side Arata

さつぐさ

第17話 自殺志願者に慰めの雨を

 相模叶多。

 それは俺にとって一番大切な人。

 いや、恋人って意味じゃないよ。そんな関係には絶対ならない。賭けてもいい。照れ隠しなんかじゃない。

 叶多は俺の大切なだ。ずっと、ずっと。

 俺はそれでいい。


 紹介が遅れたね。俺は神田新太。わけあり生徒が多い高校に通う一般人。叶多という多少奇妙な友達がいるけれど、それを含めても、自他共に認める一般人なんだ。

 ん? 叶多のどこが奇妙かって? そうだなぁ……

 やっぱり、彼女が自殺志願者だってところかな。

 成績優秀、運動は人並み。眉目秀麗な彼女は人を惹き付ける魅力で溢れている。自殺志願者という肩書きがなければ。

 叶多は、小さい頃……小学校に入る少し前から、ずっとそうだ。

 叶多がそうなった理由を俺は知っている。……だから、俺は叶多とは恋人になれない。叶多を慰めることはできても、叶多に慰めてもらうなんて、相互の関係にはなれない。俺が辛くなる。

 「先輩も大変ですね」と苦笑いしながら、たった一人の後輩部員が言う。

 俺が苦笑いで返したその相手は柊友人くん。叶多によく似た、優しくて、悲しい子だ。

 彼は叶多以上に傷を多く抱えている。母親を目の前で亡くしているし、親戚はばたばたと自殺。そのせいで小学校時代はいじめに遭い、一度は自殺も考えた……というのを、本人から聞いた。 叶多がいないときに、こっそり教えてくれたのだ。


 まあ、もう叶多にも教えているかもしれないけどね。

 彼は初めて会ったとき、とても儚くて、脆そうだった。けれど、叶多と出会ってから、彼は強くなったように思う。

 どう変わったんだ、と訊かれるとわからないんだけど……目の光が、強くなった、かな?

 叶多も、変わったよ。あまり趣味のリストカットをしなくなった。それをするくらいなら、彼と話していたい。そんな感じだ。


 そう、柊友人くんは、叶多の運命の人なんだ。


 叶多が変わったのは、自殺未遂をしたあの秋からかな。

 何があっても、その一線だけは越えずにいた叶多が、自殺を謀った。遺書まで遺して。 ──死ななかったけれども。

 俺は叶多が遺そうとした遺書を見て確信した。──ああ、叶多は恋をしたんだ、と。

 遺書の宛名は友人くんだった。「貴方のために、私は死ねます」──とても不器用な、告白。なんでだろう? 俺にはすぐ意味がわかった。叶多らしいや、って、少し微笑ましく思ったな。

 彼は……泣いていた。

 トラウマが蘇ったのもある。けれど彼は何よりも、叶多を想って泣いたんだ。

 その涙は、きっと俺のそれより、ずっと重い。

 何故かそれがわかってしまう。

 決して自分を過小評価しているわけじゃないんだ。俺はそれまで、誰よりも叶多を想っていたから。

 でも……やっぱりそうなんだな。

 ──俺は叶多の友達以上にはなれない。

 だから知ってしまうんだ。叶多を想う彼の涙が、どれほど叶多にしみるのか。




 曇天の空。

 図書室には俺と友人くんの二人だけ。叶多は進路相談で、まだ来ていない。

 秋が終わった寒空。今更進路相談なんて、叶多に必要ないだろう。どちらかというと、必要なのは俺の方だ。

 まあ、あまり心配はしていない。俺はよほど勉強をサボらなきゃ落ちることはないという大学に入るつもりだ。そして、叶多の志望校もそこだ。

 ……俺のせい、なのかな? 叶多はもっと上の学校を目指せる頭だ。それなのにそんなレベルの低い学校を……などと、教師陣は考えているに違いない。

 申し訳ないな、と思う。俺の我が儘だ。

 できる限り叶多の側にいて、支えてあげたいから……って。足枷になっているんじゃないか?

