第53話 一応の決着

 界人かいとに「父さん」と呼ばれた謎のヒーローはバイザーで隠れた目元をさらに手で覆った。


「この格好をしている時は〝父さん〟ではなく、〝アドキーパー〟と呼べと言っただろう! パパは──じゃなくて、私はちょっと残念に思うぞ! 息子よ──じゃなくて、徳川とくがわ界人くんよ!」


 さきほどまで死闘を繰り広げていたしとねは、あまりにも場違いな会話に茫然としている。


「ええと、あの……、マジ?! アドキーパーって市長だったの?! こりゃ、視聴率爆上げだよ。マスコミにタレこんだろかな」

「フフフ……」


 界人の父・征人せいと──ではなく、アドキーパーが腕組みをして、バイザーの下から見える口元から白い歯を見せた。


「そう! 私は広告を守るためのヒーロー! 広告に愛し、広告に愛された──その名も、アドキーパーだっ!」


 熱い名乗りを上げたアドキーパーと、それを見守る界人としとねの高校生コンビの間には、ずいぶんと温度差があった。


 さすがのしとねもついていけなかったようだ。


「わたしの勘違いかもしれないけどさ、市長ってわりとお堅めのおじさんって印象だったんだけど、ホントに同一人物なの……? そんな二足の草鞋どころか二足のニーハイブーツみたいなことが可能だなんて、バイタリティおじさんすぎるでしょ。まさにバイタリティじゃん」


 界人は気恥ずかしそうに失った右腕をさする。


「父さんはこの格好になると、いつもと別人格のようになるんだ。いつもは抑えている正義の心が具現化するという設定らしい……」


「待て、徳川界人くん!」


 アドキーパーが秘密を暴露する界人を手で制する。


「その三点リーダはちょびっと切ないぞ。それじゃあ、まるでいつもはこういう願望を抑えつけていたみたいに思われてしまうではないか! 断じて、そのような中二病チックな精神を持っているわけではないぞ! いつもの公務がストレスだからこんな格好をしているわけでもないぞ!」

「いや、誰もそこ疑っとらんからね。自分からそこに触れたことで、逆にその可能性高まっとるのよ。シュレーディンガーの猫もびっくりするくらい一個の可能性の方が高まっちゃってるからね」


 しとねがまくし立てると、アドキーパーは大きく口を開いて笑った。


「アッハッハ! その意外性こそが、アドキーパーというヒーロー性を高めているといっても過言ではないだろう! これはまさに私の意図した通りといったところだろうかな!」

「ウソじゃん。絶対そんな深い意味なかったじゃん。この街の市長めっちゃ浅いじゃん。明日の朝一番の話題になれそうじゃん」


「市長はウォッチドッグスの長でもあるが、アドキーパーであることは公表していないんだ。すまないが、みんなにはオフレコで頼むぞ。いや、もし君がどうしても話したいというのであれば、私にはそれを止めることができない。だから、絶対に話さないでくれとお願いしたとしても、君が喋りたいという欲に負けて私の秘密を話してしまうかもしれないな!」

「話してほしそうすぎて話す気失せたわい」



「そんなことより、徳川界人くん、見事にしてやられたな」


 アドキーパーは界人の右腕に目をやった。しとねは今そのことを思い出したように声を上げた。


「そうじゃん、自分の息子の腕が切り落とされたってのに呑気に駄弁ってるって、アドキーパーもなかなかにクレイジーな奴だね。神経が競輪選手の太腿並みに太いんじゃないの」


 界人は右腕を押さえると俯いてしまう。

 右腕を失ったことは、自らのミスを物語るなによりの証拠だからだ。


 アドキーパーは界人の肩に手を置いて、優しく言葉をかける。


「二度と会えなくなるなどという最悪の事態を免れることができてよかった」


 その声には、心からの安堵の思いが滲み出ていた。



「さて、お喋りしている暇もなさそうだぞ」


 さんざん喋り倒しておいて、アドキーパーは真っ二つに千切り飛ばした広告殺しアドキラーへ身体を向けた。


 二つに分かれてコンクリートの床に転がる広告殺しアドキラーは、互いに菌糸のようなものを伸ばし合って、一つになろうとしていた。


 しとねが鉛のような溜め息をつく。


「アドキーパーならさっさとトドメ刺せたのに」

「広告の平和が脅かされているんだ。ただ殺すというのでは、学びがないだろう。今後、同じようなことがあった時にも今回のように場当たり的な対応をするのは得策ではない」

「そのために、できるだけ生きている広告殺しこいつから情報を集めたいってことね。向上心があって素敵。その精神を工場で大量生産してハイタッチハイ・ファイブしながら配布会したいくらい。わたしも参戦希望」


 アドキーパーは一歩進み出ると、背中の後ろに高校生コンビを置いて仁王立ちした。


「その気持ちは嬉しいが、摂津せっつしとねくん、君は折衝役コーディネーターの未来を、そして、我が息子には広告の未来を背負ってもらわなきゃいかんのだ」

「〝我が息子〟じゃなくて、〝徳川界人くん〟だよ、おじさん。それにしても、おじさんって人種はなんで若い人間に未来を託したがるんだろうね。あと、タクシーも好きよね」

「タクシーが好きなのは、歩くと疲れるからだ。そんな時には──いつでもどこでもタクシーが呼べる、タクシーアプリの【AXISアクシス】だ!」


 アドキーパーが指を鳴らすと、ビルの中層階だというのに、どこからともなくタクシーがやって来て、広告殺しアドキラーに激突しようとした。


 金属の合板をまとめて叩き切る音がする。飛び込んでいったタクシーが一瞬で四枚切りになってガラクタと化してしまう。広告殺しアドキラーがご自慢の爪を光らせていた。


「〝事故があっても──〟〝安心・安全のクオリティ!〟」


「面妖な奴だ」


 アドキーパーが鋭い目を向ける中、広告殺しアドキラーは自らの形を整えていく。


 しとねがアドキーパーの後ろで気味の悪いものを見たというように顔をしかめている。


「無駄だよ、おじさん。広告殺しアドキラーには広告効果が効かないからね」

「ふむ、アレに名前を付けているところを見ると、あの化物のことについて少しは知っているようだな、折衝役コーディネーターの摂津しとねくん」


 咎め、詮索するような眼差しを感じて、しとねはそっぽを向いて口笛を吹くという昭和みたいなリアクションを見せる。


「おじさん、今のは聞かなかったことに……」


「まあ、、いいさ。代わりに教えておくと、おじさんというのはいずれ死ぬということを身に沁みて感じながら日々を生きているのだ。甘酸っぱい恋愛とは関係なしにちょびっと心臓がズキッとしたりするからな。だから、自分が死んだ時に、自分の遺志を継いでくれる若者が確かにいるということを感じたいのさ。それが若者に未来を託したがる理由なのだよ」

「おばさんも同じなの?」

「おばさんと言うと近頃ではSNSが炎上してしまうぞ。気をつけるといい。君の疑問に答えるならば、女性も同じだろう。しかし、自分のお腹を痛めて産んだ子がいたとしたら、それこそが自分の存在を証明してくれる。それはおじさんの比ではないだろうと思うぞ」

「大人も大人で大変なんだねえ」


「君にはこの言葉を授けよう。〝老驥ろうきれきに伏するも志は千里にあり〟──年老いて走れなくなってしまった馬も、遥か彼方まで走るという志を捨ててはいない。そして、摂津しとねくんには、今以上に広告術アドフォースの解像度を高めるためのヒントを差し上げようじゃないか。よく見ておくがいいぞ」


 広告殺しアドキラーが身体を修復して、爪を掻き鳴らす。


「〝あたしは──〟〝フェニックス〟〝何度でも〟〝生き返った~!!〟〝この社会を、そして、この地球を……〟〝ぶっ壊す〟」


 アドキーパーはグッと腰を入れて身構える。


広告術アドフォースは、解像度を高めることで、より細分化された広告効果を抽出することができる。だが、真骨頂は、それらの広告効果を複合させることによって生まれる、自由で混沌カオスな可能性なのだ。もっとも、この活動アドキーパーに賛同してくれる多くの広告主スポンサーの皆さまがついてくれるからこそできる芸当ではあるのだがな」


 無数の企業やブランドのロゴの入ったマントをはためかせる。


 光に包まれて、アドキーパーの手の中に茜色に輝く槍が出現した。


無限広告槍インフィニティ・アド・ジャベリン──入れ子構造を持つ広告効果を幾重にも折り重ねた、無限の広告層を持つ槍だ」


 アドキーパーはおもむろにその槍を勢いよく広告殺しアドキラーへ目がけて投げつけた。


「でも、広告殺しあいつには──!」


 光の帯を纏いながら高速で投擲された槍を、広告殺しアドキラーが両手で掴んで受け止める。しかし、推進力を失わない槍が広告殺しアドキラーの身体ごと持って行こうとする。


 槍を掴む広告殺しアドキラーの手指や手のひらから火花が散る。


「〝諦めないで~!〟〝がんばれ、日本!〟〝まだまだいけるさ!〟」


 凄まじい力に耐えながら、広告殺しアドキラーは無数の腕を生やして、自分を貫こうとする槍を掴んで押し留めようとする。


「無駄だ、化物! 貴様がいくら広告を滅しようとも、その槍は無限の広告でできている! そして、アクセル全開!! 【stuffburstスタッフバースト抽出エクストラクテッド……、倍加点ダブルポイント!!」


 世界最大級のショッピングサイト【stuffburstスタッフバースト】が期間限定で展開するポイント二倍キャンペーンの広告は、全てのものが二倍になる広告効果を有している。

 そして、広告術アドフォースでは、倍加する対象を任意で取捨選択できる。


 推進力を倍増した槍が光を迸らせて、広告殺しアドキラーをグングンと押し出していく。コンクリートの床に黒い根を張って踏ん張る広告殺しアドキラーがなんとか耐えようとする。


「二倍ということは、無限広告槍こいつももう一本あるということだぞ!」


 光の中から槍をもう一本掲げるアドキーパー。広告殺しアドキラーが狼狽えたように頭を動かした。


 アドキーパーが投擲した槍がガツン、と広告殺しアドキラーの顔面に突き刺さる。


 爆発音と共に、無数の黒い手を削り取りながら驀進する槍が、広告殺しアドキラーの身体をビルの上空へ打ち上げて、その身体を貫いた。


 空高く層になった雲に穴を開けて、アドキーパーの放った槍は光の点になるまで飛び去って行った。


 ビルの上空に浮いた広告殺しアドキラーが自分の身体に空いた穴を見つめて震えていた。その顔には二本目の槍が刺さったままだ。


「ギャアアアアアアアァァァ!!」


 広告殺しアドキラーが絶叫する。


 その光景を見上げるしとねは、もはや苦笑していた。


「なんちゅうメチャクチャさ……。君のお父さん、激ヤバ人間じゃん……」


 界人は小さく笑った。


「父さんじゃない。アドキーパーだ」



 すっかり夜になり、街は光を発している。


 その深い藍色の空を、ヘリコプターが一機ゆっくりと向かって来る。マスコミが事件を捉えようとやって来たのだ。


 しとねがひとまとめにしていた金色の髪を解いて、手早くツインテールを作り出す。


「身だしなみには気をつけないとね。この摂津しとねちゃんだってお年頃だからさ、カメラ映りはできるだけよくしておきたいのよね。こういう時に自分が乙女なんだって自覚するわ。この衝動を止められないっていうか、わたしのファンのためにも、しとね'ズ・パブリックイメージを打ち立てエスタブリッシュとかんとね……、徳川くん。これでどう? シルエットで摂津しとねって伝わる?」

「申し訳ないけど、君のパブリックイメージをよく知らない」

「地味にショックなこと言ってくれるじゃん。途方に暮れてトホホって言っちゃいそう。まあ、でも、わたしもまだ発展途上で成長株ってわけか。そのうちタイムズスクエアをわたしのパブリックイメージで埋め尽くしてやろうかしら」


 苦痛に耐えているのか、中空でもがき続けていた広告殺しアドキラーが禍々しい腕というか触手を無数に生やして、勢いよく伸ばした。まるで周囲のものを手当たり次第に破壊しようとするかのように。


 そして、そのターゲットには近づいてくるマスコミのヘリも含まれていた。


「いかん……!」


 アドキーパーが素早くビルから飛び出して何本もの黒い触手を蹴り飛ばすと、両手を広げた。


 一瞬でビルの周囲を色とりどりのLEDパネルがドーム状に覆い尽くしてしまう。何重もの広告の層によって出来上がったドームの壁が、広告殺しアドキラーの黒い触手を受け止めた。


 アドキーパーは出来上がった巨大なドームの外側に自らの姿を映し出して、よく通る声で注意を呼び掛けた。


「現在、このビルは危険な状況にある! 近づくことのないようにしてくれ! 心配は要らないぞ! このアドキーパーがいる限り、これ以上の被害拡大は許さない! みんなは安心して待っていてくれ!」


 アドキーパーは空中を滑空して、広告殺しアドキラーのそばに近づいた。


「貴様は少々やりすぎたようだな。よって、これ以上悪事を重ねることのないように滅ぼしてくれよう」


 まだダメージを回復しきれていない広告殺しアドキラーは必死の抵抗を試みてアドキーパーに襲いかかる。


「無駄だ!」


 攻撃を容易く払いのけたアドキーパーは、いくつもの打撃を黒い身体へお見舞いした。


 その一撃一撃に広告術アドフォースが織り込まれていることに、しとねは驚きを隠せなかった。


 さきほどまで彼女たちを苦しめていた広告殺しアドキラーは、今やボロボロに朽ち果てようとしていた。



 アドキーパーが最後の一撃を加えようとした時、広告殺しアドキラーの肩口から花が咲くように人間の顔が現れた。


 理知的な目の男だった。


「私ヲ……──、殺ストイウノカ……、徳川、征人……──?」


 死の淵で出す切り札のように、命乞いのように、男の口がそう告げた。


 ビルから眺めていた高校生たちには、それが単なる時間稼ぎのように映っていた。だが、アドキーパーにとっては、計り知れない効果があったようだった。


「お……、お前は、池田いけだ……?! なぜ広告殺しおまえが、その顔を、その声を──っ!!」


 広告殺しアドキラーの腕が刀のように変形して、サッと振り払われた。


「父さん!!」


 思わず叫び声を上げた界人を、アドキーパーは手で制した。


 その隙を突いて、広告殺しアドキラーは全身をタールのような液体に変えて、勢いよくドームの内壁の方へ飛び出していく。


 身体の一部を削り取ってマシンガンの弾丸のように壁へ撃ち出し、穴を開けたそこからあっという間に脱出していってしまった。


 アドキーパーも慌てて後を追ったが、ドームの外に出た頃にはすっかり広告殺しアドキラーの行方を見失ってしまった。

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