そらうみ

第15話 空色と水色の螺旋 - Ⅰ -

 夏。

 学校は文化祭の準備で賑わっている。

 僕、柊友人の所属する文芸部はというと。

「文集、ですか?」

「そう、文芸部は何があっても文化祭の文集だけは毎年出しているんだ」

 そう説明したのは、部長の神田新太先輩。

 文芸部はこの学校の中で、わけあり部として有名で、部員数が少なく、ろくに活動できていない。

 特に今年はもう一人の問題部員のために、僕と神田先輩とその人だけで活動しなければならない。

「ということは、去年も出したんですか?」

「もちろん。なんなら一昨年も出したよ。まあ、年々部員は少なくなってるから、無理しなくていいよって生徒会長からは言われているけど」

 ただでさえ活動していない部活だ。普通なら廃部にされている。その上文化祭にも参加しないとなったら、神田先輩も立場上、気まずいのだろう。

「まあ、色々な事情を鑑みて、理事長が存続させてくれているけど、甘えてばかりではいけないからね。……それに」

 神田先輩は図書室の窓辺で外を見ている少女を見つめて続けた。

「カナタの数少ない居場所だ。守ってあげたい」

 相模叶多。文芸部のもう一人の部員にして問題児。何を隠そう彼女は──自殺志願者なのだ。

 昼休みには図書室のベランダで堂々と手首を切り刻むのを習慣としている異常な人。僕は苦手なのだが、ある事情でやむを得ずこの部に入ることになった。

 初めて会ったときから、何故かこの先輩にいたく気に入られているようで、ひやひやとした毎日を送っている。

 その相模先輩と神田先輩は幼馴染で、異常な性格のため孤立しがちな相模先輩を神田先輩が影ながら支えている。

 まるで恋人のようだと思うけれど、当の本人たちは口を揃えてただの友達と互いを称する。

 相模先輩はどうか知らないが、神田先輩は間違いなく相模先輩のことを想っているように見えるんだけど……

 余計なお世話かと僕は首を振って頭を切り替えた。

「わかりました。僕、文章はろくに書いたことはありませんが、できる限りのことはやってみます」

「ありがとう、柊くん」

 せっかく入った部活だ。活動には参加した方がいいだろう。


 このとき僕はまだ、それがどういうことか、わかっていなかった。


「あ、百合原さん、おはよう」

「おはよう、柊くん」

 百合原弓江さんは、春先にある事件で知り合ったクラスメイトだ。

「あの人のことは、もう大丈夫?」

「……停学になって、家で謹慎中」

 百合原さんはストーカー気味の幼馴染に逆恨みされて、大怪我したのだ。少し気がかりだったが、そういうことならしばらくは安心だ。

「ところでどうしたの? 柊くんから話しかけてくるなんて珍しいね」

「ああ……ええと……その、愚痴というか、相談というか、聞いてほしいことがあるんだ」

 僕はもやもやしていた。話せる人が思いつかず、とりあえず知り合いの百合原さんに当たってみることにしたのだ。正直、春先の一件があるから話しかけづらかったが。

「何? 聞くだけしかできないかもだけど、話して」

「ありがとう。……実は、文化祭でね」

 僕の悩みは文芸部で出す文集のことだった。


「原稿用紙、二十五枚、ですか……?」

 神田先輩に告げられた、文集の指定分量がそれだった。

「要するに、一万字ほど書いてほしいんだ」

 引き受けた手前、断ることはできない。

 しかし。

「そ、そんな量、書いたことないんですけど……」

 思わず弱音を吐いた。

 普通そうだろう。文章なんて、読書感想文の原稿用紙五枚分くらいしか普通に暮らしていたら、ないはずなのだ。それを一気に五倍の量を書けというのは無茶ではないだろうか。

「ごめんね。何しろ三人しかいないから、一人一人の分量はどうしても多くなっちゃうんだ。でも、色々考えて、柊くんの分はなるべく少なくしたんだけど……」

 うっ……そう言われると言葉が返せない。

 ──先輩たちが頑張ってくれているのだから、僕も音を上げてはいられない。

 肚を括った。


「……というわけなんだ」

「柊くん、大変ね」

 愚痴を最後まで聞いてくれた百合原さんに一言礼を言うと、ふと気になったことがあって訊いた。

「園芸部は何するの?」

「花束を売るの」

 なるほど、園芸部らしい。育てた花を売る。そう言った百合原さんはどこか誇らしげだった。

「アドバイス、というほどのことでもないんだけど」

 百合原さんが続けた。

「文芸部は毎年文集を出しているんでしょう? 過去の文集を見せてもらったら?」

「あ、その手があった」

 どうしてそんな簡単なことに気づかなかったんだろう。やっぱり第三者に相談してみるって大事だな、としみじみする。

 昼休み、早速図書室に行き、三島先生に訊いた。

「過去の文集? それならここに」

 司書室の棚からごっそり文集を取り出した。A5サイズの本は単体だと大した量に感じないが、なかなかの冊数で、カウンターに積まれた様子にはそれなりの迫力があった。

「A4サイズのわら半紙を二十五枚くらい束ねているんだ。ただ、字の大きさは10.5くらいだから、原稿用紙五十枚程度じゃ利かないんだ。むしろ、百枚くらいいくんじゃないかな?」

