中:常にない日


「さあて、どう料理しよっかな~」


 怪人は手の中の戦利品を愛おしむ。空中に寝転んで、群体と人間の大合唱をバックに夢想する。


「唐揚げ、ステーキ……活造りもいいなぁ~」


 どんどん悪くなる少年の血色。浮遊感と圧迫、そしてこの怪人の地獄の独り言によるものだろう。

 怪人は既に命令を下した。目標が出てきた場合の対応も仕込んである。


「よいしょっとォ! ……始まったか。」


 合唱の中にノイズが混じり始めた。連続する破裂音と群れのうめき声。そして、人間の威勢の良い避難指示が通る。眼下の狩りが、戦いへと。

 雄鶏は胸と肩のあたりに向けて撃たれたライフル弾を目で見て避け、通り過ぎた弾丸に手をかざす。すると弾丸は急激に軌道を曲げ、雄鶏はハンマー投げのように持ち主のもとへ返却した。


「見てから余裕ゥ!」


 弾着地点にもう人影はなかったが、圧力をかけることで敵の体力を減らせる事を経験上怪人は知っている。それからは銃にスタングレネード。装甲戦闘車両の機関銃など警備隊のオンパレードだ。群れのやつらも負けては居ないが、こっちとあっちのキルスコアは大方十対一くらいのもの。十体は減らされていた。

 戦車の二連装機関砲が怪人を狙う。

 手の中のぐったりした少年が射線上に差し出される。

 目標を変えようする戦車を飲み込む光の柱。ざっと人一人飲み込めるそれは一瞬の幻かとも思えるが、赤熱する装甲と何かが焼けた匂いとがそれを否定する。

 戦車をスクラップに変えた二体の天魔が、寄ってたかってその装甲を剥がし始めた。

 一連の流れにため息をつく怪人だった。戦い騒ぎに来たくせに人質見せりゃ抗いやしない。退屈、その一言だった。


「なぁおい坊主、泣け」

「はえ?」

「家族だかいんだろ。呼べよ」

「……いない。いません」

「ぼっちちゃんかよ。はぁ~~」


 いっそ群れ全員にも味わわせるかと考えたところで、怪人は気付く。


 戦車を襲っていた二匹がいない。


「っ!」

「あ、避けられた」


 怪人の背後。その路地裏から空中にいる怪人に向けて、先の弾丸よりも速い速度で飛来したモノを紙一重で避ける。それが空中で急制動し、返す刀でこちらに再接近するところで少年を投げつけた。

 怪人は少年を受け取った男をオーバーキックで地上に打ち落とす。


「どうしようかな」


 天魔ヴィゾフニルは三メートル強はある。その半分にも満たない背丈の人間だ。

 天魔ヴィゾフニルは百体以上いる。眼の前の人間はたった一人だ。

 天魔ヴィゾフニルはだがしかし、その人間の圧力を感じ取った。

 自分よりも大きな力を。


「人間……いや、魔人か?」

「さあね~」


 それは、黒髪黒目。黒コートの若い男だった。



◆ ◆ ◆ ◆



 さて、本当にどうしよう。

 黒髪は悩んでいた。少年を取り返したのはいいが、このままでは膠着状態に陥ると。少年をシェルターに預けた上で戦えればそれでいいが、初撃を外したことで包囲網が敷かれている。肉体性能でゴリ押しも不可能ではない。むしろ普段であれば簡単だったが、少年を守りながらであれば難易度が跳ね上がるのだ。


「ぐえ」

「あ、ごめんねボク」


 これだ。新聞屋を抱えながらでないと守りきれないが、力を込めると手の中で潰れたトマトになってしまう。割りと繊細なのだ。

 繊細な魔法使いもできることはできるが。


「さっきのでアレ落としちゃったからな~」


 新聞屋は青年の視線の先を見る。雄鶏達に阻まれ好きには通れぬ隙間に、ゴーグルのようなものが確かに見える。それは、自分がいる限り取れないのだろうと思った。


「っ! 離せ」

「わわわ、どうしたのさ君。危ないよ」

「それでいい! オレはもう死んでるんです!」


 あほを見る目が少年に向く。段々と優しい目になってきた。


「大丈夫! ここ地獄みたいだけど地獄じゃないから!」

「勘違いしてないです!」

「現実みよう!」

「聞いてオレの話!」


 雄鶏達が挟撃してくるが、どれもを躱して一息つく黒髪。


「……オレにはもう、待ってる人は一人も居ない。家族は解散して、友達は離れていきました。新聞の皆も、配達しかできないオレを内心疎んでる。ツケを払うためにヌかれるなんてしょっちゅうですよ」


「どうやっても台無しにして……逃げちゃう。もう疲れた」


「ゆるして……」


 雄鶏の包囲網が完成する。じりじり張り詰めた糸が、今にもはち切れそうだ。

 青年はわかっている。この状況は打開できないことを。少年が言うように、このままではなぶり殺しだ。隙を作ってはくれないだろう。援護は期待できない。人質救出のために単身来てしまったし、ゴーグルの紛失なんて予想外も良いところだ。