苦笑いする。

「寒いね」

「そうですね」

 独り言のつもりだったそれに、友人くんが律儀に応じてくれる。相変わらず、いい子だな。

「外、降りそうですね」

「そうだね、降りそうだ」

 俺も応じる。答えてふと、思い出した。

「ん、傘持ってない」

「えっ、そうなんですか?」

 友人くんが驚く。

「ユージンくんは、持ってるの?」

「はい。というか、今朝天気予報で降るって言ってましたよ?」

 そういえば、そうだったかもしれない。うん、これは失態だ。

「よかったら、貸しますよ。僕、二本持ってきましたから」

「用意いいね」

「だって、天気予報見ないで、傘忘れて、びしょ濡れで、泣きべそかいて帰るどじが…………いたんですよ」

 言ううちに、友人くんの声のトーンが落ちていく。……きっとそのどじは、中学のときに自殺した桜ちゃんっていう友達なのだろう。

 桜ちゃんは、友人くんに遺書を遺して逝ったらしい。あのときの叶多のように。

 彼女もまた、友人くんを想っていた。だから、彼女は深く彼の心を抉った。

 自殺する子は、なんて愛情表現が下手なんだろう。不謹慎だが、そんな彼女を俺は叶多と重ねて、微笑ましく思った。

「……ユージンくん」

「あ、ごめんなさい。一人で暗くなったりして。はい、これをどうぞ」

 友人くんは鞄から取り出した折り畳み傘を差し出した。

 けれども俺は受け取らなかった。

「カナタも十中八九、忘れてるから。二人で濡れて帰るよ」

 半ば本気であることに、友人くんはぎょっとして、それでもなお、傘を勧めた。

「この時期に風邪なんて引いたら、先輩もカナタも大変でしょう? 一つじゃ足りないなら二つ貸します。多分悠斗も二つ持ってるから」

 悠斗、とは友人くんの親友だ。名前の音が同じユウトなので、友人くんをユージンくん、親友くんの方はハルトくん、という呼びわけがある。

 それは蛇足だが。

「……二つとも借りるのはなんか悪いよ」

「なら、折り畳みじゃない大きい傘を貸します。それなら、相合い傘で帰れるでしょう?」

 なんと!! ……久しぶりに聞いたなあ、相合い傘。死語かと思っていたけれど、まだ使う人がいたんだ。

「あっはははは、相合い傘、相合い傘かぁ。はあ、おっかし……くくっ……」

「……アラタ先輩?」

 思わず声を上げて笑っていた俺に不審そうな声をかける。ごめんごめん、と謝りつつ、俺は傘を受け取った。

「じゃあ、お言葉に甘えて、お借りします」

「……え、大きい方じゃなくていいんですか?」

「うん、いいんだ。カナタに被せれば」

「それじゃ、アラタ先輩が」

 優しいな、友人くんは──

 俺はほろ苦く笑って言った。

「今日は、濡れたい気分なんだ」

 これは、俺の我が儘──




 風邪を引いたら、引いたでいいさ。叶多に看病してもらえる。

 ──なんて思ったことは内緒だ。

 俺って本当に我が儘だ。


 雨がぽつりと地面に落ちた。


「すまんな、アラタ、友人。遅くなった」

 図書室にやってきた叶多は一言俺たちに謝ると、窓の外に目を向けた。

「……降ってきたな」

 ざあぁぁっ

 雨音は激しい。どこか静かな激しさだ。

 叶多みたいだ。

「カナタ、傘は?」

「私だって、天気予報くらい見る」

 鞄から折り畳み傘を出した。

 ありゃ? 外れた。

「……珍しいですね。先輩がカナタのことで読みを外すなんて」

「耄碌したかねぇ……」

「先輩、そんな年じゃないでしょう!」

「ははは、面白いコントだ」

 そんなやりとりをして、俺たちは帰路についた。


「僕は、悠斗を待つので」

「じゃあ、また明日」

「はい。また明日」

 手を振って友人くんと別れる。叶多と二人の帰り道。いつもといえば、いつもだけど。

 借りた傘を妙にくるくると回しながら、俺は叶多と並んで歩いた。

「なあ、アラタ」

「何? カナタ」

「直に、冬だな」

「ん……そうだね」

 叶多の表情がどこか寂しげなものに変わる。

 冬。それは叶多が変わってしまった季節。叶多を変えてしまった季節。

「私は……冬は、嫌いだ」

「そうだね。……俺もだ」

「……でも」

 叶多は傘の中から雨を見上げる。

「この雨は好きだ。きっと、今年最後の雨だろう。あとは雪に変わっていってしまう……だからこそ、いとおしい」

 叶多らしい感性だ。

 俺は──

「俺は、雨になりたいから、雪が嫌いだ」

「え?」

 きょとんとする叶多。……やっぱり、わかりづらかったか。……叶多の遺書とどっこいどっこいだな、これじゃ。

「カナタに愛されたいから、雨になりたいんだ」

 うん……ストレートすぎたかも。気まずく思って叶多を伺うと、相も変わらずきょとんとしていた。

「何を言っている。私はアラタを愛しているよ? 昔も今も、ずっとだ」

 さらっとそんなことを言う。

 違うよ。違うんだ、叶多。俺が欲しい愛と、君がくれる愛は。似ているけれど、違うんだ。そう、雨と雪のように。

 でも、叶多は気づいてくれない。それでいい。傲慢にも程があるさ。叶うわけないってわかっているんだから。

 でも、ほんの少し……願うのだけは、許してほしい。

 俺の我が儘を──


 あはは。

 なんだか可笑しいや。

 俺は、諦めきれていないんだ。

 だから、こんなこと思うんだ。

 雨よ。

 雨よ、どうか……俺の願いを洗い流して……


 そう、俺は、雨になりたい。

 雨になって、自殺志願者となってしまった大切な人の心を慰めたい。

 だから、雨よ、止まないで。

 俺がちゃんと、役目を全うできるまで、代わりに叶多を癒してあげて。

 きっと、叶多は喜ぶから。

 叶多が笑顔なら、それでいい。


 俺の手から知らぬ間に、借りた傘が落ちていた。


 雨よ、洗い流してくれ……




「……アラタ先輩、何してるんですか」

 翌日、呆れたように言って、俺の元を訪れたのは友人くんだった。

「あはは……ごめん」

 俺は風邪を引いた。

 昨日、雨に濡れたせいだ。傘を借りたのに、馬鹿なものだ。

「傘、貸したんですから、ちゃんとさして帰ってくださいよ。……これ、カナタからです」

 真っ赤な林檎。小さな紙袋に入っていた。

「なんだか、白雪姫に出てきそうな赤さだね」

「毒は入っていませんよ。カナタは魔女じゃあるまいし」

 苦笑まじりに言うと、彼はすくっと立ち、台所借りますね、と林檎を持っていった。

 何を考えているんだろう。時々、彼の行動もわからない。

 話し相手がいなくなったので、窓の外を見る。結露して見づらいが、曇り空だ。

「今日は、霙ですって」

 戻ってきた友人くんが教えてくれた。

 それよりも気になったのは、白い皿の上にウサギ型に切られて並べられた林檎だ。友人くんが持ってきたのだが、やけに可愛らしい。

「上手いね」

「こう見えて、家庭科は五です」

「それはすごい」

 俺は早速、ウサギを一ついただいた。

「ん……美味しい」

「皮ごと食べられますよ」

 少し塩水にさらされたらしいそれはほんのり塩気を帯びつつ、それが林檎の蜜の甘さを引き立てていた。林檎独特の酸味もたちすぎていなくていい。

 皮のしゃりっとした食感も程よい厚さのため、食べやすい。

「本当、上手いんだね。ありがとう」

「林檎が美味しいのは、素材がいいからですよ。お礼ならカナタに、です」

「ん、そうだね。あとで言っとく。そういえばカナタは?」

「また、進路指導相談だそうです。長いですね」

「はは、先生はカナタをいい学校に行かせたいんだ」

 声に何故か自嘲がまざる。それに気づいた友人くんが、訊ねた。

「カナタはどこ志望なんですか?」

「俺と同じとこ。試験レベルが相当低いんだ」

 ああ、やっぱり、と友人くんは呟いた。

「……というか、カナタはもう推薦でそこ受かってるんだけど」

「じゃあ、何で進路指導を?」

「学校を有名にしたいんだよ。わけあり、なんて肩書きじゃなく、進学校として」

 なるほど、と友人くんが頷く。

 わけあり校として有名な俺たちの通う高校は、年々、生徒数が減り続けている。いずれは近くの学校と統合となるだろう。もしかしたら、もうその話が出ているから、学校側は焦っているのかもしれない。