「ひ、百!?」

 思わず叫ぶ。三島先生が言っていた通り、先輩たちは相当気を遣ってくれたらしい。

 とりあえず、今はどんなものが書いてあるか読もう。


 文芸部は代々、わけあり生徒が入部する部活らしい。

 文集のバックナンバーを読んで、その話がただの噂話ではなかったことを実感した。

 いじめ、親からの暴力、中には生々しい殺人現場の描写などがあった。なかなか根暗な方々だったようだ、僕らの先輩は。

「文集はね、文化祭の日にはここで売るんだよ」

「…………止められませんでした? これまで」

 吐きそうになるくらい、生々しい表現が時折ある。

「うん、今柊くんが読んでいる辺りの世代は止められそうになったね。というか、廃部の話も上がったくらい」

 三島先生は何事でもないように言うが、かなりまずい事態だったろう。

「その世代はちょうど色濃くてね……でもそれがあったから、今は抑えた表現のものに変わってきてる」

 確かに、と最近のものを手に取った。普通の文学作品といっても遜色ない作品に変わっていっている。

「傾向としては、三部作が多いですね」

 連作にしている作品が新旧ともに多い。

「文化祭以外活動していない文芸部が次の年も人を呼ぶために、[来年に続く]という形式が一番手軽だったんだ。連作を終わらせるという目的意識もできていいし」

 れ、連作……わけありの人たちは意外と文章もの書きが得意なのだろうか。

「別に、柊くんが無理に連作にする必要はないよ。今年はカナタさんの連作の完結編があるから」

 言われて、ふと僕は気づく。

 そうか、相模先輩は三年生。今年で卒業だ。神田先輩も。

「……って、相模先輩の、連作?」

「評判いいんだよ。[空色と水色の螺旋]。カナタさんはこれまでに類を見ないわけありさんだけど、彼女の文才は確かだ。読んでみたら?」

 僕は三島先生に勧められ、去年と一昨年の文集を手にした。

 そのとき、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り、はっとする。

「あ、まずい。教室に戻らないと」

 僕は文集を返そうと三島先生を見る。けれども、三島先生がせっかくなら持って帰ってゆっくり読むといいよということなので、その言葉に甘えることにした。


「ただいま、親父」

「おかえり、ユウト」

 柊友人は、家に帰ると人格が変わる。それが俺、ユージンだ。──いや、厳密に言うと、俺も柊友人だから[友人]と名乗っていいのだが、混乱するので友人の渾名[ユージン]と名乗ることにしている。誠に不本意だが。

 親父だけは例外で、俺を[ユウト]と呼ぶ。[友人]の方は[サイ]だ。何故呼び分けるのかは知らないが。

「親父、今日の夕飯、何がいい?」

「ユウトが食べたいものでいいよ」

 家事は専ら俺の仕事だ。お袋は俺が小学校に入る前に他界した。自らの意思で。──所謂、自殺だ。

 友人にはトラウマ的な記憶が多いが、それはさておき、夕飯作りを始める。

 今日は玉菜炒りだ。

 焼き魚もつけよう。親父の分は。何故か、今日の俺は野菜類しか食べられない気がした。

 何があったか知らないが、友人が昼間に体験した何かが食欲を削っているのだろう。

 さくさく作って、早々と食べ、俺は宿題のために部屋に戻った。

 鞄を開けて、見慣れない冊子を見つけた。A5サイズの小さな冊子だ。

「……文集?」

 そういや、メモ帳にもうすぐ文化祭だとか書いてあったか。

 原稿用紙二十五枚分の原稿依頼があるとも書いてあった。

 察するに、参考にするつもりで過去の文集を借りてきたのだろう。

 ぱらぱらと捲ってみた。

 [空色と水色の螺旋]

 そんなタイトルの連作があるらしい。なかなか引き込まれる文章で、宿題を忘れて読み耽った。

 内容は一言で言うと、恋愛小説だ。

 ソラという少女とウミという少年が、世界を旅しながら、自らが持つ不思議な力で人々を救っていくのだが、だんだん互いに惹かれ合っていく。

 まだ二部までしかないので、まだ続きがあるのだろうが、それらしい冊子は見当たらない。

 仕方ない、と宿題を始めたが、どうも手につかない。

「ちっ……」

 俺は自分の意思に逆らわず、再び文集を手に取った。


 昔々、ソラという少女とウミという少年が旅をしていた。

 ソラには天気を操る力が、ウミには大地を操る力があった。

 彼らは気がついたら一緒にいて、一緒に旅をすることに何の違和感も感じなかった。

 なんとなく、使命を理解していた。

 この力は、人を救うためにある、と。

 世界は水をなくし、砂漠化がどんどん進んでいた。水がないために人が死に、水を得るために人が死んでいった。

 そこに水をもたらすために、彼らは旅を続けていた。


 俺はそこまで読み返し、ふと作者名を見た。


 [田中未傘]


 妙なペンネームだ。

 俺はペンネームを数秒眺め、本編に戻った。


 結局、宿題をしないまま、朝を迎えた。


「やばい……宿題やってない……」

 朝、僕はその事実に撃沈した。

「おはよう、柊くん……って、あれ? どうしたの?」

「百合原さん、おはよう……宿題やってない……」

「柊くんが? 珍しい」

 珍しがるよりノートを見せて、と情けない頼みをするより先に、何かでぽんと頭を叩かれた。叩かれたといっても、痛いというほどではない。

 顔を上げると、よく見知った顔があった。

「悠斗……」

「ん。貸すから」

 僕が頭を退けたところにノートを一冊置いていく。

「あ……ありがと」

 小声になってしまったが、そう答えた。

 橘悠斗。僕の数少ない友達だ。ある理由で今は声をかけるのも気まずいが。

 当然のようにノートを貸してくれた。まだ、見限られてはいないらしい。感謝だ。

 僕はノートに悠斗のノートの内容を写しながら、ふと、文集の存在を思い出す。

 結局、読めずじまいだ。

 昼休みに読もう。

 そう決めて宿題を進めた。

 数分後、無事宿題が終わり、悠斗にノートを返そうとしたが、ホームルームの予鈴が鳴った。悠斗を伺うと、口ぱくで持ってていい、と言っていた。もう一冊、ノートをひらひらさせる。さすが、抜かりない。


 ホームルームが終わり、次の授業のため、移動する。まあ、返すのは昼休みでいいだろう。


 さて、昼休み。

 選択授業だったため、悠斗とは別々の教室だった。だが、どうやら悠斗は教室にすぐ戻って来ず、保健室に行ったらしい。悠斗の方は美術の授業だったのだが、授業中に怪我人が出て、悠斗が連れて行ったらしい。保健委員だったな、そういえば。

 僕はノートを手に、保健室へ向かった。

 ──保健室。

「橘くんなら、先生に報告に行くって、職員室に行ったわよ」

 保健室の先生が教えてくれた。

 ──職員室。

「橘なら、さっき来て戻って行ったぞ」

 美術の先生が言った。

 ──教室。

「橘くん、柊くんを探して図書室に行ったよ」

 百合原さんの親切に感謝しつつ、僕は[二度あることは三度ある]の格言を苦々しく噛みしめた。

「あ、そういえば、柊くん」

「ごめん、後で」

 百合原さんが何か言いかけたのを遮って、僕は鞄を開けた。せっかく図書室に行くのだから、あそこで読もうと文集を出そうとしたが……

「……えっ?」

 ない。

 文集が、ない。

 借り物なのに、とぞっとする。失くしてはいけないタイプの失くし物だ、絶対、と確信して噛みしめると、改めて、さあっと血の気が引いた。

「柊くん? どうしたの?」

 見兼ねたのか、親切な百合原さんが僕に声をかけてくれる。やはり第三者の存在は大切だ。動転はしているものの、少し冷静さが戻ってきた。

「鞄に入ってた、文集がないんだ」

「えっ……!? ……じゃあ、まさか、あの人が……」

 百合原さんの言葉に僕が食いつく。

「百合原さん、心当たりあるの?」

「うん、さっき、演劇部の先輩が来て、中学のときの先輩だったから少し話をしたんだけど……教室から出て行くとき、持ってなかったはずのA5サイズの冊子を持ってたから……もしかして、それが文集かな、と」

 冊子の色を聞くと、文集の色と一致した。間違いない、それが文集だ。

「ありがと、百合原さん!」

「気をつけてね」

 特にこれといって気をつけることもない気がするが、百合原さんが見送ってくれるのはありがたい。

 僕は駆け出した。


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