第4話 気合い十分

 込み上げてくる涙を堪え抜き、落ち着きを取り戻したまでは良かったがこれからどうしようか。


 赤澤を迎えに女子トイレ前で待機。それとも何も無かったと割り切り教室へ向かう。


 うん、後者だな。


 女子トイレ前に直立不動の漢が待ち構えていれば、ただの犯罪者である。


 しかし、危なかった。


 あと少しで公衆の面前、しかも赤澤の前で全力漢泣きを晒してしまうところだった。


 次からは気を付けよう。船が沈む映画見て涙腺を鍛えないとな。


 それより赤澤に会ったらなんて声掛ければいいんだろうか。さっきの話を蒸し返すってのはなしだよな。


 考えが纏まらないまま気付けば教室のに着いてしまい入室を躊躇うチキンな俺。とは言えいつまで考えても答えらしい答えは出そうにないコミ症の俺。


 自分に腹が立ってきたな。


「とりあえず謝るか。」


 誤って怒られることはないだろうと、ドアを開き中に入るとほとんどの生徒が集まっており、あちらこちらから笑い声が聞こえてくる。


 既に何個かのグループに分かれているのは、おそらく同じ小学校の出身者同士で集まっているのだろう。


 その中の1つのグループに赤澤の姿もあった。


 見た限り機嫌が良くなっているようだし、楽しい会話を遮ってまで謝る必要もないだろ。


 今度1人の時の時に折り菓子を持って謝ろう。……そう思ったのに!なんで走ってくるのかな君は!


「遅いよ!何してたの?」


 何もなかったように振る舞ってくれるのは、凄く有り難いんだけど…君の背後にいる人、すっごい睨んでるからやめてくんない?


「そうだ。黄瀬君も同じクラスなんだって!」


 あれだな?仕返し的なやつなんだな。なら正々堂々受けてやるよ!俺がこの程度でへこたれる人間じゃないことを見せてやるよ。


「良かったね仁!」


 何かが良かったね仁だ!バカにするのもいい加減に…うぅぅん?仁!?


「どうしたの仁?」


 初めての聞いたわ!新手の嫌がらせか?さっきのそんなに怒ってんの!?


「あかざ・・・」


「なに?じ・ん!」


 何これ、笑顔でめっちゃ足踏まれてるんだけど……もう嫌だ、赤澤さん怖い。


「私が『仁』って呼んでるの?わかる?まさかわからないわけないよね?」


 選択を間違えば目の前にいる笑顔の似合う可愛らしい女の子に足を踏み潰される絵が完成する。そして…多分許してもらえない。


「澪ちゃん?」


 この子の何処にそんな力が!!と思う程足を踏む力が強なった。ジョークすら通じないのか澪ちゃんの鬼。


「ちょっとトイレが渋滞してたんだ。遅くなって悪かったな澪。」


 言葉にすると恥ずかしいが悲鳴をあげていた足は無事に開放され、もの凄い笑顔で頷いてくれた。


「じゃあっちに行って皆で話そ!」


 この子は段階というものを考えないのだろうか?


 今凄いハードルを飛び越えた達成感に浸っていたのに、さらに高いハードルをクールタイムなしに与えてくる。


 しかし、断ったら変な空気になりそうだし、いつかは超えないといけない訳だから文句も言いづらい。


 澪に背中を押される形でグループに加わったのだが…緊張で何を言えばいいのかわからないが、まずは笑顔で挨拶といこうじゃないか。


「お、おは・・・」


「意外だねぇ〜!黒崎君と澪が下の名前で呼び合う仲だったなんて!」


 唇カサカサ男(俺)、の言葉を遮り話しかけてくれたのは澪の犬。別名「葵結衣」


 肩まで伸びる艷やかな黒髪。ギャルのような澪とは真逆のタイプだが、清楚系で男子にも人気があるのも頷ける。


「あ!ごめん、ごめん。自己紹介しないとね!初めましてって言うのも変だけど、葵 結衣です。」


 ふっ、知ってるさ。コミ症まっしぐらな俺でも見知った顔に遅れは取らん。


「よ、よろしくお願い申し上げました。」


 自信という言葉は嫌いだ。自分を信じる?誰が作った言葉だ気持ち悪い。


「なにそれ!澪なんか黒崎君凄く緊張してない?」


「だから言ったじゃん。コイツはただ口下手なだけで悪い奴じゃないって。」


 口下手じゃない、寡黙なんだよ。これだから最近の若い子は口から産まれたのかんじゃないか?


