第41話
大贋作会の一件は、綿毛が宙を舞うように業界中へ伝播した。
鑑定士ギルドの副ギルド長が逮捕――。
ドール嬢が不正行為で資格失効――。
そんな中、カーパシー魔宝石商のゾルタンは起こった出来事を整理することもできず、ドール嬢と話す時間もないまま、仕事に奔走していた。
「なぜこんなことになった……」
彼はつい先ほどまでシフト調整のせいで発生したボイコット事件の視察に行っており、現場をその目で見て愕然としたばかりだ。
結論から言うと、鉱山夫の七割が別商会に引き抜かれてしまい、採掘の稼働が完全停止してしまっていた。月間約一億ルギィの稼ぎがゼロである。
以前から、幾度となく送られてきていた嘆願書を見れば、コストカットをしたツケが回ってきたからだと理解はできたが、自分のやり方を信じていただけに、現実を受け入れられなかった。
それに加えてドール嬢の一件だ。
推薦した鑑定士が大会で最低得点である3点を叩き出し、おまけに不正疑惑までかけられている。目を背けたい事実であった。
「……くそっ」
寝不足のせいか、頭が痛い。
事務所のドアを開けると、従業員が一斉にゾルタンに挨拶をした。
しかし、どこかいつもと違う。
皆が憐憫の目でゾルタンを見ていた。
「ドール嬢はどこにいる?」
ゾルタンは鉱山への視察のため、三日間、王都を空けていた。
これでようやくドール嬢と話ができる。
だが、従業員は言いづらそうに、ドール嬢の席を見た。
「……ドール嬢は……一度も出勤していません」
「何? あのドール嬢が一度も?」
「はい。一度もです」
あれだけ美しく、自信のある女性はいないと思っていた。
彼女は何があっても変わらないと信じていた。
ドール嬢の無断欠勤がまったく腹落ちせず、ゾルタンはむかむかと胃が痛くなった。
「仕事はどうした? ドール嬢には簡易選別や魔宝石鑑定を依頼していたはずだ」
「それが……ドール嬢の家の方が来られて、依頼分の仕事を済ませて出ていかれました。どうやらドール嬢はずっと家の人間に仕事をやらせていたようです。いつも家で鑑定すると言って、仕事を持ち帰っておられましたから……」
「……」
言われてみれば、ドール嬢は常に持ち帰って仕事をしていた。
家でないと落ち着かないと言ってはいたが、まさか別の人間にやらせていたとは想像の外であった。
ドール嬢の実家であるバーキン商会なら、鑑定士の一人や二人は家に常駐しているだろう。
「……私には一言も……」
ゾルタンは来月にもドール嬢と婚約するつもりであった。
お互い好き勝手に異性と交際してもいいという条件をドール嬢から提示されていたが、自分は自分で愛人を何人か囲っていたので、渋々ではあるが了承をした。何より、大商会の娘であり、美人でスタイルもよく、Cランク鑑定士という肩書だ。結婚相手にはふさわしいと、彼女が商会に入ってきたときからずっと思っていた。
盤石だと思っていた道がいきなり崩れたことに、ゾルタンは頭を押さえた。
何より、ドール嬢から一言も相談がなかったことが、思いのほかショックであった。
彼女の中で自分の存在はどこにでもある
「……彼女に会ってくる」
とにかく一度話をしようと思った。
事務所を出ようとすると、ちょうどドアが開いて、魔道具師のツェーゲンが入ってきた。
「ゾルタン様、あの女は悪女です。会うのはおやめください」
「……聞いていたのか?」
「失礼ながら」
ツェーゲンが事務所のドアを閉め、奥の会長室へとうながしてくる。
ゾルタンはツェーゲンに従い、会長室へと移動した。
どうやらツェーゲンは、従業員に聞かせたくない話をしにきたようだ。
「ゾルタン様、端的に申し上げます」
「なんだ」
「私はカーパシー魔宝石商を辞めるつもりで、本日ここにまいりました」
「……そうか」
「ですが、ゾルタン様……坊っちゃんの顔を見て、思いとどまることにいたしました」
「同情か? 俺はそんなひどい顔をしているのか?」
「初めて挫折を経験した男の顔です」
ツェーゲンが息子を見るような目でゾルタンを見つめる。
「先代からは、坊っちゃんが大人の男になるまで見守ってほしいと言われておりました。ここで約束を破るのは、魔道具師の恥でございます。ですから、これからは私が経営の補佐に入ります」
「……大人の男か」
ゾルタンは不甲斐なさから、苦笑する。
大赤字を出し、女にも逃げられてしまい、とにかく情けなかった。
「坊っちゃん。先代は、何度失敗しても笑っておられましたよ。あの方のそういった前向きさに、皆が付き従っていたのです。坊っちゃんは坊っちゃんなりの行動で、従業員を導いてくださいませ」
ツェーゲンが深々と一礼する。
「俺は……父さんが嫌いだった。どの従業員も口を開けば父さんのことばかり話していた。誰にも言っていないが、行方不明になったときは心底嬉しかった。だが、今ではその感情すら子どもであったと……おまえに言われて理解した」
ゾルタンの父は希少な魔宝石を探しに旅へ出て、五年間経った今も戻ってきていない。行った場所が魔境と呼ばれる死亡率の高い場所であったため、三年が経った時点で死亡扱いとなり、ゾルタンが商会を正式に引き継いでいた。
「……」
「俺は父さんとは違う。それでもよければ、今後とも、頼む」
ゾルタンがツェーゲンに向かって頭を下げた。
自分でもこんな気持ちになったのは初めてであった。
「承知いたしました」
ツェーゲンが魔算手袋(エディトグラブ)をつけた右手を胸に置き、左手で叩いた。
魔道具師の最敬礼だ。
「まずは経営方針から見直しを図るべきでしょう。他部署の人間を集めて一度胸襟を開き、話し合うのがいいかと愚考いたします」
「わかった」
「それから、愛人を作るなとは言いませんが、二、三人にしておくべきでしょうな。十人は多すぎます」
「そうか」
「今後は従業員の言葉にも耳を傾けてくださいませ」
「ああ」
「……ともあれ、今日はお休みください。ひどい顔をしておりますぞ」
ゾルタンは素直にうなずき、ソファから立ち上がった。
疲労で身体が軋んでいる。
ツェーゲンがドアを開けてくれ、二人で事務所から出て馬車に乗り込んだ。
舗装された道と車輪がこすれて馬車が小さく揺れる。
ふと、ツェーゲンが口を開いた。
「……婚約破棄が一番の失策ですな」
「なんの話だ?」
「オードリー嬢ですよ」
ツェーゲンが残念そうに息を吐いた。
「鑑定士ギルドで聞いたのですが、十三年間、魔力がない間もずっと勉強と訓練をされていたそうです。才能がないと言われ、それでもあきらめなかった彼女こそ、才女でしょうな。実に惜しい」
「……そうか」
ゾルタンはオードリーが努力していたことを初めて知り、またしても女から秘密事をされていた気分になり、口の中が苦くなった。
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