第29話 真の敵

 広告契約を済ませた衛士えいじはその足で阿戸あど市東部の東阿戸町へ向かった。


 東阿戸駅からは東京駅方面の電車に乗ることができるのだ。駅周辺で駐車場を探す衛士は、そこでようやく車に乗って来たことを後悔した。


 静岡での滞在時間がどれくらいになるか目途が立っているわけではない。つまり、ここで車を置くと駐車料金がどれだけかかるか分からないのだ。


 不運なことに、愛美まなみは運転免許を持っていない。


 ──念のために打診しておくか。


 車を停めた衛士は詩英里しえりにメッセージを送った。


〈すまん、東阿戸町の駐車場に車停めたままになりそうで、もしよかったら俺の家に運んでおいてくれないか? 駐車料金は後で立て替える〉

〈分かりました!〉


 秒単位の返信速度に衛士はやや恐怖を感じたが、これで不安は払拭された。



***



 東京駅にある牛丼店・石田屋で手早く昼食を済ませた衛士は青山あおやま信輝のぶてるとの待ち合わせ場所へ向かった。


 早食いは刑事時代に習得した特殊技能だ。短い隙間時間に素早く腹を満たす技術は、刑事をやれば誰でも身につくようになる。



「ああ、藤堂とうどうさん!」


 新幹線改札口のそばで青山が手を挙げた。その手からは駅弁らしきものが入った袋がぶら下がっている。


 藤堂は改札口を指さした。


 指定席を取った新幹線の時間まではまだあるが、早く出られるのなら前の時間の新幹線でもいいと二人は事前に話し合っていた。


「行きましょう」

「行きましょう。あの、来る途中で藤堂さんの分の駅弁も買いましたんで、よかったらどうぞ」

「ああ、ありがとうございます……」


 刑事としての特殊能力を発揮したのが無駄になってしまったが、青山の気遣いを無駄にしないためにも衛士はありがたく頂戴することにした。


 とはいうものの、袋の中身を確認した衛士は仰け反ってしまった。


 ──よりによって牛飯ぎゅうめしかよ……。




 この昼二杯目の牛と米のコラボを常人並みのスピードで堪能した衛士はすっかり満腹になって、最大限の眠気に襲われていた。


 しかし、隣の席では、友人の危機に瀕している青山が目をギンギンにしていた。


「藤堂さん、私、思い出したことがあるんですけど、有本ありもとの弟は、その昔、結構やんちゃしていたようなんですよ。もしかしたら、昔の悪い仲間に何かされたんじゃないでしょうか」

「そうですね。そうかもしれません」

「どうしましょうか。もし有本が借金のカタか何かで囚われているんであれば、もっとお金を下ろしてきた方がよかったかもしれません。いや、向こうでもお金は下せますよね、きっと」

「そうですね。そうかもしれません」

「静岡だったら修学旅行なんかで来る調子に乗った学生のためにどこかのお土産屋で木刀なんかも売っていそうですよね。一応、武器として買っておいた方がいいかもしれません。あれ、一本いくらくらいするんでしょうかね?」

