人形異変
その船員風の男は「黒トカゲ」の部下のうち、沖の汽船の中に寝泊まりをしている一人であったが、彼は地下道の奥にある首領「黒トカゲ」の私室の前に近づくと、やっぱり暗号めいた
「おはいり」
女賊の権威を
「まあ、どうしたのさ、朝っぱらから。まだ六時じゃないの?」
「黒トカゲ」は白いベッドの上に、白絹のパジャマ一枚で、不行儀な腹ばいになったまま、はいってきた男を横眼で見ながら、巻煙草に火をつける。ムクムクと豊かな肉が、すべっこい白絹の表にまる出しだ。おかしらがそういう
「ちょっと、へんなことがあったんです。だもんだから、急いでお知らせにきたんですが」
男はなるべくベッドの方を見ないようにしながら、モジモジして言った。
「へんなことって、何?」
「船の火夫をやらせてある松公ですね。あいつが、ゆうべのうちにいなくなっちゃったんです。船じゅう探してみましたけれど、どこにもいねえ。まさかズラカルはずはねえんだから、もしや、
「フーン、じゃ松公を上陸させたのかい」
「いや、決してそうじゃねえんで。ゆうべ一度船へ帰った潤ちゃんが、もう一度こちらへもどってきたでしょう。その時のボートの
「そいつは困ったねえ。松公はいやに薄のろで、これという役に立たないもんだから、火夫なんかやらせておいたんだが、あいつのこった、捕まりでもしたら、どうせヘマをいうにきまっているわねえ」
「黒トカゲ」も、思わずベッドの上に起きなおって、
突然ドアがひらいて、三人の部下が顔を出すと、一人が早口にしゃべり立てた。
「マダム、ちょっときてごらんなさい。へんなことがあるんだから。人形がね、着物を着てるんですぜ。それから、からだじゅうが宝石でもって、ギラギラ光りかがやいているんですぜ。一体だれがあんなふざけたまねをしやがったんだと、仲間しらべをしてみたんですが。だあれも知らねえっていうんです。まさかマダムじゃねえんでしょうね」
「ほんとうかい」
「ほんとうですとも、潤ちゃんなんか、びっくりしちゃって、まだボンヤリとあすこに立っているくらいです」
何かしら想像もできないへんなことが起こっているのだ。松公の行方不明とこれとのあいだに、どんな関係があるのか知らぬが、時も時、二つの異変が同じように起こるとは。地底王国の女王も、もう落ちついてはいられなかった。彼女は一同をそとに出しておいて、手早くいつもの黒ずくめの洋装になって、
行ってみると、いかにも狐にでもつままれたような、へんてこな事が起こっていた。仁王立ちの黒人青年が、ルンペンみたいなカーキ服を着て、その胸に例の大宝石「エジプトの星」を、まるで功一級の勲章のように得意然と光らせているかと思うと、
黒衣婦人は、そこに立っていた雨宮青年と顔を見合わせたまま、急には言葉も出ないほどびっくりしてしまった。
これはまあなんという人を
「だれがこんなばかばかしいまねしたんでしょう」
「それがまるでわからないのですよ。今ここには、男は僕のほかに五人きゃいないんですが、みんな信用のおけるやつばかりですからね。一人一人聞いてみたんだけれど、だれも全くおぼえがないというんです」
「入り口の寝ずの番は大丈夫だったの?」
「ええ、へんなことは少しもなかったそうです。それに、仲間以外のものがはいろうとしたって、あすこの
そんなことをボツボツささやき合ったあと、二人は、まただまって顔を見合わせていたが、やがて、黒衣婦人はふと気づいたように、「あっ、そうかもしれない」とつぶやきながら、顔色を変えてあの人間檻の前へ走って行った。だが、その檻の小さな出入口を調べてみても、別に錠前をこわした跡もない。
「君たち、ここをどうかしたんじゃないのかい。ほんとうのことをいってくれたまえね。あんないたずらしたの、君たちなんだろう」
