第16話 空色と水色の螺旋 - Ⅱ -
◇◇◇
「あれ? 友人はここじゃなかったか」
「おや、こんにちは、橘くん」
「三島先生、こんにちは」
「友人って、柊くん?」
「はい。てっきりここに来てると思ったんですけど……」
「今日はまだ来てないね」
「そうですか……ノート、さすがに返してもらわないと……」
「ノート貸してあげてたの?」
「はい。宿題するの忘れたらしくて」
「……仲良しなんだね」
「……俺はあいつを許してませんよ。ノートを貸したのは……あいつが困るとこ、見たくなかっただけで……」
「それを仲良しって言わない? どうやら春先の事件でも、柊くんのために、犯人捕まえたんでしょう?」
「あれは、偶々通りかかっただけで……」
「君は、本当は、柊くんと仲良くしたいんじゃないの?」
「……でも、俺は……まだ、彼女のことを、割り切れない……」
「……」
「……三島先生?」
「廊下、走ってった子が」
「廊下ぐらい走る生徒はいるでしょう?」
「いや……柊くんにしか貸してないはずの文集を持ってた気が……」
「……ちょっと訊いてみます」
「…………本当、友達思いだよね」
◇◇◇
文集が盗まれた。見も知らぬ人物に。
百合原さんから情報をもらい、その人物を探し出すことにした。百合原さんによれば、演劇部の先輩ってことらしいが、そんな人が何故文集を狙うんだろう?
まあ、目的はともかく、文集を探さないと。あれは借り物なのだから。
その人は演劇部の二年生、名前は
とりあえず、その人のクラスに行く。……案の定、いない。
今日は探し人が見つからない日だ。
廊下を走りながらふと時計を見る。まずい、昼休みがあと十五分で終わる。悠斗にも会えていないというのに!
……情報が少なすぎる。
どうしようか悩んでいると
「こんなところでどうしたんだ? 柊」
「うわっ、相模先輩!」
階段を降りてきた相模先輩に声をかけられた。
「む、私のことは呼び捨てでいいと言っただろう」
「そんな、できませんよ。先輩を呼び捨てなんて」
相模先輩が眉間にしわを寄せるが、それはさておき、と話を切り替えてくれた。
「お前、何やら慌てているようだな。何かあったのか?」
「実は……」
気まずいが、部活に関わりのあることなので、話した。相模先輩はふむ、と頷くと、何かを思い出すように斜め上を見た。
「今日、図書室に珍しいやつが来たんだ。柊、お前の知り合いの橘ってやつだ」
ああ、そういえば悠斗は僕を探して図書室に行ったんだっけ。待たせて悪いことをした。
相模先輩は続けた。
「お前が来ていないか、三島司書に確認していたのだが、廊下を走っていたやつを追っていった」
ちょっと話が見えないが、まだ続くようだ。もう少し聞こう。
「何やらその廊下を駆けていった者が、文集らしきものを持っていたらしくてな。それを確認しに橘は行ったっきり、戻ってきていない」
繋がった!!