「そうですね。そうかもしれません」


 ようやく返答が一つしかない衛士に気づいて、青山は憤慨する。


「藤堂さん、話を聞いて下さい! 有本のピンチなんです。何か……、何か策を練っておかないと……!」

「そうですね。そうかもしれません」


 東京駅から静岡駅まで終始この調子で、衛士は寝る暇も与えられないままおよそ八十分の新幹線移動は幕を下ろした。


 静岡駅に降り立った衛士は、たらふく牛肉と白米を胃に放り込んだと思えないくらいげっそりとしていた。


 そのせいなのか、衛士の最初の感想は、


「静岡も東京と気候が変わらないんですね」


 というなんとも間の抜けたものだった。


 駅を出て在来線乗り場へ向かう途中、今のままではマズいと感じたのか、衛士は自販機で缶コーヒーを調達。何とか自我を保てるようになった。


 二人は在来線で西焼津に向かい、駅を降りるとタクシーで有本の実家を目指した。



***



 有本の実家は大きな公園の見える住宅街の一角に佇んでいた。黒い屋根の二階建てを前に、青山は緊張を顕わにする。


「一回だけ来たことがあるんですよ、ここ」


 インターホンを押すのに躊躇している横で、眠気の波を乗り切った衛士はボタンへ指を伸ばした。こういった聞き込みは慣れっこなのだ。


 すでに二人がやって来ることは連絡済みだ。


 玄関から顔を出した有本の母親はこぼれた米でも掻き集めるかのように二人を家の中に招き入れた。


「弟さんはどこに?」


 一階のリビングに通されるなり、コートも脱がないまま青山は尋ねた。


祐二ゆうじは二階の部屋に籠りっきりで……」


 衛士は青山と視線を交わしてうなずいた。


「行きましょう。有本さんの状況がどうなっているかも分からない」


 階段を駆け上がる二人の後から、心配げな母親もついて来る。


 二階の祐二の部屋のドアは閉ざされていて、内側からロックがかかっていた。ドアノブを捻ると、部屋の中から祐二の声がする。


「もう何も喋りたくないんだよ!!」

「ずっとこの調子なんです……」


 母親が声を潜めて言う。その目からは心労が窺い取れる。


 青山が意を決してドアを叩く。


「祐二くん、青山です。憶えてるかな?」


 部屋の中の空気が一変するのがドア越しでも衛士に伝わってくる。


「ノブさん……? なんで来てんの?」

祐人ゆうとが心配で、祐二くんが何か知ってるらしいと聞いて来たんだよ。頼む、話を聞かせてくれ」


 母親も懇願する。


「誰も祐二のこと責めようと思ってるわけじゃないんだよ」




 かくしてリビングにやって来た一同は、久しぶりに姿を現したという無精ひげを生やした祐二の話を聞くことになった。


 黒地に金のラインの入ったジャージ姿で、首元にはタトゥーが顔を覗かせている。強面ではあるが、今ではその迫力は鳴りを潜めている。


「昔から、兄貴には世話になりっぱなしだったんだ。俺はあちこちでトラブル起こしてたから、その尻拭いを俺が知らないところでもやってくれてた」


 さっさと要点を話してほしかった衛士だったが、祐二なりの話のまとめ方があるのだろうと、ここは我慢して話の続きを聞くことにした。


「クレカ持つようになって、金が払えないって時も兄貴が肩代わりしてくれたこともあったんだ……」



 すると、ソファに座った祐二の母親が居住まいを正して咳払いをした。


「私も、ちょっと前に少額のお借り入れを何度かしただけなのに、電話で相談したら、五十万円も返ってきたんです。ホントに助かりました~」


 唐突にどこかの弁護士事務所の過払い金還付のインタビューに棒読みで答える母親を、祐二は横目で見て話を続ける。



 こういった広告の一部を担うだけのケースも多くある。広告世界アドワールドの住人にとっては当たり前の時間だ。


「兄貴が東京に行ってから俺も考えを改めなきゃいけなかったんだけどできなくて……最近になって、半グレみたいな連中と知り合ったんだ」


 その半グレに有本が掴まったのだろうと思いながらも、衛士は口を閉ざしたまま先の話に耳を傾けた。


「そいつらが女の子とヤれるマッチングアプリを作ったって言ってて、その広告の契約をしないかと持ちかけてきた。報酬は悪くなかった。でも……」

「違法広告との契約は犯罪だ」


 青山が口を挟むと、祐二は痛いほどに首を縦に振った。


「俺は『考えときますよ』って適当に流しちゃってたんです。そしたら、あいつら、契約するように迫ってくるようになって……。いつの間にか、兄貴にもその話が行っちゃってて……」

