第33話 告白
二日前 四月第三週 水曜日
〈
「はぁっ?!」
腹の底から湧き上がった声に、公園を出ようとしていた
「いきなり大きな声を出してどうしたんだい? 早く学校に戻らなくては……」
広告のせいでソフトリーゼントにセットされた頭を弱り切ったような表情で撫でつける彼方は、藁にも縋る思いで界人に目を向けた。
「うちの高校の生徒が警察に連れて行かれそうになってるって……」
「どういうことだい?」
近寄ってくる界人に、彼方は次々と送られてくる美言のメッセージを要約する。
「失踪事件に関わっている恐れがあるからと任意同行を求められているらしい」
「失踪事件に? 生徒の名前は?」
「有馬
「その疑いの根拠は……──いや、いい。僕自身で確かめたい。有馬さんの家の場所は?」
「ちょっと待て」
界人に手のひらを見せて、彼方は美言へメッセージを送る。
〈ロケーション情報を送ってくれ。そっちに行く〉
すぐに美言からGPS情報が送信されてきた。マップを開いて、界人にその画面を見せる。
〈ねえ、なんかやばそう〉
〈来てももう遅いかも〉
美言からの短文が何通も着信する。
「今から行っても間に合わねえよ……」
弱音を吐く彼方の腕を界人が掴んだ。
「【ルートマスター】
二人の身体が光に包まれ、すっかり暗くなった夜空に打ち上げられる。予期せぬ出来事に、彼方はバカみたいに叫んでしまった。
「ぎゃあああああああああぁぁぁ~~~~~……!!!」
「落ち着け、
放物線を描いて飛んでいく中、界人が冷静に口を開いた。
「この
「じゃあ、今日の見回り全部これでよかっただろ~~~!!」
「君は分かっていない。広告契約者たるもの、世の経済を少しでも回す努力を惜しんではならないのさ。だから、電車賃もバス代も払うのだよ」
「だからって、急にこれはねえだろ~~~~!!」
上空から光を纏って飛来してきた界人と彼方に、茜の自宅前にいた美言と絢斗が目を丸くした。
「彼方!」美言が駆け寄ってくる。「有馬ちゃんがちょうど帰って来て……それで……!」
見ると、玄関の前に二人の制服警官と、
──何が起こったんだ?
事態を把握しきれず混乱している彼方へ警官たちの視線が突き刺さる。
「なんだ、君たちは?」
彼方が答えに窮していると、界人が彼らの方へ悠然と歩き出した。
「失礼。私は市長直轄の広告治安維持部隊・ウォッチドッグス統括官の徳川界人と申します」
訝しげな警官は、不審者を見るような目つきをしている。
「止まりなさい。見たところ、高校生のようだが?」
もう一人も呼応するように目を細める。
「分かっていると思うが、広告治安維持機関を騙ることは犯罪だぞ」
界人はそれでも微笑みを崩さない。彼はブレザーからバッジのついた手帳を取り出して、警官へ差し向けた。
「お二人に支給されている官製スマホでそこのバーコードを読み込んで下さい。私の身元を証明してくれるでしょう」
警官は言われるがままに手帳に印刷されたバーコードにスマホのカメラを向けた。すぐに、二人の顔色が一変する。
「こ、これは失礼しました……!」
──時代劇みたいだな。
ヘコヘコと頭を下げる警官に彼方がそう思っていると、界人はバッジをブレザーのポケットにしまい込んで質問を飛ばした。
「彼女はうちの高校の生徒です。これは一体どういう事情なのかご説明願います」
有馬
「情報がありまして……そこにいる有馬茜さんがとある失踪事件に関わりがあると」
「とある失踪事件とは?」
「それを今確かめようとしているんですよ」
「事件の詳細もなく警察が動くのは不自然ですね。情報源は?」
「匿名の情報提供者です。あなたには関係がない」
界人には警察が動いている理由が分かっていた。ケースコード・V──警察では不審失踪と命名されている謎の失踪事件群だ。
高校で風紀委員たちに聞いて初めて失踪事件が頻発していることを知った界人は
邪な思惑が渦巻く街で、そのことに今まで気づかなかった自分を、界人は情けなく思っていた。その思いが今も彼を突き動かしているのだろう。
「事件についての詳細が明らかでないのならば、彼女に任意同行を求めることは職権の濫用ではありませんか?」
「それは……」
警官たちは押し黙る。その理由は、不審失踪について報道規制が敷かれていることに繋がると界人は知っていた。
「事件の詳細を固めるには、その匿名の情報提供者に事情を詳しく聴かねばならない。その義務を怠り、真偽不明な情報で市民を振り回すのは警察の使命とはかけ離れていませんか?」
警官は咳払いをする。
「我々が申したいのは、安全なこの街でも常に防衛意識を持っていてほしいということです。こうした地道な活動によって犯罪者にとって居心地の悪い環境を作り上げているということです」
言い訳じみた言葉を残して、二人の警官は立ち去って行った。
「ありがとうございます」
美里が玄関口で頭を下げた。美言が意外そうに目を見張っていた。
「ルールに厳しいのに、警察に喧嘩売っちゃって……」
界人は首を振る。
「そんなつもりはないさ。それに僕は、根拠のない疑いを向けるような信頼を欠く行為が許せないだけだよ」
「茜、あなた何があったの……? それに今までどこに……」
心配そうに声をかける美里だったが、茜は取り繕うように笑いを浮かべた。
「警察の人の勘違いでしょ。ちょっと散歩行ってただけだから、気にしないで」
彼女はそう言って美里の横をすり抜けると、家の中へ消えていってしまう。
「登校してくれるのを待っているから、その時に話を聞かせてくれ!」
