。レオンくんがほっとけなかったから私が勝手に助けたの。あなたは何もしなくていい」
俺に向けた真剣な青い瞳の眼差しは少し濡れていた。
「私達の事怖いかもしれない。でも、絶対に傷付けない。だから、これからは自分の事を一番大切にして」
アンは再びブラシを手に取ると、ハグでぼさぼさになった俺の髪を解し直した。
「それとも、助けてほしくなかった?」
目を合わせないままアンが少し不安そうな声を出す。
「……ううん、感謝してる。ありがとう……。……死にたくなかった」
裏切られたくない気持ちが先行して、俺は恩人に言ってはいけない事を言ったんだと思った。アンはずっと俺に優しくしてくれているのに、自分の心の弱さが情けなくて涙が出そうになる。アンはそんな俺を鏡越しに見ると、またにこっと笑って、また俺の頭を撫でた。
「よかった。私ね、素直な子が好きよ。――――うーんと、まぁ助けた理由というか、きっかけは知りたいよね。まぁジョシュアさんなんだけど。最近教会によく来てたのに急に来なくなったから何かあったんじゃないかと思って心配になって見に来たの。もう死んでたけどね~。あの人甘い物食べないのに最近急にお菓子を持ち帰るようになったよねって、みんなで話してたんだ。誰かいるんじゃないかって噂してたんだけど、レオンくんがいたからだったんだね。見つけたときはちょっと納得しちゃった」
俺はこの間化粧水を塗られていた。塗られた後に触ると、肌がもちもちした気がした。
「どうして、アンが様子を見にきてたの?」
「それはね、私がシスターだからよ」
そういって胸にぶら下げた十字架を見せびらかす様に摘み上げる。俺の知ってる十字架とは、デザインがちょっと違う。
「……アンって、俺の知ってるシスターと何かイメージ違うんだけど」
宗教に詳しいわけじゃないけど、シスターって言うのはもっと真面目でお堅い人がやるイメージだ。なのにアンは砕けた喋り方しかしないし、男と2人暮らしをしているし、ジョシュアのおっさんが死んだことを悲しんでお経をあげる様な信仰深い様子も全く見えない。さっきも肉をいっぱい平らげてたし酒も飲んでた。行動だけ見るとその辺にいる若いお姉さんって感じだ。しかも割と俗世寄りの人。
「レオンくんが住んでた場所とここは事情が違うからね~」
なぜかアンは誇らしげな表情だったけど俺は遠回しに不真面目そうと言ってんだから誇る事ではない。
「……ねぇ、レオンくん、スバルの事嫌い?」
アンが鏡越しに目を合わせて俺に問いかける。
「さっき暴れてた時、触んなって暴れたでしょ。嫌い?」
「……スバルが嫌いっていうか、男が嫌い」
全ての男がホモじゃないことくらいは知ってる。ただ、3年も売春させられてきたから望まない性行為に恐怖心なんてものはいやでも消えていたけど、自分より体のでかい男が目の前にいる事自体ストレスであることは間違いなかった。加害の可能性が真横にあるだけで俺にとってはイライラの原因の1つだ。
「男ね……」
鏡越しにアンが眉をひそめたのが分かった。
「じゃあじゃあアンちゃんの事は?怖い?」
「……アンは怖くないよ。女だし」
あら嬉しいといいながら俺はほっぺたをむぎゅっとされる。するとアンは思った以上に俺の頬肉が柔らかかったのが面白かったのか、そのまま口を何回か無言でタコにして遊ばれた。俺はアンのおもちゃじゃないのにと思ったけど、胸が頭にあたってたので気付かないふりをすることに決める。役得ってやつかもしれない。
「でもスバルとも仲良くしてね。あの人は優しい人だから悪いことしないよ」
「ねぇ、スバルってアンの何?結婚してるの?旦那?」
「旦那さんじゃないよ~……。スバルは〜大事な友達かなぁ?」
アンはあははとちょっと困ったように笑っている。
「あ、もう遅いからお話は明日にしよっか。お風呂あいたみたい」
スバルがリビングに入ってきたので、アンが「あんまり怒ったらだめよ」と言ってスバルのほっぺたを軽くつねってから出ていった。
スバルの髪がしっとりしていて前髪が下りてる。しばらくいないと思ってたら風呂に入っていたらしく塩顔にお似合いの地味な灰色のパジャマ姿だった。そんなスバルが怖い顔をして俺に近付いてきたから心臓が荒波の様に高鳴る。
さっきの鉄拳を怒ってるんだろうか。やっぱり男に近付いてほしくない気持ちが強くて過呼吸が出そうになる。よく知らない男が俺に近付いてくるのは何度も経験してきた光景によく似たシチュエーションだった。
けれど俺の顔が強張ったのをスバルが気付いたのか、足が止まった。そして「んー」と難しい顔をしながら話しかけてきた。
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