第54話 大事件のその後

 数人の首脳陣が頭を下げると、カメラのフラッシュが明滅する。


 マルダイフーズによる記者会見の一幕だった。


「まずは、先日発生しました事件の犠牲者となられました方々とそのご遺族へ、深く哀悼の意を捧げます」


 阿戸あど市最大の繁華街・細見ほそみで発生した広告事件は、死者六名、重軽傷者四十二名と、大きな爪痕を残した。


 マルダイフーズの社長・長内おさないはじめは沈痛な面持ちで口を開いた。そのたびに、カメラのシャッター音が弾ける。


「今回の事件における弊社監査官インスペクター土井どい和広かずひろの行動につきましては、断じて許されることではありません。また、彼による一連の良識に反する行為につきまして、弊社の管理体制の中で関知することができなかったということは、会社としても、私個人としても、痛恨の極みであります。今後、広告の運用体制を再考し、監査官インスペクターとの関係性をより強固ものとすることによって、再発防止に努めてまいります」


 マルダイフーズの監査官インスペクター・土井は細見での事件を起こした後、駆けつけたアドキーパーらの前で自殺したと捜査当局は公表していた。


 広告殺しアドキラーの存在は市民をパニックに陥れる恐れがあるとして一般には秘匿され、その影響で、土井の事件は〝編集〟されて伝えられることとなった。


 ゴールデンウィーク前に飛び込んできたこのニュースは衝撃となって人々に受け止められた。マスコミはマルダイフーズの対応を取り上げ、報道を過熱させていた。毎日のようにマルダイフーズの名前がニュースで躍り、〝監察官インスペクターによる私刑問題〟についても関心が再燃することになった。


「マルダイフーズの監査官インスペクターによる広告契約者への行き過ぎた監視活動がたびたびウワサになっていますが、土井さんにはそのような疑いはなかったんでしょうか?」


 記者からの質問が飛ぶ。まるで義憤を携えてきたかのようだ。


「広告契約の監査業務につきましては、監査部門に一任しておりますが、不適切な活動があったという事実に関しましては、現在のところは確認できておりません」



***



「土井が全部独断でやってたっていうのかよ? あいつを切り捨てやがったな。トカゲの尻尾切りじゃねえか。これで土井のやったことも有耶無耶だな。これが大企業の隠蔽体質ってやつか?」


 松井まついの皮肉が部屋に充満していく。


 ウォッチドッグスのオフィスに集まった面々は、テレビに映し出されるマルダイフーズの記者会見の映像に見入っていた。


 アリサが肩をすくめている。おさげ髪が残念そうに揺れた。


「仕方ありませんよ。証拠がないんですから」

「とは言ってもなぁ……」


 相槌を打ちながら、松井はアリサの顔を窺っていた。


 彼は思い出していたのだ。界人かいとがウォッチドッグスの統括官として配置されることに対して、最後まで反対していたのがアリサだったということを。


 ──界人のミスをわざと見逃すことで立場を危うくさせたのか……?


 胸のつっかえが取れないままの松井のそばでは、千代せんだいが溜め息をついている。


「こうなると、そもそも本当に土井が私刑を行っていたのかっていうことも分からなくなっちゃうわね……」


 すぐに顔を向けて、大久保おおくぼが言葉を投げる。


「土井は我々の存在に気がついて攻撃を仕掛けてきた。何もやましいことはないとでも?」

「そうは言ってないわよ……」


 千代も大久保も、界人の決断を肯定しようとしていた。二人の視線が界人が座る定位置に向けられる。


 そこには誰もいない。その事実を脇に置くように大久保は口を開いた。


「なにはともあれ、我々としてはこれ以上マルダイフーズの監査官インスペクターについて探りを入れることはできなくなった。また平時の活動に戻ることになる」

「アレはどうなるんだ? 有馬ありまあかねを探るって件は」


 松井が話を振ると、その件を託されていたアリサが応えた。


「その件は、再考の余地ありということで保留にすべきじゃないでしょうか。発端となった界人さんが統括官を退いたわけですから」


 アリサがサラリというのを、松井は複雑な思いで聞いていた。当のアリサは話題を切り替えるように大久保へ顔を向けた。


「それより、今後、ウォッチドッグスは市長ボスの〝暁の槍ドーン・ジャベリン〟での活動をサポートすることになりますから、忙しくなりますね」


 事件後、警察・広告治安局アドガード折衝役コーディネーター協会・阿戸市の四者は連携して、非公表の広告殺しアドキラー対策本部・〝暁の槍ドーン・ジャベリン〟を設置し、阿戸市内にパトロール体制を敷いた。


