鉄槌を。
翌日、エリオットから貰った昨日とは違うドレスと装飾品を身につけて、玄関を出るとそこには馬を連れた1人の二十代後半の兵士がいた。
彼の名はマルス。回帰前、剣の才能に溢れる彼は、立場こそ違うが友人とも呼べる間柄だったが、彼もまたマーニーと同じく殺されてしまった。
少しの会話をしてから、私とマーニーは馬車に乗り、マルスは彼が連れてきた馬にまたがった。
「楽しみですね、シャンタル様!」
マーニーは久しぶりの外出に、子供のようにはしゃいでいる。彼女は幼い頃にメイド見習いとして私の父に雇われて今日まで毎日休みなく働いている。彼女には休暇というものがなく、当然外出することなんてできなかった。
メイドが外出する事ができるのは、主人のお供として同行する際か主人に頼まれたものを街へお使いをしに行くくらいのものだ。
私はあまり外出するタイプではなかったので、彼女はほぼ屋敷の中で過ごしていた。
「そうね、流行のドレスが私に似合うといいのだけれど」
「シャンタル様なら何を着ても似合いますよ!」
彼女はお世辞ではなく、本心から言っているようだった。彼女にはいつも救われている。回帰前では、最後まで私と共にいてくれたし、今では精神的に不安定な私に、安定剤のような作用してくれている。彼女が笑顔だと、私も嬉しくなってくるのだ。
「マーニー、あなたには後で何か買ってあげるわ。いつもお世話になっているから何かお返しがしたいの」
「えっ、そんな! お気持ちだけで結構ですよ」
使用人にとって主人から何かを頂戴するというのはとても名誉な事なことだが、マーニーは首を横に何度も降った。
馬車の中でそんなに頭を揺らして。酔っても知らないからね。
「これは私のあなたへの気持ちよ。ぜひ受け取ってほしいわ」
マーニーは、悩む素振りをしたがすぐさま了承した。おそらく、彼女は本気で受取拒否をしているのではなく、一度断った上でないと周りのメイドに金にガメツイなどと批判されると判断したからだろう。
つまり、私からのご褒美を他のメイドたちに自慢する際に、『一度は断ったんだけど、シャンタル様がどうしてもっていうから。ほら、一端のメイドが主人の提案を何度も断るのはいけないことでしょう?』と自分に批判が向けられないようにしたのだ。
どこかの屋敷の話なのだが、主人から物を下賜された使用人が同僚からひどい嫌がらせを受け、自殺してしまったという話を聞いたことがある。
その噂が広まって以降、このようなトラブルを避けるために、使用人は主人から何かもらう際は一度断ってから受け取るというのが慣例となっているのだ。
「では、楽しみにしていますね!」
彼女は幸せそうに欣喜した。
それから店に着くまでの間、彼女はいつもよりも満ち足りた表情で何度も何度も身に余る光栄だと話し続けた。
ーーこの調子だとしばらくの間、マーニーは同僚にこのことを自慢し続けるんだろうね。
私はしばらく彼女の自慢話を聞かされるハメになる他のメイドたちに少々申し訳なさを感じながら、馬車の窓から外の景色を眺めていた。
♢
「これはこれはシャンタル様、何かお探しですか?」
マーニーやマルスを外で待機させて私だけが洋服店に入ると、そこには息を切らした女店長がいた。
おそらく窓から公爵家の紋様が描かれた馬車が見え、慌ててやってきたのだろう。
彼女と従業員以外には、数名の貴族の女性とその使用人が付いていた。これなら、この店の噂はすぐに広まるはずだ。
この店とは私が幼い頃からの付き合いだったが、私の悪評が流れてエリオットに婚約を破棄された後からはあからさまに距離を置かれてしまった。あらぬ噂が経っている私からとばっちりを受けたくなかったようだと理解はできるのだが、その距離の置き方が無礼だった。
マーニーに気分転換してはどうかと助言され、私は久々にドレスを買おうと思い立った。
すぐに屋敷に来るよう手紙を送ったのだが、それに返事が返ってくることはなかった。
