第31話 血みどろのアマちゃん

 酒井さかいは死を直感した。


 ビルの窓の外に轟音を立てて浮遊する戦闘機はこちらを向いている。戦闘機の機関砲の砲門が真っ直ぐと睨みつけていた。




 酒井は死んだことはなかった。広告の中でも。死を体験することがどのような意味を持つのかと考えると、彼は恐ろしかった。


広告内死亡症候群ADS〟──広告内での死が実際の死に直結してしまうという、世界でもまだ珍しい症状だ。


 原状復帰の原則のために保留状態にされている死亡状態によって脳死が引き起こされると考えられている。


 広告治安局アドガードの一員として、広告に関する見識を広めてきた。この希少な症例を知った時の酒井の衝撃は大きかった。


 原状復帰の原則は絶対的ではない──そう突きつけられたような気がした。




「逃げろ!」


 酒井は死に物狂いで叫んで壁の影に飛び込もうとした。


 しかし、その時、轟音を発していた戦闘機がパッと消滅してしまった。


 一瞬、中空に腰を下ろしていた犍陀多カンダタの構成員が驚愕の表情を貼りつけて落下していった。


 ──た、助かった……、のか?


『【クリティカル・コンバット・フィールド】の広告主スポンサーが広告の契約を解除した模様です』


 オペレーターの声は救済の合図のようであった。酒井が期待していた広告主スポンサー対応が間一髪のところで完了したのだ。


犍陀多カンダタの幹部、蓮見はすみ京史きょうじを確認しました』


 ビルの外に展開する隊員から無線が入る。


『ビル内、構成員の制圧完了』


 今度は別の隊員からの報告だ。酒井はホッと胸を撫で下ろす。


「よし、蓮見を確ほ──」


 銃声がする。


『うわぁっ!!』

有本ありもとさんの保護を頼む!」


 酒井はビル内部に展開していた広告術アドフォース階層分断フロア・セパレーションを解除して、階段を駆け下りた。




 隊員たちが蓮見を取り囲んでいた。しかし、中には倒れている者もいる。


 包囲の只中にいる蓮見は防護服ボムスーツと強化プラスチックのバイザーのついたヘルメットを被っている。それがゴム弾を無力化しているようだった。


 ──防護服ボムスーツ……なんの広告術アドフォースだ?


 広告や広告術アドフォースは、永遠ではない。広告主スポンサーによって広告自体に効力を持つ期間が設定される。


 中には、その期間を更新し続けるような長年愛される広告も存在するが、それは稀なことだ。基本的にはリニューアルを繰り返し、時代に即したものにアップデートされていく。


 蓮見の防護服ボムスーツ広告術アドフォースによるものであることは明白だ。だが、現在効力を発揮している広告のどれが該当するのか、酒井にはすぐに思い当たらなかった。


「蓮見!」


 酒井は怒号と共にゴム弾と減音器サプレッサーを装備したライフルで銃撃した。蓮見は殴られたような衝撃を受けながらも、手に持ったAKカラシニコフ小銃で応戦する。


 ビルの壁にサッと身を隠した酒井は、息を整える。


 向こうで銃声が轟いて、隊員たちが逃げていく。


 ──広告術アドフォースが分かれば、あるいは……。


 広告術アドフォースは広告と共通のランクを有している。高ランクの広告術アドフォースならば、蓮見の防護服ボムスーツを破れる可能性があった。


 壁から顔を覗かせる酒井は、蓮見が自暴自棄になってAKカラシニコフを乱射する様を冷静に見つめていた。


 現状のままでは、退避できている隊員たちに危険はないが、蓮見に近づき確保するのは難しい。


「あっ……!」


 蓮見の防護服ボムスーツがパッと消える。


 酒井が飛び出すよりも先に蓮見は弾幕を張りながら雑居ビルの隙間の路地に身を隠した。


『ブラウン&ジョンソンの【スプリングバーガー】の広告契約が解除されました』


 オペレーターの報告に、酒井は膝を打った。


 大手ファストフードチェーン・ブラウン&ジョンソンが現在展開している二種類のハンバーガーの広告だ。


 分厚いビーフパティ二枚を挟んだ〝ミートショック〟とチキンを挟み野菜をふんだんに挟んだ〝グリーンアタック〟──爆弾解体中の処理班の一人が茶色と緑色のワイヤーを残して「どっちだ?!」と悩むシーン……そこに防護服ボムスーツは登場していたのだ。


 ──厄介な広告を……!


『国内の広告主スポンサーが契約を解除しています。ただ、いくつか海外の広告契約があるようです。悪いことに、武装組織のプロパガンダが含まれています。そちらはすぐの対応は望めないかと……』

「動ける者は蓮見の包囲を崩さず、このエリアに留めることに集中せよ」

『了解』


 海外の広告主スポンサーというだけで、日本との対応の違いがあり広告の契約解除に時間がかかる上に、武装組織のプロパガンダの契約解除交渉は、国家間の問題に発展する可能性があるかなりデリケートなものだ。


 次の策を考える酒井のもとに、隊員たちに連れられて有本がやって来る。


「ああ、有本さん、大丈夫ですか? すぐに救護が──」

『隊長、奴がビルの中に……!』


 有本たちの背後から決死の覚悟で飛び出してきた蓮見がAKカラシニコフを乱射する。


 背後を取られた隊員たちが倒れていく。


 酒井は有本を突き飛ばして、蓮見の銃弾を腹に食らってしまった。防弾ベストを着用していたとはいえ、凄まじい衝撃に酒井は気絶しかかる。


 しかし、自分のライフルを落としてもなお、腰から拳銃を抜いて、倒れざまに蓮見に向かって発砲した。


 弾丸が蓮見の太ももをかすって、後ろの壁にぶち当たった。


「死ねぇ!」


 蓮見が銃口を酒井へ向ける。


 酒井の目には全てがスローモーションに映っていた。


 突然、横合いから顔色の悪い男が飛び出してくる。衛士えいじだった。


 彼は叫ぶ。


「【グリーンライト】抽出エクストラクテッド……、清涼飛沫スプラッシュ!」



***



「広告の内容なんですが、後ほど動画などでも確認頂くのですが、ここで説明させて頂きますね」


 午前中の広告監視機構AMA事務所。

 契約確認の係員がゆったりとした口調で口を開いた。


「まず、藤堂とうどうさんは白い空間に転移されます」

「あの、その時って、なにかリアクションしても問題ないんですか?」


 係員はニコリとする。


「問題ございませんよ。『こんな所に来たんだ~』のように周囲を見回して頂いても問題ございません。そうしますとですね、少し離れた場所に丸いハイテーブルがございまして、そこに【グリーンライト】の缶とグラスを持った方がいらっしゃいます。こちら、場合によっては、タレントの大河内おおこうち重貞しげさださんですとか、俳優の寺田てらだ正彦まさひこさんになることもございます。こちら、広告主スポンサーからは〝ねぎらい案内人〟という設定だという説明を頂いております。その〝ねぎらい案内人〟が『頑張ってますね』と声をかけますので、藤堂さんはご自分の再スタートについてお話し下さい」


 大喜利のお題に入るみたいな説明だが、寝不足の衛士は素直にうなずいた。


「その後、〝ねぎらい案内人〟が『頑張るあなたに』と言って【グリーンライト】の注がれたグラスを渡しますので、藤堂さんは思いのままにそれを飲んでいただければ問題ございません」

「あ、テレビで観てるやつと同じなんで、イメージ通りですね」

「それはよかったです。【グリーンライト】をお飲みになった際に、爽やかさをアピールするための水飛沫が上がります。そちら、身体にかかる場合もございますが、問題ありませんのでご安心下さい。あとは、〝ねぎらい案内人〟と談笑して頂ければ、広告は終了いたします」

