芋煮会をしよう 7

 サトウさんを指定の場所へ埋葬してみんなで見送ったら、鍋を片付けて僕らは家に戻った。レオンはずっと涙目だったけど、アンさんと一緒に祈りを捧げたあとからは鼻を啜る程度におとなしくなって、夜になると1人で先にベッドに潜り込んでそのうちに寝た。1人だと心細い日は自分の部屋で寝ないのはこいつのちょっと困ったところでもある。


「今日レオンくんは頑張ったね」


 熟睡しているレオンの頭を撫でながらアンさんが言った。


「偉いよね。まだまだ子供なのに。ほんとはサトウさんの前で泣いちゃうとばかり思ってた」

「……アンさんもおつかれさまでした」

「うん。スバルもおつかれさま。今日はちょっときつかったねぇ」

「僕は大丈夫です」

「そう?」


 アンさんはベッドに座るとウィンプルを外した。家に戻ったのは数時間前の話だけど、レオンが寝たのを確認したことで彼女の中で今日の仕事がやっと終わったろだろう。彼女の茶色い癖っ毛が空気に晒されて少し跳ねていた。


「煙草吸いたい……」


 仕事で疲れた目に少し光が宿る。喫煙だけが彼女の娯楽だ。


「寝室はダメです。台所で吸ってください」

「はいはい」

「はい、は一回」

「はーい」


 適当すぎる返事をしながら、アンさんは僕の目の前で寝巻きのネグリジェに着替えた。

 彼女が漆黒のシスターのワンピースを脱ぐ度に「やっぱデケーな」と、僕は内心思う。すけべ心からではない。新幹線で富士山を見れば誰だってスマホで撮影してしまう感覚と似ている。デカい物には自然と目がいくのは人間のさがだ。

 しかし、男の僕の前でも思春期のレオンの前でも、身内の前ならどこででも着替える癖はやめてほしい。アンさんがレオンを揶揄っていた内容はあながち間違いでは無く、初対面時のレオンは確実にアンさんに惚れていた。今は姉弟のような関係だけど、それでも15歳のレオンには刺激が強い存在なのだから少しは気にして欲しい。

 まぁ、僕らはレオンみたいな若者ではなく大人同士だし、もう彼女の下着姿には慣れたものなので口にはしない。そういえばアンさんのネグリジェ、裾がほつれてたから今度洗った時に繕っておこう。

 羞恥心がない彼女は上品なラベンダーのネグリジェに着替え終わった後、煙草セットを机から取り出し、首を鳴らして軽くストレッチをした。


「スバルも吸おうよ」


 軽いノリの誘いに見えるがこれは強制連行の時の言い方だ。

 

「やです、それ枯草の味しかしないすもん」


 僕は煙草をほとんど吸わない。僕が生きていた令和の時代では喫煙者の肩身は狭く、窮屈な喫煙ルームで肩身を寄せる老若男女を見ていたせいか興味を持つことはなかった。たまに煙草を吸う様になったのはアンさんに覚えさせられたからだ。1人で吸うのは寂しいからと、無理矢理慣らされたのが始まりだ。

 

「じゃあアンちゃんのとっておきの方あげるから〜」


 猫撫で声一歩手前の声色を出しながら上目遣いで僕を見つめた。

 こうして見てみると、アンさんは普通の女の子だ。歳は僕より下。背は少し高くて、僕と並んだとしても身長差はさほど感じない。

 明るい髪色に空色の瞳とそばかすがトレードマークのアンさんは、この古びた教会の女主人で、シスターで、この世界で唯一の聖職者だ。聖職者と呼ぶには軟派な性格で煙草が好きで酒も飲むし、胸も大きいし谷間を隠す慎みもないけど、彼女は生き残った人々の最期の希望として崇められている。


 けれども僕はこの世界の住人ではない。

 簡潔に、今風に言うのなら、僕は別世界からやってきた日本人だ。ついでに言うとレオンも僕と同じ日本人で、僕より後にこの世界にやってきた。

 僕らみたいな人間は昔なら珍しくなかったという。この世界は技術の進歩が凄まじく、時空の歪みやらズレのせいで人間や物が別の場所からやってくる現象についてとっくの昔に解明されていた。昔は同程度の文明間なら海外旅行に行く感覚でゲートもつながっていたそうだ。

