第39話 蟒蛇の加藤 悪意の証明
違法な保証人業者の入る雑居ビルは瞬く間に警察車両に取り囲まれ、多くの警察官で溢れることになった。
「まーた、あなたか」
現場の指揮を執る年下の係長に畏怖にも似た眼差しを向けられたが、加藤はただ首をすくめるだけだった。その手には【レッドバルーン 濃いハイボール】の缶が握りしめられている。
「ここをマークしてたわけじゃありませんよね?」
アルコール臭い息を吹きかけられて、係長は顔を背ける。注意しようにも、相手は休日中の飲んだくれにすぎない。
「そういうわけじゃないが、どうしてこんな場所を見つけたかの方が気になる。どうせ〝別腹〟なんだろう?」
市警も好き勝手なスタンドプレイを放置しておくほど危機管理がなっていないわけではない。
加藤の場合は、なまじ成果を挙げてしまうので、黙認せざるを得ないのだ。
それが理由なのか、本人が拒んでいるのか、加藤はいつまでも現場を歩き回るポジションに留まっている。
「別に秘密というわけじゃありませんが、女子学生の失踪を追っていまして、その学生が在籍していた大学を退学した過程に不審な点があったというだけですよ」
「大学在籍には保証人が必要だからか……なるほど。それで、こっちの情報は何が欲しい?」
加藤はニヤリと笑みを返す。
「話が早くて助かりますよ。昨年六月から十二月までのこの業者の取引内容を知りたいです」
「かなりの数になると思うが……、もし名前をもらえればそれだけを渡せるぞ」
「名前は
「了解した」
雑居ビルのそばに喚き声を上げる管理人の姿がある。係長はやるせない様子で目を伏せた。
「ここにしがみつくしかなかったんだろうか……」
「頼まれてここにいると言っていました」
「右手で金を儲けて、左手で老人をこき使うとは……」
「保証人業者は客からどれくらいの相場で依頼を受けていたか分かりますか?」
「嫌でも分かったぞ。チラシが大量にあった。『1件70万~! 秘密は厳守します!』だとさ」
──七十万以上……。有馬茜は高校生だ。
違法な保証人業者に
──まったく、面倒な手段を講じやがって。
胸の中にそう毒づく加藤の表情は、生き生きとしていた。
彼はまさに今、〝狩り〟を楽しんでいた。
***
車の運転席で次に着手するポイントを吟味する加藤の脳裏には、いくつかの候補が浮かんでいた。
①堀田真理愛乃の家族への聞き込み
おそらく、家族は真理愛乃の失踪自体に気づいていない。それを知らせるのが警察官としての責務かもしれないが、加藤にとっては有馬茜を追い詰めるには遠回りのように思えた。
②有馬茜の家族への聞き込み
有馬茜が何かを隠しているのは明白だ。彼女の自宅へ仕向けた警官たちは、母親にも会っており、そこから有馬茜になんらかのアクションがあったはずだ。ところが、真理愛乃の件が明るみに出ていないということは、何も話さなかったことが窺える。
つまり、彼女が真理愛乃の件を認めるような証拠を突きつけることが〝狩り〟の流れをスムーズにするだろう、と加藤は考えた。
③組織犯罪対策課からの違法な保証人業者の取引情報を待つ
果報は寝て待てと言うが、加藤にとって〝狩り〟における果報は、自らの手で掴み取るものだ。
④真理愛乃の自宅アパートの家賃支払い状況の調査
真理愛乃の自宅には、家賃滞納による退去勧告などが行われていない。それは、今でも家賃が支払われ続けていることを意味する。
遠方の家族が支払っているのか、はたまた有馬茜が肩代わりしているのか、どちらでもないのかを突き止めることは、加藤の好奇心をくすぐっていた。
加藤は【レッドバルーン 濃いハイボール】の缶を飲み干して、車のエンジンを始動させた。そして、目を閉じて
──【レッドバルーン 濃いハイボール】
全てのアルコール飲料の広告には、その開始時点で必ず発動する広告効果がある。それが
なぜならば、アルコールを摂取した状態でアルコールの広告が開始されることは、依存症対策の一環で禁止されているからだ。
つまり、アルコール飲料の広告と契約すれば、必然的に
──身体から酒が抜ける感覚は……クソだ。
加藤は舌打ちをしてアクセルペダルを踏み込んだ。
***
不動産仲介業者を通して、真理愛乃が住むアパートの大家と会う約束を取りつけた加藤は、早速話を聞きに真理愛乃のアパートからほど近いマンションへ向かった。
「ああ、お待ちしてましたよ!」
玄関から顔を出したのは、派手な柄のシャツを身に纏ったふくよかな女性だった。加藤は部屋の中に招き入れられ、コーヒーを差し出された。
「急な来客でも!」大家が突然声を張り上げる。「【クラークコーヒー マイバリスタ】なら、いつでも本格的なコーヒーが楽しめるの」
加藤は出されたコーヒーを一口啜って、「う~ん」と目を瞑り、その香りと味に酔いしれた。
「こだわり抜いたコーヒー豆を厳選しております」
キッチンからその業界では有名らしいバリスタが、バリスタ然とした出で立ちで顔を出していた。
大家もテーブルについて加藤と二人でコーヒーを楽しむ脇で、バリスタがにこやかに立ってサイフォンを使いコーヒーを淹れる。
そして、バリスタは要れたコーヒーに顔を近づけて、満足のいくコーヒーだというようにうなずいた。
「それでお聞きしたいことがありましてね」
加藤が本題を切り出すと、バリスタもサイフォンも消え去った。
「ええと、堀田さんの件ですよね?」
「ええ、彼女の家賃の支払い状況について確認したいことがありまして」
大家は立ち上がる。
