武蔵野

国木田独歩/カクヨム近代文学館

武蔵むさしおもかげは今わずかにいる郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「さしはらがわは古戦場なり太平記げんこう三年五月十一日げんぺい小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明くれば源氏久米川の陣へ押し寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。ともかく、や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳しくこの問に答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことは実に一年前のことであって、今はますますこの望みが大きくなってきた。

 さてこの望みがはたして自分の力で達せらるるであろうか。自分はできないとはいわぬ。容易でないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。たぶん同感の人も少なからぬことと思う。

 それで今、すこし端緒をここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて自分の望みの一少部分を果たしたい。まず自分がかの問に下すべき答は武蔵野の美今も昔に劣らずとの一語である。昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、そのほうが適切と思われる。

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