第24話 あってたまるかバディ感

 阿戸あど市最大の繁華街・細見ほそみと言えば、人もモノも集まる人気の街だが、それは同時に犯罪発生率が高いということでもある。


「あ~~~~~~、藤堂とうどうさん、なんで辞めちゃったかな~~~~~~?!」


 通り中に聞こえるような大音声を発するのは、捜査一課きってのならず者・朽木くちき詩英里しえりだ。


 小綺麗なパンツスーツをわざとだらしなく着こなし、右手にはいつも電子タバコを握っている。


 隣で生気のない顔で溜め息を吐くのは、無駄に毛量の多い痩身の頼りなさ系男子・牧野まきのエザロだ。


「そりゃあ、広告法取引で罪を被ったんですから、仕方ないじゃないですか……」

「んんんんんなこたぁ分かってんだよ!!」


 狂気を感じるほどに目をかっぴらいてエザロに顔面を近づける詩英里は、もはや刑事というよりは反社会勢力の一員みたいだ。


「ですから、これからも藤堂さんの意思を継いでしっかりと捜査を──」

「てめえに言われなくても分かってんだよ! てめえに藤堂さんの何が分かってるってんだ!」


 力の限り怒号を発して、詩英里は電子タバコをスパーっとやる。


 エザロは知っている。詩英里がただ電子タバコをふかしているだけだということを。



***



「あいつ、刑事ってものの固定概念に雁字搦めになってるみたいなんだ。分かってやってくれな」


 ある日、衛士えいじはそう言ってエザロの肩を叩いた。


 取り調べがぬるいという理由で頭が爆発しそうになるくらいエザロを詰めていた詩英里を見かねたのだろう。休憩スペースの自販機で缶コーヒーを奢った衛士の目は優しかった。


「スーツを雑に着こなしてるだろ? あれも、事件にかかりっきりで生活のできない刑事ってのに憧れてるかららしい。電子タバコをふかしてるのも、刑事に紫煙がつきものだと思ってるからなんだ」

「へえ……」


 エザロは意外な事実に目を丸くした。


「でもなんでタバコじゃないんですか?」

「タバコは灰が出るだろ。あいつ、意外と綺麗好きだからな」

「あ~、だからスーツもいつも綺麗で……」

「そういうこと」

「刑事ごっこの本物バージョンみたいな感じですね」

「はっはっは、そりゃ言いすぎだ。あいつが聞いたら殺されるぞ」

「ですね。聞かなかったことにして下さい」


 口の端を歪めるエザロに、衛士は真っ直ぐな目を向けた。


「あいつも何かと抱えがちな奴だから、牧野が支えてやってやれな」


 遠くで詩英里が叫ぶ声がする。また何かに怒りをぶつけているらしい。


「支える必要あります? 暴走機関車じゃないですか」

「機関車はレールがなきゃ走れないんだよ」

「そういうもんなんすかねぇ……」



***



「──んに突っ立ってんだ! 現場着いたぞ!」


 詩英里に尻を蹴られて、エザロは眼前にそびえるビルの建設現場を見上げた。


「詩英里さん……、不思議な案件じゃないですか、今回?」

「てめえの感想なんざ聞いてねえんだよ」


 工事の現場監督へ挨拶を済ませ、ヘルメットを目深に被った詩英里はズンズンと先を歩いていく。ヘルメットが目深になってしまうのは。彼女の頭が小さいからだ。粋がった小学生に見えなくもない。背も低いからだ。


「でも、被害者も被害届もないんですよね……?」

「バラバラにされて消された人間だって被害届は出さねえだろ」

「そういう意味じゃ……」


 詩英里がくるりとエザロに振り向く。不機嫌そうに電子タバコをひと吹かし。ちなみに、ここは禁煙である。


「今日はやけに突っかかるじゃねえかよ。ボソボソ喋りやがって。何が言いてえんだ?」




 事の発端は三日前、この建設現場からの通報だった。


 管轄の警察官が駆けつけたところ、現場の一角に多量の血痕と破壊された資材の一部が散乱していた。夜間の人のいない時間を狙って侵入した何者かの仕業らしい。


 資材の中には、凶器に使われたと思しい鉄パイプもあり、血と共にアッシュブラウンに染髪された毛髪も検出されている。


 ところが、被害に遭ったと思われる人間はなく、周囲の病院に該当しそうな怪我で運び込まれた人間や死亡、失踪の情報も今のところ見つかっていない。


 つまり、犯人や被害者は事件の痕跡のみを残して消えてしまったということだ。


 現場を捉えた防犯カメラはないものの、周辺に設置された防犯カメラの解析が進められた。ところが、人や車両が絶えず行き来する細見の繁華街だけに、不審な人物や車両を特定するまでにも至っていない。


