第10話
翌日。
鑑定士になれたので、次にやるべきことへ取り掛かろう。
気が重いけど……。かなり行きたくないけど……。
「オードリー、気合いよ、気合い! ゾルタンにバシッと言ってきなさい!」
モリィが私の背中を強めに叩いた。
「気合いだね。うん。オーケー」
どうにか表情筋を動かして、顔をキリリと引き締める。
モリィと相談をして、仕事を辞めるべくカーパシー魔宝石商に行くことにしたんだけど、身体が行くのを拒否している。
無断欠席をしたあげく、私が「辞める」と言ったら、何を言われるのだろうか。
「……あなたひどい顔してるわよ? 潰されたゲロゲーロカエルみたいな」
「それちょっとひどすぎない?」
「うん、言い過ぎたかもしれないわ。まあそんなことより、これで会うのも最後と思えば恐いものはないわよ」
モリィがにやりと悪代官のように笑う。
「婚約者の手伝いっていう名目でずっと契約書を交わしてこなかったゾルタンがいけないのよ。オードリーに辞める宣言されたらどんな顔するのかしらね? ざまぁったらないわ」
「緊張でちょっと吐き気が……」
ゾルタンは怒り、ドール嬢はヒステリックに責めてくるに違いない。
怒り狂うドール嬢の姿が容易に想像できて、胃がきりきりと痛む。
「これは過去との決別だ。私は私の未来を――手に入れる!」
モリィが急に芝居がかった言い方で前方へ手を差し出した。
「あ、ご令嬢のセリフだね」
「そうよ、オードリー。これは過去との決別であり、新しい自分になる儀式よ」
「儀式か……。そうだね。そう思えば、なんとか言えそうだよ」
モリィが私の両手を握り、何度か上下に振って、手を放した。
「何があっても私はあなたの味方だからね」
「ありがとうモリィ。……いってくる」
「いってらっしゃい!」
そんなこんなでモリィに送り出され、王都を歩き、カーパシー魔宝石商の前にやってきた。
何年も通った商会が、いつもと違う景色に見える。
『行かないの?』
クリスタが宙を飛び、カーパシー魔宝石商の従業員用の入り口を指差す。
不思議なことに、彼はすべての話を把握していた。
精霊に隠し事はできそうもない。
『緊張しちゃってね』
『鑑定士になりたいんでしょ? 早く辞めないとね』
『……うん……そうだね』
小声でやり取りをして、よしと一息吐いてうなずいた。
視界のはっきりした裸眼で話せる気がしなかったので、分厚い眼鏡をポケットから出してかける。視界がぼやけて少し安心した。
鑑定士のシルバーバッヂはつけていない。色々言われそうで面倒だからだ。
震える手を握りしめ、意を決して建物に入り、階段を上がって二階の事務所へと向かう。
深呼吸をして、ドアノブを回した。
「……」
うかがうように室内に入ると、なぜかいつもより事務員たちが動き回っていた。
私を見つけたドール嬢が駆け寄ってきた。
「この陰気女ッ! 何時だと思ってるの?!」
あまりの剣幕にたじろいだ。顔が怖い。
「あんたがいないせいで大変なことになっているのよ! さっさと仕事をしなさい、このグズ!」
「……あの……ちょっ……」
怒りそのままに手首をつかまれ、ずるずると隅のデスクへ連れられていく。
ドール嬢が突き飛ばすように私の手首を前方へ投げたので、たたらを踏んでしまった。
デスクに手をつき、振り返る。
「何よその反抗的な目は?」
「……あの……お話が……」
「あんたが仕事をためたせいで他が回ってないのよ? これがどういう意味かわかる?」
ドール嬢が剣呑な様子で責めてくる。
全部私が悪いという言い方にお腹のあたりがきゅっとなった。
「……あの……」
ダメだ。うまく言葉が出てこない。
「月次の収支報告は明日の朝まで! 鉱山従業員二百人のシフト調整も急いで!」
ドール嬢が私を押して席に座らせようとする。
どうにか抵抗していると、眼鏡がズレて、十六歳から五年間使ってきたデスクが視界に映った。
五年間座った椅子は古くて傷が多く、デスクには大量の書類が積まれていた。
ひどく暗くて、小さいデスクだった。
まるで陰気女が使うデスクそのものに見えてしまい、ここにずっといた自分が昔の別人物の物語に見えてくる。
ここに座って一生仕事をする?