「パソコンで管理してるので、そちらで確認しましょう。どうぞ」
彼女の先導で隣室へ向かう。
「貸し出している物件はどれくらいですか?」
「マンション二棟とアパートが三棟あるんです」
「それだけあると、入居者なんかの管理も大変でしょう?」
「でもね」
大家はくるりと振り向いて、隣室のドアを開いた。
そこには、またもや見慣れない男が執事の装いで立っていた。
「お待ちしておりました、大家さま」
深々と頭を下げる執事が、手にしたノートパソコンを大家に向けて開くと、三人は異空間に転移して、彼らの周囲を無数の画面が取り囲んだ。
「不動産管理ソフト【おおやのしつじ】なら、AIを駆使して、入居者情報や家賃の支払い状況、空き部屋の情報、設備改善のアドバイスまで、これ一つで全てカバーできちゃうんです!」
「これはすごい! 情報がまとまっていて見やすい!」
加藤が驚きと嬉しさのまざった表情で周囲を取り囲む画面を見回した。
「それに、スマホのアプリでも情報をチェックできるんです!」
執事がスマホを得意げに掲げると、三人の身体が元の部屋に帰還した。
「じゃあ、お皿洗いも頼もうかしら!」
大家がとぼけてみせると、執事が冷静に返す。
「それはご自分でどうぞ」
広告のオチが済むと、大家は目当ての情報を表示させてノートパソコンの画面を指さした。
「堀田さんは滞納履歴もないですし、何の問題もありませんよ」
「家賃は月いくらですか?」
「七万六千円です」
「支払いはどのように?」
「銀行口座から自動引き落としですね」
「その銀行口座の情報を頂けますか?」
***
大家から得た真理愛乃の口座情報をもとに、加藤は【うてな銀行】の南
久々に銀行を訪れる加藤はやや戸惑いながら入口の自動ドアをくぐり抜けた。
──銀行って、どこか堅苦しいんだよな……。
「──と思ってませんか?」
いきなり勝手に加藤の心の声を代弁したスーツの男が歩み寄ってくる。
「え、ええ、まあ……」
モジャモジャ頭に手をやって、加藤がバツの悪そうにスーツの男に同意した。
そのすぐ脇を子どもたちが駆け抜けて、オープン教室のようなスペースに飛び込んでいく。そこでは、親子連れが講師のようなファイナンシャルプランナーの話に耳を傾けていた。
「子どもたちと楽しく金融を学ぶ〝きんゆう教室〟や……」
スーツの男が別の小さなホールのような場所を指さす。そこでは、手芸家がものづくりをしている様子を実演している。
「趣味開拓セミナー〝しゅみラボ〟などの誰でもいつでも参加できるイベントを店舗で開催。お客さまが入りやすく、コミュニケーションの取りやすい環境づくりをしています」
「へえ~、銀行っぽくなくて、楽しそうですね~」
普段はそんな明るい反応など見せない加藤が興味深そうに行内を見回している。
そう、これは広告なのだから、いつもと違う反応や言葉も臆面もなく出すことができるのだ。
スーツの男が壁を真っ直ぐと見つめて胸の前で拳を握っていた。
「【うてな銀行】は、次世代の銀行を作ります。コミュニケーション&エデュケーション──【うてな銀行】です」
広告を終えて、加藤は窓口で事情を話した。
ここでも、やはり警察バッジの威光で加藤は奥の応接室で情報を聞き出す段取りを取り付けた。真理愛乃の失踪を、失踪者の生命に迫る危機と言い換えた加藤の方便も効果があったかもしれない。
しばらくして、次長と内務事務課長が二人揃ってやってきて、名刺交換が始まった。
さっさと質疑応答をして要件を済ませたい加藤だったが、ここは大人しく流れに任せることにした。
形式的なやりとりが終わると、次長が口を開いた。
「さて、堀田真理愛乃さんの口座状況についてのですが、それにつきましては、
内務事務課長の三上が資料を手に緊張気味に話し始める。刑事の訪問を受けるのが初めてなのかもしれない。
「堀田さまの口座状況ですが、毎月九万円が振り込まれております」
「振り込みはいつから始まっていますか?」
「昨年の七月以降ですね」
──開始時期は道理に合う。だが、毎月九万円……? 半端な額だ。
考えを巡らせた加藤はハッと息を呑む。
──90,000×12=1,080,000……年間百十万円以上を振り込めば、贈与税が発生する。それを回避するためか。
「振込元は?」
「ええと、阿戸銀行の南阿戸支店の口座からです。振込元名義は『アリマアカネ』さまとあります」
***
銀行を後にして、おんぼろの車に乗り込む加藤のスマホが鳴る。組織犯罪対策課の係長からだ。
『あなたが踏んでいた通り、業者の取引記録に「有馬茜」の名前があった。八十六万円が支払われていた』
スピーカーフォンにしたスマホをダッシュボードの上に置いて、加藤は【レッドバルーン 濃いハイボール】の缶を開けた。
「取引はいつ頃ですか?」
『去年の八月二十七日』
「なるほど、参考になりました。そちらの状況はどうですか?」
『この違法保証人業者──〝ハッピーライフ〟って名前だが、別件の事件と関連がありそうだ。急に仕事が山積みになった。俺も酒が飲みたいよ』
「成果に期待してますよ」
『ふん、心にもないことを言うな』
電話を切ると、加藤はハイボールを一気に喉の奥に流し込んだ。
車窓の街は、もう日が暮れようとしている。
──これで全てが繋がった。後はどう追い詰めるか……。
加藤はスケジュール帳を開いて、次の休日に目をやった。四月第三週の週末だ。
──土曜日か。有馬茜を
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