「被害者は誰で、今どこにいるのか……全てが謎じゃないですか」


 刑事というイメージに憧れる詩英里の一方で、謎というものに異常なほど興味を示すエザロは、目を輝かせていた。


「知らねえよ。管轄署の能力が低いだけだろ」

「辛辣なこと言いますね……。怒られますよ」

「来れるもんなら来てみやがれ!」


 誰にぶつけられた怒りなのか分からない詩英里の声に、すでに稼働が始まっている現場の人間たちの視線が集まる。


「あっ、詩英里さん、ここらで一服どうですか?」


 エザロが指さす先、建設現場の中にもかかわらず、なぜか自販機が立っていた。オレンジ色の光を放つ自販機のラインナップは一種類しかない。テディベアのロゴの入った缶コーヒー【ロードオフ】だ。


 そのロゴを目に入れた途端、詩英里の表情がパッと華やいだ。


「いっとくか!」


 二人揃って缶のプルタブを開け、ごくりと喉を鳴らす。


 ストレスに満ちたような空気感が晴れて行って、周囲は急速に生え成長した木々に包まれる。あっという間に小鳥のさえずる森の真っ只中だ。


 ボンッと煙が立って二人が可愛らしいテディベアの姿へと変わると、すぐそばの木の切り株に腰かけた。


ひと息つこうテイク・ア・ロード・オフ~」


 この広告を見たことがある者もいるだろう。


 そう、【ロードオフ】は働く大人をターゲットにしたリラックス時間を提供するコーヒーだ。そして、広告治安局アドガードや警察といったハードな仕事に従事した人間が広告契約者になっていることが多い。


【ロードオフ】の広告契約者であるエザロにとっては、詩英里を黙らせる最も効率的な手段でもあった。



「確かに、事件としては不可解な部類に入るんだよなあ」


【ロードオフ】の精神を安定させる広告効果のおかげで、詩英里は柔らかい口調でエザロの話に同調を示した。この【ロードオフ】もまた〝原状復帰の原則〟によらない。


 とはいうものの、詩英里の場合はいずれすぐに元の状態に戻ってしまうため、エザロはいくぶん早口で話を続けた。


「わざわざボクたち捜査一課が出張ることになった理由というものがあるってことなんでしょうね」


 詩英里は吐息を漏らした。


「不審失踪か……」


 各地で頻発する失踪事件には警察も頭を悩ませていた。


 そこで事件性のある失踪事件は徹底的にマークされ、管轄署ではなく、本部クラスが捜査に乗り出すケースが増えてきている。今回は傷害事件の疑いも強く、二人が捜査の現場に捻じ込まれたという次第だ。


「今回も、犯人らしき人物も被害者も目撃されていないですし、色々と共通点が──」

「不審失踪かぁ~……」


 詩英里がヘルメットを外して、イライラしたように髪を掻き毟る。


 ──もう広告効果が切れだしてる……早いなぁ~……。


 アルコール中毒者を見るようなエザロの不安をよそにガポリとヘルメットを被り直し、詩英里は手をこまねいた。


「タブレット貸して」


 エザロから課の装備品であるタブレットを受け取って、詩英里は三日前に行われた鑑識作業で撮影された現場写真の数々をスワイプして見ていった。


「この写真、あっちのやつか」


 実際に血痕が発見された場所を目指しながら、詩英里は解せない表情を浮かべていた。


「何か引っかかるんですか?」

「引っかかってるに決まってるだろ」


 熟睡しているところを叩き起こされたような不機嫌な声。こうなると、いつもの詩英里に戻るのは時間の問題だ。


「これまでの不審失踪とは明らかに状況が違う。こんなあからさまに誰かをぶっ飛ばした痕跡は残してこなかったはずだろうが」

「確かに……。それになぜこんな場所で犯行に及んだのかというのも謎ですね……」


 建設途中のビルの一階部分、まだコンクリート打ちっぱなしで雑然とした場所だ。現場への入口も、高さ数メートルはあるパネルゲートは普段は施錠されている。犯人はそれを突破してわざわざ奥まった場所まで入り込んでいるのだ。


「残された血液や毛髪が人間のものであることは確認済み……」


 事件をおさらいするエザロのそばで、詩英里が壊れた人形のようにオイルライターの蓋を開けたり閉めたりしてカチンカチンやっている。職場を去る衛士から受け取ったものだが、なぜか詩英里はそれを〝形見〟と呼んでおり、時折小さな声で話しかけているのを目撃されている。


「あっ!」


 唐突に詩英里が大声を上げるので、エザロは反射的に身構えてしまった。


「な、なんですか……?」

「あ~~~、なんだっけ、いつだったか藤堂さんがなんか言ってたんだよな~~~」

「事件に関することですか?」

「っるっせえな。今思い出そうとしてんだから話しかけんな」


 すっかり元の詩英里に戻った彼女から痛烈な一言をもらい、エザロは口を噤んでしまう。


「あ~~、なんだっけ、めっちゃ大切なことだった気がするんだけどな~~」

「忘れてたら藤堂さん悲しみますよ」

「黙れ! プレッシャーかけんな! ホントに思い出せなくなるだろうが!」


 今度こそエザロは口元に手を当てて物理的に口を閉ざすことにした。詩英里は便秘の人間がトイレで粘り続けるように、頭の中から衛士との会話の内容を絞り出そうとしている。


「なんでしたっけ、藤堂さん?」


 詩英里がオイルライターに向かってそう尋ねている。


「いや……、なんかめちゃくちゃ怖いことしてますよ、詩英里さん……」

「藤堂さぁん……」


 詩英里は嘆き声と共に小さなオイルライターを抱きしめた。


 彼女は衛士をリスペクトしているというよりも、どうやら昔から好きらしい。そして、そのことを周囲の仲間は全員知っていた。


 想いを気づかれていないと思っていたのは詩英里だけだったが、当の衛士は好意を向けられていること自体に気づいていないようだった。


「あっっっ!!!」


 雷に打たれたような叫びが上がって、詩英里は晴れやかな表情に変わっていた。どうやら思い出したらしい。


「藤堂さんも不審失踪について気にしてたんだよ。で、その犯人が反広告主義者なんじゃないかって言ってたんだ!」

「えっ、反広告主義者ってオカルトじゃなかったんですか? 何が理由でそんな結論に?」


 エザロの驚きの声に、詩英里は再びヘルメットを脱いで、頭を掻き毟った。


「あ~~~、なんだったっけ! 思い出せない~~~!」

「藤堂さんとの会話、全然憶えてないじゃないですか……。本当に藤堂さんのこと好きだったんですか?」

「ばっ! ばっかやろう! なんでわたしが藤堂さんのこと好きだって話になるんだよっ! いや、まずわたしが藤堂さんのこと好きなわけないだろうが! 藤堂さんは既婚者で、奥さんがいて、息子もいて、家庭があるんだから、そこにわたしなんかが付け入る隙なんてあるわけないだろうが! いや、付け入ろうとしてるわけじゃないけど!」


 顔を真っ赤にしてジタバタする詩英里のもとに現場監督がやって来る。


「あの、すみません、もうちょっとボリューム下げてもらっていいですか。あと、安全のためにヘルメットは被ったままでお願いします」


 それだけを早口で言ってサッと下がっていく現場監督の背中を見て、詩英里はエザロの頭をヘルメットごと殴りつけた。


「てめえのせいで怒られちゃっただろうが!」

「なんでボクのせいに……」

「あっ!」


 ヘルメットを被り直した詩英里は何度目かの大声を上げて、両手で口を塞いだ。


「思い出したんですか?」


 詩英里は何度も無言でうなずいた。


「……何か喋って下さい、詩英里さん」

「藤堂さんは言ってた。『反広告主義者がこの社会を転覆させようとしてるんだ』って」

「転覆……?」


 自分の耳を疑うエザロの前で、詩英里がオイルライターに顔を近づけている。


「ですよね、藤堂さん?」

「それ本当にめっちゃ怖いんでやめて下さい……」

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