「わっかりましたぁ~……」



***



 清涼飛沫スプラッシュは、それ自体はただ水飛沫を上げるだけだ。膨大な水の量を発射できるわけではない。広告術アドフォースの威力としては下級のものだ。


 だが、蓮見の視界を遮り、一瞬だけ怯ませる程度の隙を生み出すには充分なきっかけだった。


「蓮見いいいぃ!!!」


 床に横たわった酒井から発射された弾丸が、蓮見の右膝を撃ち抜いた。


 ラバーソールの靴で濡れた地面をこすったような「ぐびぃっ!!」という呻き声が上がる。


 酒井がもう一度引き金を絞ろうとしたが、彼の拳銃を含めた周囲の銃器が唐突に全てバラバラに砕け散る。


 驚く酒井や衛士を尻目に、蓮見が床にへたり込んでいる有本の腕を掴んで羽交い絞めにした。


 バラバラになった拳銃を掻き集めようとする酒井を蓮見は鼻で笑う。


「バカめっ! 特注の広告術アドフォースだ!」


 有本を羽交い絞めにしたまま、横たわる酒井の顔面を思いきり蹴りつけて、蓮見は狂気に満ちた笑いを飛ばした。


 アドレナリンで膝を撃ち抜かれた痛みを感じていない様子だったが、右足を引きずって横たわる隊員の装備からナイフを抜き取った。


 その切っ先を有本の首筋に向ける。


「逃走経路を確保しろ! さもないと、こいつを殺す!!」


 衛士は中腰のまま周囲の状況を確認していた。


 蓮見は横たわる酒井へ向けて、有本を掴みながらジリジリと近寄っていた。次第に蓮見の視線が酒井に向けられる。同時に、その背中が衛士からはよく見えるようになっていった。


 ──武器さえあれば……!


 有本を人質に取られては、制圧術を使おうにも使えない。


 銃器は謎の広告術アドフォースでバラバラにされ、隊員の装備からナイフを抜こうにも近くに隊員がいない。


 早くしなければ有本の命に危険が及んでしまうし、蓮見を逃がしてしまう……その焦燥感で震える衛士の手がポケットの中にあるものを探し当てた。


 衛士の心臓の鼓動が早まる。タイミングは一瞬しかない。


 蓮見が酒井へ近寄って怒号を発した瞬間を狙って、衛士は背中に飛び掛かった。


 その手に握られていたのは、広告監視機構AMAの公式キャラクター・アマちゃんのボールペンだった。


 午前中、広告監視機構AMAの事務所で広告契約のお祝いとしてプレゼントされたものだ。


 蓮見の背中に思い切りアマちゃんのボールペンを突き立てると、衛士が想像していた以上に突き刺さってしまう。下の角度から刺さったせいで、血がボールペンに沿って滴り落ちる。


「ぐがっ!」


 蓮見の悲鳴が上がって、その手から離れた有本が床に倒れる。反射的に背中越しに蓮見の胸元を掴むと、衛士は腰を入れて相手の身体を投げ落とした。


 ──制圧術第四章体術第十節……〝大地抱擁だいちほうよう〟。


 身体の前面を床に叩きつけられて、蓮見は失神する。


 静寂が訪れたビルのエントランスで、衛士はへたり込んだ。


 ──お……、終わったぁ……!


 蓮見が意識を失ったことによって広告術アドフォースの効力が切れ、酒井をはじめとした広告治安局アドガードの隊員たちが続々と立ち上がる。


 退避指示が出ていた場所に一般人が入り込んだ戸惑いやその一般人に助けられた驚き、そんな救世主が目の前で放心したように尻餅を突いている状況に苦笑いを浮かべて、酒井は衛士へ手を差し伸べた。


「助かりました」


 衛士は力のない笑みを返して、力強いその手をしっかりと握り返す。


 ビルの隙間から差し込むオレンジ色の西日の中、その二人を血に濡れたアマちゃんが見つめていた。

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