第16話
王都の一等地に居を構えるカーパシー魔宝石商では、事務職員の悲鳴がそこかしこから上がっていた。
「経費の処理どうなってる?!」「営業部の資料なんで準備してないんだよ!」「鉱山のシフト調整まだですか!?」
採掘から流通までを取り扱っているカーパシー魔宝石商の業務は多岐に渡る。
事務処理は、人間で言うところの血液に当たり、正確に処理が行われていなければ営業や作業員がいくら仕事をしても循環されない。つまりは商会としての機能不全を起こす。
「あの〜、ドール嬢……鉱山従業員のシフトはまだでしょうか……?」
一人の女性事務員が恐る恐る、ドール嬢へと訪ねた。
「うるさいわね! 今やっているところよ!」
ドール嬢が金切り声を上げる。
女性事務員は愛想笑いをしながら、「なるべく早くお願いします……」と小声で言って自分のデスクへ戻っていった。
二百名分のシフト調整だ。
ドール嬢はデスクに用紙を広げて膨大なマス目と格闘していた。
オードリーの辞める宣言に腹を立て、「シフトくらい私がやるわ」と豪語したせいでこのような事態になっていた。
「たかが石を掘り返す仕事のくせにっ……生意気なのよあいつら!」
オードリーが辞めた直後、ドール嬢はシフトを作って提出をした。
その翌日、鉱山の担当営業たちが事務所になだれ込んできたのだ。
こんなシフトじゃ回らない。
休暇の申請を無視、短日数契約している社員をフルタイムにする、従業員の経験を度外視して組むなど――挙げればキリがない落ち度だらけのシフトであった。
鉱山の採掘は危険を伴う仕事だ。
従業員は気性の荒い者が多く、シフトには最新の注意を払う。
さすがのドール嬢も「今まではこんなことなかったのに」と言われてしまえば、そのプライドから、もう一度作り直すと言わざるを得なかった。
二百名のシフト管理は、熟練者でないとできないパズルゲームのようなものである。
初心者のドール嬢には荷が重かった。
「陰気女ができて私ができないわけないのよ……あいつは役立たずなんだから……」
ドール嬢が奥歯を噛み締め、ペンを動かす。
デスクの隅に置かれたオードリーの引継ぎメモが目の端に見えるが、ドール嬢はそれを見なかったことにした。
「ああ、もう!」
一人のシフトを動かせば、別の箇所がズレる。
何度目の失敗か、ドール嬢はデスクに置いた杖で生活魔法を使った。
書いた文字を消すという初歩中の初歩であるペン消し魔法だ。
鑑定士ならばできない人間は誰一人としていない。
この魔法があるため、鑑定士は契約などには消去不能な魔法ペンを利用する。また、ペン消し魔法で消された用紙には魔力跡が残るため、悪用には不向きの魔法だ。
ドール嬢は一列分のシフトを消し、有給申請の名簿を見て、机を叩いた。
「どいつもこいつもわがまますぎるわ!」
シフトはまだ半分も埋まっていない。
すると、入り口のドアが開き、鉱石を魔宝石へと加工する魔道具部署の従業員がやってきた。
「
魔道具師らしい怜悧な目をした四十代の男が、忙しなく働いている事務員をつかまえて尋ねる。
ドール嬢へ顔が向くと、男が笑顔も見せずにデスク横に立った。
男は管理職の立場を名乗り、さらに口を開く。
「あなたが簡易選別をした……Cランク鑑定士ですね?」
男がドール嬢の胸についているゴールドバッヂを一瞥する。
ドール嬢はちらりと男を見上げ、すぐに視線をシフト表へと戻した。
「今忙しいの。後にして」
「加工前の
「は? そんなわけないでしょう?」
ドール嬢が片眉を上げて男を見上げた。
「魔宝石の鑑定ミスなら百歩譲りますが、鉱石の簡易選別を間違えるなど、Eランクでもしないミスです」
男の言葉にドール嬢はさっと顔を赤くした。
「ふざけたこと言わないで! この私が
「……ここ三日送られてきた
男が淡々と言う。
「忙しい仕事の合間を縫って、我々の仕事に配慮いただいていた。その気持ちに我々は商品の品質で応えておりました。ですが――」
男はポケットから鉱石の入った布袋を取り出し、ドール嬢の机にぶちまけた。
「
「知らないわよ。だいたい、私がミスするはずないもの」
ドール嬢が悪びれずに言い返す。
「そっちの管理ミスじゃなくって?
「魔道具部署は管理を徹底しています。それはない」
断固とした口調で男が言った。
「石磨きの担当が辞めたの。今後、石を磨くことはないわ。今までが特例だったと思ってちょうだい」
「……そうですか。ゾルタン様には一言伝えなければならないようだ」
「ゾルタン様がなんですって?」
恋人の名前が出てきて、ドール嬢が剣呑な様子になる。
「先代の言葉に従い何も言わずに働いておりましたが……今のカーパシー魔宝石商は利益を重視しすぎる。それに、あなたのような鑑定士を雇っていることにも疑問を覚える」
「Cランク鑑定士にそんなこと言っていいのかしら……?」
ドール嬢が目を吊り上げた。
「簡易選別もできない鑑定士に敬意を払う必要はない」
男が言い切り、踵を返して事務所から出ていった。
「あんたなんかクビよ! 絶対クビにしてやるんだから!」
ドール嬢が魔道具師の背中に言葉を叩きつける。
男は一度も振り返らなかった。
このやりとりを聞いていた事務員たちから、何とも言えない視線が向けられる。
「何見てるの! さっさと仕事をしなさい!」
デスクにぶちまけられた
そのとき見えたのは、事務所の隅にぽつんとあるデスクだ。
分厚い眼鏡をかけた地味なオードリーの姿を思い出してしまい、あわてて心の中で首を振る。
オードリーがいなくなったからこんな騒ぎになっているとは認められない。
何としても認められないのだ。
ドール嬢は自分のデスクに置いてあったオードリーの引継ぎメモをぐしゃりと握りつぶし、一番下の引き出しに放り込んだ。
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