第35話 暗幕の裏側で

 放課後になり、すぐ学校を出た界人かいとは、自宅とは別の方向へ真っ直ぐ向かって行った。風紀委員長・奥平おくだいらの許可はもらってある。


「見回りのあった日、色々あったでしょ。学校としては、あまりに目立つようなことは避けたいらしくて、次の見回りの予定もキャンセルになっちゃったのよ」


 奥平はそう説明していた。目立つようなこととは、あかねのことだろう。


 生徒の中に犯罪に関わっている疑いのある者がいれば、学校も慎重な行動を求められる。茜の一件が落ち着くまでは、風紀委員が立ち回るような場面はほとんどなくなるだろうと界人は推測していた。




 電車に乗り、界人が向かった先は、二日前に南野みなみの真人まさとを見つけた公園だった。


 大きな広場の真ん中にタコの滑り台が鎮座している。


 子どもたちの歓声が飛び交う中、タコの足元に近づいた界人だったが、あの日のようにそこに南野の姿を認めることはできなかった。


 ──別の場所を見つけたのか。


 南野は現在も不登校状態だった。


 彼の家族に話を聞こうにも、息子になんら興味を示していなかった人間に居場所を尋ねるだけ無駄だと思われた。


 界人は嘆息して、スマホで電話をかける。


「ああ、僕だ。今からそちらに向かう」



***



 阿戸あど市の市庁舎は流線型のガラスの塔のように市の中心に建っている。広告の聖地メッカと言われるこの街の繁栄を物語る、異様で存在感のある巨大構造物だ。


 その市庁舎のすぐ近く、何の変哲もないオフィスビルのとあるフロアに界人の姿が現れた。


 〝阿戸中央会計事務所〟の社名プレートを掲げたオフィスに足を踏み入れると、いくつもの島になったデスクの並ぶ忙しない職場が現れる。


 電話応対の声やパソコンのキーボードを叩く音、紙の資料をめくる者、ガラス張りの来客室で進む取引交渉……界人はその中を真っ直ぐと進んで、奥のドアを開けて廊下に入って行った。


 廊下の奥、重厚な木のドアの脇にスーツの男が立っている。界人はその男にバッジを見せて、部屋の中へ。会計士の執務室のようだが、その奥の金属製のドアには、電子ロックがついている。そこへバッジを当てると、ピッと音がしてロックが解除された。


 ドアの句は細い通路になっていて、下へ階段が伸びている。その先が界人の目的地だった。このビルには存在しないことになっているフロアがそこには広がっていた。


「お疲れ様です、界人さま」


 スーツに身を包んだ大柄な男が挨拶を寄越してきた。


「お疲れ様、大久保おおくぼ。首尾はどうだ?」

「順調です」


 界人は満足そうにうなずいて、会議室のドアを開けると、そこにいた面々に号令をかけた。


「では、これよりミーティングを始める」



 市長直轄の広告治安維持部隊・ウォッチドッグスは、その存在以外が非公表の部隊だ。このオフィスもいくつかあるうちの一つに過ぎない。



 照明の落ちた会議室では、プロジェクターで投影された資料にウォッチドッグスのメンバーたちが目御向けている。


「──……というように、警察ではまだ事件化されていないようでした」


 黒い切りっぱなしボブの女性が報告をする。右目の下に泣きぼくろのある、色気を纏わせた彼女は、身体のラインが出るようなタイトスーツに身を包んでいる。


「つまり、警察でもまだ確証を掴めていないということか。ありがとう、土岐とき

「引き続き注視してまいりますわ」


 土岐千代せんだいは軽く膝を曲げてお辞儀をすると自分の席に戻り、ゆったりと腰を下ろした。


「ところで、有馬ありま茜の件だが……」

「ああ」


 テーブルの斜向かいで声を上げるのは、おさげ髪に大きな丸眼鏡をかけた一見少女のようなメンバー・三宅みやけアリサだ。


「界人さんがこの前お話されていた人ですか?」


 界人はうなずく。


「彼女が何らかの失踪事件に関わっているというのは、あり得ない話ではないと思う」

「どうしてですか? もしかして、何か掴んだとか?」


 薄暗い中でアリサの丸眼鏡がきらりと光る。


「いや、あくまで可能性の話だよ。彼女はその件についてはあまり喋りたくはなさそうだった。隠しているのか、単に警戒されているのか、はたまた知らないだけなのか……」

「そこらへんは、おぼっちゃまが直接聞き出すしかないのでは? 俺たちでは学校で活動できませんからね。三宅は分からんけど」


 鋭い目つきとは裏腹に口元には皮肉めいた笑みを浮かべている松井まつい恭志郎きょうしろうがそう口を挟むと、隣で大久保が咳払いを立てる。


 松井がヘラヘラと笑って肩をすくめる。


 界人の前で〝おぼっちゃま〟は禁句だ。


「ああ、すまんね」


 界人は意に介していない様子だった。


「とにかく、彼女の家へ警官をけしかけた人間──つまり、匿名の情報提供者というのが存在している」


 大久保が指を組んでテーブルに両肘をついた。


「問題は、その人物がどのようにしてその情報を入手しえたのか、ということですね」

「あら」


 千代がさらりとした前髪を掻き上げる。


「本当にそんな情報があるのかっていうことの方が着目すべきでなくて?」


 大久保と千代の間に立つように、界人が先を続ける。


「どちらにせよ、それが誰で、何の目的を持っているのかというのは押さえるべきポイントだと思う」

「今ずっと考えていたんですけど」アリサが三つ編みにした髪を弄んでいる。考え事をする時の彼女のクセだ。「その人物は、警察に対して何かきっかけを与えたかったんじゃないでしょうか」

「きっかけって、その人物が警察を動かしたかったっていうことなの、アリサちゃん?」


 千代が水を向けると、アリサは三つ編みの髪から手を離した。


「その人物は、警察が有馬さんに探りを入れることを期待していたんだと思います」

「警察が不審失踪でビクいてるのは理解できるがね。だとしたら、その有馬って子には叩けば出てくるホコリを抱えてるって寸法になるが」


 アリサは松井の指摘にうんうんと首を縦に振った。


「有馬さんの情報なのか、有馬さん自身なのか、狙いがそこにあったんだと想像できます。でも、その人物は表立って動けなかった」

「なぜ?」


 大久保の問いに、アリサは意味深に微笑んだ。


「どこかの広告主スポンサーが絡んでいる……わたしはそう考えます」


 会議室に唸り声が充満していく。アリサの考えが意味するところは、多岐にわたっていた。


「それがマジなら、面倒だな」


 松井の率直な意見に、誰もが同意せざるを得ない。界人だけはすぐに前を見据えていた。


「それでも探る価値はあるだろう。この街で平穏を乱すような連中を野放しにしておくことはできない。たとえ調査が空振りでも、危険がなかったと知ることに意味があるのだから」


 一斉にうなずくメンバーたちを見回して、界人はアリサへ目を向けた。


「では、三宅は抱えている件がひと段落したら、その線で調査を進めてくれないか。僕の方でも有馬さんに引き続きアプローチをかけていくよ」

「かしこまりました」


 迅速に指示を出す界人を、大久保は頼もしく感じていた。



***



 市長である徳川征人せいとから、ウォッチドッグスに実の息子を統括官として置きたいと提案があった時、大久保は反対の意向を示した。


 二年ほど前のことだった。


「界人さまはまだ中学二年生では? いささか早計に過ぎると思います」


 真っ直ぐに否定され、征人は清々しい笑みを返した。


「大久保くんの言うことはもっともだと思う。しかし、これからの時代、広告はより広範に、より早く進歩していくだろう。その時に必要な人材は、幼い頃から広告やそれを取り巻く現実に触れてきた人間ではないかと考えているんだ」

「では、まずは我々の職場を見学するというだけでもよろしいのではないですか? やはり、性急であると感じます」

「あの子はあの歳で、すでに上級広告術アドフォース抽出エクストラクション技術、広告知識において、広告治安局アドガードの管理者と同等の能力を持っている。あの子自身も、自分の能力を役立てる機会を欲しているんだ」

「そこまでの能力だとは……」


 なびき始めた大久保に、征人は巧みに言葉を繰り出した。


「統括官は暫定的なポジションとして捉えてもらって構わない。基本的なウォッチドッグスの活動や指示形態はこれまでと変わらない。統括官としたいのは、実働的な部分でまだあの子を従事させることができないということと、あの子に明確な役割と一定の責任を与えたいと考えているからだ」

「つまり、制限が緩和される年齢になるまでは、デスクワーク的な役割がメインになるということですか?」

「そういうことになるね」


 最後に界人を統括官に据えることが譲歩の形だと示しているところに、大久保は征人の一歩も引くつもりのない姿勢を垣間見た。


 そこには、広告の平和を願う征人の思いもあったはずだ……大久保は確信した。


 ──市長は〝アレ〟を継がせるつもりなのだ。



***



「今日の本題についてだが」界人がスクリーンの前に立つ。「南野みなみの真人まさとについて……まずは改めて確認をしておきたい」


 スクリーンに真人の入学願書の画像が表示される。


「南野真人、十五歳。阿戸西高校三年C組。住所は東京都阿戸市中島平なかしまだいら6‐2‐4 グリーンレジデンス中島平705号室。家族は父親・母親との三人構成。現在、不登校中。僕が目視で確認したのみだが、身体に痣のようなものがあった。不登校原因は不明だが、学校側には本人から体調不良を申し出ている。身体の痣と不登校の関連は未確認」


 松井が挙手をする。


「マンション住民の話では、登下校時間に高校の制服を着て歩いているらしいです。おおかた、学校へ行った振りをしてるってところでしょう。思春期に取ってもおかしくない行動ではある。まあ、大人でもそういうのはいますがね」

「虐待の線はどうだ? 僕が母親と話をした際には育児放棄ネグレクトの疑いを感じたが」


 界人は報告を受けてさらに一歩踏み込んでいったが、松井は肩をすくめている。


「同じくマンション住民の話ですが、特に争うような物音は聞いていないようです。調べたところ、建物の防音効果は低いようなので、何かあれば誰かしら気づいているでしょう。まあ、案外そういうところに鈍い人間もいますがね」


 虐待の話を聞いたからなのか、千代は重い息を吐き出す。


「そもそも南野くんが暴行を受けていたというのは正しい認識かしら?」


 彼女はそう言ってから、暴行の件が界人発信であることを思い出して、思わず口元に手を当てた。


「それは僕の見た実感だから、根拠があるわけではない。ただ、彼の目はひどく疲れていて、何か精神的な圧力を受けた形跡はあるだろうと思われた」

「で、では、何のために誰が南野くんに暴行を、というのが焦点になりますわね」


 千代が慌てて軌道修正をするそばで、アリサは手元の端末を素早く操作している。彼女は三つ編みをいじりつつ考えをまとめながら口を開き始めた。


「色々な情報を総合してみますと、今月上旬の高校の中庭で起こったという騒動を境に南野さんは不登校になり、様子が変わってしまったように感じますね」


 界人は歯噛みした。


 高校の中庭で起こったカップ焼きそば同士の広告妨害疑惑だ。


 中庭で【わんぱっく】の広告を展開していたラグビー部に対し、真人率いる集団が【カップスタイル】の優位性を訴えて乱入した事件……あの後、広告治安局アドガードを無理矢理に事件に関与させた界人だったが、その場では、真人は広告治安局アドガードによる口頭注意処分のみとされていた。