 ただ、先代の王が文明を滅茶苦茶に壊してしまった現在では他世界との交流は途絶え、文明的とはいえない寂れた星へと逆行したのがこの世界の現在の姿だ。そういうことで、知識はあっても技術がない世界では、僕とレオンが元の世界に帰る事はもう不可能だと踏んでいる。

 だけど僕はここでの暮らしを気に入っていたし帰る気も湧かない。アンさんといるのは気が楽だし、ここは静かで僕が僕らしく生きていけているからだ。


「煙草なんて無くても着いていきますよ」

「やった〜スバル好き」


 寝室から台所に向かう途中の廊下から月が見えた。満月でも新月でもない中途半端に太った月で、昼間にみんなで食べた里芋みたいな形だと思った。


「変な月ね」

「僕もそう思います」

「――ねぇ、私も、桜の下で死にたいって思うのかな」


 台所で煙草に火をつけた彼女は、俺と向かい合う様に椅子に腰かけた。椅子の上で体育座りの様に座っているからパンツが見えそうだ。僕は注意しながらその辺にあったブランケットを膝にかけてやる。


「死に方を選びたいと思うのは、人の本能なのかしら。1人で死にたい人、誰かに看取られたい人、色んな人がいて…………うーん、うまく言葉にできない。……ただお祈りしてる時に思ったの。私も自分の死に目を決めたいと思う日がくるのかなって。ほら、私の所に来る人はほとんど覚悟を決めた人ばっかりだし、自分の終わりを自分で決めるって別に悪いことばっかりじゃないじゃない?前は何とも思わなかった……は嘘だけど、最近考えることが増えた気がする。スバルとレオン、2人と暮らしているからかな」


 彼女はのんびりとした口調で言い終えると、煙を肺に入れる様に深く吸いこんで、時間差で、はぁーっと白い煙を口から吐いた。臭いから察するに、今日は軽めにブレンドした煙草の葉を選んだみたいだ。もくもくと立ち上がる煙を傍目で追いながら僕は自分用に入れた白湯を啜る。


「まぁぶっちゃけ、自分が死ぬイメージなんて全然想像できないけどね〜。じいさんばあさん見送るので手一杯だわ」


 アンさんは冗談っぽく笑ったけど、SNSにでも音声が流出すれば不謹慎だと騒がれそうな台詞に僕は苦笑いする。まぁ騒がれるほどの人口そもそもこの世にいないから大丈夫だけど。


「アンさん、あんた若いんだからまだ考えるのは早いですよ」

「スバルが言うのぉそれ。歳なんて変わんないじゃん」

「うるさいですね。早いですよ。断言します。知ってます?女の方が平均寿命長いんですよ。アンさんは俺より下なんだから、普通に生きてけばアンさんの方が長生きなんです」

「そうなの?じゃあ誰が私の老後を見てくれるっていうのよ」

「……レオンが見るでしょ」

「ええ〜!?レオン見てくれるかなぁ〜」

「あー、でも、あいつ菓子ばっか食ってるから多分早死にします」

「あら。レオンをおいて死ぬなんて心配事でしかないわ」

「同意です。やっぱりレオンは2人で看取ってやりましょう」

「そーしましょ。あの子寂しんぼだもんね」


 レオンが聞いたら多分怒るどころじゃないけどガチ本音だ。

 あいつがもう少ししっかりした大人になって、ガールフレンドの1人や2人できれば話は別だろうけど、10歳児みたいな性格のレオンが大して成長しなかった時は――――。

 ――――いやこれ以上は流石に不謹慎だ。やめておこう。


「……だから、アンさんは俺より先に死なないで」

「あーらら、スバルくんもセンチメンタルなの?」

「……それでいいです」


 死にたい人が生きて、生きたい人が死んでいく。

 そんな不条理がまかり通る世界で、必死に生きる理由が僕には分からない。


「じゃあスバルが死ぬ時は私が手を握っててあげる」

「そうしてもらえると、ありがたいです」


 分からないけど、分かるまで生きてみようと思った。


 やり直しが許されなかった世界。

 やり直しを諦めた世界。

 みんなに取り残されていく中、「最後まで生きる」とアンさんが笑顔を見せたあの日、僕は僕なりに頑張って生きてみようと思った。


「やっぱり煙草ちょうだい」

「いいわよ、甘い方あげる」

「んん、おんなじのがいい」

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