黒衣婦人が、かん高い声で呼びかけた。そこには檻の中のアダムとイブとが、仲よく向かい合って、何かしきりとささやき交わしていたのだが、突然女賊の襲来にあって、たちまちそれぞれの身構えをした。早苗さんは隅っこの方で、またくくり猿の形になるし、青年はやにわに立ち上がって、
「なぜ、返事をしないの。お前だろう人形に着物を着せたのは」
「ばかなことをいえ、おれは檻の中にとじこめられているんじゃないか、貴様は気でも違ったのか」
青年が満身に怒気をふくんでどなり返した。
「ホホホホホ、まだいばっているのね。君でなけりゃそれでいいのよ。僕の方にも考えがあるんだから。時に、そのお嫁さんお気に召したかい」
黒衣婦人はなぜか別のことを言い出した。青年がだまっているので、再びいう。
「お気に召したかって聞いているのよ」
青年は隅っこの早苗さんと、チラッと眼を見かわしたが、
「ウン、気に入った。気に入ったから、この人だけは、おれが保護するんだ。貴様なんかに指一本だって差させはしないぞ」
と叫んだ。
「ホホホホホ、多分そんなことだろうと思った。それじゃせいぜい保護してやるがいい」
黒衣婦人はあざ笑いながら、ちょうどそこへやってきた職工服の雨宮青年を振り返った。
「潤ちゃん、あの娘さんを引きずり出してね、タンクへぶちこんでおしまい」
烈しく命じて、
「少し早過ぎやしませんか。まだ
雨宮青年は顔一ぱいのモジャモジャの付けひげの中から、眼をみはって聞き返した。
「いいのよ。あたしの気まぐれは今はじまったことじゃない。すぐやっつけておしまい……いいかい、あたしは部屋で食事をしているからね。そのあいだにちゃんと用意をしておくのよ。それから、あの宝石なんかを、陳列箱へ元通り返しておくように言いつけといてください。頼んでよ」
黒衣婦人はそう言い捨てたまま、振り向きもしないで、自分の部屋へ引き上げて行った。
彼女は激怒していたのだ。えたいの知れぬ人形の異変が、彼女を極度に不快にした上に、いままた、檻の中の男女がさもむつまじく話し合っている有様を見せつけられて、かんしゃくが破裂したのだ。
女賊は決して、早苗さんをほんとうにお嫁入りさせるつもりはなかった。ただ、彼女を怖がらせ恥ずかしめ、おびえ悲しむ様子を見て楽しもうとしたのだ。それが全く当てがはずれて、男は身を
難儀な仕事をおおせつかった潤一青年は、迷惑らしく、しばらくためらっていたが、やがて仕方なく檻の出入口に近づいて行った。
「貴様、この娘さんをどうしようというのだ」
檻の中の青年は、恐ろしい形相でどなりながら、はいってきたらつかみ殺すぞといわぬばかりの身構えで、入り口の前に立ちはだかった。だが、さすがは
ひげモジャの職工服と、全裸の美青年とが、互いの腕をつかみ合いながら、恐ろしい権幕でにらみ合った。
「どっこい、そうはいかぬぞ。おれが生きてるあいだは、娘さんに指も差させない。連れ出せるものなら連れ出してみろ。だが、その前に、貴様しめ殺されない用心をするがいい」
青年の死にもの狂いの両腕が、雨宮潤一の首へ、気味わるくからんできた。
すると、不思議なことに、雨宮はいっこう抵抗する様子もなく、腕をからまれたまま、首をグッと前へ突き出して、青年の耳元へ口を持って行ったかと思うと、何かしらヒソヒソとささやきはじめた。
青年は、最初のあいだは、首を振って聞こうともしなかったが、やがて、彼の顔になんともいえぬ驚きの色が浮かんできた。それと同時に、彼はうって変ったようにおとなしくなり、相手の首に巻きつけていた両腕を、ダラリとたれてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます