第15話
「確認させてくれ。カーパシーのドラ息子はオードリー嬢との婚約を破棄して、Cランク鑑定士のドール嬢と婚約するつもりだな?」
どうやらすべて把握しているみたいだ。
「婚約破棄は真実です。ドール嬢との婚約も、おそらくは」
「五年間オードリー嬢と結婚せず、自己都合で婚約破棄し、舌の根も乾かぬうちに別の女を婚約者にする、か……。カーパシーはドラ息子にどんな教育をしたんだ? 行方不明で死んでなければ呼びつけて灸をすえてやるものを……」
私のために怒ってくれているギルド長に、胸のもやもやが少し軽くなった。後ろにいる受付嬢も深くうなずいている。
あらためて人の口から聞くと、ひどい話だよね。
ゾルタンと結婚しないでよかった。
婚約破棄してくれたことに感謝したい。
「カーパシーのドラ息子については、放っておくのがいいだろう。そのうち、鑑定士内で噂が広まる。あいつも痛い目をみるだろうな。しばらくオードリー嬢には同情的な目が向けられるかもしれんが、何かあれば相談してくるといい」
優しい目でギルド長に言われ、私も笑顔でうなずく。
「それから、Cランクのドール嬢についても、気にしないでくれ。仕事を妨害されるようであればこちらで処理する」
「ドール嬢ですか?」
「そうだ。ドール嬢が、オードリー嬢のDランク取得に不正があったと、ありもしないクレームを入れている。自分への言葉になっているとわかっていないのか、あの娘は……」
ドール嬢は私が仕事を辞めたことを根に持っているのかもしれない。
できればもう関わりたくない。
あの強烈な怒り顔を思い出すと、ちょっとお腹が痛くなってくる。
「面白くない話ばかりですまなかったな。口直しにコーヒーでも飲むか?」
「あ、はい。では……いただきます」
「ジェシカ君、お願いできるか?」
受付嬢が一礼して、部屋から出ていった。
そういえば、彼女のお名前をお聞きしていなかった。
ジェシカさん……覚えておこう。
しばらくしてジェシカさんがコーヒーを二人分淹れてきてくれた。コーヒーの香ばしい匂いに、肩の力が抜けるのを感じた。
「そうだな……ピーターとは、Eランクの頃から知り合いだ。あいつがアゲリ砂漠へ採掘に行くと言って、同行することになったのがきっかけだったか……懐かしい」
コーヒーを飲みながら、ギルド長が父さんとの思い出を色々と話してくれた。
父さんは若い頃から無口で無愛想だったようで、思わず笑いがこぼれてしまう。
若い頃、二人が贋作師から偽物の魔宝石を買った話にはかなり笑ってしまった。
父さんが「絶対に本物」と意見を曲げなかったらしい。蓋を開けてみれば、その偽物は国際指名手配されている贋作師が作ったもので、Bランク以上の鑑定士でなければ見破れなかったそうだ。当時の二人には荷が重い贋作だったようだ。
「失敗は成功の母とも言うが、あの失敗は俺たちのいい薬になった」
空になったコーヒーのカップを見ると、ギルド長がおもむろに立ち上がった。
部屋にある執務机から、一冊の本を持ってきた。
「これは、ピーターから託されていた手帳だ」
突然の言葉に固まってしまう。
ギルド長の大きな手に握られた、古ぼけた茶色の手帳を無言で見つめた。
「オードリー嬢が鑑定士になったら渡してほしいと頼まれていた。読んでも構わないと言われていたので中を確認したが、歯抜けの文章になっていて内容がわからない。あいつめ、肝心なことほど無口になるからな」
ギルド長がそっと押し出したので、手帳を受け取った。
ざらりとした革の手触りがする。
何度か表紙を撫で、ページをめくった。
「オードリー嬢なら読めるとあいつが言っていた」
ギルド長がソファに座り、期待を込めた声で言う。
受付嬢のジェシカさんも心なしか前傾姿勢だ。
『あっ、ぼくたちについて書かれているよ』
私の肩に乗っていたクリスタがふわふわと飛んで、手帳を覗き込む。
ギルド長の前で古代語をしゃべるわけにもいかず、小さくうなずいておいた。
ぼくたち……つまりは精霊について書かれている?
ほとんどは覚え書きのような手記ばかりだ。
ぱらぱらとページをめくると、重要、と書かれたページが目に止まった。
父さんの書く、角ばった、くせのある文字が並んでいる。
――オードリーへ。これが読めているということは、精霊と契約できたようだな。私も若い頃に精霊と契約して魔力を手に入れた。エヴァンスの家系は代々魔力がなく、精霊との契約に適性がある血筋のようだ。祖父から聞いた話では、遥か昔に、王族に仕えていたこともあるそうだ。
『ぼくたちの話だから、この筋肉じいさんには歯抜け文章に見えるんだよ』
クリスタがギルド長を指さして笑う。
精霊は契約者しか認識できない。
文字にも適用されるのか……。
それよりも、父さんが精霊と契約していた事実に驚きだ。
思い返せば、作業台で鑑定しているとき、たまに独り言をしていた気がする。ひょっとしたら、精霊と会話をしていたのかもしれない。
「読めるか?」
ギルド長が聞いてくる。
「はい。読めます」
顔を上げずに返事をした。
とにかく、続きが読みたい。
――今後、生涯のパートナーとして精霊と仲良くしなさい。また、言霊(ワード)を使った魔法は精霊魔法と呼ばれている。これも、他人には通常の魔法として認識されるので遠慮なく使って問題ない。ただし、使い方には十分注意しなさい。
『注意なんて失礼だよね〜』
クリスタが頭の後ろに両手を持ってきて頬をふくらませる。
可愛いけど、魔法一撃・ギルド演習場破壊事件は忘れられそうもない。
そこから、便利な言霊(ワード)の組み合わせが五ページほど書かれていた。あとで覚えよう。
少しの空白があって、文字が続いていた。
書こうか迷っていたのか、中途半端な位置から文字が走っている。
私は手帳をさらに引き寄せた。
――オードリーが精霊と契約できる可能性を話せず、申し訳なかった。精霊は他者に認識されない。オードリーが魔力ナシで、ずっとつらい思いをしてきたのは見ていた。オードリーが誰よりも鑑定士になりたいことも知っていた。
――今までよく勉強し、訓練をしてきたことは、私が知っている。精霊は自分を心から好きな人間としか契約しない。こうして精霊と契約できたのは他でもない、オードリーが鑑定士という夢と向き合い、努力をし、石を愛してきたからだ。自分を誇るといい。私も、オードリーが、自分の娘で誇らしい。
――オードリーなら、人の役に立つ鑑定士になれるだろう。
――高貴に、力強く、名前に恥じぬよう、
――心のままに生きなさい。
――父より。
手記はここで終わっていた。
「……父さん……」
父さんは私に鑑定士としての知識を授けてくれたけど、一度もこうして褒めてはくれなかった。問題を解いてみせても、いつもぶっきらぼうに「できたな」と言うだけだ。
それでも私は嬉しかったけど、こんなふうに言われると……どんな顔をしていいのかわからなくなる。嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、泣きたい気分にもなってくる。
「どうせなら、生きているうちに言ってほしかったな……」
無口な父さんがこの文章を書いている姿を想像したら、自然と笑みがこぼれた。
ありがとう父さん。
いつも私のことを気にかけてくれて、本当にありがとう。
でも、父さんは不器用だね。
そういうところ、私にも遺伝してるのかな?
言いたいことを言うの、苦手だしさ……。
「もう一度読んでもいいですか?」
私は読み返したくなって、手帳のページを戻した。
「ああ、心ゆくまで読むといい」
「ありがとうございます」
ギルド長とジェシカさんは、私が満足するまで待ってくれた。
◯
「そうか、内容は言えぬか」
その後、ギルド長に手帳の内容は話しても理解できないと伝えると、残念な顔になった。
精霊絡みのことだから、話しても認識されないんだよね。
それも一瞬で、ギルド長は私に手帳を渡せたことを喜んでくれた。
「これも渡しておかなければな」
ギルド長が『エヴァンス鑑定事務所』の書類を差し出してくる。
受け取って、胸に抱いた。
これで私が父さんの事務所を引き継いだことになった。すごく嬉しい。
父さん、これから、所長としてがんばります。
「オードリー嬢の可憐な笑顔があれば、ピーターの事務所より繁盛しそうだな」
うんうんと、受付嬢ジェシカさんがハンカチで目を押さえてうなずいている。
可憐ではこれっぽっちもないけど、激励の言葉に一礼した。
「ギルド長、ありがとうございました」
「ああ。これでピーターとの約束が果たせた。オードリー嬢のこれからの活躍に期待している」
「はい!」
あらためてお礼を言い、ギルド長に丁寧に挨拶をして、ジェシカさんとギルド長室を出た。
そして、Dランクを取ったらぜひともやりたいことを思い出した。
「そういえば、Dランク以上しか入れない資料庫があると聞いたのですが……利用できますか?」
「今からですか?」
ジェシカさんが笑顔を向けてくれる。
「ぜひ」
ジェシカさんに案内されて、資料庫に入った。
中には鑑定練習に使われる、見本の魔宝石がずらりとガラスケースに並んでいた。
「わあ! すごい……素敵です!」
テンションが上がってしまい、早速、端から鑑定を始めた。
どの魔宝石も美しい。
気品があって、美人で、可愛くて、美麗で、どれもこれも神秘的だ。
ああ、至福の時間だよ……。
その後、何度かジェシカさんがやってきて声をかけてくれたが、あまり耳に入らなかった。
時間が経って、ジェシカさんがまた入室してきた。
「オードリー嬢……ギルド閉館の時間が過ぎていてですね……申し訳ありませんが、また明日の閲覧をお願いしてもよろしいでしょうか……?」
「あっ」
気づけば窓の外が真っ暗になっていた。
「すみません! つい夢中になってしまって……今すぐ片付けます!」
「オードリー嬢は魔宝石がお好きなんですね」
ジェシカさんが笑いながら手伝ってくれる。
「そうですね。何といいますか……父の影響でしょうかね」
「そうですかそうですか」
完全に石好きだと見抜かれている気がしてならない……。
その後、ご迷惑をかけてしまったのでランチをごちそうする約束をし、平謝りをして、そそくさと資料庫から退室した。
帰り道、ゆっくり歩きながら鞄の中身を確認する。
父さんの手帳。そしてエヴァンス鑑定事務所の書類に書かれた『所長:オードリー・エヴァンス』の文字に、頬がゆるんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます