下:日常
ライトの右手のゴーグル。それが一層激しい光と衝撃を周囲に撒き散らす。天魔ヴィドフニルはたまらずライトから手を離した。
「これは……剣?」
新緑の森を詰め込んだような深い緑の剣。それが、ゴーグルのレンズから出てきた。明らかにサイズ的に不可能ではあったが、あの神秘的な光はそれを肯かせる説得力があった。
「んだてめェ……それ」
「わ、わかんない」
答えた瞬間。天魔の足元のアスファルトが爆発する。砲弾の着弾を思わせるそれは、天魔の化け物染みた脚力でなされたもの。不確定要素に何もさせないことを優先した雄鶏の判断であった。
だが。
「やぁ、さっきぶり」
「っ! うらぁ!」
雄鶏の裏拳、空を切る。耳元で囁かれたのにも関わらず、下手人はそこにいない。
下手人は既に体制を整えた。人質作戦で袋叩きにし、恐らく必要な武装を盗んでまでして抑えるのがやっとだった男。
黒髪黒目、ゴーグルを目に装着し傷一つない状態でそこに立つ。
「ふふっ……」
「おにーさん?」
「いやさ。君がすごくてすごすぎて、嬉しくてしょうがないんだ」
「……ごめんなさい! 逃げきれなくて」
「うん?」
「オレ、邪魔だと思ったから……」
あっと少年は不意に思う。俯いて見えないけどこの人、絶対ニヨニヨ笑っていると。
それは正解で、不正解。加えて彼は、ライトの頭を撫でた。
ひどく優しい、暖かい手であった。
「それじゃそろそろ終わらせようか。君も結構長生きだったね」
「クアァッ!」
先程までその手を焼いた光線の一斉攻撃。だがそれは、黒髪の手のひらから生まれる深緑の暗黒の雲に吸われる……否、消えていく。そして、その力を目にした雄鶏は戦慄する。その力、誰のものかを知っているが故にだ。
――『
「まぁ、皆の
「貴様か。天魔――ククルカン」
天魔ヴィゾフニル。その群体は暗黒の雲……星雲にすべてを飲まれ、消滅した。
◆ ◆ ◆ ◆
「小僧ーーっ!」
「おっちゃん! 無事だったの……ヌワーっ何、なんで抱きついてくるのぉ」
第一シェルターに避難してライト=シーブラックが最初に会ったのは、パン屋の店主だった。彼は少年を見るやいなやそのでかい図体でドカドカ迫ってきたのだ。ライトも見つけた時は喜んで近寄ったが、近づくにつれ減速し最後はもはや逃げていた。
捕まった胸の中でもがいてみるが効果はない。むしろ逃さないように強くなった。どうして。
「心配だったんだぞ……」
「うん。……泣いてるの?」
「泣いてねーよ!」
「ほら、声で、わかるってばっ」
「……お前も泣いてねぇか?」
「泣いてねぇ!」
抱き合いながら言い合って、沈黙すれば涙をのんだ。それでやっぱり我慢できなかったので二人共静かに涙した。落ち着くと、今度は周りの視線が気になったのか二人はバッと離れる。
もう遅かった。自分たちをぽつんと取り残す形で人だかりができている。
赤面しライトは気付く。こういうのは逃げるが勝ちである。そう決めたところで見覚えのある顔が見えたのでそちらへ向かう。
「おにーさん!」
「やークフッ。随分グッ……アツアツだったねあっはははは」
「我慢しきれてないんですけど」
それはククルカン……黒髪の青年だった。ホントにずっと笑ってるなこの人。少年は気になるものを手にする青年に尋ねる。
それは剣だった。あの時、ゴーグルから出てきた剣。
「ああ、これ? 僕もなんなのかわかんないのさ」
「そうなんですか? そのゴーグルから出てきたのに」
「ま、帰って聞いてみるよ」
もうひとつ。聞いておきたいことを尋ねる。
「……隣町で、魔獣相手に暴れた天魔。あなたのことだったんですね」
「そうだよ。『町落とし』、大陸を渡ってはるばるご苦労だったけど疲れてたんだね。楽に終わったよ」
「あなたから見れば全部楽ですよ」
「……怖いかい?」
「何がですか」
「その、僕が」
ああ、なんだ。
「いえ全然。あなたは頼もしくて笑顔の似合う、僕の恩人です。それ以下でもそれ以上でもありません」
そう伝えると、ククルカンは今日一番の笑顔を見せた。もはや顔の周りに花が咲いている。だがそれは意外にすぐに曇った。
青年は名残惜しいようだ。ずっと笑顔の人だったが、初めて悲しそうな表情をするのをライトは見た。
「さようなら、ライト君。願わくば君の道端に、数多の幸運が転がらんことを」
「はい。助けてくれてありがとうございました。これからもお元気で。……なんだか、絶妙に微妙な祈りの言葉ですね」
「幸福っていうのはそこらへんにいっぱいあるもんさ~。探しにいけばすぐに見つかるよ。例えばそう、道歩いてたら犬に噛まれるとかね」
「探してもないし幸運でもないです」
「犬はかわいいでしょ?」
「めっちゃポジティブですね」
でしょ~? 青年はそう答える。つられてライトもクスクス笑ってしまった。
最後の最後まで、笑いの絶えない人だった。
◆ ◆ ◆ ◆
世界は回る、滞りなく。
「号外ごうがーい! 今日の記事はとびきりだよー!」
朝を告げる鐘の音のあと、まだ夜の闇が染み付いた大通りの道。人と馬車と電気自動車のまだらに、朝の新聞屋がそれを知らせる。その小さな体躯は軽い靴音でリズムを刻み、人混みをかき分けたったたったと看板のかかったドアをくぐった。
「ジョンさんオハヨー! 今日も朝早いね、エライエライ!」
「おうおはよう。ライト、お前今日は朝早いんだな? 昨日あんなに泣いてたのによ」
「う、うるさい! ……その顔イラッとする」
「ぶはっごめん」
「何、騒がしい……あぁ、ライト君。おはよう」
「おはようミラさん。ご夫婦揃って仲がよろしいようで」
「ミラに下世話なのはやめてくれよライ」
「あら、今は朝だけど夜はもっとよろしくなるわよ?」
「ミラ……?」
結局、あの怪人はこの街の三六五分の一日に彩りを与えただけに終わった。死傷者は数十名。捕虜として連れ去られていた人も回収され入院と調査。だいたい一週間前後で退院となる。ただそれだけで、人の往来に変化はない。朝日が東から昇るように人は会社に通勤する。
一人の新聞配達人の人生を変えた、大きな長い、あっという間の一日だった。
「今日までか」
「うん、いつも配達してた人達にやめますって言いたいから。最後の新聞もらってきた」
天魔ヴィゾフニルは群体にして一体の天魔。あの怪人の目的がなんだったのかは誰も知らない。
「会社には怪我をしてあんまり歩けなくなったってことにしたよ。というか、びっくりしたよ! オレの給料ぬいてたやつが急いで金下ろしてきて、『色つけてある! 達者でな』だってさ」
「ほう!」
この街にやってきた、友好的な天魔の目的も、誰も知らない。
「これ、最後の新聞配達だよ」
「……うむ。しかと受け取った」
「じゃ、改めまして!」
それでも世界は回って、回り続ける。
本日は晴天なり。
「ライト=シーブラックです。明日からよろしくお願いします!」
天魔ククルカン 千歳卜部 @TitoseUrabe
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