界人はよく通る声で茜に呼びかけた。
それが通じたのか、その時の彼らには分からなかった。
***
四月第三週 金曜日
彼方は拭いきれない劣等感を抱えたまま、放課後を迎えた。
スクールバッグを肩から提げてサッと教室を出て行く界人を横目で見て、彼方は今の自分に何ができるのかを考えていた。
「ま~た終わり顔してるよ」
美言が彼方の視界で手を振って見せる。絢斗がバッグの中から小型のカメラ【
「映画研究会の活動、まだろくにしてないだろ」
目の前にポンとこれまでの日常を投げて寄越されたような気がして、彼方はどこかホッとしていた。
「そうか、そういえばそうだったな」
教室を出て、三人で学生棟の映画研究会の部室へ向かう。
「あたしら部活じゃないから、部室じゃなくて会室になんの?」
美言が呑気な疑問を口にしている。絢斗が鼻で笑った。
「部室っていうのは、そういう意味じゃないだろ」
「じゃあ、何の略よ?」
「だから、略とかそういうんじゃないんだろうよ」
「逃げてんじゃね~よ」
「逃げてない」
言い合う二人に二日前の出来事の記憶があるのか、それともあのことを忘れるようにいつも通り振る舞っているのか、彼方には分からなかった。
「で、何を撮ればいいんだ?」
【
──生徒の自主活動は半年以内に活動実績を報告する義務がある……。だけど、いまさら何を……。
「彼方は有馬ちゃん撮りたいから乗り気じゃないんだよ~」
「勝手に決めつけるな」
「その気持ちは分かるぞ、うん」
「お前は何も分かってないだろ、絢斗」
言わせたままにするのも癪で、映画研究会としての実績を残せないのも負けた気がする……彼方は一つの案を閃いた。
「じゃあ、学校の色んな場所の映像を撮影して回ろうぜ」
「えー、なんで?」
美言は不満げだ。というより、つまらなそうだと顔に書いてある。
「この高校も創立してから四十年以上経ってる。なにかしら歴史的な出来事もあるだろう。学校の色んな場所の映像にそういう情報を織り込んだテロップを入れれば、何となく形になるだろ」
「めっっっっちゃくちゃクソ動画」
ゴーヤを煮詰めた汁でも飲まされたような顔で美言が拒否反応を示す。絢斗も、
「弟が観たら寝るというより気絶しそうだな……」
と全く興味を示さない。
「学生の作品って感じがして、教師からのウケはいいだろ。活動実績には充分だよ」
「教師からのウケとあたしらのセンスを比べたら、絶対あたしらのセンスを優先すべきだね」
「学校の映像を撮り溜めるのは悪いことじゃないだろ。映像素材を溜めておくんだよ。もし、有馬さんが参加してくれるなら、シーンの繋ぎ目とか雰囲気を出すための材料として使えるだろ」
二人を説得するために茜の名前を出した彼方だったが、ニヤついた顔が向けられる。
「あ~、おけ。そういうことね~」
「まったく、素直じゃないな、彼方は」
二人は部室に向かうのも忘れて、美言が撮影場所の指示を出し、絢斗が撮影を行い始めた。
「え、待って、あれ有馬ちゃんじゃね?」
高校のメインとなる校舎・中央棟の一階の廊下で、美言が声を上げた。指を差す方、校門へ向かう茜の周囲に三人の女子が群がっているのが見えた。
「あれは……マズいな」
絢斗が表情を曇らせる。彼方はその様子に疑問を抱かずにはいられない。
「なんで?」
「有馬さんが〝
「……ホントにそんなランキングあるのかよ」
「【リンク】やなんかで有馬さんを攻撃するようなメッセージとかが出回ってるんだ。だから──」
彼方は校内履きのまま昇降口に向かって、そこから校庭へダッシュした。
「犯罪者がのうのうと学校来てんじゃねーよ」
「警察呼ぶぞ」
女子に暴言を吐かれながらも、茜は無反応のまま歩き続ける。相手の様子に苛立ったのか、
「おい、無視すんな」
と言って、女子の一人が茜の行く手に立ちふさがる。その脇を通り抜けようとする茜の身体を突き飛ばして、女子が低い声を飛ばした。
「調子乗ってんの、あんた?」
茜が口を開こうという瞬間、彼方が勢いよく駆け寄ってきた。
「おい、何してる!」
女子たちは舌打ちをして、解散していった。
「犯罪者同士庇い合ってんじゃねーよ!」
捨てゼリフを吐く彼女たちを睨みつけ、彼方は茜に目をやった。
茜のことを間近で見たのは、それが初めてのことだった。きめの細かい艶やかな肌が煌めいているように彼方の目には映った。
大丈夫か──そう声をかけようとした彼方の背中から、美言と絢斗がやって来る。
「あんたそんな足速かったっけぇ?」
「俺たちが
彼方は茜から目が離せなかった。毛先まで潤いのある黒髪は、香り立つように風にさらさらと揺れていた。声を発する彼方は緊張していた。
「有馬さん、大丈夫だった?」
茜の目が彼方たちを見回す。二日前に自宅の前に集まった顔ぶれだということは分かっているらしい。
「もう、大丈夫なんで……」
これ以上関わらないで、と言うように茜は歩き出す。
茜と言葉を交わす界人や活躍を見せた父の顔が思い浮かんで、彼方は焦っていた。
──このまま彼女を行かせてしまったら、俺は本当にただの木偶の坊だ。
この世界にもしかしたらそれ以上いないかもしれない、広告を認識できる能力の持ち主……自分の目的を思い出すと同時に、背中を押す手があった。
振り返ると、美言と絢斗がうなずいている。親友たちに言葉は要らなかった。
彼方は二人のもとを離れて茜の背中に駆け寄り、その言葉を告げた。
「俺も、CMがCMだって分かるんだ」
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