 市長である征人せいとは、〝暁の槍ドーン・ジャベリン〟に観察者オブザーバーとして参加し、ウォッチドッグスも補佐役としての役割が与えられていた。



***



暁の槍ドーン・ジャベリン〟の本部は、阿戸市の中央に立つガラスの塔・阿戸氏市庁舎の中に設置されていた。


 細見で発生した広告殺しアドキラーによる暴走事件の直後に発足されて以降、この本部では警察・広告治安局アドガード折衝役コーディネーター協会の代表者が議論を重ねていた。


「まずは、市民の安全を確保するために、一丸となって広告殺しアドキラーを見つけ出さねばなりますまい!」


 警察の代表者・上杉うえすぎ早雲そううんが正義感に溢れる声を上げると、広告治安局アドガードの代表者・すえ隆景たかかげが跳ね返す。


「そんなことをすれば、異変に気づいた市民が混乱してしまうでしょうが! 広告殺しアドキラーは広告を標的にしてるんだから、まずは広告を守るための方策を立てるのが大事ってもんでしょ!」


 二人の意見がぶつかり合うのを、折衝役コーディネーター協会の代表者である今川いまがわ花玖良かくらがニヤニヤして眺めている。


「視野が狭いんだよ、あんたら~。広告殺しアドキラーが広告を殺すってんなら、その仕組みを解明するのが最優先だと思うけどね、花玖良ちゃんは」


 陶は年端も行かない花玖良の余裕綽々ぶりが気に食わないようだ。


折衝役協会おまえたちはいつもそうやって傍観者を決め込んでるよな! なんだ、自分たちが偉いとでも思ってるんじゃねえか? 広告を優先して考えろよ!」

「んん~? 広告を守るには広告殺しアドキラーの力を解析するべきなんじゃないの~?」

「おい、この野郎、舐めた口利くな!」


 陶が頭に血を昇らせる一方で、上杉は花玖良を一瞥して鼻で笑う。


「その解析とやらをするにしても、その仕事をする人間を守らなくては意味がないだろう。だいいち、折衝役協会あなたがた広告殺しアドキラーの情報を掴んでいたそうじゃないか。それなのに、今回の事態を招いたのは怠慢だったんじゃないかね? まったく、これだから経験の少ない人間は自分の立場が分かっていない……」

「ええ~? 経験ってなんですか~? エロい話? それってセクハラじゃないですか~?」

「バ、バカ者! なんだその言いがかりは!」


 議論と呼べるのか分からない賑やかな三人をじっと見つめていた観察者オブザーバーの征人が手を叩いて場を鎮める。三人の視線を集めて、征人はニコリと笑った。


「どうやら私がいてよかったようですね。ここで言い争いをしていては、暁の槍ドーン・ジャベリンを結成した意味がなくなります。市民も広告も広告殺しアドキラーの解析も、同時に達成できないわけではないでしょう。壊れた物は直せば元に戻ります。しかし、人の命はそうではない。我々は亡くなった六名の尊い命のためにも、お互いに手を取り合わねばならないのではないですか?」


 征人が熱く説き伏せる。彼の脳裏には事件直後の光景が浮かんでいた。



***



 夜空の下にズタズタになった建物の影が浮かぶ。


 広告殺しアドキラーを逃がしてしまった悔しさに奥歯を噛み締めていたアドキーパーは、界人としとねが待つ半壊したビルへ舞い戻った。


 右腕を失ってコンクリートの床に座り込む界人のそばに膝を突き、アドキーパーは広告術アドフォースを唱えたが、失われた腕が元に戻ることはなかった。


「もういいよ、父さん」

「何度も言っているだろう。私はアドキーパーだ」

「どんだけキャラ設定守ってんの。契約かなんかでギャラ発生してんのかと思うわ」


 そばで見ていたしとねが呆れ果てている。


「僕のことより、怪我人を優先してくれよ。大勢いるんだ。それに、まわりのビルも……」


 界人の言葉に立ち上がったアドキーパーはうなずいた。


「よし、では、まずはビルを元通りにするか。危険な状況を改善し、その後に怪我人を大至急治療しよう」

「えっ、そんなことできんの、おじさん?!」

「万事私に任せておきなさい、摂津せっつしとねくん。そして、私のことはできる限りアドキーパーと呼んでくれると嬉しいぞ」


 アドキーパーは二人をビルの前に転移させて、空高く舞い上がった。


 眼下には、途中で折れ曲がるビルと上階が切り刻まれた建物、そして、無数の瓦礫が転がる道路が見えている。


 アドキーパーは両手を広げた。


「不動産、土地開発、都市開発、そして、シミュレーションゲームの広告よ、我に力を……! 複合広告術コンバインド・アドフォース都市修復アーバン・リビルド!」


 アドキーパーが唱えるなり、破壊されたビルの根元から最上階に向かって光の帯が包み込むと、あっという間に破壊された部分が元に戻っていった。現場となった建設途中のビルも事件が起きる前の姿に変貌を遂げた。


 現場を収拾する人々からの感嘆の声が漏れる中、今度は集められた怪我人も同様にして一斉に治癒させると、アドキーパーに盛大な拍手が送られた。


 軽い怪我を治す程度の広告術アドフォースなら、使える者は少なくない。しかし、大怪我を、それも数十人規模のものを、というのは、卓越した技術がなければ実現できるものではないのだ。


 しかし、アドキーパーの表情は晴れない。


「喜んでいる暇はないぞ。亡くなった方々を早急に回収するんだ。そのままにしておくことはできない」


 その言葉で救急隊員や消防隊員たちが顔を引き締める。再び作業へ戻っていく彼らを見守りながら、アドキーパーは二人の高校生に言うのだった。


「広告は万能ではないのだよ」



***



四月第四週 火曜日 朝


 阿戸あど西高校一年B組の教室は、昨夜の細見で起こった事件で持ち切り……というわけでもなかった。


「なんかやばいことあったらしいね」


 今日は前髪をバッチリ決めてきた美言みこと彼方かなたたちのもとへやって来るなり興味なさそうにそう呟いた。


「なんかやばいじゃなくて、めっちゃやばい、だぞ」絢斗あやとが興奮気味でまくし立てる。「なんといっても、アドキーパーが出てきたんだからな。相当でかい事件だぞアレは」


「そういえば、あんたってあのヒーロー好きだったっけ。男の子だね~」

「俺を女子だと思ってたのか」

「そういう意味じゃねーよ」


 二人がじゃれ合うのをボーッと眺めながら、彼方は空席のままの界人の席を一瞥した。クラスの女子たちが言葉を交わしている。


「徳川くん、今日休みかな?」

「最近忙しそうだったもんね」

「昨日のニュースのやつじゃない? ほら、細見のビルが折れてたやつ」

「あれめっちゃやばくない?」

「え、徳川くん関係してんのかな?」

「知らんけどあり得そう」


 彼方はニュースを通してマルダイフーズの監査官インスペクターが何らかの動機で暴走したということくらしか知らなかった。


 だが、界人も広告治安維持に携わる者であることは確かで、事後処理に追われている可能性もないわけではなさそうだった。


 ──あのやばい力も広告がもたらしてるんだ。放っておいていいはずがない。


 彼方はそう考えながらも、あかねに送った同じような意味合いのメッセージに素っ気ない返信があったことを思い出し、悶々としていた。


 休み明けから茜の様子がおかしい。


 美言や絢斗たちと一緒に行動することも多くなったが、どこか上の空のようだ。彼女の心に踏み込んで、その理由を訊けるほど彼方はまだ図々しいわけではない。その勇気がないと言ってもいい。