いや、結局悠斗の居場所も犯人の居場所もわからずじまいだが……一緒にいるのなら、用が一辺で済む。
「ありがとうございました、カナタ先輩」
「……おう!」
お礼と言ってはなんだが、名前で呼ぶとやたら嬉しそうな声で先輩は頷いた。
◇◇◇
「先輩、それ、何ですか?」
「……誰だよ、お前」
「俺は一年の橘悠斗です。かくいう先輩は?」
「……知ってて追ってきたんじゃないのか」
「生憎と俺が興味あるのは先輩の手にある冊子が何なのかだけでして」
「これは比肩する者のない素晴らしい物語が描かれている。ぼくはこれをシナリオに台本をおこすんだ。そして、台本書きとして認めてもらう!」
「……御託はどうでもいいです。それをどこで手に入れましたか?」
「……」
「無言は、こちらの都合のいいように捉えますよ。……それは友人のものだ。友人に返せ」
「……!!」
◇◇◇
僕は学校中を走り回って、一階の廊下でようやく二人を見つけた。
何やら、不穏な雰囲気だ。悠斗の台詞が聞こえた。
「それは友人のものだ。友人に返せ」
悠斗……
僕のために交渉(というか威圧)をしているようだ。
「ゆ、悠斗、諏訪先輩……」
とりあえず、名前を呼んだ。二人が僕の存在に気づく。
「きみは……」
「……友人」
「僕は、一年の柊友人です。文芸部の文集を探していたんですが、貴方が諏訪先輩ですか?」
僅かだが、先輩は頷いた。
「じゃあ、その文集、返してください。借り物なんです。それにまだ読んでないですし……」
先輩は手の中のA5サイズの冊子を見つめ、躊躇うように差し出しかけた。
そのときだ。
「あなたたち? 何してるの? もうすぐ昼休み終わりよ。教室に……」
保健室から先生が出てくる。僕と悠斗はそちらに気をとられた。
その隙をついて、諏訪先輩が逃げ出す。あっ、という僕と悠斗の声が重なった。
後を追って走り出す。
「こら! 廊下は走らない!!」
保健室の先生の声が聞こえたけれど、ごめんなさいとだけ叫んで、僕と悠斗は諏訪先輩を追いかけた。
予鈴が鳴り響く。
午後イチの授業に間に合わせることは諦めた。
僕と悠斗は諏訪先輩を追いかけて、屋上手前の扉まで追い詰めた。屋上への扉には鍵がかかっている。
「……諏訪先輩!なんで逃げるんですか!」
僕は自分でも珍しいくらい怒っていた。
今日は色々と上手くいかない。宿題は忘れたし、探し人は見つからないし、見つけたのに逃げられるし、午後イチの授業には間に合いそうにない。まさしく踏んだり蹴ったりだ。
半分は八つ当たりか、と心の中で苦笑いする。
ちらりと隣の悠斗を見た。悠斗は僕以上に怒っている。既に先輩に対して敬語を使うのをやめている。
「先輩、あんたはあんたのためだけに人を困らせて、自分はいい思いをしようとしている。あんたはそれで満足か? 満足だろうな。でもこっちは迷惑だ」
悠斗は辛辣だ。僕より怒っている。
どうやら、僕が来る前に文集を盗んでいった理由を聞いていたらしい。だから尚更怒っているのかもしれない。
「諏訪先輩、僕は理由がどうあれ、文集を返してほしいだけなんです。大事にしたくないので」
大事、という言葉に諏訪先輩が過剰に反応する。
「……このことを、誰かに話す気か?」
「あまり気は進みませんが、先輩が返してくれないなら、仕方ないかと」
諏訪先輩の顔に恐怖が浮かぶ。
「……先輩、怖がるくらいなら、どうしてやったんですか? ……あ、これはもう聞きましたね。……友人がこう言ってるんです。返せば何事もなく、す、む……」
悠斗の台詞が途切れる。
僕は、信じられない思いで、それを止めることも、助けることもできないまま、ただ見つめることしかできなかった。
悠斗が階下に突き落とされるところを。
どうしてだろう。
どうして、こんなことになったんだろう。
僕は病院で、とりとめもなく、考えた。
突き落とされた悠斗は幸い、大した怪我はなかった。打ち所がよかったようで、運動は普通にしても構わないとのことだ。
僕は、何と言ったらいいんだろう。
ありがとう? 大丈夫? ……ごめん、かな?
どうして、こうなったんだろう……
そんな思考の無限のループ。嫌だ。やめてくれ。もう、考えるのは……
ああ、文集のための文章を書かなきゃいけないのに、それも嫌だ。どうすればいい?
