第26話 謎の失踪
四月三週目 水曜日
協力を求めているという人物とのアポを手早く取りつけ、
──この調子で車使ってると出費がかさむなぁ……。
衛士の頭の中には移動を伴う交通系ICカードやナビ系アプリなどの広告のことが浮かんでいた。
移動自体をフィーチャーした広告は〝原状復帰の原則〟によらない効果をもたらす場合が多い。つまり、移動を伴う広告と契約することができれば、瞬時に遠隔地へ移動することができるわけだ。
とはいうものの、そういった実益のある広告はランクが高く、契約のハードルも高いのが事実だ。広告法取引によって罰を回避したものの、広告犯罪に関係した衛士には、少なくとも近いうちにそういった広告との契約が持ち上がることはないと思われた。
衛士は大人しく車に乗り、目的地を目指す。
***
翌日の日曜日には、二人の共通の趣味であるロックバンドが渋谷でライブを開催する。そのライブに二人で参戦する予定で、前日に待ち合わせなど当日のことについてメッセージアプリ【リンク】でやりとりをしていた。
ところが、その会話中、
〈ちょっと出なきゃいけなくなった〉
とメッセージを寄越したきり、翌日のライブ会場にも有本は姿を現さなかった。
ライブチケットを持っていた青山は一人でライブを鑑賞、その後、何度か有本にメッセージを送ったが、既読すらつかなかった。そのロックバンドのライブには仕事を休んででも駆けつけた有本だっただけに、青山は不審に思い、共通の友人たちに連絡を取ったものの、結局行方は知れなかった。
月曜日、有本の勤め先である文具メーカーの同僚から青山に「有本が無断欠勤している」という連絡が入る。その同僚は青山とも面識があり、日曜日に彼が方々へ有本の行方を尋ねていたことを知っていたのだ。
勤勉で休みを取るのはロックバンドのライブの日だけだった有本の突然の無断欠勤に、青山は警察へ相談に向かった。
しかし、警察は近しい人間以外からの捜索願は受け付けていない。青山は有本の家族の連絡先は知らず、また、有本の勤め先も大事にしたくないのか、しばらく様子を見るに留まった。
***
「あ、こっちです!」
待ち合わせの場所は
店に入った衛士を奥の席から手招く男性の姿がある。三十前後のガッチリとした体格の彼が青山信輝だ。
「それにしても驚きましたよ」
衛士が席につくなり、青山は興奮気味に口を開いた。
「飲み屋で大将にちょっと事件のことを話しただけなんですけど、『
衛士は新しく作った名刺を差し出した。
「改めまして、探偵の
二人は名刺を交換し、衛士はコーヒーを注文する。すぐに衛士は申し訳なさそうに切り出した。
「実は、探偵を初めて日が浅いもので……。その代わりと言ってはなんですが、今のところ調査は無料で行わせて頂こうと考えておりまして……」
「いや、それは……」断ろうとして思い直したのか、青山は言葉を切った。「こちらとしてはありがたいんですが、大丈夫なんですか?」
「名前を売っていかなきゃいけないので。調査が首尾よく終わった暁には、もしよろしければ、私の名前を広めて頂けるとありがたいです」
衛士のもとにコーヒーが運ばれてきた。豊かな香りに包まれてゆっくりとカップに口を近づける衛士に、青山が微笑みかける。
「ああ、藤堂さんの宣伝をすればいいってことですね」
「私には
「それくらいなら、全然問題ありませんよ。ところで、なぜ急に探偵を?」
「つい先日、警察を退職しまして、結局、性分が変わらずに、この道へ……」
青山の顔が明るくなる。
「警察に努められていたんですね。それなら安心です。……警察で思い出したんですが、先週、有本の勤め先が有本の家族と連絡を取って、やっと警察に捜索願を出したんです」
「警察は動きました?」
「ええ、すぐに。有本は地元が静岡で上京してこっちで独り暮らしをしてるんですが、自宅は特に荒らされた様子もなく、どうやらあいつは自分の車で出かけたようでした」
「車はどこへ向かったんです?」
「
阿戸市最大の繁華街だ。昨日、衛士が向かったすずの店も細見にあった。
「場所が分かったなら……」
「車が乗り捨てられているのが見つかったんです。細見のパーキングで。警察はそこも調べたみたいなんですが、やっぱり事件の痕跡みたいなものは見つからなかったみたいです。その後の足取りも掴めないらしく……」
「細見の街はごちゃついていて、防犯カメラの設置も不完全なんです。簡単に姿を見失ってしまう」
衛士はメモ帳にペンで走り書きをしていく。刑事時代から、聞き込みなどで得た情報はこうして手で書き込んで頭に叩き込むことにしていた。
「さっき、有本さんの勤務先がご家族に連絡を取ったとおっしゃいましたけど、ご家族は有本さんの失踪に気づいていなかったんですか?」
「そのようでした」
「有本さんとご家族は仲が悪いとか?」
「いや、そういうことはなかったと思います。あいつからは家族の話をよく聞かされてましたから。こっちに来てから実家が犬を飼いだしたから懐いてくれないとか、たまに作る父親の料理がうまいとか、手のかかる弟がいてよくトラブルを解決してたんだとか……年に何回か帰省していたみたいですよ。数日くらい連絡がなくても、失踪に気づかないのは普通のことじゃないですかね」
「確かに……。有本さんは何か交友関係でトラブルを抱えていたなんてことはありましたか? 女関係とか金銭関係とか」
「それが特に思い浮かばないんですよね。借金もしないし、付き合った別れたみたいな話もありませんでしたから」
しばらく考えを巡らせてから、衛士は覚悟を決めたように勢いよく立ち上がった。
「見つかった車を調べましょう」
「えっ、でも、車は警察が保管していて……」
「私は元刑事ですよ。任せて下さい」
「おお……!」
*
「ダメでした」
細見署の入口から肩を落とした衛士が現れる。
「仕方ないですよ」
わりと時間をかけた上に、良いところを見せようと無理矢理青山を連れてここまでやって来たのだが、無駄足になってしまった。衛士は溜め息をつく。
「辞めた刑事が捜査に協力するなんて夢物語だったのか……」
「刑事をやられていた時は、そういうことがあったんですか?」
空気を変えようと、青山が好奇心をチラつかせる。
「……いや、よく考えたら、そんなこと一度もありませんでした。すみません」
青山は苦笑いを返して、お互いにとって居心地の悪い空気に包まれることになる。
その後、衛士は青山と別れて、有本が勤めていた文具メーカー・サクマの本社へ向かうことにした。
サクマは阿戸市の中央・阿戸にある。主に官公庁や地方自治体、学校などに文房具を提供する、一般的には知名度は低いが業界でのシェアは高めの堅実な企業だ。
アクセルを踏む足、ハンドルを握る手が、
企業の昼休みを目がけて車を飛ばしていたのもあるが、衛士の頭には家族を壊したくないという思いがあった。
──俺が潰れれば、
助手席に置いた小さな保冷バッグを横目で見る。節約のために愛美が用意してくれた弁当だ。このままでは、いずれ藤堂家は困窮することになる……愛美の気遣いが衛士を焚きつけた。
衛士が何よりも恐れていること、それは、家族が苦しみ、バラバラになることだ。彼方はまだ高校に入ったばかり、そんな未来の希望に満ちた息子の足を引っ張るわけにはいかない。
いつでもそばで支えてくれた愛美がリビングでゆったりとくつろいで刑事ドラマに夢中になる時間を壊したくなどなかった。
一瞬、衛士の脳裏に愛美の言葉がフラッシュバックする。ずいぶんと昔のことだ。
「私は、もうダメなのかもしれない……」
顔を覆ってさめざめと涙を流す彼女の姿が衛士の中から拭い去られることはなかった。
あんな愛美の顔を衛士はもう見たくはなかった。
だから、自分が多少無理をしてでも、愛美を、彼方を、守らなければならないと心に刻んだのだ。
一つでも多くの出来事に、一人でも多くの人に、衛士は飛び込んでいかなければならなかった。それは四十半ばの男の新しい挑戦であった。
ルームミラーからぶら下がる古びた小さなチャームが揺れる。まばたきの度に、それを託した男の顔が浮かぶ。ハンドルを握る衛士の手に力が込められる。
──
***
サクマの本社ビルは堅実さを示すように、飾り気のない灰色の六階建てだ。阿戸中央駅からは歩いて十分ほどのオフィス街に静かに佇んでいた。
ちょうど昼休みが始まる頃合いで、サクマのビルからは社員たちが吐き出されてくる。衛士は再び気合を入れて、その社員の流れに身を投じていった。
「有本祐希の話がしたい」という衛士の呼びかけに、チラホラと立ち止まる社員がいた。
「良い人ですよ」
「なんかのバンドが好きなんじゃなかったでしたっけ」
「真面目ですよね」
「会社でしか会わないので……」
当たり障りのない話ばかりだった。
続いてやって来た女性社員のグループに衛士は近づく。すると、向こう側から話しかけてきた。
「有本さんの話を聞いてるっていう方ですよね?」
「そうですが……」
「社内に話が広まってました。探偵が話を聞いて回ってるって」
「ああ、そうでしたか……」
衛士は頭を掻きながらケースから名刺を取り出そうとして、中身をばら撒いてしまった。慌てふためく衛士に、女性社員の声が投げかけられる。
「使ってないんですか、【グーグリー】?」
「えっ?」
地面の名刺を拾い上げていた衛士が顔を上げる。
「できるビジネスパーソンは使ってるよね、【グーグリー】!」
女性社員たちがうなずき合う。衛士は思わず聞き返した。
「【グーグリー】って?」
その質問を合図に、衛士と女性社員たちは謎のラボのような空間に転移する。それと同時に、女性社員たちが研究員のような白衣に衣装チェンジしている。
「名刺管理アプリ【グーグリー】は、紙の名刺情報の取り込みや名刺情報の管理、名刺のやり取りがこれ一つでできちゃうんです!」
衛士は興味津々の顔だ。
「【グーグリー】かぁ! 使ってみよう!」
アプリに名刺情報が登録されていく。
「これは便利だ~!」
実践的にアプリを使ったわけではない衛士が、何かに納得したように大きくうなずいた。
「じゃあ、名刺交換しませんか?」
衛士が女性社員たちに問いかけると、彼女たちは急に警戒心を顕わにする。
「それはちょっと……」
オチが済んで広告が終了すると、衛士も女性社員たちも元の格好で元の場所に転移して戻される。
「有本さんとよく話をしてた社員がいるんですよ。
広告のことなどなかったかのように、女性社員がそう切り出す。衛士は身を乗り出す。
「その方の写真とかってあります?」
「あ~、去年の社員旅行の時のなら……」
どこかの旅館の前で撮影された社員の集合写真だ。スマホの画面に拡大されたて指で示されたのは、一重瞼のサラリとした和美人といった印象の女性だった。衛士は八尾の左手薬指に指輪が嵌っていることに気づいた。
「すみません、その八尾さんって、どこにお住まいかご存知ですか?」
「あ~、どこだっけ?」
「私知らないよ」
「あ、細見だ。家賃高いとか言ってたもん」
「細見ぃ?!」
女性社員たちの会話に衛士が声を上げる。あまりの大声に女性社員たちは身をすくめたほどだった。
「え、ええ……。なんなら、八尾さん呼んできましょうか?」
「いいんですか?」
「はい。彼女なら、職場にいると思うんで」
衛士は渡りに船とばかりにうなずいて、ビルに戻っていく彼女たちを見つめた。その目は確信に満ちていた。
──この事件、意外と早く片付きそうだ。
衛士の順風満帆を後押しするかのように、春の風が舞い上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます