第32話 激闘の後で
焼津での〝
ほとんど全てが
今回の事件は広告と刑事にまたがるものだった関係で、
ただでさえ無理をしていた身体に
おかげで、衛士が解放された頃にはすっかり陽が落ちて、この日は焼津で一泊することになった。
「大変でしたね……」
突然姿を消した衛士を探し回っていたという
「今までは自分が刑事で事情聴取する側だったんですけど、こりゃあ、疲れますわ……」
「私の方でビジネスホテルを取っておきましたので」
「助かります……。今は一刻も早く眠りたい……」
疲労困憊のまま、衛士は青山と別の部屋に身を落ち着けた。
ベッドの上にドーンと大の字になって天井を見つめる。
──探偵としての最初の仕事にしてはハードだったな……。
ぼんやりと今日一日を振り返る衛士は、気づけば真っ白な空間に立っていた。
ちょっと離れたところに丸いハイテーブルがあり、そこになにやら風格のあるおじさんが立っている。〝ねぎらい案内人〟だ。
「こんばんは~」
「頑張ってますね」
風格のあるおじさんが優しい表情で衛士を湛えた。
「いやぁ、実は今日が探偵として最初の仕事でして……」
衛士は喋るのを風格のあるおじさんは静かに聞いている。衛士の苦労話を聞き終えると、彼はおもむろにグラスに【グリーンライト】を注いでいった。鮮やかな琥珀色の液体とクリーミーな泡がグラスを満たす。
「頑張るあなたに」
差し出されたグラスを受け取って、勢いよく一口目を流し込む。
「くぅ~」
背後から水飛沫がパーっと上がる。鼻に抜ける柑橘系の香りが爽快感を増す。
仕事を片づけた後の至高の一口に心を満たされながら、衛士は風格のあるおじさんに言った。
「【グリーンライト】のCMも初めて発動したんですよ」
「それはよかった」
その後も、言葉を交わした衛士だったが、そのままビジネスホテルのベッドの上に転移して、眠りの中にフェードインしていった。
***
「この度はお世話になりました」
「どうしても最後に挨拶がしたい」という連絡が青山のもとに入り、二人が静岡駅へ向かう電車に乗るこの駅まで家族でやって来たのだ。
衛士は「いやいや」と手を振った。
「
祐人は拉致軟禁され、一日に一食しか与えられておらず、建物の中から出ることも許されていなかった。
それでも、健康状態に大きな影響はないとのことだったが、念のため検査入院をしていた。
「ついさっき連絡があって、おかげさまで、特に問題ないみたいで……。もう少しこっちでゆっくりすると言ってました」
母親が安堵の表情でそう言うと、衛士はうなずいた。
「久々にご家族で過ごされるでしょうから、ある意味よかったかもしれませんね」
家族で過ごすことの尊さを身に染みている衛士は、笑顔を浮かべる三人の家族に心温まる思いがした。
「これ、少ないんですが……」
父親が茶封筒を差し出してきた。喜びを爆発させたかった衛士だが、ここは日本人の美徳らしく、一度は辞退する。しかし、押し切られるくらいの強さで。
「いやいや、それは頂けないですよ……」
「いえ、青山くんからも聞きました。
衛士の活躍譚を伝えていたらしい青山もニコニコした顔でこの様子を見ている。
──青山さん、ナイスだ。新幹線で寝かせてくれなかった件は不問にしよう。
「それでは、すいません、ありがたく頂戴いたします……」
封筒越しに中身の紙幣の厚さを確認する衛士に、裕二が頭を下げた。
「何もできなかった俺の代わりに兄貴を助けてくれてありがとうございました」
「うん、助かってよかったよ。もちろん、君にも何事もなくてよかった」
「俺、ちゃんとやり直しますよ。今までみんなに迷惑をかけてきた分」
両親が嬉しそうに微笑む。
「そうだな。現実的なアドバイスだけど、半グレは色々なところで繋がってる。もしそういう連中からまた何かアプローチがあったら、迷わずに警察を頼ってほしい。もう一人で抱え込んではダメだ」
「肝に銘じます……!」
***
有本家に別れを告げ、静岡駅に到着した衛士たちは、そこで思わぬ出迎えを受けることになる。
「
唖然とする衛士をよそに、青山が祐人のもとへ駆け寄ってハグをする。
「もう大丈夫なのかよ?」
「うん、検査は終わったしね。それに、藤堂さんが東京へ帰るっていうんで、挨拶しておかなきゃと思ってさ」
「そこへ私が偶然やって来たという次第です」
酒井が口ひげを撫でて胸を張る。
「……何かしらの件で怒られるってわけじゃないですよね?」
衛士が笑顔を引きつらせると、酒井は首を横に振った。
「何をおっしゃいますか。藤堂さんは私の命の恩人、そんなことは断じて許しません。それに、風のウワサで聞きましたが、藤堂さんは探偵としてキャリアを始めたばかりだったとか。そこで、餞別というわけではありませんが、今後のお仕事のお役に立つかもしれない話を有本さんから耳に入れまして……」
「今後の仕事に?」
衛士が祐人に目をやると、彼は表情を固くした。
「僕を捕まえた連中が話しているのを聞いたんです。違法広告業者が広告を展開している街がある、と……。どうやら、僕はそこで一生を違法広告の契約者として過ごすはずだったようなんです」
「そういう街があるのなら、探偵への調査依頼も多くあるのではと思いましてな」
祐人の話を受けて酒井が難しい顔で腕組みをする。
広告に関する事件は酒井たち
特に、違法広告──未認証広告は広告の監視システムである天眼で捕捉することができない。
昨今では、そういう事案に探偵の需要が高まっているのだ。
「違法広告の街……どこなんですか、それは?」
祐人は答える。
「広告の
──阿戸市の近くに……? そんな話、聞いたことがない……。だが、もしそうだとすれば、不審失踪の裏には、やはり、違法広告が絡んでいるのかもしれない。
「参考になればいいんですけど……」
急に黙り込んだのを心配そうに見つめる祐人に、衛士は慌てて礼を言った。
酒井は口ひげに手をやる。
「連中の〝
「はぁ、そういう意味が……」
「しかしながら、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』では、カンダタはむしろ救い上げられる側です。連中の教養が知れますな。とはいうものの、あの連中の売買ルートには海外の武装組織が一枚噛んでいることは事実。だから、そのプロパガンダを
「人身売買のルートを潰すとなると、凄まじく大きなヤマになりそうですね」
「勝って兜の緒を締めよ、というやつです」
酒井は頼もしく自分の胸を叩いた。
「
「その件も含めてしっかり捜査をしなければなりますまい」
衛士の言葉を遮って、酒井は話を切り上げた。
新幹線の時間が迫っていた。
酒井たちはホームまで見送りについてきた。
「じゃあ、ゆっくり休んで、また今度ライブ行こうな、祐人」
新幹線のドアを挟んで青山と祐人は手を振り合う。座席につく衛士たちを見つけて、祐人は出発する新幹線と並走し始めた。よっぽど別れが惜しいらしい。
グングン速度を上げる新幹線。しかし、祐人もスピードを上げる。
「めっちゃついてくるじゃん、祐人」
静岡駅を出た新幹線と並走する猛スピードの祐人は、トンネルを抜けて背後に富士山が見えるところでも、速度を維持し続ける。
「速度が落ちない!」
新幹線の座席では、衛士と青山がキャッキャとはしゃいでいる。
結局、新幹線と並走した祐人は東京駅までついてきてしまった。
「めちゃくちゃ速いな、祐人!」
東京駅のホームで膝に手を突く祐人は、
「【テレコムスター レンタルWi‐Fi】は通信速度が業界トップクラスなんだ!」
と説明する。
「東京までついて来るとは……」
呆れる青山だが、祐人は笑顔だ。
「【テレコムスター レンタルWi‐Fi】は、〝あんしんサポート〟込みのレンタル料金だから、サポートがついて来るんだ!」
「せっかく地元でゆっくりできたのに……」
「じゃ、帰るわ!」
手を挙げて、湯とは猛スピードで静岡方面へ駆け出して行った。
「では、我々も解散しましょうか」
振り返った青山が何事もなかったようにそう言った。
「そうですね。二日間ありがとうございました」
衛士が頭を下げると、青山は恐縮してしまう。
「いやいや、こちらこそありがとうございます。有本を無事に救出できたのは藤堂さんのおかげですから。この度は本当にお声がけいただきましてありがとうございました」
深々とお辞儀をする青山と別れて、衛士は二日ぶりの我が家へ向かった。
***
静岡での出来事を嬉しそうに語る父を見て、
衛士の大活躍……それはマスコミには報道されてはいないが、称賛されるべき勇気ある行動だった。しかも、契約した広告が犯人逮捕に寄与したことは、
おまけに、想定していなかった謝礼を携えての帰還は、藤堂家の明るい未来を暗示するかのようだ。
そんな衛士を支えた母・
衛士が刑事を辞めてから、愛美は家計をコントロールし、数年単位の生活維持を目的に奮闘していた。それだけに、衛士の広告契約や今回の大手柄は自分事のように嬉しかったのだろう。
彼方は母ほど衛士の喜びを分かち合えなかった。
──俺は、何やってんだ。
家族に迷惑をかけて、街の見回りでも
この
翌日。
金曜日の学校は、どことなく浮ついている。教室では、あちこちで明日の予定を話し合うクラスメイトたちの声が飛び交っていた。
教室の廊下側の壁は窓になっている。その廊下を、真っ直ぐな黒髪をたなびかせてあるく色白の女子生徒が歩いていく。
そして、そのそばには界人の姿がある。一緒に登校してきたのだろうか、教室のドアの前で言葉を交わしている。
「NTR属性?」
彼方の視線に気づいた
「なに言ってんだ!」
彼方は顔を赤らめて美言の頭を引っ叩いた。
「いっで~……! 女性に対する暴行は死罪確定!」
「やかましいわ! もともと俺は有馬さんに好意なんか抱いてないの」
弁明じみた言葉を返す彼方の方に
「いいのか、彼方? 有馬さんは今や〝阿戸西高校一年生人気女子ランキング〟でトップ争いをする存在だぞ」
「お前の調査能力どうなってんだよ……。だから、関係ねーっつーの」
「同時に〝阿戸西高校黒いウワサランキング〟でも第一位を獲得してる。ミステリアスな女子に惹かれる気持ちも分からなくはないが……」
「だーっ! うるせえな!」
美言が興味津々に身を乗り出す。
「黒いウワサって、アレ?」
美言の危うい胸元に絢斗は目を逸らせながらうなずく。
「有馬さんが犯罪に関わってるっていう、アレだな」
教室内の女子が界人と有馬の姿に気づいてヒソヒソと言葉を交わしている。
「もうカップルみたいな感じだよね~、あの二人」
「あの堅物の〝市長の息子〟が黒いウワサのある女子と……? そんなことあるか?」
「分かってないな~、絢斗は。そういうところに惹かれるんでしょ」
「それ、俺がさっき言った」
あることないこと喋る二人を前に、彼方は二日前のことを思い出す。そして、また強く感じるのだった。
──俺は、何やってたんだ。
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