第55話 失踪事件の裏にあるもの

「ゴールデンウィークとかいう制度を考えた奴をあたしは許さないね!」


 今年は最大で九連休だと言われているゴールデンウィーク前最後の金曜日、街はどこか浮かれ気味だ。世間ではテロ事件ともウワサされている土井の暴走が月曜日にあったとは思えないほどだ。


 詩英里しえりは世間を睨みつけるようにして道を行く。エザロはその速足に追いつくのに必死だ。


「詩英里さんって、そんな休みたい人でしたっけ……?」

「うるせえな! 刑事みたいに探り入れてくんじゃねえよ!」

「いや、ボク、刑事……」


 もちろん、詩英里は休みたくて文句を垂れているわけではない。


 世間が休んでいることをぼやく刑事に憧れているから不平不満を口にしているだけなのだ。


 ちなみに、つい先日、路上で電子タバコを吹かしているところを地元警察に見つかり、こってり絞られてしまったのをきっかけに外で煙を纏うのをやめてしまったらしい。


「ボソボソしてんじゃねえ! あれを見ろ!」


 クラーク博士のように詩英里が指さす先に、巨大なビルがそびえている。


「エミリオ土地建物のビルですね」


 外壁には四角いユニットがあちこちから出っ張っている。デザイン性の高い高層ビルだ。


「牧野程度では人生二周しても入社できない大企業だぞ。敷居を跨げるだけありがたいと思えよ」

「人生二回あるなら別の人間になりたいですけどね……」



***



 言わずもがな、二人は遊びにやって来たわけではない。


 広いエントランスの受付で要件を伝え、総務部のある八階へ案内される。応接室に通され、目の前に置かれたどこのメーカーが作ったのか分からない小さな瓶入りのミネラルウォーターを見つめながら、詩英里たちは会社の人間がやって来るのを待った。


 その間、詩英里は黙りこくっていた。緊張していたらしい。


「お待たせいたしました」


 フランクな雰囲気の女性たちがやって来る。ひと通りの挨拶が済んで、早めに退散したいのか、詩英里はやや走り気味に言葉を紡いだ。


「先日は、細見ほそみの方では大変でしたね」

「ええ、本当に。びっくりしました」


 社員たちが一斉にうなずいた。それでもどこか余裕を感じさせているのが一流のビジネスマンたる所以なのかもしれない。


「あの件で若干有耶無耶になった感はありますが、その少し前にあのビルの中で事件の痕跡が発見されていますね」

「はい、存じ上げております」

「事前に電話でお話しました通り、犯人は御社に対して何らかのメッセージを発信していた可能性もありまして、まずは御社の社員の中に何か動きがあったかどうかをお聞きしたいんですが」


 すでにアポ取りの段階で要件は伝えてあったのだが、詩英里は殊勝にも同じやりとりを再現してみせた。社員側がモニターとノートパソコンを繋げる作業を始めた。


 残った女性が話し始める。


「ご要望の通り、弊社での社員の状況を確認しましたところ、一名、無断欠勤を続ける者がおりまして、こちらから連絡を取っているのですが、未だに音信不通となっておりました」


 パソコンと接続されたモニターに、社員の情報が表示される。


襷木たすきぎばく……弊社の広報部門の主任社員です。勤続四年目でイメージ戦略チームとして勤務しておりましたが、。今月十二日から無断欠勤を続けております」

「十二日から? もう二週間以上経っていますね」

「再三連絡を取っているのですが、返事がなく、人事部では解雇に向けて動いております。ですが、もしお話の通りでしたら……」


 女性社員はそこで言葉を濁す。


 詩英里は事前にはっきりと伝えていた。連絡の取れない社員がいる場合、事件に巻き込まれた可能性がある、と。


 四月十二日といえば、事件が発覚する前日のことだ。


「緊急連絡先などには連絡は?」

「社内規定では、今回のケースは緊急性のある事態ではないので……」

「つまり、本人からの応答がなければ、そのまま解雇ということになりますか?」

「そうなります」


 エザロが取り繕うように笑み浮かべた。


「でもまあ、きっと無事ですよ」

牧野まきの、今はそういうのは要らない」


 詩英里がバッサリと切り捨てると、エザロはシュンとして黙ってしまった。詩英里は真剣な表情で女性社員へ尋ねる。


「襷木さんの勤務態度はどのようなものでしたか? そういう……いわゆるトンでしまうような人ですか?」

「それが……、広報部門の人間に聞き取りをしたところ、勤務態度は誠実で、チームでも若手の中でリーダーシップを発揮するような役割を担っているということでした。部署の人間も無断欠勤など考えられないと言っていました」


 詩英里はモニターに映し出された襷木の顔写真に目をやった。入社した時点での写真のようだ。


「無断欠勤する前の襷木さんの髪色はアッシュブラウンでしたか?」

「ええと、ちょっとそれは分かりかねます……」

「現場に残されていた凶器に付着していた毛髪の色がアッシュブラウンだったので」


 サラッと言ってのける詩英里のせいで、空気が重くなってしまった。エザロが慌てて口を開く。


「襷木さんが最後に担当していた仕事はなんでしょうか?」


 細かい質問に答えられる人間はここにおらず、詩英里たちは四階上にある広報部門のフロアに案内されることになった。





 広報部門の人間はカジュアルな出で立ちで働いていた。


 二人の刑事が忙しないオフィスの中を縫って歩いても、誰もその存在を気に留める者はいない。


 二人がイメージ戦略チームのそばにやって来ると、チームを取りまとめる係長が立ち上がって手をこまねいた。


「お忙しいところすみません」


 そばの椅子を勧めようとする係長を詩英里が手で制する。


「立ち話で結構。襷木さんのことをお聞きしたくて」


 その名前を聞いて、まわりの社員たちが振り向いた。


「うわ、本物の刑事さん初めて見た」

「例の件ですか?」


「みんな、刑事さんを困らせるなよ」


 係長が苦笑いで注意して詩英里たちに顔を向ける。


「何でも聞いて下さい。我々も莫くんのことを心配しているんです」

「襷木さんの髪色はアッシュブラウンですか?」

「ええ、そうですよ」係長がうなずいて、自分のデスクからフォトフレームを摘まみ上げた。「チームのみんなで撮った写真です。アッシュブラウンでしょ?」


 チームのメンバーと肩を組んで笑顔で写っている襷木の髪色を見て、詩英里はうなずいた。


「襷木さんは誰かの恨みを買っていましたか?」

「……どういう意味です?」

「言葉の通りです」


 冷淡に応じる詩英里に反して、エザロが口を挟む。


「形式的な質問なので……」


 係長は怪訝な表情で答える。


「恨まれるような人間じゃないですけどね。良い奴ですよ。一生懸命ですし、しっかりしています」

「襷木さんが担当していた仕事はどうなりましたか?」


 詩英里が問いかけると、係長が近くの女性を呼んだ。


笹中ささなかさん、引継ぎだったよね?」

「そうっすよ」緩めのパーカーを着た女性が気だるげに声を返す。「清香せいかさんですよね?」


 清香は化粧品やトイレタリー、洗剤などの日用品の大手メーカーだ。


 詩英里が尋ねる。


「どんな仕事ですか?」

「清香さんのCMにエミリオ土地建物うちが協力することになったんで、広告効果なんかの兼ね合いで調整役として入ってたんすよ」

「その仕事はいつ頃から始まったんですか?」

「企画自体は今年の初め頃から。先月から調整役として先方とやりとりをするようになりましたね」

「その仕事で襷木さんに何か問題はありましたか?」

「いや~……、あたしももともと現場に入ってましたけど、ブン回してましたけどね、襷木さん。あ、でも、代理人エージェント新光しんこうさんもいたんですけど、そこの社員さんとめっちゃ喋ってた印象はありますね」



***



 エザロと別れて、エミリオ土地建物から入手した襷木の自宅住所のマンションにやって来た詩英里は、大家と共に彼の部屋に立ち入っていた。


 整然とした2Kの部屋で、荒らされたような形跡は見当たらない。


 居室のうちの一つは勉強部屋のようになっていて、本棚と勉強机が置かれている。本棚には広告関連の本が並ぶ。そのラインナップに詩英里はピンときた。


──広告設計士の資格を取ろうとしていたのか。


 広告設計士は広告のデザインに密接に関わる国家資格で、通常の広告だけでなく、広告効果を組み込んだり、広告術アドフォースの開発を主導したりと、その役割は多岐にわたる。それだけに取得率はかなり低く、難関資格といわれている。


 机の上のノートや引き出しの中を物色していくが、襷木の失踪に関わるような手掛かりはありそうになかった。


「ん?」


 勉強机のブックエンドに並ぶ参考書の中に一冊だけノートが挟まっていた。


 詩英里はそれを抜き取ってページをめくる。中には、あちこちの機関誌や雑誌、新聞などから搔き集めたであろう清香の記事が几帳面にスクラップされていた。


 ──どれも清香の広告に関する記事ばかりだな……。ファンか?


 詩英里のポケットの中でスマホが鳴る、別で動いていたエザロからの連絡だ。


「新光の方はどうだったんだ?」


 新光──広告主スポンサーの広告を制作する代理人エージェントの中で、日本最大の規模を誇る企業だ。


『やばいかもしれないです……。合流しませんか?』


 何かを押し殺したエザロの声に、詩英里は本庁で落ち合うことを決めた。



***



「で、何があったんだよ? 勿体ぶりやがって、大したことなかったらぶん殴るからな!」


 エザロの提案で小さな会議室を取った詩英里は、電子タバコの煙をフーッと吹きかけた。


「清香の広告の現場にいた新光の社員さんが、襷木さんの失踪について心当たりがあるかもしれないと言っていたんです」

「なんだ、その煮え切らねえ表現は?」

「確信が持てないまま今まで過ごしていたそうで……。それが、清香の広告契約者に関することなんです。その方が言うには、清香は一般人の広告契約比率を水増ししてる、と」


 詩英里が無表情で椅子の背もたれに身体を預ける。


「……マジで言ってんのか? 選定基準偽装だぞ」

「そうです。その方は清香が契約者情報を改竄していることを偶然知ったそうで、それを襷木さんに喋ってしまったそうなんです」




 広告契約者選定基準法──。


 広告は広告主スポンサーが自社の商品やサービスの認知度を高めるために行うものだ。したがって、広告に著名人を起用すれば、多くの人の目に触れる機会が増える。


 しかし、すべての市民が広告と契約をする権利を有しているこの社会では、すべての市民に平等な広告契約の機会が与えられるべきだとされている。


 その理念に照らし合わせて制定されたのが、広告契約者選定基準法だ。省略して選定基準法と呼ばれている。


 選定基準法では、著名人による個々の広告契約数を、全体の二十五パーセント未満にすることが義務付けられている。


 つまり、著名人だけを起用することによって、不当に広告の拡散力を高めてはいけないということだ。


 広告監視機構AMAの市民評価システム・浄玻璃じょうはりには、日常的に大衆伝達マスコミュニケーションを行う市民がリストアップされている。そのリストに登録されている者が広告主スポンサーと広告契約をすると著名人枠を消費するということだ。


 著名人による広告契約を全体の二十五パーセント未満にしなければならなということは、一件の著名人契約に対して三件以上の一般人契約が必要だということだ。




「そいつの話、信じられるのかよ?」

「著名人の広告契約者を一般人として登録するようにって指示してるのをたまたま聞いちゃったらしいんですよ」

「清香っていえば、ターゲットは主に主婦とかの女で、よく男のアイドルなんかを広告に起用してるな……。まあ、そういう広告主やつらがやりそうなことだな。で、それを知った襷木さんが……」


 詩英里は襷木の部屋から拝借してきた例のスクラップノートをテーブルの上に叩きつけた。


 エザロは震えた。


「告発しようとしていたんですよ、襷木さんは! それを誰かに見つかって……」

「なんで犯行現場をエミリオ土地建物のビルにしたんだよ?」

「犯人からの警告なんじゃないでしょうか……襷木さんの掴んだ情報を口外するな、という」


 真っ直ぐなエザロの瞳とは反対に、詩英里は物思いに耽りながら電子タバコを吹かしていた。


「詩英里さん、でかい事件ですよ。やってやりましょうよ……!」


 珍しく気炎を吐くエザロだったが、その身体は震えていた。その理由を詩英里は知っている。


「牧野さ、土井どいの件を忘れたわけじゃねえよな? お前の発案で、一回失敗してんだよ、あたしたちは。清香なんてバカでかい会社を敵に回すことになるかもしれないんだぞ。間違ってたじゃ済まされねえ」

「そ……、それでも、や、やらないと……! 必死の思いで正義を貫こうとした人の意思を無駄にすることなんでできません!」


 詩英里はじっとエザロの目を見つめた。


 そして、降参したようにフッと笑みをこぼした。エザロの発した言葉に心当たりがあったのだ。


 スマホを取り出しながら、彼女は言う。


「係長を呼ぶ。さすがにあたしたちだけじゃ無理だ。説得して味方につけねえと、あたしらがトカゲの尻尾にされちまうぞ」

「説得頑張ります……」

「いや、あたしがやる。お前はサポートしろ」

「すんません……」

「勘違いするなよ。てめえのショボショボプレゼンで課長に愛想尽かされたくないだけだからな」


 エザロが頭を掻いて俯くと、詩英里は課長が電話に出るのを待ちながら笑いかけた。


「あとな、藤堂とうどうさんの言葉を使うのは卑怯だぞ」

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