 広告治安局アドガードと文科省の軋轢の中で、学校内の広告事件はなあなあに処理されてきた歴史がある。


 界人にとっては度し難いことで、そこに対するアンチテーゼの意味もあったのだが、彼の思惑は辛くも散っていった。


「その後、南野真人に対しては、広告主スポンサーであるマルダイフーズの口添えで広告妨害が不問となっていたと記憶しています」


 大久保が諳んじてみせると、アリサが補足を入れていく。


「マルダイフーズとしては、広告契約者となって日の浅い南野さんの将来性を鑑みて、相手方の広告主スポンサー・キタガワ食品に相応の金額で示談を持ちかけたようですね」

「おおかた、競合の広告主スポンサーに貸しを作りたくないってところだろうな」


 松井の穿った見方も、ある意味では筋が通っており、そういう理由で広告事件が表沙汰にならないケースも多々あるのは事実だ。


「まあ、南野くんとしては温情をかけられて助かったというところかしらね」


 仙台はそう言うが、大久保の表情は固いままだった。


「ただ、一つ気になることがあります、界人さま」

「聞かせてくれ」

「〝監査官インスペクターによる私刑問題〟です」


 広告主スポンサー間での示談成立は、加害側企業にとって大きな痛手である。その損失は本来広告契約者に向けられるものだが、そういったトラブルが世間の目に晒されることで企業イメージの悪化に繋がってしまう。


 そこで、広告主スポンサーは水面下での〝ガス抜き〟を行っていると見られている。


 それが顕在化したのが、大久保の言う〝監査官インスペクターによる私刑問題〟である。


「もちろん、これはあくまでウワサではありますが、マルダイフーズの監査官インスペクターは以前から広告契約者に対し強硬的な態度を取っていると言われています。現に、マルダイフーズ法務部にはかなりの予算が組み込まれています」

「揉み消すためのカネって線か、面白い」


 松井が趣味悪く舌なめずりする。アリサの目が丸眼鏡の奥で興味深そうに細められていた。


「そうなりますと、マルダイフーズ自体が一定の認識を持っていたということになってしまいますね」

「南野真人の不登校、そして暴行の件……それらと広告妨害の示談のタイミングを見る限り、探りを入れても無駄ではないと感じます」


 大久保の力強い主張に、界人は方針を決めたようだった。


「マルダイフーズの監査官インスペクターについて、内偵調査を行う。大久保、この件の指揮を頼めるか?」

「もちろんです。そうおっしゃると思い、あらかじめ該当人物の特定をしておきました」

「仕事が早いわね」


 千代が笑う中、スクリーンに冷たい目をした男の顔写真が映し出される。


「彼がマルダイフーズの監査官インスペクター土井どい和広かずひろです」



 大久保はスクリーンに表示される土井の顔をじっと見つめた。


「三十代も半ばに差し掛かる年齢……男もスキンケアをしなければ、年齢以上に見えてしまうことでしょう」


 千代とアリサが大きくうなずく。薄ら笑いを浮かべた松井が、


「でも、いまさらもう遅いんじゃないの? それに、色々あって面倒でしょ」


 と煽り立てると、大久保は首を振った。そして、どこから取り出したのか、ボトルをテーブルの上にドンと打ちつけた。


「そこで、【アニマーレ メンズスキンケアオールインワン】!」


 大久保がどこかのシャワールームに転移して、裸のまま【アニマーレ メンズスキンケアオールインワン】のボトルを手に取って、とろりとした白濁の液を顔になじませていく。


「これ一本で化粧水、乳液、保湿クリームのトリプルカバー!」


 そして、何かしらの方向を向いて爽やかな表情を向ける、


 会議室に戻ると、大久保にスポットライトが当たり、メンバーたちから「おお!」と感嘆の声が漏れる。自信に満ちた表情の大久保は土井の顔写真に目をやった。


「奴にも【アニマーレ メンズスキンケアオールインワン】を!」


 大久保がボトルを差し出すと、写真の中の土井が動き出してそれを受け取った。


 【アニマーレ メンズスキンケアオールインワン】を使った土井はキラキラとした笑顔で、


「最高の使い心地……これでオレもサッパリハツラツ肌」


 とご満悦だ。心なしか爽やかさの増したスクリーンの土井の写真の右下には「※使用感のこと」と但し書きが映し出されている。


 今まで成り行きを見守っていた界人が、グッと拳を掲げる。


「これで心置きなく奴を調査できる……行こうみんな!」


 ウォッチドッグスの面々が「はいっ!」と一斉に返事をして、ミーティングは幕を閉じた。

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