第34話 仲間
気を利かせた
「悪いな、絢斗」
校内履きを手渡して、彼方はバツの悪そうに笑みを漏らす。
「いいってことよ」
妙に理解のある絢斗と
「ごめん」
「よかったの、お友達は?」
「ああ。それに、こんな話、二人じゃなきゃできないと思って……」
日常に広告が自然に展開されるという異常性……それに気づいて苦しみを抱えていることなど、彼方はほとんど誰にも話してこなかった。
それは茜も同じだろうと想像していた。だから、
「確かに、それもそうだね」
という茜の返答に安心感を憶えた。
同じなのだ、という希望が事実に変わったのだ。
二人は歩き出した。
どう話を切り出すか迷いに迷って、彼方は長い沈黙の末に口を開くことにした。
「この前は、本当に大丈夫だったの?」
「え? この前?」
「あ、うん、家に警察が来てたでしょ」
「ああ、その話ね。大丈夫だったよ。あっちの話かと思った」
「あっち? ああ、それね……」
いまいち噛み合わない二人の間に、再び気まずい空気が流れる。このままでは良くないと、彼方は話し始めた。
「いつだったか、校庭で【スカイ】のCMで生徒が踊ってるところに出くわして逃げてたでしょ。あの時、廊下だったかの窓から見てたんだよ。それで、自分と同じ人だって思って、ずっと話したくて」
「うん」
「それで、さっきの美言と絢斗っていうんだけど、あいつらにも協力してもらって……それで
「いるんだ、友達」
彼方はゾッとした。
孤高の雰囲気を漂わせている印象はあったが、茜は本当に一人だったのかもしれない。
「小学生の頃からの知り合いで……。有馬さんは、中学までは──」
「友達は、いなかった。今もいない」
茜の脳裏には、かつて未認証広告である【ブラックリスト】の広告契約を強制させられた男──その娘である
「まあ、そりゃそうだよな。いきなり踊り出したり、商品の説明してくるような人たちばっかりじゃ、友達なんて……」
「私はずっと人との関わりを避けてきたから」
短い言葉を返す茜に、思い描いていた未来と違う現実を目の当たりにして、彼方はどぎまぎしていた。
こうして声をかけて、話しかけるべきだったのだろうか?
「
「別に」
「結構喋ってるのを見かけたけど」
「失踪事件について情報収集しているみたい」
「今日は徳川はすぐ帰ってたね」
「そういえば、何か用事があるって言ってた」
「まあ、あいつ優秀だし、ウォッチドッグスだし、何かいろいろやってるんだろうな。俺らには分からないようなことを」
劣等感のせいでつい尖った口調になるが、それを訂正することもおかしいように思われて、彼方は口を噤んでしまった。
「私に話って?」
「え?」
「私と話したいと言ってたでしょ。何を話したかったの?」
──改めてそう訊かれると困るな……。
彼方はこの世界を変革しようと考えていた。
だが、それを今日初めてちゃんと喋った相手にいきなり話すのは内容が重すぎるのではないか……? そのための仲間になってほしいなどと、RPGじゃあるまいし、そんな提案をすること自体がはばかられた。
***
茜は戸惑っていた。
ただでさえ、人と言葉を交わすのは苦手だった。いきなり現れた
茜の中には、〝喋ってはいけないことリスト〟がある。
①
②堀田真理愛乃になりすましていること。
③自身が契約している未認証広告【ブラックリスト】のこと。
④【ブラックリスト】の広告で自分がやっていること。
警察がやって来た水曜日のあの日も、茜は【ブラックリスト】の広告発動回数ノルマを消化するために、ひと気のない路地を探して歩き回っていたのだ。
「あなたに失踪事件との関わりが指摘されています」
警官にそう告げられた時、茜はこの世の終わりを迎えたような感覚に襲われた。そばには母の
真理愛乃のことだ、と茜は直感したが、それをあの場で認めることなど到底できなかった。それを認めれば、〝喋ってはいけないことリスト〟の全てを洗いざらい打ち明けることになってしまう。
昔から、感情が顔に出ないタイプだと言われ続けてきた。
内心、どうすればいいのか分からず、逃げ出したい思いに駆られながら、警官たちがあきらめて帰るのを祈っていたところに、光と共にやって来たのが、
あの日は緊張と恐怖から解放された安堵感で、また学校へ行く気持ちが強まっていた。個人的な判断ではあったが、自身の適応障害の症状も遠ざかっているように感じられたからだ。
久しぶりの教室では、茜を心配してくれるクラスメイトもいたが、大半の目が咎めるように鋭かった。
やはり、ここは自分の居場所ではないのではないか、そう思っているところへ界人がやって来た。
徳川界人。
そんな人間がなぜこんな学校に通っているのかという疑問は尽きなかったが、彼と喋っているというだけで茜に対する邪な視線が多少鳴りを潜めたのは事実だった。
助かった、と思ったのも束の間、界人は茜のことについて質問を繰り返してきた。
知らぬ存ぜぬの一点張りで応戦する茜を、心を開いていないことで口を開かないと勘違いしたのだろう。界人は何の脈絡もない雑談を持ちかけてくるようになった。
ドラマの話、くだらないウワサ、動画アプリで流行っている曲、今度の生徒会選挙の話……どれも茜には、界人が情報をを得るための布石にしか思えず、会話も盛り上がることはなかった。
目の前の彼方という男子は何を目論んでいるのだろうか……茜はそうやって心の窓を閉ざしていた。
***
「私は駅の方だから」
茜が短くそう言った。学校から伸びた道は大通りにぶつかって、右手が駅、左手がバス停の方向だった。
──何もしないまま、終わるのか。
なぜだか、彼方には茜と月曜日に会えるとは信じられなかった。それほど茜にはどこか儚げな雰囲気があった。
カラカラに乾いた口を勇気を振り絞って開いた。
「俺は……、この世界を変えたいんだ……」
茜が立ち止まった。
それが、ちょうど大通りに出たからなのか、自分の話に反応を示したからなのか、彼方には分からなかった。
だが、彼方はそこから堰を切ったように話し始めていた。
「子どもの頃から、父さんと一緒に行ってた鉄板焼き屋があったんだ。落ち着くし、大将が良い人で、ずっと良くしてもらってたんだ。美言と絢斗も連れて行って……、客はいないけど、だから、大将も混じってバカみたいな話をしてさ……。そこで食べるお好み焼きが世界で一番うまいって思ってた。それを俺がぶっ壊したんだ」
「どうして?」
「近くのチェーン店のCMを大将の店で発動した奴らがいたんだ。大将はずっと悩んでた。自分の店はCMを出してないから、CMを出してるチェーン店には勝てないって……。それを嘲笑ってるような気がして、許せなかったんだ。世界で一番うまい店なのに、CM出せないからって、あんな奴らに踏みにじられるのが、悔しくて堪らなかったんだ……」
茜は彼方の話にじっと耳を傾けている。
「CMが発動されたら、大将も美言も絢斗も、みんな腑抜けになっちゃうんだよ。絶対悔しかったはずなのに、大将がCMの
「だから、広告を邪魔したの?」
「ああ」
「でも、広告の妨害は──」
「知ってるよ、犯罪だ。でも、法律を守ってたら何をしてもいいのかよって、俺はずっと思ってる。法律に触れないからって、ひどいことをする奴なんて腐るほどいる。それは有馬さんだって感じてるだろ? 【リンク】で有馬さんのことを攻撃してる奴らは、自分は罪に問われないって高をくくってるんだよ。そいつらをぶっ飛ばして、何が悪いんだ……!」
茜も罪を犯した身として、彼方の言葉にうなずく部分も多かった。
だが、それを口にしていいものかどうか、彼女はまだ悩んでいた。
「でもさ、俺の罪を父さんが被ってくれて……、母さんも俺を責めることもしなくてさ。俺のせいで父さんは仕事も広告契約もなくなっちゃったのに、だぜ」
彼方は力なく笑う。それは無力感に浸された心が見せる最後の抵抗のようなものだ。
「俺には何が正しいのか分からないよ。でも、認めたくないんだよ、人がCMに支配されてる現実を、広告のランクで差別し合うバカバカしさを、〝広告契約のためにこうあるべき〟みたいな型押しされた道徳観を……。俺にできるのは、CMに茶々を入れてバカにすることくらいだよ。それすらも、俺一人でバカみたいでさ。一人だけ斜に構えて世の中を見てるイタい奴みたいに思えて、このままでいいのかよって……。でもさ、俺がCMにツッコミを入れると、CMがそれを取り込んじゃうんだよ。その時にちょっと持っちゃったんだよ。〝あ、俺認められてるのかも〟って……バカみたいだろ?」
「そんなことない、と思う」
喋り疲れた耳には茜の言葉があまりにも信じられなくて、彼方は聞き返してしまった。
「そんなことないか?」
茜の頬が少し赤らんでいた。彼方の熱に当てられたのかもしれない。
「私はずっとそういうのから逃げてきたから。戦おうと考えているだけでもすごいと思う」
胸の中で膨らんでいたこの世界と自分自身への不信感が、細い針でゆっくり刺したように、スーッと縮んでいくのを彼方は感じていた。
「わ、私も……」
茜の心臓が脈打つ。
「私も戦いたいから……」
茜は覚悟を決めていた。
あの夜の、あのひと気のないビルん谷間で起こったこと、そして、真理愛乃のことについて口にすることを。
茜の長い話が終わって、彼方は放心状態になっていた。
いつの間にか陽も傾いて、そばの街灯はとっくに光を放っている。
「そんなことが……」
茜はうなずいた。
だが、彼女の中には罪悪感が根を張っていた。【ブラックリスト】に関することだけは、やはり話すことはできなかったのだ。
これまで人目を忍んでやってきたことは、彼女にとって恥部そのものだった。
男たちの下心に付け込んできた汚らわしい行為の数々は、胸の内だけに秘めておくと決めたのだ。せっかく初めて出会った存在である彼方に見放されたくはなかった。
「本当に家族も知らないのか?」
「うん……、とても話せるようなことじゃない。真理愛乃さんのお母さんにも、今になって打ち明けることなんて、絶対にできない」
「もう引き返せないか……」
「私は最低な人間だよ」
「俺だって変わらないよ。家族を壊しかけた。この能力のことだって、話していない」
真理愛乃が消えたことも、彼女になりすましたことも、周囲の人間にウソをつき続けてきたことも、糾弾されるべきだと思っていた全てをすんなりと受け入れられて、茜はこれまで味わったことのない感慨に浸っていた。
「人型の黒い影……そいつを探さないか?」
物思いに耽っていた茜は、唐突に投げかけられた言葉を理解するのに時間がかかった。
「え……、どういうこと?」
「俺たちにできることはそれくらいしかない。やろう!」
彼方の目は燃えていた。その炎の糧はただ一つ、劣等感だった。
──そいつを探し出してぶっ飛ばせれば、俺だって……!
それがこの
彼を止めるものなど、もうどこにもなかった。
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