絶対にムリだ。
「……やめて、くださいっ!」
肩をつかむドール嬢を強引に振りほどいた。
「――ッ!」
ドール嬢が息を飲む。
「……」
眼鏡を指で押し上げ、深く息を吐いた。
落ち着こう。とりあえず冷静になろう。
私はここを辞めると決めたんだ。
「お話があります……聞いてください」
「陰気女の分際でこの私を――ふざけるな!」
ドール嬢が右手を振り上げた。
思わず目をつぶる。
しかし、いつまで経っても張り手は飛んでこなかった。
そっと目を開けると、ドール嬢が手を振り上げたまま固まっていた。
「なっ、これはっ、なに! 何をしたの?!」
クリスタがいたずら小僧のように歯を見せ、ドール嬢の顔の横で一回転した。
『オードリーはまだ魔法が使えないからね。今回はサービスだよ』
そうか、魔法だ。
クリスタが私を守ってくれたんだ。
ドール嬢は全身の制御が効かないのか、必死に身体を動かそうと歯を食いしばっている。
気づけば事務所にいるほとんどの職員がこちらに目を向けていた。
『この女うるさいからさぁ〜。こーんな顔してさぁ〜』
クリスタ……このタイミングでドール嬢の顔真似をするのはどうかと思うよ……。
微妙に似ているのがまた何とも言えず……。
クリスタの空気の読めなさに苦笑いが出てしまう。
ドール嬢が一気に顔を赤くした。
「何を笑っているのよ?!」
「あ、いえ、ドール嬢を笑ったのではなくて……」
「いい加減にしてちょうだい! あなた何かしたんでしょう! この私にたてついたらどうなるかわかってるんでしょうね?!」
「何の騒ぎだ」
そのとき、社長室からゾルタンが現れた。
冷たい瞳をこちらに向け、静かに近づいてくる。
相変わらず人を見る目ではなく物を見る目で私を見てくる。
つけている香水が以前までは気にならなかったのに、妙に鼻を刺激した。こんなに不快な香りだったかな……?
『あきた』
クリスタが顔真似をやめて、魔法を解除した。
「……ああ、動けるようになったわ!」
ドール嬢が確認するように腕をさすり、ゾルタンにぴたりと身体を寄せた。
「ゾルタン様! この女、無断欠勤をしたくせに反抗的な態度で困ってますの」
「ふん……」
ドール嬢の腰に手を回し、ゾルタンがこちらを見た。
「自分の立場を理解していないのか?」
「……契約の話ですか?」
「おまえは婚約者ではない。一従業員としてふさわしい振る舞いをしろ。文句を言わず、粛々と商会のために働け」
便利な道具を使うような言い方だ。
所詮、この人は私を安価で便利な事務道具としか思ってないらしい。
婚約してからずっと、私は人として見られていなかった。
そう考えるとなんかあれだよね……腹が立ってきたよ。
こんな気持ちになったのは初めてかもしれない。
『こいつムカつくね。顔も嫌い。あとなんか臭いし』
クリスタの言葉に心の中で同意し、ゾルタンを見た。
「一従業員ですか? 契約書を交わした覚えはないのですが」
「おまえのような女はここでしか働けない。それを理解しろ。バカなのか、おまえは?」
ゾルタンは私のいつもと違う態度に苛立っているのか、言葉尻が鋭い。
周囲を見回すと、ドール嬢がにやにやと笑い、事務員たちが必死に処理していたらしい書類を手に持ち、早く仕事をしろ、という視線を私に向けてくる。
『こいつらのほうがバカだよねぇ。オードリーは独立して鑑定士になるのに』
クリスタがタップダンスのような踊りを披露しながら、羽を揺らす。
可愛い姿を見ていたら、肩の力が抜けた。
そして思い出した。
高貴であれ――力強くあれ――。
父さんにつけてもらった名前に負けないような人になりたい。
あの小説の主人公のように、私は私の人生を歩むんだ。
お腹に力を入れ、ゾルタンを見据えた。
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