ちなみに、諏訪先輩は、あの後、あの場から逃げ、別の階段から落ちた。
どうでもよかった。
僕が今病院にいるのは大事をとって検査中の悠斗の付き添いだ。悠斗は診察を受けている。
僕はやけに長いその時間をどうやって過ごそうか考えた。
手の中には文集があった。
読もう。
[空色と水色の螺旋]のページを開く。
ソラを助けるウミ。
気候を操る力を上手く制御できなくて嘆くソラのために、水を生み出すウミ。怪我したソラを自分の水で癒すウミ。
何故か、ウミの姿が悠斗に重なって。何故か、胸が苦しくなって。でも、涙はなかなか出なくて。
ふと、作者名の[田中未傘]というのが目に入る。
「は、ははっ……」
なんだ、この名前。
[たなか みがさ]──逆から読めば[さがみ かなた]だ。なんて下らない、なんて単純なネーミングなのだろう。
笑える笑える。
僕は待合室で笑った。乾いた笑いだった。
ああ、おかしい。笑うことはこんなに簡単にできるのに、なんで僕は泣けないの?
そこへ、少女が一人、やってきた。──叶多先輩だ。
「柊、大丈夫か?」
「叶多先輩……部活はどうしたんですか?」
文化祭前は、部活が毎日ある。でなくても、叶多先輩は毎日、神田先輩と一緒に放課後は図書室にいる。一人で来ては、神田先輩が心配するんじゃないだろうか。
「実は、もう作品はできあがっているんだ。それより今は、お前の方が心配だ」
「悠斗は無事です」
「違う。お前のことを聞いている」
叶多先輩は、真剣な目をしていた。僕はその眼差しに、堰が切れる。
「ごめっ……ごめんなさい……」
先輩にすがって泣いた。ごめんなさい、とひたすらに叫びながら。
◇◇◇
ソラとウミは懸命に人々を救おうとするが、あるときソラが完全に力を制御できなくなってしまった。
そして天候が荒れたのは、ソラのせいだと責められるようになってしまった。
そんなソラを守り、ウミはそれでも人々を救おうと、水を生み出す。
その最中、二人の出生の真実が明らかになった。
二人は、神が怒って人間から奪った水から生まれた子供だったのだ。
神が与えた天罰の化身である事実を知り、自分がいるせいで人々は不幸せなのだと、ソラは自殺してしまう。
守る者を失い、ウミは放浪した。ウミはソラをそこまで追い込んだ人間を助けようとはとても思えなかった。
やがてウミは、人同士の戦いに介入した。争いを終わらせよう。みんな、死んでしまえばいい。
そして僕も、死んでしまえばいい……
しかし、彼は人々を殺すなどできなかった。人々を守るという使命のために。
だから、彼は一人で死ぬことにした。
◇◇◇
僕は読み終えて、ぱたん、と冊子を閉じた。
叶多先輩の作品がハッピーエンドだとは思わなかった。
死のうとしたウミをソラが救うのだ。
空と海は決して交わらない。境界線に阻まれて。でも、海は空の青を返して、空は同じ色の海を見つめて、交わらずとも、絡まり合って在り続ける。
だから、ずっと一緒だよ──
ソラの言葉がウミを救った。
「おう、柊。どうだった? ……って、なんでまた泣いている?」
機嫌よく入ってきた叶多先輩に突っ込まれる。僕は、答えず、別なことを言った。
「ハッピーエンド、書くんですね」
すると、先輩は苦笑いした。
「本当は、ウミが死んで終わりにしようと思ってた。……気が変わったのは……まあ、いいか」
「ええっ? そこまで言ったのに、言わないんですか?」
「……お前が呼び捨てにしたら、考えようかな」
くっ……なかなか拘る人だ。
「なら、先輩も下の名前で呼んでください」
意趣返しだ。すると、先輩は顔を真っ赤にし、数十秒迷ってから、溜め息を一つ吐いて語った。
「何か、ハッピーエンドを避けている自分が、子供っぽい気がしたんだ」
下の名前の呼び捨ては諦めたらしい。大して残念でもないが、まあ、話してくれる気になったのは良いことだ。
ただ、それはそれとして、疑問はある。
「……それこそどうしてです?」
「私は、自殺志願者だが、決して自分の不幸自慢したくないのだよ。だから、自分より遥かに不幸な人を見て、思い直したんだ」
……結局、何が言いたいのか、わからなかったけれど。
「何はともあれ、面白かったです。ありがとうございました」
「ふふ、こちらこそ、だ」
微笑みを浮かべた先輩が、ウミを励ましたソラを思わせた。
to be continued...
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