第25話 新たなる門出
四月三週目 火曜日
「これで正解だったんだろうか」
「何の話?」
「分からないけど、父親として、罪を犯した息子に接するには
「じゃあ、彼方のほっぺたパンパンに腫れあがるくらいぶん殴った方がよかった?」
愛美は相変わらず真顔でゾッとすることを言う。
「いや、さすがにそこまでは……」
「衛士の選んだことは、衛士の選んだようにしかならないよ。私はそれが正解だって衛士に思ってもらえるようにするから、心配しないで」
「良い妻がいて感動しちゃった?」
「君に出会えてよかったぜい」
気恥ずかしさを紛らわすために、衛士はおちゃらけて見せるしかできなかった。
「失礼しますよ~!!」
玄関の方が騒がしくなる。二人がびっくりして固まっていると、カメラマンやらディレクターやらライムグリーンのスーツに身を包んだ派手なレポーターやらがぞろぞろとキッチンに雪崩れ込んできた。撮影クルーたちをさらに外側から撮影するクルーもおり、相当な大所帯だ。
「あっ、
愛美が驚いてレポーターを指さす。
「どうも、島田ですぅ~!」
テレビを観ている大半が何の活動をしているのか知らないのになぜだか一定の人気を誇るタレント系の島田
「あらっ、食器洗い大変そうだね~」
「はは……、そうですね」
ちょっと引き気味の衛士が勢いに押されてうなずく。
「そんな時は!」島田がカメラに顔を近づけて、食器用洗剤のボトルを見せつける。「【ブラッシュ】!」
「ブラッシュタイムです」
ディレクターが合図を出すと、愛美が「CMで観たやつだ~」とはしゃぐ。
【ブラッシュ】で食器を洗うと、汚れはスッキリと洗い流された。
「こびりついた油汚れも楽々でしょ~?」
朝食の準備には存在していなかったはずの油ギトギトのフライパンの表面をスポンジで擦った愛美は感動で驚きの声を上げた。
「しかもね、【ブラッシュ】なら水切れも速いから、後片付けも簡単なのよ~」
「ホントだ~!」
愛美と衛士はあっという間に食器を棚に戻して、島田たち撮影クルーを玄関から見送った。
突撃サプライズ系の広告が終わると、衛士は「よし」と気合を入れた。
「俺も、もうそろそろ出かけるよ」
「探偵の届け出に行くの?」
「うん、それと、ちょっと挨拶しておきたいところもあるからね」
「そ、気をつけてね」
***
管轄の警察署での手続きを早々に終えた衛士は、その足で
足で、といったが、実際には五年ほど乗り回している
ハンドルを握る衛士の耳に、昨夜の彼方との会話が蘇っていた。それが衛士を目的地に向かわせることになったのだ。
*
「面倒なことに巻き込まれちゃってさ」
夕食後の穏やかな時間に、彼方は苦労自慢をするよな空気を纏わせて衛士に口を開いた。そばでは、愛美がアイスクリームを口に運びながら刑事ドラマにのめり込んでいる。
「トラブルを呼び込むねえ」
「まあ、そこは父さんの血を引いてるってことで」
微妙な表情を浮かべる衛士に、彼方は笑いかける。
「父さんだって、刑事としてトラブルまみれだったわけじゃん」
「まあな。それで、面倒って?」
「学校で風紀委員の活動に誘われて、街の見回りをすることになったんだよ」
「見回り? なんでまた?」
「最近、謎の失踪が起きてるらしいんだ。それで、うちの生徒を守ろうみたいになって見回りすることになったんだよ。父さんなら知ってるんじゃない? 謎の失踪について」
「いや……、どうだろうな……」
衛士は頭を掻いた。うそをつく時のクセだ。
「だけど、危なくないか、見回りなんて」
「マジでただ見て回るだけらしい。それに市長の息子とそのバックのウォッチドッグスがいるから安心っていうのが風紀委員長の主張」
「なるほどなぁ……」
*
昨夜はとぼけてはいたものの、何度か謎の失踪の現場に関わったことがあった衛士の胸の中では不安が膨れ上がっていた。
頻発する謎の失踪──不審失踪は警察としては市民がパニックに陥ることを恐れて未公表の事案として扱っていた。とはいうものの、警察内部でもマスコミが嗅ぎつけて報道するのは時間の問題という見方が強かった。
この件は広告消失も絡んでおり、
未だに何の手掛かりも掴めない不審失踪だ。警察は失踪事件について水面下で強力な捜査態勢を敷いている。
個別の失踪事件の中には不審失踪と関係のないものも存在している。それらを潰していき、残った不審失踪のデータの純度を上げていきたいというのが警察の今のところの方針のようだ。
何が起こるのか分からない不審失踪に彼方が関わる可能性があるというのが、衛士には心配だった。
広告妨害のことがあって、彼方は自分が思っている以上に何かを守ろうとする思いが強いように衛士には感じられた。父親としては喜ばしいところもあったが、この件に深く踏み込み過ぎることで起こる最悪の事態の方が頭をよぎってしまう。
彼方を正義に駆り立たせないために、衛士は不審失踪についてとぼけるしかなかった。興味を惹くようなことを喋れば、彼方の心に火をつける可能性があったからだ。
目的地のそば、雑居ビルが立ち並ぶエリアのコインパーキングに車を停め、衛士は気合を入れた。
こんな時、以前であれば、頭をスッキリさせるためにミントタブレットの【
気合を入れるつもりが、失ったもののありがたみを痛感してやや肩を落としながら、衛士は車を降りた。
スナックやら小型のキャバクラやらが入り乱れる雑居ビル街に、一軒だけ似つかわしくない駄菓子屋がこぢんまりとうずくまっている。
店先には、十円玉を弾いて遊ぶ昔ながらの十円ゲームやじゃんけんゲーム、カプセルトイの筐体が並んでいる。
ガラスのはめ込まれた引き戸を開けて、衛士は店の中に足を踏み入れた。
店内にも、所狭しと駄菓子が積み上げられている。店の奥の小上がりには、店主が陣取る小さな
「おや、久しぶりに見る顔だねェ」
小さい勘定場の中にちょこんと収まる白髪の老婆が張りのある声を投げかけた。
「相変わらず酔狂なことしてるなぁ、ばあさん」
「これが性に合ってるんだよ、アタシにャあね」
「それにしては、今日も客がいないな」
「隠居してんだ、アタシャ。ちょうどいいさ」
衛士は勘定場の前に敷かれたふかふかの座布団に腰を下ろす。どう切り出したものかと衛士がモジモジしていると、老婆が猫のような笑いを漏らした。
「ずいぶん大変だったみたいじゃないか」
「ああ、ばあさんの耳にも入ってたか」
「アタシを誰だと思ってんだい」
この駄菓子屋〝すずちゃん亭〟の店主・
「〝千里眼のすず〟だろ。おみそれしました」
「アンタのことだ、刑事を辞めても性分は変わらない。探偵の真似事でも始めるつもりだろ」
核心を突かれて衛士は思わす笑ってしまった。
「俺ってそんなに単純な人間に見える?」
「刑事を辞めた人間が真っ直ぐアタシのところに来るんだ、何か知りたいことがある……そう考えるのが普通だろ」
衛士は降参したように肩をすくめた。
「実は、探偵を始めることにしたんだ。さっき届け出を出してきたから、明日にも始められる」
「愛美ちゃんも大変だねェ」
「支えてくれてますよ、ありがたいことにね」
「彼方くんはもう大丈夫なのかい?」
「うん、まあね」
そっと呟く衛士の手元にすずの皺だらけの手が伸びて、黒飴を一粒置いた。
「ありがとう」
衛士は迷わず封を切って飴玉を口の中に放り込んだ。黒糖の甘みと香りが広がっていく。それで心が落ち着いたのか、衛士は本題を切り出した。
「不審失踪について、何か情報は?」
詮索するような目で衛士を一瞥したすずは言う。
「探偵ってのは、浮気調査やら盗聴器探しなんかをコツコツやっていくもんじゃないのかい?」
「彼方が高校で街の見回りをやるらしい。不審失踪に巻き込まれるかもしれない」
「……止めようとしても、あの子なら逆に火がついちまうか」
すずはそう呟いて、顎に手をやった。
「いくつかの情報ルートがあるよ」
「やっぱり、反広告主義者が裏で手を引いてるという説が強いのかな?」
「安易に首を突っ込まない方がいいよ。今じゃ、反広告主義者は便利な仮説の代名詞だ。追いかけてるうちに人生終わっちまうよ」
「何年か前に逮捕した奴がしきりに反広告主義者の話をしてたんで、印象に残ってるんだよ。身代金目的に人さらいしたりとか、色んな犯罪に手を伸ばしてるってさ」
「アンタは目の前の情報に踊らされすぎなんだよ、昔から」
「マジか。部下とかにも話しちゃったよ」
「まったく、アンタは……」
すずは立ち上がって、奥に消えていった。
向こうで部屋の明かりが点いて光が漏れ出てきた。衛士はそこへ声を投げ込んだ。
「いくつかの情報ルートって?」
「そう簡単にアンタに喋るわけにャいかないよ」向こうから威勢のいい声が返ってくる。「アタシとアンタはもうライバルみたいなもんなんだからねェ」
「つれないこと言うなよ~」
「今アンタに紹介できるのを探してんだ。大人しく待っときなさい」
一色すず……表向きは酔狂な駄菓子屋の店主。だが、その一方で〝千里眼のすず〟の異名を持つ彼女は、警察や
高度情報化社会の中で、情報機関はサイバー攻撃の脅威に晒され続けている。ビッグデータが飛び交う情報戦の中、すずが存在感を損ねることなく暗躍できるのは、単純にアナログだからだ。
全ての情報は手書きの帳簿や彼女自身の頭の中に入っている。そして、それらの物理ストレージを彼女の
「あったあった」
一冊の帳簿を小脇に抱えてすずが戻ってくる。L字型の勘定場の中に収まって、すずは帳簿を開いた。
「一週間ほど前に失踪した人間の友人が協力を求めてる。読み上げるから勝手にメモしな」
「ありがたい」
探偵業をスタートさせるための種を手に入れた衛士は礼を言って立ち上がった。
「それじゃあ、助かったよ」
店を出ようとする衛士の背中にすずの声がかかる。
「今日動くんじゃないよ。明日からがアンタの探偵の始まりなんだからねェ」
「分かってるさ。お気遣いどうも」
背中を向ける衛士にまたすずの声が飛ぶ。
「まだもらってないよ、十円」
見ると、すずが手のひらを上に向けて衛士の方に腕を伸ばしている。衛士は勘定場に転がった黒飴のゴミに目をやった。
「金取るのかよ。サービスかと思ったじゃねえか」
「アタシだってボランティアでやってるわけじゃァないんだよ」
「分かった、分かった」
衛士は財布から十円玉を取り出すと、すずの手のひらに置いた。
「これで情報料としといてやろう。アンタもこれから家族を養うのに苦労するだろうからねェ」
すずがニヤリと笑う。
「ばあさん……、粋なことするなぁおい」
とろけるような目で見つめる衛士を追い払うようにすずが手を振った。
「さっさと行きな」
すずの声に背中を押されて、衛士は戸を開け放った。
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