第26話

「すみません……。それで、鑑定ですか?」

「はい。父からもらった魔宝石が本物か知りたくて」


 男性は小洒落たシャツに、金のブローチをつけている。

 サラーヴォ坂のカフェにいそうな今どきっぽい若者だ。


「証明書の発行はここではできません。鑑定料は三千ルギィでよろしいですか?」

「はい、それでお願いします」


 人混みを避けてわきにそれ、彼の差し出した青色の石を受け取り、ジュエルルーペで覗き込む。


 優しげな青色をしたその石は、黝簾石(タンザナイト)だった。


 斜方晶系の魔宝石で、身につけていると心が落ち着く効果があると言われている。また、大きな結晶は医療系魔道具に活用され、鎮痛効果を発揮するそうだ。よく歯医者で使われている。


「黝簾石(タンザナイト)ですね。本物ですよ」


 もっと見ていたかったけど、泣く泣く黝簾石(タンザナイト)ちゃんを返却する。


「Dランク鑑定士、オードリー・エヴァンスが、本物だと証明いたします。問題が発生した場合は鑑定士ギルドまでお問い合わせくださいませ」


 丁寧に言って、ゆっくりとスカートをつまんで一礼する。


 鑑定士の決まり文句と挨拶だ。


 家で何度も練習したので板についているはずと願いたい。


「ありがとうございます! 助かりました!」


 彼は魔宝石をポケットにしまい、私の手を両手で取り、ぶんぶんと上下に振った。


 こんなに感謝されると、ちょっと面映い気分になる。


「依頼料なのですが、これからご一緒にお食事などいかがでしょうか? この先に一つ星レストランの出張所が出ておりまして、美味しい魚介のホワイトシチューを販売しているんですよ」

「え? 食事ですか?」

「はい。ぜひとも一緒にいきましょう」


 男性が手を握ったまま顔を寄せてくる。


「あの、私、これから魔宝石の露店を回るので……」

「食べてからでいいじゃないですか! 行きましょう!」


 強引に手を引かれ、身体が前につんのめった。


「いえ、ちょっと……魔宝石が私を待ってるので……」

「行きましょう!」

「あの、待って……」


『こいつ、いやらしいこと考えてるよ〜』


 クリスタが飛びながらあっけらかんとして言う。


「離してくださいっ」


 反射的に手を引き戻すけど、男性の力が強くて引っ張られてしまう。


 どうしよう。魔法を撃つ?

 でも威力の調整が……無力化するために……どの言霊(ワード)を使えば――。


「失礼」


 私の横から長い腕が伸びてきて、男性の手首をがっちりとつかんだ。


 ハッとして顔を上げると、そこに立っていたのは全身黒のスーツに金髪の、レックスさんであった。


 相当な力をいれているのか、男性のシャツに深い皺が寄る。


「――いっ」


 男性が顔をしかめてようやく手を離したので、さっと一歩引いた。


 助かった……。


 偶然通りかかってくれるとは運がいい。ハムちゃんに埋め込まれた月運石(ムーンストーン)のおかげだろうか。


 レックスさんは背が高いので、男性を無表情に見下ろした。


「レディを強引に連れていくなど紳士のすることではないな」

「なんだテメェ……」


 男性が手をさすりながら、レックスさんを睨む。


 え……この男性、顔つき変わりすぎじゃない?