「そうだっけ?ねぇ、澪を助けた事があるって本当の話なの?」


「昔の話でし。」


 噛んでしまった。


 こんなことじゃ駄目だ、せっかく澪が用意してくれた場なのにしっかりしないでどうする。


「あんたも何時までも緊張しないの。私と2人の時は普通に喋ってるじゃん。」


「あぁ、ごめん。もう大丈夫だ。」


 澪ちゃん優しい。鬼とか言ってごめんなさい。もう母ちゃんまである。


「2人の時!?やらしぃ〜!!」


 大声出すな、今ビクってなっちゃただろ。


 2人と言う単語に反応したのは葵だけじゃない。黄瀬も敏感に反応したのがすぐにわかった。……さすがはストーカーである。


 俺が来てからずっと黙っていたくせに澪の事になるとこれだ。隠す気あるのかね君は。


「そうだよ。毎日家に行ってあげてる。」


「嘘つくなよ。」


 このまま澪にマウントを取られ続ければ、眠れる獅子を呼び起こしてしまう可能性がある。ちゃんと真実だけを伝えて紳士な対応を取らなくては!


「澪がジャンプ読みたいって言うから、毎週月曜日に家に遊びに来てるだけだよ。うち父ちゃんしかいなくて仕事で家にいない事が多いから2人きりになることもあるけどそれだけだ。」


感動した。こんなスラスラ喋れるんだな。お帰り自信、もう離さない。


「押し倒したじゃん。」


「関節技のことか?」


「好きって言ったじゃん。」


「ジャンプのことな。」


「澪と黒崎君、息ぴったりだね!なんか羨ましいなぁ〜。」


 違うんだ葵。クソッ!澪のやつなんていい顔してやがる。めっちゃ楽しんでるな。


「赤澤、ジャンプなら俺も毎週買ってるから明日から持ってくるよ。」


「そこまでしてもらわなくていいよ。仁の家に行けば読めるから。」


 眠れる獅子が満を持して目覚めたのに瞬殺された。


 女子って残酷、緑の血でも流れてるんじゃないか。


「そ、そうか。なら俺も今日から澪って呼んでもいいか?」


「いいけど、私は呼ばないよ?」


 やめて、その子はもう限界よ!


 直視できない程に黄瀬の笑顔が引きつりまくってる。


 澪も黄瀬の気持ちには気付いていたはずだし、もうちょっと優しく接してやればいいのに。


「ハッハッハ!元気出せよ匠!」


「あぁ。ありがとう剛」


 豪快な笑い声で黄瀬の背中をバシバシ叩きまくっているのは緑山 剛。


 こいつの事も知っている。小学校の頃に柔道の大会で優勝したとかで、全校生徒の前で表彰されてたやつだ。


 俺を細マッチョとするなら、緑山はゴリマッチョ。生まれ持ってきたものが違う、生粋の格闘家気質と言っても過言じゃない。


「黒崎も赤澤も、あんまり匠をいじめないでやってくれよ!ハッハッハ!」


「いや、そう言うつもりじゃなかったんだ…悪い。気を付けるよ。」


 反射的に謝ったけど、今の黄瀬には逆効果だったかもしれない。


「話が分かるやつだな!気に入ったぞ!ハッハッハ!よし!友達になろう!ハッハッハ!」


 この人笑いながらでないと話せないの?キャラ立ってるね。そんなことより『友達になろう』か、久しぶりに聞けた1番聞きたくて聞けなかった言葉をこうもあっさりと伝えてくれるとは。


「ふつつか者ですが、どうぞ宜しくお願いします。」


「さっきから仁のキャラがブレ過ぎてて怖いわ。でも、緑山君って不良とか嫌いだよね?」


 キャラブレまっしぐらな澪に言われたくない。そして俺は不良ではないと熱弁した数十分前を思い出して欲しい。


「確かにそうだ。ただ、俺は黒崎を不良だと思ったことは1度もないぞ。」


「黒崎君不良なの?私はよく知らないからわかんないけど。」


 被せて喋るんじゃない。今、緑山が良いこと言ってくれてるのになぜ邪魔したのだろうか。


「確かに良い噂は聞かないが、それだけで判断するのは間違っている。それに、噂を流している奴らは俺が嫌いな連中ばかりだ。信用できる情報じゃないと俺は思ってるよ。」


「あるよねー。噂の一人歩きって本当に迷惑。澪も私も被害者になったことあるからよくわかるよ。」


 緑山のように他人の評価を気にしない人間もいれば、葵のように興味を持たない人間もいるんだなと素直に驚いた。


『嫌われている』からボッチになったんだと考えていたが、間違いだったのかもしれない。


「アレが俺の気に入らない部類だな。」


 緑山の視線は、カラフルヘアカラーと装飾品をジャラジャラと身に纏う少人数のグループへと向けられている。


 中には見知った男も混じっているが、それ以外は見たことがない顔だ。


「石田君か…私も苦手なんだよね。他の人は知らないけど緑山君は知ってるの?」


 澪の問い答えるか躊躇した様子を見せた緑山。


 因縁でもあるのだろうか。


「全員は知らないが、石田の隣に座ってる平井とは何度か柔道の試合で会ったことがある。」


 あの激太っちょだな。寝技掛けられたら抜け出せる気がしないけど、柔道か…相撲の方が強いんじゃないだろうか。


「確かに強そうだ。寝技を掛けられたら抜け出せる気がしないな。」


 珍しく気が合うじゃないか黄瀬。でも赤澤からのダメージが抜けてないな。顔は決まってるが……足震えてるぞ。


「強いか…確かに強かったが、アレは柔道じゃない。ただの喧嘩だったよ。ルール違反なんて言葉じゃ生ぬるいくらいにな。」


 試合を見た感想ないか、体験談なのかはわからない。ただ、緑山の目には確実に怒りの感情が宿っている。


 柔道への愛か個人的な怒りかは聞かない方がいいのだろう。


「他人の意見で判断するなと豪語した俺が言うのもなんだが、あいつらとは関わらない方がいい。すまん、重い話をしてしまったな。」


 緑山のようなタイプが自分の言葉に矛盾が生まれることを覚悟してまで伝えてくれた忠告を素直に受け取ろう。


「そうだ、緑山君も結衣も仁とライン交換してあげてよ!」


 重くなりつつあった空気を一新しようと澪が爆弾を投下した。


 断られたら葬式になるだろう。


「ハッハッハ!いいぞ、俺のIDを教えよう。」


「OK、皆のグループ作っちゃうね。」


 差し出された携帯の画面に映っているのは黒と白の模様…はて、どうしたら良いんだろうか。


「……お母さん。」


「はいはい、どうせ使い方がわからないんでしょ。やったげるから携帯貸しなさい。後、次にお母さんって呼んだら殴るからね。」


 まったく、頼れるお母さ……美人は違う。折り菓子にプラスしないとな。


 連絡先を交換してもらっている間、ちょっとした休憩タイム。


 学校に着いてからは緊張の連続だったから隙間時間に心を休ませないと破綻する。


 ゆっくりと呼吸を繰り返していくうちに、騒がしかった周りの声もだんだんと静かになっり静弱が…まじで静かになってない?


 ふと澪達3人を見ると、口を開き間抜けな表情をして教室の入り口を注視している。


 視線を追うように振り返ると、なんてことはない。真っ白な銀色の髪を腰のあたりまで伸ばした人間が立っているだけだ。


 前髪が長すぎて顔が判別できないが、この辺りで銀髪なんて見たことないしアレは昨日会ったどこぞの凛さんで間違いない。


 中々個性的な見た目でインパクトは十分。入学式だけに気合い入ってるな、良き良き。


「あの、連絡先交換できた?」


 澪に話しかけると目を見開き開いたままの口が小刻みに動いている。痙攣かな?


「あんた、アレ見てなんとも思わないわけ?」


「特には。気合い入れて来たなぁとは思うけど…。」


 葵が驚愕してるんだけど、連絡先の交換やっぱり嫌だったのかも…へこむなぁ。


「い、いや、黒崎が正しい。人を見た目で判断するな、そう黒崎は言いたいんだろ。」


 勝手に緑山の評価が上がったようだ。良き良き。


 彼女の登場により静まり返っていたクラスメイト達は、徐々に賑やかさを取り戻していくが、先程までの喜びや期待に溢れた賑やかさとは種類が違う。


 全ての話題が彼女に置き換えられ、聞こえてくる声の中にはちらほらと悪意が混ざっている。


 しかし、彼女は動じなかった。きっと届いているであろう声を無視して自分の席まで一直線に歩く彼女の姿を見て芯が強い子なんだと感心する。


 澪がいなければ彼女と俺の立場は似た様なものだったはず。


 俺は今の彼女と同じ振る舞いができるだろうか。無理だろうな。多分逃げ出しているだろう。


 柄にもなく想いを巡らせといた俺はボッチ能力(人間観察)が発動せず気付くことが出来なかった。


 彼女に集まる多くの視線に一際悪意に満ちた視線が複数あることに。

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