***



昨夜


 茜はゾッとしていた。


 細見での事件の進行中から、SNSには事件の様子を撮影した動画がいくつも上がっていた。


 遠くで迸る光を撮影したもの、逃げ惑う人々を捉えたもの、広告治安局アドガードの車両の一団が猛スピードで細見の方角へ向かって行く動画、現場となったビルの麓で状況の分からない上層階を映したもの、ビルの中で轟音と悲鳴が飛び交う非常階段を必死で駆け下りる自撮り動画など……。


 それらを何気なく観漁っていた茜は、ある一つの動画に行き着いていた。


 折れ曲がったビルの上空で、黒い何かが無数の触手のようなものを一斉に伸ばし、直後に周囲がドームで覆われてしまう……その一部始終を捉えた動画だ。


 その黒い何かに茜は目を奪われた。


 それは、真理愛乃まりあの加藤かとうを消してしまったあの〝黒い影〟に違いなかった。


 手が震える。


 ──あいつの仕業なんだ……!


 その時、彼方からメッセージが届いた。


〈ニュース見た?〉


 茜はすぐに返信した。


〈細見のビルのやつ?〉

〈うん。広告事件らしい。やっぱり広告は危険なんだよ。やっぱりこのままにしておいていいはずがないんだ。俺たちで潰さないと……〉


 茜は逡巡した。細見の事件も〝黒い影〟が関わっていることを彼方に伝えるべきだろうか、と。


 だが、すぐに思い直した。この調子の彼方にそんなことを話せば、事件に関わろうとするかもしれない。


 目の前で消された加藤。その直前の、唖然とした表情が茜の記憶にこびりついている。その光景が何度も夢に出てきては、茜は冷や汗を流して飛び起きていた。


 あんな目に彼方を遭わせるわけにはいかない。


〈そうだね〉


 それだけを送り返して、茜はベッドに横になって枕に顔を押しつけた。


 彼方たちのそばに居ていいのだろうか……そんな思いを茜は抱き続けていた。



***



「なんかとんでもないことになっちゃいましたね……」


 大衆居酒屋の席で、エザロは周囲の歓声に掻き消されそうな声でそうこぼした。向かい合う詩英里しえりがジョッキのノンアルコールビールを飲み干してクダを巻く。


「なにブツブツ言ってんだ、うるせーなあ!!」

「いや、どっちなんですか。ブツブツ言ってたらうるさくないでしょ」

「いちいち細かいこと指摘してんじゃねえよ、牧野のくせに!」


 このテンションは酒のせいではない。なぜなら、彼女の身体の中にアルコールは一滴も入っていないからだ。


「ボクたちも駆り出されるかもしれませんよ、例のパトロールに」


暁の槍ドーン・ジャベリン〟の活動のことだ。詩英里は忌々しそうに鼻の頭に皺を寄せる。


「そんなつまらん仕事に関わってられるかっ!」

「でも、まさか、事件のはじまりの場所で事件が終わりを迎えるなんて……、ドラマみたいじゃないですか?」


 詩英里は唐揚げを一つ口の中に放り込んで、顔をしかめた。


「なに言ってんだ、てめえ……?」

「え、だってそうじゃないですか。そんな偶然、滅多にないですよ」

「そうじゃねえよ。なに勝手にあたしらの事件を終わらせてんだってことだよ! いつ事件が解決したって言ったんだ、ああん?!」


 エザロは耳を疑った。


「……違うんですか?」

「バカか、てめえ。もしあれが奴の仕業だったら、現場に血痕やらなんやらが残ってるわけねえだろうが。聞けば、奴は人を消し去っちまうんだろ?」

「い、言われてみれば、確かに……」

「てめえは何でもかんでも短絡的に考えすぎなんだよ、牧野!」

「じゃあ……、あの事件はまだ終わっていないんですね……?」


 エザロは鳥肌を立てたが、詩英里は彼の頭を引っ叩いた。


「だから、そう言ってんだろうが!」


「いだっ!!」

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