第3話


 私はゾルタンに連れられ、馬車で王都役所へやってきた。


「こちらが証明書でございます」


 女性職員が丁寧な口調とともに、羊皮紙を渡してきた。


 中を開くと、婚約破棄の日付が刻印されている。


 これでゾルタンと他人……。

 あっけないものだ。


 なくさないよう、羊皮紙を肩掛けバッグにしまった。


「証明書の再発行には一万ルギィかかります。紛失にはご注意ください」


 女性職員がゾルタンと私の目を見る。

 ゾルタンが何も言わないので、うなずいておいた。


「では、婚約破棄の代金として五万ルギィをいただきます。お支払いは小切手になさいますか?」

「現金だ」


 支払いになると、ゾルタンが素早く口を開いた。


 流れるように財布から五万ルギィを出して、女性職員が差し出した革製の支払いトレーに置く。


 受付から少し離れると、ゾルタンが私を無機質な目で見つめた。


「オードリー。おまえの支払いである二万五千ルギィは貸しだ。給料から引いておく」

「……そうですか……」


 きっちり割り勘にするゾルタンにあきれてしまう。


 勝手に婚約破棄をしておいて、ひどい言い草だ。

 父さんが聞いたら魔法で吹っ飛ばすに違いない。


 続けて、持っていた鞄から書類を取り出して、私の膝にばさりと落とした。


「明日からおまえは婚約者の手伝いではなく、ただの社員だ」

「……どういうことでしょうか?」

「役立たずのおまえを使ってやるという意味だ。すぐに察しろ」


 書類に目を通すと、雇用形態が記載してあった。


 月給十万ルギィ。

 週一回休み。

 残業あり。


 この五年間続けてきた条件とまったく同じだ。


 いざ文字で見ると、自分の働いてきた環境がいかに最低かがわかる。


 一生この生活を続けるのかと思ったら、暗い穴の中へ落下していくような、冷たい浮遊感が全身を駆けた。


「おまえの父親と、うちの父がどうしてもと頼み込んだから婚約してやった。高名なAランク鑑定士、ピーター・エヴァンスの名があったから受けた結婚であると言うのに、まさか死ぬとは。使えんな」


 何の感情もなく、物を紛失したような口調でゾルタンが言う。


「おまえみたいな地味で貧相な女、男は誰も結婚したがらん」

「……」

「おまえの父親の名前は婚約者として大いに利用させてもらった。もう、用はない」


 ゾルタンが冷徹な表情でこちらを見下ろしてくる。


「魔力ナシのおまえは一生役立たずだ。二十一歳、陰気で地味な女。就職先も限られる。死ぬまでうちで使ってやるからありがたく思え。明日までにサインしてこい」


 ゾルタンは私の持っている書類の一番下を指で叩いた。


 雇用形態をすべて遵守するという契約書になっており、サインをすればカーパシー魔宝石商の社員となる。一生、逃げられなくなる。


 書類をぼんやり眺めていると、役所の入り口からやけに明るい声が響いた。


「ゾルタン様!」


 顔を上げると、露出度の高いドレスを着たドール嬢が、足早にこちらへやってきた。


 ドール嬢は天に昇らんばかりの嬉しそうな笑顔でゾルタンの腕を取った。

 よく手入れされた赤髪がふわりとなびく。


「無事に婚約破棄はできましたの?」

「問題なく処理された」

「ああ、ようやくですのね!」


 ドール嬢が大きな胸をゾルタンに押し付け、口の端を歪めて私を見下ろした。


「私とゾルタン様は両想いだったの。ごめんなさいねぇ」


 くすくすと彼女が笑う。


「Cランク鑑定士で美人な私と、魔力ナシの陰気女。どちらがいいかなんて、愚鈍なあなたでも理解できるわよねぇ?」


 ……そういうことか。


 私に隠れてゾルタンとずっと付き合っていたわけだ。

 婚約中に浮気が露見すると罰金になるから、バレないように立ち回っていたと。

 ひどい人たちだ。


「……」


 何も言わない私を見てドール嬢は勝ち誇ったように笑った。


「“仮”婚約者って意味、やっとわかったかしら?」


 そう言って、ゾルタンに身体を密着させた。


 ゾルタンは嫌がるでもなくドール嬢の腰に手を回すと、何も言わずに彼女を連れて、さっさと役所から出ていった。


 私はしばらくソファから立ち上がることができなかった。



      ◯



 職場には戻らず、大通りを歩いて帰路についた。


 脳裏に浮かんでくるのはゾルタンの冷徹な目と、ドール嬢の高笑いする顔だ。


 いくらなんでもひどすぎる。

 人を人と思ってないのかな、あの二人は?


 リビングのソファにバッグを投げて、アトリエに向かう。


 とにかく、一度落ち着きたかった。


 一面ガラス張りのアトリエは庭の前に位置していて、昼下がりのやわらかい日差しをいっぱいに取り込んでいた。


 作業台には時が止まったかのように、父さんが最後に使っていたジュエルルーペと資料本が置かれている。


 壁には鑑定士が採掘に使う様々な道具がかけられ、鉱物、鉄製品、薬草の独特な香りと静謐な空気に、心が洗われた。


「……」


 作業台の椅子がぽつんと置かれている。


 生前は父さんの背中がそこにあった。


 仕事中に話しかけると叱られたけど、決して怒鳴ったりはされなかった。

 何時間も魔宝石を鑑定し、飽きることなく手帳に採掘の情報を書き記していた。


 仕事が大好きな人だった。


 父さんは父さんなりに、私を愛してくれていたように思う。

 無口で無愛想だからよくわからないけど、たぶん、きっとそうだと思う。


 本当は本人の口から聞きたかったよね。まあ、父さんが「愛してる」とか、そういった気の利いた言葉を言うはずもないんだけど。


「……父さんに会いたい」


 無精髭をじょりじょりと触りたい。


 父さん……なんで死んじゃったんだろう。

 私より先に死ぬなんて……悲しいよ……。


 作業台を指でなぞり、首にかけた革紐を引いて、欠けた水晶をシャツの中から出した。


 水晶クォーツがきらりと光る。


 半分に割れた水晶クォーツは十三年が経ったいまでも、美しさを失っておらず、宙にかざすと光を反射させた。


「父さんはなんで……私が鑑定士なれると思ったんだろ? なんでずっと勉強と訓練を教えてくれたんだろう」


 無愛想な父さんの顔を思い出す。



 ――どの石にも物語がある。


 ――出逢いを大切に。



 石に物語がある。そう言った父さんの言葉が、いまは虚しく心に響く。

 大切にしたい出逢いなんて一つもなかった。


「……ッ」


 もう一度父さんの顔を思い浮かべたら、ちょっと泣きそうになってしまい、我慢した。


 水晶クォーツを握りしめる。


 こんなとき、『ご令嬢のお気に召すまま』の主人公だったら、家を飛び出して、自由に生きると宣言するんだろう。ゾルタンに契約書を突き返して、私は好きに生きていくからもうかかわらないで、と言ってやるに違いない。


 想像するだけで痛快だ。

 小説と同じで、想像の世界なら私は自由だった。


「……想像なら言いたい放題言えるんだけどね……」


 自分の自信のなさに苦笑してしまう。

 言いたいことを言うのは難しい。

 ふと、父さんの作業台を見ると、資料本が目に入った。


「……古代語の本……」


 そういえば、父さんは古代語を学んでおきなさいと、よく言っていた。


 二千年前に滅びた文明の言葉だ。


 採掘に行った際、古代語が思わぬ発見につながったりするんだと、お酒に酔って饒舌になった父さんが熱弁していた。


 そんな父さんに触発され、魔力がないなら知識を蓄えようと古代語を勉強したけど、役に立つ場面はまったくなかった。むしろ、古代語がしゃべれると言ったら、ドール嬢と職場の人たちに変人扱いされた。


「……古代語、面白いんだけどな」


 立ち上がって、窓際へ歩く。


 昼下がりの陽光が当たり、手を開くと水晶クォーツが小さな光を反射させ、散らした金粉のような光粒を作り出す。


 ふと、小説の一シーンを思い出して、口を開いた。


『私と契約しろ……力をよこせ』


 古代語で言ってみた。

 小説の第三章、ご令嬢が傭兵団の団長に言うセリフだ。

 あのシーンは第三章の山場であり、カッコよくてしびれる言葉だった。


「……あのご令嬢みたいになれたら苦労はないんだよ」


 渇いた笑いが漏れる。


 やっぱりダメだ。どんなに想像したところで、自分の意思を強く他人に伝えることはできそうもない。


 あのゾルタンに、「私は好きに生きていくからもうかかわらないで」なんて、とてもじゃないけど言えそうもない。


 それに、別の職場で働くとしても、採用される自信がないし、採用されたらされたでゾルタンが私のことを探しにきそうで怖い。


 ならどうすればいいのか?

 わからない。

 このままだと、あの書類の条件でカーパシー魔宝石商の従業員になるしかない。


「……父さん……私、どうしたらいいんだろう?」


 手に持っている水晶クォーツに視線を落とした。


 ――そのときだった。


『……ねえ…………える?』


 どこかから声が聞こえた。子どもの声だ。


 背筋がぞくりとした。

 顔を上げて、アトリエを見回す。

 誰もいない。


 引き込んでいる水の音が微かにするだけだ。


『……っち……呼んでおいて……ねえ……』


 声の方向を見上げる。

 宙に小さな光が集合していた。


 これ、何?


 光が明滅して、ポンと音を立てた。


「……!」


 目の前には虹色に輝く羽を背につけた、手のひらサイズの少年が浮かんでいた。


「…………精霊?」


『やっと見つけてくれた。ぼくと契約するんでしょう?』


 小さな精霊が、屈託のない笑みをこちらに向けていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る