第21話 仄かに光る菜の花畑 - Ⅳ -
先輩は、償いのために[なのちゃんを忘れないこと]を選んだのだ、と聞いた。
わざわざ相模さんが、私にそれを伝えに来たのだ。
それで私が変わるとでも?
変わるわけがないでしょう。そんなことで変われるなら、私はこんなに歪まなかった。
こんなに傷つかなかった。
死にたい。
死にたい死にたい死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。
……
…………
………………
そっか、死ねばいいんだ。よし、死のう。
妙に、すんなり肚は決まった。
朝早く、学校に来て、柊先輩の机に手紙を置く。
傷をつけるために。
柊先輩の机に手紙を置けば、中の準備は終わり。
後は屋上だ。鍵はヘアピンで開けている。
そうして上に向かおうとしたところで、橘先輩がやってきた。
「あれ? おはよう、ほのかちゃん。早いね」
柊先輩は変わってしまったけれど、この人は変わらない。
「おはようございます、橘先輩」
軽く会釈すると、結い上げた髪がはらりと落ちた。左手ですっと直す。
「そのリストバンド……」
橘先輩も気づいたようだ。
「はい。なのちゃんのを使ってます」
ズタズタになった手首を隠すために。
「……ほのかちゃん」
「なんですか?」
先輩は、物言いたげだったが、言葉が続かず、なんでもない、と去って行ってしまった。
屋上のフェンスを壊すのは意外と簡単だった。元々脆かったのかな。
いや──なんとなく、死のうって決めてから、その目的のためにいつも以上に動けている気がする。
そんなに死にたいんだ、私。
なら、死のう。柊先輩の目の前で。
先輩は、早々と屋上にやってきた。
前置きをしながら、私はフェンスに寄り添った。軋む音が小さく鼓膜を震わせた。
「……じゃあ、そんな先輩は、私が死んだらどんな償いをしてくれるんでしょうか……」
がしゃーん!!
落ちる。
ぶわりと、あまり心地のよくない浮遊感があった。──落ちる。
落ちれば死ねる。
ぐんっ
けれど、私は引き留められた。先輩の右手が私の左手首をしっかり掴んでいる。
痛い。
私を掴まえようとする先輩の力が強すぎて、リストバンドの下が痛む。やめてほしい。私は痛みがほしいんじゃない。死にたいんだ。
「何するんですか!?」
「それはこっちの台詞だ!! 飛び降りて……死ぬつもりだったのかよ!?」
「それ以外に何をするっていうんです?」
邪魔をしないで。
「ふざけるなっ!!」
その怒声に、冷えていた頭が更に凍る。
「ふざけるなよ……死なせるもんか……死なせてたまるか……! 何度も何度も、目の前で人に死なれてたまるかよっ……!」
「それは、誰のためですか?」
私の声は朝の空にやけに響いた。
「自殺したなのちゃんのためですか? 友達の橘先輩のためですか? 彼女の相模さんのためですか? それとも、罪から逃れたいと思う自分のためですか?」
「え……?」
私は先輩の手の力が僅かに弛むのを感じながら、にこやかに続けた。
「結局、先輩がこうするのは[私のため]ではないんです。だから、手を離していいですよ。離してください」
「いや……だ……死なれて……たまるか……」
言葉とは裏腹に、先輩の手から私の手がずるずるとずり落ちていく。
──これでいい。
「うああああああああっ!!」
先輩の絶叫が、谺した。
今度こそ、落ちる。そう確信して、微笑んだ。
しかし、次の瞬間。
「うおおおおおおおおっ!!」
離れた右手に代わり、力強い左手が、私を掴んだ。そのまま私を引き上げ、突き飛ばした。
屋上に足をつける私。逆に今度は先輩が落ちていく。
私が手を伸ばしても、間に合うことはなかった。
「いや……」
違うよ。私がしたかったのは、こんなことじゃない。
「いやよ……」
私が願ったのは、こんな結末じゃないわ……
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
私の絶叫が、長閑な春の空に轟いた。
柊先輩は、一命をとりとめた。
異変に気づいた橘先輩が、先生を呼び、それで屋上にやってきた先生が私と、下に落ちた柊先輩を見つけた。
私は校長室に呼びつけられた。みんな、私が突き落としたのだと思っている。私は肯定もしなければ、否定もしなかった。
こういうのには慣れている。みんな、いつもこうだから。
「ほのかちゃんはそんな子じゃない!!」
だから、そう言って殴り込みのように乱入してきた橘先輩の姿に、先生以上に驚いた。
「ちょっと君、授業はどうしたんだ」
「そんな呑気なこと言ってられるもんですか! ただでさえ俺は友人のところに行きたいのを止められてるのに、これくらいさせてもらえないなら、この学校やめますよ!!」
先輩は、怒っていた。口調こそ丁寧語になっているが、そこに敬意は全くと言っていいほどこもっていない。
学校をやめる、という言葉に教師陣は反論を失う。元々わけあり生徒の多い学校で、評判がいいとは言えないのだ。そこで屋上から生徒が転落、それと同時に生徒が退学、となれば、マスメディアたちの餌食になること請け合いだ。そこまで読んでいたかは知らないが、橘先輩は発言権を得た。
「授業授業って言いますけどね、それを言ったら、その子の授業はどうなるんです? もう午後の一時限目も終わるってのに、ずっと尋問ですか。んなもん、放課後にでもしてください。行くよ、ほのかちゃん」
「え? あ……はい」
呆気にとられる教師陣を置き去りに、橘先輩はすたすたと私の手を引いて校長室を出た。
「あ、あの……橘先輩……」
「ごめんな」
「え?」
前を行く橘先輩の顔はよく見えなかったが、影がさしているように感じた。
「俺、朝に会ったときに気づいてやれなくて……」
先輩は立ち止まり、私の方に振り向く。そして、すっと音もなく私の左手を取った。声を上げる間もなく、手首のリストバンドを外される。
「……頼むから、自分を大切にしてくれ……」
露になった傷痕に、先輩は苦しげに顔を歪める。
「いつ……気づいたんですか……?」
そっと先輩がリストバンドを戻してくれるのを見つめながら訊いた。
「傷のことは……リストバンドを見たときから、ずっと……君がどうしたかったのか、わかったのは、さっき……」
遅すぎたよな、と謝る先輩。
何故か、胸が締め付けられるように痛んだ。でも不思議と、不快には感じなかった。
ああ、この人は今、私のために苦しんでいるんだ……という実感があったのだ。
「いいえ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
私は泣いた。
先輩にすがりついて泣いた。先輩は拒まず、優しく頭を撫でてくれた。
その手が、心地よかった。
MEMENTO MORI 九JACK @9JACKwords
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