不審に思った私は、信頼のおける使用人にどうなっているのか調べさせた。単に、配達を任せた人間の不手際により手紙が届いていないのか、店が手紙を受け取っているにも関わらず無視をしているのかはっきりさせようと思ったのだ。
しかし、そこで発覚したのは女店長が私の態度などについて悪評を流したり、私からの手紙を無視していることを自慢していたという事実だった。ただでさえ私の悪い噂が広まっているのに、彼女の発言により、噂に滑車をかけてさらに酷いものが飛び交うようになっていった。
正直なところ、彼女とは二度と会いたくなかった。しかし、幼少期からの付き合いだった店といきなり距離を置くのは不自然な上、この店を使わないようになると女店長が何度も連絡を寄越してくることは想像に難くない。
なので、ドレスを調達する前にここと縁を切ろうと考えたわけだ。
「ええ、流行の衣装とそれに合う装飾品を何点か購入しようと思って」
「まあまあ! それでしたら、私めが屋敷へ伺いましたのに」
「街には用事もあったしついでに来ただけなの。マダム、まずは私に似合いそうな流行のドレスを持ってきてくれる?」
あなた方を私の屋敷に入れたくないから直接来たの、と言いたくなったが、今の彼女にそんなことを言ったって意味はない。正直、彼女と会話するだけでも腹が立ってくる。
「ええ、勿論ですわ! シャンタル様ほどのお方ならばなんでも着こなせますわ〜」
彼女は上機嫌で私に気色の悪い猫撫で声で媚を売りながら、従業人に彼女が指定したドレスを持ってくるように命令した。
ーー人って、ふとした瞬間に本性を表すのよね。彼女、従業人に命令するときだけ態度が悪化しているから、普段から従業員には厳しく当たっているのかもしれないわ。
「お嬢様、こちらなんていかがでしょう」
店長は地味な色とデザインのドレスを薦めてきた。私は、趣向が変わったことを言い忘れていたことを思い出した。
「あの、店長。いつものような服ではなくて、今私が着ているようなものをお願いしたいの。色は明るく、流行の最先端のもの。そして、デザインが洗練されたものをお願いできる?」
「あら、よろしいのですか?」
「ええ。昨日父と談笑した際に、このエリオット様に貰ったドレスの方が似合っていると褒めていただきましたの」
「あら……」
彼女はにやついた。周りの女性客たちも聞き耳を立て始めたようで、先ほどと動作が明らかに盗み聞きするものへと変わっていた。
口が非常に軽い彼女の頭の中では誰にこのことを言おうか考えているに違いない。
公爵家の私がエリオットのドレスを着て店までやってきたことと父と談笑したこと。そのどちらも話題性抜群だ。彼女がこんな話題性のある話を言いふらさないなんて有り得ない。
ーーさて、周りの人も私たちの会話を聞き始めたし、そろそろ切り出そうかしら。
「店長。面白い噂を耳にしたんだけど」
「どの様なお話で?」
彼女は食い気味にこの話題に乗ってきた。彼女の目は輝いており、話の続きを待ち侘びている様だ。まさか、私についてのものだとは夢にも思っていないようだ。
周りの客も私たちの会話に聞き耳を立てている。
この店はもう終わりね、と私は口角が上がりそうになるのを何とか抑えながら言った。
「この前、シャンタルという貴族令嬢が彼女の父から貰ったルビーのネックレスを無くしてしまった、という噂なんだけど」
彼女は息をすることも忘れてしまったかのように動きが固まった。
昨日父から私が7歳であることを教えてもらった時、思い出したのはその時彼女にしか話していない事が出所不明の噂として広まっていた事だった。
昨日、父にこの噂を知っているのかと聞くと、彼は肯定して先日私を呼び出したばかりだったことを話してくれた。これを絶好の機会だと判断した私はドレスを買うついでにここに寄ったというわけだ。
当時、父から貰った物を無くしまったことを使用人たちに知られれば、それが父の耳に入るのは時間の問題だった。幼い頃の私は、父にこの事が知られたくなくて、父と繋がりの薄い大人の力を借りたいと思っていた時、丁度屋敷に来ていたここの女店長に、2人っきりの場を設けて相談したのだ。
そして、しばらくして父に呼び出された。ネックレスを無くしたのとを追求されたのだ。彼女にしか教えていない事が広まっている。これは私にとってとても辛い事だった。
真っ先に店長を疑ったが、当時の私には使用人以外で信用できる大人は彼女しかいなかったので、その事を追求するのを我慢した。確証のない事を追求して私と彼女の関係が壊れてしまうことを恐れてしまい、噂の出どころを特定するといったことはしなかった。
「ねえ。この話、私は貴方にしか相談していなかったんだけど」
ビクッと彼女の体は大きく震えた。そして、顔色を真っ青に染めガタガタと震え出した。
「あら、その反応やはりあなただったの? 私の噂を流したのは。でも変ねぇ、貴族が通う店ーーもちろんこの洋服店にも守秘義務があるんじゃなかったかしら」
私は白々しい態度をとりながら、さらに彼女を追い詰める。
彼女は明らかに動揺を隠せない様子で、違います、違うんですとぼそぼそ弁明を述べている。
その彼女の様子を見て慌て始めたのは客とその使用人だ。当たり前だ。彼女たちも自分達または家の噂を流されているのではないかと思ったのだろう。
今回、発覚したのは幼い私の可愛らしい失態だったからまだよかったのだ。当時の私からしてみれば信じていた大人に裏切られるという大ダメージを受けた出来事なのだが、世間一般からしてみてその情報が流出することによるダメージは少ない。
しかし、もしもこれが彼女の秘め事や家の機密情報を漏洩されてしまっていたらどうだろうか。
家の機密情報を漏洩されれば、家の存続にも関わる大問題へと発展する可能性はある上、情報漏洩の原因が自分がこの店の店長を屋敷に呼んだからだと知られれば、人を見る目のない令嬢だと判断され評判はガクッと下がってしまう。そうすれば、彼女は家族にも見放される可能性だって出てくるし、さらには結婚する時も極めて不利になってくる。誰も外部の人間に家の機密情報をペラペラ喋るような人を娶りたいと思わない。そうなれば、彼女たちは未婚の令嬢ということになる。そうなると社交界では嘲笑やいじめの標的になってしまう。
彼女たちはそれを恐れて、使用人たちに彼女自身や家の噂が広まっていないか早急に確認を取るように命令している。
私はそれを横目に見ながら、顔を手で覆い肩を震わせた。
「店長、とても残念だわ! 私と貴方は長い付き合いで、信頼関係も築けているものだと疑っていなかったのに……。私、そのことで父に呼び出されたのよ。お父様は寛大だったから許してもらえたけど、もし父に見限られてしまっていたら!」
私は啜り泣く演技をして、周りに被害を訴える。大の大人が齢7歳の女の子を泣かせている。ここにいる貴族やその使用人たちの彼女への印象はさらに悪いものとなっているはずだ。彼女が私にしたことは数日で噂として駆け巡るだろう。この店も客も来なくなり、閉業せざるを得なくなるだろう。そして、彼女は路頭に迷うことになる。
私はほくそ笑んだ。
しかし、私はこれだけでは終わらせなかった。ここの従業員たちを招集し、もしこの店が潰れたり人員削減によって解雇されたら私の元を訪ねてくるように私のサイン入りの手紙を渡したのだ。
彼女は自業自得な話だから良いのだが、従業員は全く関係ないのに解雇され路頭に迷うのはあまりにも可哀想だった。それに、彼らの技術はここで終わらせるのには勿体無いほど素晴らしいものなので、私を訪ねてきた人たちは私が直接雇うことにしたのだ。
ここの従業員たちを雇うことによって、私の敵対勢力が私が店を間接的に潰すことへの批判要素はほぼなくなった。
「皆さん、ごきげんよう」
私は今あったことをこれから噂を流してくれるであろう貴族令嬢たちに感謝を込めてお別れの言葉を述べ、二度と訪れることのない店を振り返る事なく後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます