第二章:嵐の前の儀式

 島は赤道近くの大海に浮かんでいる。島の近くには小島が幾つかあるものの、見渡す限りの水平線で区切られている。そして、夏季に入ると、近海は太陽の灼熱に曝されて大嵐が呼び覚まされる。


 この地域は毎年の様に大嵐によって生命が撹拌される。知っての通り、夏至を過ぎると幾つもの嵐が生まれ、烈しい大嵐が到来する季節となる。だからこそ、島民達は古くから大嵐を畏れていた。そして、その恐怖を神に託すのは実に自然な事なのだ。


 島は幾つかの村里に分かれており、意外にもそれぞれの文化を保っている。だからこそ、普段はそれぞれで儀式を行う村里が夏至の儀式に限っては共同して行う、特別な儀式だと言える。


 夏至の儀式は、島の歴史の中で最も古い儀式だと年老いた島民は言う場合もあり、島にニンゲンが渡った時と同じくして行われた儀式だとも言われたり、島の神が最も重要視している儀式であると語られる事もある。


 ある年、島の北に位置する村里に夏至の儀式を取り仕切る順番が回ってきた。北の村里では、儀式を取りまとめる旗頭に島で生まれ島で育った年寄りの島民を選んだ。旗頭となった年寄りは喜んで役目を引き受けた。


 だが、実のところ、年寄りの旗頭は夏至の儀式を一度も見たことが無かった。なぜなら、夏至の儀式は全島の村里の共同で行われるが、全ての島民を集める場所は島に無いので、各村里から少数の代表者を集めて内密に行うものだからだ。


 それでも年寄りの旗頭は自分自身の年の功が、ただ齢を重ねただけのものでは無いと誇りたかったのだ。そして、旗頭は平然とした顔のまま北の村里の島民達に指示を繰り返し、夏至の儀式の準備を取り仕切っていった。


 儀式は、夏至の日の六月下旬に執り行われた。数日前に来島していた壮年の女性で一人旅をしていた観光客が生贄に選ばれた。生贄は海岸で生きたまま丸焼きにされた。焼き終えた灰は海へと流され、今年の夏至の儀式は終わった。


 役目を終えた年寄りの旗頭は、参加した他の島民から特に誰にも何も言われなかった。その年の大嵐は島に直撃しなかった。


 またある年、島の西に位置する村里に夏至の儀式の順番が回ってきた。西の村里では、旗頭がすぐに決まった。実際に夏至の儀式に何回か直接参加した事のある中年の島民が、満場一致で旗頭に選ばれたのだ。


 だが、中年の旗頭は儀式後の毎回の宴会で酒をしこたま呑むものだから、翌朝には儀式の記憶を綺麗さっぱり失っていた。その事を言うに言い出せず、朧気な記憶を頼りに指示をするのだった。


 儀式は、夏至を過ぎた七月の特に暑い日に執り行われた。干潮時の干潟に生贄を埋めて、満潮になるまで浜辺で飲み会を行った。生贄が溺れ死ぬと近くの山に深く埋めて、二次会を開催した。生贄は港の荷役をしていた短期アルバイトであり、良く働く男だったのに、と雇い主の島民から後に軽い苦言を呈された。


 それでも中年の旗頭が執り成した儀式には、参加した他の島民から特に誰にも何も言われなかった。その年の大嵐は島に直撃しなかった。


 そして、またある年、島の東に位置する村里の順番となった。旗頭には、東の村里で一番の信仰に篤い真面目な島民が選ばれた。真面目な旗頭は夏至の儀式に参加した事は無かったが、本物の儀式を目指すべく、島内の古文書を探し出す所から始めた。


 だが、現存する資料のどれもが全て異なる儀式を行っていたのだった。それでも精査していくと、儀式の中で由来が明確に示されている箇所を発見した。


 夏至の儀式は、大嵐に島の神を通して融通を利かせて頂き願うこと、大嵐はオンナの神なので強く若いオトコを神に捧げること、大嵐が到来する夏至までには儀式を済ませておくこと、と言った三点がはっきりとした。


 儀式は、六月の夏至の前日、島外から招いた素人ボディビル大会を開催した後に執り行われた。大会の優勝者と二位と三位の者を祝賀会と偽って拐い、全員を斬首した。三つの首は海に沈め、胴体は粉砕機でミンチにして家畜の餌とした。


 真面目な旗頭の儀式は滞りなく終わり、参加した他の島民から特に誰にも何も言われなかった。その年の大嵐は島に直撃しなかった。


 最後に、ある年のこと、島の南に位置する村里が夏至の儀式を取り仕切る順番となった。村里の島民達は誰を旗頭にするか集会場で話し合うが遅々として決まらず、何度か集まる内に宴会と混同されてゆき、すっかり儀式の事を忘れ去ってしまっていた。


 八月の末日、島外に寄宿していた学生が南の村里に帰郷した際に、今年の夏至の儀式は上手く行ったのかを親に聞いた。その日、集会場は夜が更けても灯りが煌々としていた。


 儀式は、九月のお日柄の良い日に朝早くから村里の集会場前を一人で散策していた観光客を首吊りにして、完了した。他の村里には回覧板で今年の夏至の儀式が滞り無く円満に終わっていた事を知らせた。


 その年の既に去った大嵐は島に直撃していなかった。


 こうして、島民の勤勉な態度によって島は平和を維持している。と言うのが島民達の視点からの話だ。神としても、この様に由緒正しく続けられる儀式と言うものを高く評価している所であり、毎年の苦労を労うべく一段と恩恵を与えている、これは事実だ。だが、本当は夏至の儀式は別にやらなくても、島に大嵐は来ないのだ。


 ニンゲンにとっては遠い昔の話になるが、神と嵐の神は喧嘩をしたのだ。神は理由をすっかり忘れてしまったが、それ以来、島には嵐が立ち寄らなくなってしまった。ニンゲンから見れば良く思えるかもしれないが、嵐とは生命を撹拌させる事によって繁栄をもたらすモノなのである。故に、土地に住む神は嵐の神を丁重に扱う。


 まあ、神は島民からの余り在る信仰のエネルギーを恩恵として与えているので、島の豊かさは万事抜かり無いので安心して欲しい。


 しかし、しかしだ、島民達が同胞たるニンゲンを生贄に捧げ続ける事は、果たして良い行いだと言えるのだろうか。

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