第23話


 カーパシー魔宝石商の若会長であるゾルタン・カーパシーは、商会内で立て続けに起こる問題に苛立っていた。


「鉱山夫が仕事を放棄してストライキだと?」

「はい……」


 事務員の中年男性が申し訳なさそうに頭を下げる。


 ゾルタンが一つのミスで簡単に減給してくることを知っているため、彼は恐る恐るといった様子だ。脂汗が出ているのか、額をハンカチで何度も拭いている。


 ゾルタンは汗の匂いが鼻につき、聞こえるように舌打ちした。


「も、申し訳ございません! 担当営業に何度も掛け合ったのですが、向こうも切迫している状態のようでして」

「被害額は」


 底冷えする声色でゾルタンが尋ねる。


「一週間分の魔宝石が採掘されておりませんので……三千万ルギィほどになるかと……」


 提示された金額を聞いて、ゾルタンが眉間にしわを寄せる。


「なぜこんなことになった?」

「シフト表に問題があったようで……」

「シフト? たかがシフトでストライキだと?」

「私も知らなかったのですが……以前から不満が溜まっていたようです」


 話によると、数年前からギリギリの人数でシフトを回していたようで、鉱山夫たちは何度も担当営業に増員を要請していた。ゾルタンの耳にもその話は入っていたが、余計な人件費を使う主義ではないため、聞き流していたのだ。そのせいで、鉱山夫たちは商会への不信感を募らせていた。


 細心の注意を払ったシフト調整により彼ら爆発を今まで免れていたが、理解し難いシフトを出されてついに不満が漏れ出した。というのが、今回のストライキの真相であった。


「シフト表を作ったのは誰だ」

「それが」


 事務員の男が言いづらそうに背後の席へと視線を滑らせ、すぐにゾルタンへと戻した。


「ドール嬢だと?」


 ゾルタンが意外だ、という声を上げる。


「優秀な彼女がシフト調整で不備を出したというのか?」

「いえ! 決してそう言いたいわけではありません。オードリー嬢が辞めてからシフト表を作ると手を上げてくださったのはドール嬢なので……」


 額の汗を拭き、事務員の男が頭を下げる。


 卑屈な態度に苛つきながら、ゾルタンはドール嬢へ顔を向けた。


 彼女は十五歳にして鑑定士試験に合格した優秀な人材だ。

 順調にランクを上げ、現在、二十歳でCランクに昇格している。


 また、ジュエリーなど装飾品を扱う大商会、バーキン家の一人娘ということもあり、家柄も大変に良く、すでに彼女とは婚約の約束をしている。彼女がたかがシフト表の調整をミスするなど、ゾルタンの中で結びつかなかった。


「オードリーがシフトを作っているときは何もなかったのか?」

「特になかったようです」

「そうか」


 ゾルタンは事務員の男へ仕事に戻るように命令し、ドール嬢の席へ向かう。


 今日もオフショルダーのドレスを着ている彼女は美しく、見事なデコルテラインと胸の谷間に目がいってしまう。つけている甘い香水も好みであった。


「ドール嬢」


 ゾルタンが声をかけると、書類に目を通していたドール嬢が驚いたのか肩を震わせた。


「ゾルタン様、なんでございましょうか? 鉱山夫の件ですか……?」


 笑みを浮かべるドール嬢に、ゾルタンは首肯する。


「俺の推測だが、オードリーから渡された引き継ぎメモに不備があったのではないか?」

「えっ……あ……はい。そうなのです。あの陰気女のメモがでたらめでして、皆さんにご迷惑をかけてしまいました。胸が痛いですわ……」


 悲痛な表情を浮かべるドール嬢。


「やはりそうか。あの恩知らずめ」


 ゾルタンはオードリーが感謝の一つもしていなかったことを思い出し、苛立ちが大きくなった。


 ゾルタンとしては、一人で生きていけないくせに店を飛び出し、迷惑をかけるだけかけ、恩も返さずに暴言だけを吐かれた、という印象であった。


 彼の中では自分勝手な婚約破棄はもう終わったことになっている。


 オードリーがDランク鑑定士になったのも、父親の保有していた魔宝石を賄賂に送って便宜を図ってもらったのだろうと当たりをつけていた。いつも下を向いていて、一人で何もできない女だった。自分の力で鑑定士試験に合格したとは思えない。


「ゾルタン様、鉱山夫の件はどうするおつもりですか?」


 ドール嬢に上目遣いを送られ、思考を切り替える。


「放っておけ。金に困って泣きついてくるのは奴らだ」

「そうですわね。さすがゾルタン様ですわ」


 ドール嬢が満面の笑みで称賛を送る。


 すると、事務所の扉が大きく開いた。


 入ってきたのは、カーパシー魔宝石商に勤めている魔道具師の男だ。

 年齢は四十代。体格がよく、深い眉間のしわが職人を思わせる。


 以前、ドール嬢に抗議した男であった。


 事務所が静まり返り、彼とドール嬢へ視線が集まった。


「お久しぶりでございます」


 彼は丁寧にゾルタンへ一礼した。


「ツェーゲンか。今日はどうした」

「お話があってまいりました」


 ツェーゲンと呼ばれた魔道具師の男は、ドール嬢を無感情に一瞥し、ゾルタンへと視線を戻した。


 ドール嬢はプライドを傷つけられた気がして、小さく歯噛みする。


「蛍石に水晶クォーツが混じっているとの報告を上げたのですが、目を通してくださいましたか?」

「それがどうした」

「そこにいるCランク鑑定士のミスです。なぜ何の返答もないのでしょうか?」

「ドール嬢がミスをするとは思えん。蛍石ほたるいし水晶クォーツが混じっているのには、何らかの不備があるのだろう」


 ゾルタンが聞く耳を持たずに言うと、剣呑な空気をまとい始めていたドール嬢が気を良くしたのか、ツェーゲンをあざ笑った。


「魔道具師様? 前回もお伝えしましたが、そちらの管理不備ですわ」


 これにはツェーゲンが目つきを鋭くした。


「独自に聞き取り調査を行いましたが、石磨きをしていたのはオードリー・エヴァンス嬢であったと聞き及んでおります。ひょっとして、彼女が簡易選別もしていたのではありませんか?」

「は? あの陰気女が選別ですって?」

「あなたのミスを彼女がかばっていたと推測するのが妥当かと思いますがね」

「あ、あなた何様なの?!」


 つかみかからんばかりの勢いでドール嬢が叫ぶ。


「半年前に辞めた事務員に聞いたところ、こう言っておりました――」


 ツェーゲンが怒りを眉のあたりに這わせ、続きを言おうと一拍開ける。


 オードリーの名前が出てきて、ゾルタンはやけに話の続きが気になった。事務所にいる事務員たちも言葉の続きを待った。


「オードリー嬢は石磨きをすべてこなし、ドール嬢の選別不備を肩代わりしていたと。間違いありませんと、断言していました」


 蛍石と水晶は似ているため、最終的に鑑定士が選別する。


 鑑定士にとって初歩中の初歩といえる業務内容だ。


 魔力ナシでも可能な仕事であるが、鑑定士が魔力の流れを見れば、蛍石ほたるいし水晶クォーツの違いはすぐにわかる。千個並べて、十個の水晶クォーツを弾くのに二十秒もかからないと言われていた。


 ツェーゲンは以前話していたドール嬢の言い分に違和感を覚え、オードリーの存在にたどり着いた。


水晶クォーツが混じりだしたのはオードリー嬢が辞めてからです。よって、そこのCランク鑑定士様は簡易選別すらできない無能であると判断できます」


 ツェーゲンの説明に事務所がざわつく。


 思い返せば、オードリーは石磨きをしながら、何かを選別していたような節があった。


 皆、当時は気にも止めていなかった。

 事務所内の視線がドール嬢へ集中する。


「ふざけたことを言わないで!」


 ドール嬢が声を荒げて、ツェーゲンを睨みつけた。


「この私が蛍石ほたるいし水晶クォーツを間違えるはずがないと何度言ったらわかるのかしら。さてはあなた、自分たち魔道具師のミスをこちらになすりつけたいんでしょう? あの陰気女が私の間違えを肩代わり? は? バカも休み休み言いなさい!」

「……」


 ドール嬢の言葉にツェーゲンが怒りで顔を赤くさせる。


 彼は先代に雇われ、魔道具師として才能を開花させた人間だ。


 カーパシー家への恩義を感じていたが、ゾルタンの感情を切り捨てるような経営方針がどうにも気に入らず、先代とのギャップに苦しんでいた。


 二十歳そこいらの小娘に小馬鹿にされ、しかもゾルタンは女の肩を持つ構えを崩さず、我関せずと腕を組んでいる。怒りが爆発しそうになった。


 だが、彼は亡き先代の顔を思い出し、どうにか衝動を抑え込んだ。


「ゾルタン様」

「……なんだ」

「先代には若い頃から数えきれないほどのご恩をいただきました」

「父から聞いている」


 ゾルタンはツェーゲンの忠誠を疑わず、鷹揚にうなずく。


「そこの鑑定士と私、どちらを信用なさるのですか?」

「お前は魔道具師。彼女は鑑定士。役割を果たせばそれでいい」

「そうですか。では、私からのご提案は一つです」


 ツェーゲンがドール嬢を横目に、さらに口を開いた。


「そこのCランク鑑定士が次に簡易選別をミスした場合、クビにしてください。部下にも不満が溜まっております。では」


 ツェーゲンは二の句を継がせず、一礼して事務所から出ていった。


 事務所に沈黙が落ちる。


 気まずい空気を破ったのはドール嬢であった。


「この私が間違うはずありませんわ。あいつ、私たちの仲を嫉妬しているのかもしれませんわね……」


 隣にいるドール嬢が腕を絡ませ、胸を押し当ててくる。


「……」


 ゾルタンは大きな違和感を覚えながらも、ドール嬢へ笑ってみせた。

 なぜかオードリーの顔が脳裏に浮かぶ。


 オードリーが辞めてから、カーパシー魔宝石商の歯車が狂い始めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る