「カナタの志望動機は多分……[アラタと一緒にいたいから]ですかね」

「ぴんぽーん。当たりだよ。そんな志望動機だから、尚更目をつけられてるんだろうね」

「……愛されてますね」

 微笑ましそうに俺を見る友人くん。

 でも、俺が欲しい愛じゃない──俺は思わず出そうになった反論を押し留める。

 彼に言っても、困らせてしまうだけだ。優しい彼はそんな俺の本音を聞いたら、叶多から離れていってしまう。それはだめだ。彼は叶多の運命の人で、叶多の支えになれる人なのだから。

「カナタがそれでいいならいいけど……まあ、自分の夢もあるなら、それを優先してほしいな」

「あれ? 意外ですね。新太先輩なら、自分がカナタについていく、ぐらいのことを言うかと……」

「男気ある台詞だね。……残念ながら、俺にそこまでの男気はないし、分は弁えているつもりだよ」

 自然と苦笑いになる。自虐的な笑みだ。最近こんな笑いばかりだ。

「……先輩、何か、勘違いしてませんか?」

 友人くんの声のトーンが落ちている。……もしかして、怒っている?

「カナタは、アラタ先輩がいいんです。アラタ先輩だから、一緒にいたいって思うんです」

「恋人の君じゃなく?」

「こっ……からかわないでください!!」

 面白いように友人くんの顔が赤くなる。林檎といい勝負だ、なんて呑気に考えつつ、続きを聞いた。

「カナタを支える──それがアラタ先輩にしかできないって言ってるんです」

 君ももう充分に支えだろうに。

「カナタが言ってました。アラタは雨になれないよ、と。アラタは風だから、と」

「……どういう意味?」

わたしを優しく運んでくれる風だから、アラタは風でいてほしい」

 ──叶多らしい、言葉だ。

 そうか、俺は側にいていいんだ……

「風、か……」

 くすり、と言おうとした台詞に笑い、言った。

「なら、こんな風邪治して、風にならないとね」

「……冬ですね」

 ぼそっと言った友人くんにそうだね、とだけ返しておく。俺だって寒いのは気づいているよ。

 さて、眠ろうかな。──明日、叶多に会うために。




 ◇◇◇




「おはよう、カナタ」

「おはよう、アラタ。風邪は大丈夫なのか?」

「うん、おかげさまで」

「すまんな。見舞いにも行けず……」

「いいよ。それより、進路指導の方はどう?」

「うむ……センター試験も受けろ、と五月蝿いのだ。推薦で決まったのだから、いいだろうに」

「はは、全くだね。……でも、どこに行ったとしても、俺はカナタの側にいるよ」

「…………」

「どうしたの?」

「……ふふ、いつものアラタに戻った」

「え? 俺、変だった?」

「一昨日は変だった。雨になりたいだなんて」

「……うん、確かに、おかしかったかも。……ありがとね」

「ん?」

「林檎、美味しかった。……それに、風であってほしいってメッセージ、嬉しかった」

「……ん、ちゃんと届いたなら、よかった。でも、風だからといって、あまり遠くに飛んでいくなよ?」

「もちろん。カナタの側に、あり続けるよ」

「ありがとう」

「……カナタ」

「なんだ? アラタ」

「大好きだよ」

「ああ、私もだよ。アラタ」

「大好きだよ、ずっと」


 ずっと君を守る、君の元で吹く風でいるよ。

 ずっとずっと、友達だよ──




 風が雨雲をさらっていく。

 空はもう、晴れやかだ。




to be continued...



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