「それで、祐人はどうなったの?」


 ついに聞きたかったことを質問する祐二の母親に、衛士は感謝した。


 祐二は頭を掻き毟って溜め息をついたが、その吐息は震えていた。


「兄貴は半グレの違法広告を告発すると言った。それで、半グレの奴らの怒りを買って……連れ去られた」

「連れ去られたって、どこに?!」


 母親が詰め寄ると、祐二は頼りなげな声で答えた。


「たぶん、その半グレのアジト……。焼津駅近くのバーだよ」

「どうして今まで黙ってたの!」


 母親が叱責の声が飛ぶ。祐二は苦い表情で俯いた。


「俺、ずっとダメな人間だったから……、こんなこと話したら、みんなから見放されると思って……でも、自分じゃ怖くて何もできなくて……」

「いつでもあんたの味方なのに!」


 母親の声に祐二は肩を震わせた。


 心が青いまま、ここまで来てしまったのだろう。そういう人間を衛士はたくさん見てきた。誰もがみんな引き返せないところで膝を突いて、後悔の念を吐き出していた。


「連れ去りから十日ほど……マズいな」


 衛士は顎をさする。


「祐人さんは労働力としてなのか臓器としてなのか、とにかくどこかへ売られてしまうかもしれない」

「そんな……!」


 母親が口元に手を当てて涙を流す。祐二は床の上に身を投げ出して叫んだ。


「違う! 俺があいつらの広告と契約すれば兄貴を返すって言ってた! だから……!」

「早く行きましょう、奴らのアジトへ!」


 青山が立ち上がるが、衛士は冷静だった。


「それはあまりにも無謀です。ここまで来たら、もう広告治安局アドガードに助けを求めるしかない」

「でも……」


 祐二もその母親も躊躇っていた。


大事おおごとにしたくない気持ちは分かります。ですが、世間体を気にしていたら、祐人さんの命を救えなくなるかもしれません」


 衛士の言葉で、二人はようやくうなずいた。


 母親は夫へ連絡を入れ、衛士は広告治安局アドガードへ通報を行った。



***



 広告監視機構AMA静岡支局の広告治安局アドガード広告犯対策室ACCDには、一つの実働部隊しかない。


 衛士の通報を受け、数時間後の日が傾く頃には、焼津にある広告治安局アドガード支部に突入部隊が顔を揃えていた。


 人命救助の目的のためでもあったが、広告治安局アドガードにマークされていた半グレ集団〝犍陀多カンダタ〟による犯行であることが対応を速めることになった。


 部隊を率いるのは口ひげを生やしたダンディな男、酒井さかい利通としみち。彼が鋭い眼光を隊員たちに向ける。


「容疑者は焼津駅近くの〝はなおか第二ビル〟の四階・バー〝クラウン〟に潜伏していると見られる。内部には拉致された一般人が少なくとも一人は囚われている。人命を最優先に、しかし、違法広告による広告術の反撃が予想される。心してかかるように!」


 現場の情報収集を行っていた隊員が駆け足で酒井のもとへやって来る。


「酒井隊長、はなおか第二ビルですが、犍陀多カンダタがビルを所有している不動産会社を傀儡にして違法広告の防壁をビル全体に展開している模様です。外部からでは電波も通らず、内部の状況が掴めないようになっています」

「おのれ、犍陀多カンダタめ」


 芝居がかった憤りを拳にするが、酒井はすぐさま指示を出した。


「はなおか第二ビルの所有会社を押さえろ。防壁を展開している広告の契約を破棄させるんだ。防壁消失と共に突入部隊も同時に動く」

「了解!」


 隊員が去って行く。早ければ、一時間以内に現場のビルの防壁は突破できるだろう。酒井は現場周辺の包囲が完了した報を受け取って、一息ついた。


 その目は警戒心でギラついている。


 ──探偵と名乗ったあの男、何か仕事をしたそうにウズウズしていたな……。



***



 酒井の予感の通り、衛士は現場となるはなおか第二ビルのそばで身を潜めていた。


 周囲には広告治安局アドガードの作戦服に身を包んだ隊員たちや車両が、目立たないように展開している。


 衛士は焦っていた。


 このままでは、自分はただ事態を把握して広告治安局アドガードを呼んだだけのお人好しになってしまう。


 高い交通費を払い静岡くんだりまでやって来てただの良い人どまりというのは、明らかに割に合わないことだった。


 ──大丈夫、俺には【グリーンライト】がついてる……!


 根拠のない自信ではあったが、衛士はやる気に満ち溢れていた。ここを探偵としての出発点にするんだ、と。


 そして、その出発点に金字塔を打ち建てれば、名を売るだけでなく、静岡の広告治安局アドガードにも一目置かれる存在になるだろう。


 そう、衛士は楽観主義者オプティミストだ。


 いつでも良い未来を頭のどこかに描いている。だからこそ、その理想が遠のいてしまうことが怖い。


 そうならないために、がむしゃらに前へ走るのだ。


『……防壁が破れるぞ』


 風に乗って広告治安局アドガードの無線通信の声が微かに流れてきた。


 衛士は気合を込めた。

 突入の時だ。

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