第4話
虹色の二枚羽、尖った耳、端正な顔立ち、小さな体躯――。
その姿は伝承に残っているけど、誰も見ることのできないと言われている、精霊そのものだった。
ちょっと待って。こんなことってある……?
私なんかが伝承の存在である精霊と邂逅するとか、あり得なくない?
眼鏡を外して、度がおかしくなってないか確認しよう。
視力、悪い。
でも、精霊さんは目の前でふわふわ浮かんでいる。
『あっはっは、びっくりした?』
見間違いじゃない。本物の精霊だ。
けらけら笑っている声も可愛らしい。
とりあえず眼鏡、かけ直そう。
精霊さんは氷の上を滑るように飛び、アトリエを一周して顔の前で止まった。
『オードリー、いい名前だよね。前から思っていたんだ』
彼、と言っていいのか、精霊さんがニコリと笑う。
繊細な刺繍の施された袖口が広がった服を着ている、中性的な見た目だ。
オパールのような七色の瞳に、思わず見惚れてしまった。
『ずっと
精霊さんが
とにかく、しゃべるなら古代語、だよね?
『……えっと……はじめまして、精霊さん』
『わあ、古代語が上手だね。本当に君は努力家だよね。えらいえらい』
精霊さんが小さな手を宙に伸ばし、私の頭を撫でる振りをした。
あまり褒められたことがないから、なんだか嬉しい。
『毎日欠かさず勉強と訓練をしていたものね』
『……私のこと、見ていたの?』
『
精霊さんが小さな手を広げて、やれやれと肩をすくめてみせる。
仕草がとてもキュートだ。癒やされる。
『ねえ。契約のためにぼくを呼んだんでしょう?』
彼がまた顔の前まで浮かんできて、じっとこちらを見つめてくる。
精霊は超常の存在だ。
文献に記載された伝承によると、嘘を心から嫌うらしい。
どこかの国の王様が精霊を怒らせてしまい、国が一夜にして消滅したという伝説もあるくらいだ。嘘はつかず、正直に話そう。
『実はね、わからないまま言ってしまったの。ごめんなさい』
『そっか〜、それは仕方ないね。で、契約する?』
あっけらかんとした口調で彼が笑う。
『契約ってどういうことなの?』
『対価を差し出すと、ぼくの魔力が使えるようになるよ』
『魔力が?』
私の反応に気を良くしたのか、彼がくるりと一回転した。
『君が
『
わからない単語と状況に、不思議と気分が高揚してきていた。
精霊さんが私の眼鏡を強引に下へズラして、目を覗き込んできた。
『やっぱりオードリーの瞳は綺麗だね。深紫色で、アメジストみたいだよ』
『……ありがとう』
頬が熱くなった。
『いい人生を送ればもっとキラキラになりそうだねぇ……うんうん、とてもいいよ』
何度かうなずくと、彼が顔前に戻り、大きくうなずいた。
私はズレた眼鏡を押し上げる。
『じゃあ――対価は目玉でいいかな?』
『……はい?』
目玉?
『魔力を貸し出す対価だよ。君の目玉がほしいんだ』
桃色の小さな唇から、とてつもなく怖い言葉が出てきた。
しばらく声を出せないでいると、彼がじっとこちらを見つめてきた。オパールのような瞳が徐々に大きくなり、飲み込まれていくような錯覚に陥った。
『どうする? 契約……する?』
『……どっちの目玉が、ほしいの?』
生唾を飲み込み、声を絞り出した。
冷静になろう。
これは千載一遇の好機だ。
精霊と契約した人間なんて聞いたことがないけど、精霊が莫大な魔力を持っているのは周知の事実だ。精霊を祀った神殿では、精霊から魔力を借りて魔除けの結界を作っていると言われている。
魔力がほしい。
片目くらい精霊さんにあげてしまおう。
きっと大丈夫だ。
隻眼の剣士とか小説によく出てくるし。
飲み込まれるような感覚が霧散し、彼が嬉しそうにくるくると回った。
『両目だよ』
びしりと親指を立てて言う精霊さん。
両目って……。
いや……そんな輝くような笑顔で言われても……。可愛いけど。
『両目はちょっと無理だよ。何も見えなくなっちゃうから』
『え? 見えるよ。何を言ってるの?』
『見える? どういうこと?』
『目玉は君が人生をまっとうしたらもらうよ。死ぬまで使っていいよ〜』
『そういうことなんだ……へえ……』
死んだら両目が彼に譲渡される。そういう類の契約か……。
これなら私にはなんのデメリットもない。
死ねばどうせ何も見えなくなる。
『聞きたいことがあるんだけど、いい?』
『うん』
『私、魔力がまったくないんだけど、それでも大丈夫なの?』
『魔力持ちの人間とは契約できないよ?』
『あ、そうなんだ』
なるほど。精霊と契約するにしても条件があるらしい。
『それに、オードリーがいい子だから契約する気になったんだ。ぼくたち魔宝石のことが大好きだし、古代語を覚えてくれたからね。ま、だいぶ臆病者なのが残念だけど』
臆病者……純粋な評価がぐさりとくる。
『じゃあ、契約するってことでいいかな?』
どんな契約でも簡単に結んではいけない。
これは父さんから口を酸っぱくして言われてきたことだ。
ましては今回は私の目玉がかかっている。条件の把握は必要だ。
『整理させてね。えっと……私はあなたと
『うん』
彼が可愛らしくうなずいた。
『では、私と契約をしてください。よろしくお願いします』
魔力がもらえるという現実味はまったくないけど、彼に向かって一礼した。
『はーい、契約だね』
彼は満面の笑みを浮かべると、私の知らない古代語をつぶやき、指から光を飛ばしてきた。
光が両目に飛び込んでくる。
ずきんと痛みが走り、両目をきつく閉じた。
痛い。すんごく痛い。
悶絶する痛さだよ、これ。
先に……教えてほしかった……!
『これで契約完了だよ。よろしくね、オードリー』
『あ、うん……』
まだ目に違和感があってまぶたを開けられず、そのままうなずく。
『ぼくの名前はクリスタだよ』
『よろしくね、クリスタ』
『もう目を開けても平気だけど?』
そう言われ、そっと両目を開けた。
眼鏡越しにクリスタの可愛らしい顔が見えたが、いつもと違う視界にちょっと気持ち悪くなる。
変だと思って眼鏡を取ると、クリアな視界が広がった。
「あ……あれ……?」
眼鏡なしで、物がはっきりと見える。
数m先もぼやけるほどだったのに、視力が上がっているみたいだ。これも契約したおかげ? アトリエで栽培している薬草の葉脈までくっきりと見える。
『眼鏡はいらないよ。邪魔だからね』
クリスタが何でもないことのように言う。
「……見える」
興奮してしまい、父さんの作業台に置いてあった古代語の本を開いた。
小さな文字がはっきりくっきりと読めた。
「裸眼すごい。本を離しても読める」
これなら文字の小さな小説も目を凝らさずに読める。
夜中でも結構見えそうだから、魔道ランプの節約もできそうだ。
『それよりもさ、魔力の流れが見えるんじゃない? ほら、オードリーって、死んじゃったお父さんさんみたいに鑑定士になりたかったんでしょう?』
本をぱらぱらとめくっている私を見て、彼が嬉しそうに言った。
『オードリーの
「――ッ!」
私は弾かれるようにして顔を上げた。
そうだよ。魔力だよ。
魔力があれば魔宝石が鑑定できる。
そうすれば、憧れだった鑑定士になれる。
『あれだけ練習してたんだから、すぐに使いこなせるはずだよ』
『ちょっと試してみる!』
転がるようにしてアトリエの隣にある、魔宝石の保管部屋へと走った。
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