「都市騎士に突き出してもいいんだぞ。それとも、俺と決闘でもするか?」


 レックスさんが胸ポケットから傭兵の証明書を出すと、男性は一瞬怯えた表情になり、舌打ちをした。さらにレックスさんの顔を何度か見て、さらに舌打ちをした。


「連れがいるなら言えよ! ちょろそうだと思ったのに!」


 男性はそんな捨てゼリフを残して踵を返した。


『オードリー、カチコチになる言霊ワードを使いなよ』


 クリスタが耳打ちしてくれたので、鞄からハムちゃんを出して構えた。


「――【固まれ(エラティ)】」


 魔法が飛び、男性が硬直した。


 短時間だけ対象の動きを止める魔法だ。

 これ、便利だ。人相手にはかなり有効な気がする。


「あっ、足が動かない! 腕も!」


 魔法を受けた男性が驚きで悲鳴のような声を上げる。


 男性の正面に回り込み、私は笑顔を作った。


「鑑定料、三千ルギィです」

「……」

「三千ルギィです」

「あ、はい……」

「ありがとうございます。では、魔法を切りますね」


 魔法を解除すると、男性が財布からお金を出して、そそくさと雑踏の中へと消えていった。


 そう、個人事業主は大変なのだ。


 それに、無料で鑑定したとなれば、他の鑑定士にも迷惑がかかってしまう。


「技術には対価を、だな」


 レックスさんが私の横に立ち、無表情でそんなことを言った。


「私を連れてどうするつもりだったのでしょうか? 鑑定なら喜んでついていったのですが……物好きな男性もいるものですね」

「オードリー嬢……」


 レックスさんが残念そうな目を向けてくる。

 なぜだろうか……。



      ◯



「レックスさん、ありがとうございました」


 あらためてお礼を言うと、レックスさんが首を振った。


「あの男が美人鑑定士と言っていたから、もしかしてと思ってな」

「なるほど。たまたま見かけた、ということですね」


 レックスさんもお世辞がお上手だ。


「そういえば、レックスさんは何か魔宝石を探しに来られたのですか? もし鑑定が必要であればお礼を兼ねて、ぜひ同行させてください」

「私は、祖母の護衛兼荷物持ちだ」

「おばあさまですか」


 彼が一拍置いてうなずくと、口を開いた。


「オードリー嬢、もし時間があるなら祖母と会ってくれないか?」

「レックスさんのおばあさまと、ですか? 鑑定のご用命でしょうか?」

「実は先日の灰色のセプタリアンで祖母専用の魔道具を作ったんだが、オードリー嬢の話をしたら、ぜひ会って話がしたいと言っていてね。どうやら祖母はお父上――ピーター殿と知り合いだったようだ」


 父さんと知り合いで私に興味を持ったのか。


「わかりました。私こそ、ぜひお会いしたいです」

「感謝する。では、行こう」


 レックスさんが歩き出したので隣に並ぶ。


 人混みから頭一つ出ているので、レックスさんは目立っていた。美形すぎるので注目度が半端じゃない。


 すれ違う人はレックスさんを二度見して、横にいる私を見て、ついでに胸の鑑定士バッヂを見て何かを納得し、顔を戻す、という流れで視線を動かしている。


 鑑定士と魔道具師が仕事で一緒にいると思っているらしい。


「ちなみにだが、祖母はハリソン伯爵の母――伯爵家の大奥様、と言えばわかるか?」

「えっ?! 有名な方ですから知っておりますけど……」


 ハリソン伯爵家の大奥様は魔道具蒐集家で有名な女性だ。


 フルネームはミランダ・ハリソン。


 新作の魔道具が出れば購入して試す、変わった人との噂がある。


 まさかレックスさんのおばあ様があのミランダ・ハリソンだったとは……。


 レックスさんが高貴な生まれだろうと予想はしていたけど、想像より遥かに上だった。


「黙っていてすまない」

「あ、いえいえ。言えぬご事情もおありでしょうから。こちらこそ、いつも気安く話してしまい、申し訳ありません」

「私は伯爵家とは薄い関係だ。気にせず今まで通り接してくれ」

「……承知いたしました」


 レックスさんの横顔が寂しそうに見えたので、しっかりとうなずいた。


 出逢いを大切に――父さんの言葉が脳裏に浮かぶ。


 彼の隣を歩き、粗相がないように挨拶の言葉を考えていると、女性騎士を従えた女性が広場の高級魔宝石の露店を見ていた。


 洗練されたドレスの後ろ姿から、大貴族だとすぐにわかった。


「ただいま戻りました」


 レックスさんが言うと、大奥様がこちらを振り返った。


 年齢は六十を超えているはずだが、若々しい女性だった。豪奢な金髪を肩で切りそろえ、その半分を頭の横で軽く巻いている。洗練されたシックな深い緑色のドレスと、胸につけた魔宝石、煙水晶スモーキークォーツのネックレスがよく似合っていた。


「ミランダ様。こちらDランク鑑定士、オードリー・エヴァンス嬢です。先ほど偶然会ってお連れしました」


 レックスさんが紹介すると、ミランダ様がターコイズブルーの瞳を上品に細めた。


「まあ。想像よりもずいぶんと可愛らしいお嬢様だこと」

「Dランク鑑定士のオードリー・エヴァンス準男爵でございます。お会いできて光栄です、マイレディ」


 よかった……。どうにか噛まずに言えた。


「レックスと仲良くしてくださっているようで、嬉しいですわ」


 挨拶もそこそこに、水晶広場にある貴族専用のカフェテリアへ移動することになった。

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