 そしてこれもわかっている。


「君は一人じゃないよ。ライト君」

「へ?」


 オレの名前? 少年は不思議に思った。


「朝パン屋の店主に、顔が暗かったから聞いてみたのさ」


 その理由を。それを少年はわかっている。天魔に家族を奪われたパン屋のおじさんに、少年はニュースだと得意げに言ってしまったのだから。トラウマを刺激され、軽い気持ちで言われたおじさんは、さぞ怒って。


「天魔に全て奪われた子供の前で、その話を出してしまったってね」

「……え?」


 悔やんでいたよ。その言葉がうまく聞き取れない少年だった。なんで。だって。悪いのはボクで、どうしてあっちが悔やむんだと。


「君が心配だからさ」


「守れなかった弟によく似てさびしんぼうで、怖がりだから」


「ライト君。逃げても良いんだ。でも、戻ったって良い」


「自分を大事にね」


 空白。一瞬、二人の動きが止まる。心の空間を埋められた者とその時間を見守る者。

 その一瞬を鳥の目は逃さない。


「うわ!」


 まず、黒髪を空中へ蹴り上げたのは少年を捕まえた天魔であった。その際、少年を巻き込む位置にいたのは偶然ではなく、二人が話し込んだのを見た雄鶏が調整する狡猾さ故であった。

 次に、少年を投げ捨てた黒髪に組み付いたのは戦車を破壊した二体であった。そのたてがみに隠れた淡紅色の肌が発光するのと、二体が大きく息を吸い込むのはほぼ同時であった。

 最後に、赤熱する二体と一人の塊を取り囲んだのはこの場で立体的な包囲網を築いていた無数の天魔であった。彼らはお互いの射線が重ならず、かつ最速で移動できる位置につき、胸の放射器官から先程の光の柱を塊に向かって打ち出した。


「うっ」


 蜃気楼の発生。肺を焦がす空気。それらよりもライトの気力を削いだのは時間だ。光線が照射されている時間は一生にも思える一瞬であった。

 だが真に恐怖するべきは怪物たちの恐るべき冷酷さでも放り出された少年の恐るべき未来でもない。


「あ~」

「え!?」「ナン……だと!?」


 その太陽の中心から聞こえる黒髪の生存報告だ。


「これほど暑いのは久しぶりだね。う~ん……帝都ホテルにあった個室サウナ以来だ」

「化け物めっ!」


 気の抜けた返事に気を取り直す少年。気付く。今なら逃げられるのではないかと。

 今全天魔の注意はあの黒髪に向いている。恐らくあの光線は彼らの切り札だ。おにーさんを仕留めない限りやめることはない。脱兎の如くなりきれば、シェルターにだって逃げ切れる。

 少年は逃げ出した。


 ――自分は、あの人の邪魔になる。


 息を殺して走り出す。足元をネズミのように駆け抜けろと自分を励ます。向かう先はシェルター……そのはずであった。


「こらこら」

「え?」


 ぬるりと出てきたのは、少年を掴み黒髪を蹴り上げた雄鶏。

 彼だけは光線を発さず、状況把握に努めていた。

 すぐに踵を返し逆方向に。

 だが。


 ――追いつかれる。


 少年がそう思ったのは、怪人が一息に四メートルは距離をつめてきたためだ。一心不乱に走る、奔る、疾走はしる。

 光線の出力が上がる。

 熱波が少年の追い風になり押し出して、ちょうど掴んできた腕を飛び越える。


「これは……うっ」

「何……してんだ~?」


 天魔の大きな腕が、再度少年の胴体を掴み上げた。

 少年の手の中には、ゴーグル。黒髪があれさえあればと呟いたもの。

 奇跡的に取れたそれは少年にとって何ができるとも思えない。黒髪は未だ囚われている。詰み。


「もっかい人質なァ」


 ライトは気付く、眼の前の天魔の姿に。自分を縛ったあの右腕は今や失われ、黒髪の打撃で羽毛や髪がぼさぼさである。少し面白かった。その姿と言葉を頭で理解して、自分の中でふつふつと滾る熱にも気付いた。


「――ぇなぁ」

「あん?」

「獣臭えかと思ったら、小物臭もすんのかよ」

「……ア?」


 どうしようもない詰みの状況。打開する術はなく、命の終わりを実感させるもの。

 灯火消えんとして光を増す。


「……死にてェのか?」

「ハッビビリにはわかんねぇだろ! オレがなんで挑発するか!」


 故にこそ、こいつに恐怖したままでは終われないと。ダメな自分に別れを告げるには、ここしかないと。人質がいれば、またあの人の迷惑になるからと。

 灯火が光を増す。


「オレは殺されるだろう、握りつぶされるだろう! だけど怖くなんてないぜ! それよりもっと怖いもんがあるからな。お前には無理だろう?」


「フレスベルグのしたっっぱで! 弱い者いじめばっかりの、オマエにはだっ!!」

「このガキがァ~っ」


 光が。


 ――オレは、逃げない


 まばゆい光が、世界を照らした。

 なんだ、と天魔と少年はすぐにその光源を探り当てた。少年の手に持った、そのゴーグルである。そのレンズから星々のきらめきのような光の粒子が、あちこちに広がる河川のように溢れている。手や髪に当たっても熱くはないが暖かい。

 事の真相はライトにはわからない。だが。


「オレは――ライト=シーブラック」


 答えてくれる。そういう気がした。

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