第23話 空振り

 美言みこと絢斗あやとのように、彼方かなた界人かいとも、マッシュ仲間からの姿が見えないという話を聞いて南野みなみの真人まさとの自宅を訪れていた。


 真人の自宅は最寄駅から徒歩十分足らずの住宅街に建つ八階建てのマンションにあった。夕闇の中に佇むマンションのシルエットに、なにか異様な気配を感じ取ったのか、彼方はごくりと唾を飲み込む。


「緊張してるのかい?」


 目敏く彼方の変化に気づいた界人が牽制をかけるかのように尋ねた。


「やかましい。早く入れよ」


 横の界人を睨みつけて、彼方はマンションの入口の脇に掲げられた建物の名前に目をやった。


〝グリーンレジデンス中島平なかしまだいら〟……中島平はこの辺りの地名だ。そのマンション名の下に、〝日盛にっせいハウジング〟という管理会社の名前も刻まれている。


 彼方は周囲を見渡す。


 ──どこにグリーンがあるんだよ。


「足がすくんだのかい?」


 エントランスに身を投じる界人が振り向きざまにニヤリと笑う。


「ふざけんなよ」


 彼方は彼の後を慌ててついて行った。




 南野家はマンション七階に居を構えていた。そのドアの前に二人は並んだ。どちらがインターホンのボタンに手を伸ばすのか、無言の時間が流れる。


「押さないのかよ?」

「ふん、君が押せないなら、僕が押すことにするよ」

「なんでそうなる。勝手に決めつけるな。俺が押す」

「いや、君には荷が重いだろうから、僕が──」


 二人のしょうもない争いを遮るように、どこからともなく声が聞こえた。


「どっちなの?!」


 男の高い声が響き渡る瞬間に、界人の表情があからさまに驚きに塗り替えられていた。その視線が南野家のドアに注がれる。


 ──しまった、広告が発動してやがる……!


 目の前のドアがバーンと開かれると、奥の廊下を両手に赤と青のアイテムを一つずつ乗せた紫色の衣装に身を包んだ若いイケメンがズンズンと突き進んできた。


 イケメンはハイテンションで再度質問をぶつけてきた。


 左手の上に載せた青のアイテムを二人に突き出す。蓋が空いていて、中にはヘアワックスが詰まっていた。


「スタイリングを重視して動きをつけるソフトか?! それとも──」今度は赤いアイテムを突きつける。「キープ力を活かして自由にセットするハードか?!」

「どっち~~~?!」


 界人が頭を抱えて叫ぶと、彼方はその豹変ぶりにドン引きしながらぼそりと呟く。


「そこまで悩む問題かよ……」


 彼方のツッコミを無視して、紫のイケメンが界人に青い方を押しつけた。


「君は~~、【インフィニティグリース ソフト】でマッシュに!」


 界人の身体がどこかの洗面所の前に瞬間移動する。


 いつもは前髪を上げている界人の髪型が、一瞬で前髪を下ろして若干流すような洒落ついたマッシュヘアに大変身して、界人も鏡に向かってポーズを決める。


 ──うわぁ、これ俺にハードの方を渡されるパターンのやつじゃん。いつもと違う自分になる的なアレじゃん。しんどっ。


 案の定、紫のイケメンが彼方に赤い方を差し出す。


「君は、【インフィニティグリース ハード】でソフトリーゼントにチャレンジだ!」

「いや、ハードなのかソフトなのかややこしい!」


 ツッコミを入れている間に、彼方の身体も強制的にどこかの小綺麗な洗面所の前に飛ばされており、問答無用で髪がソフトリーゼントに整えられてしまう。


 仕方なく、彼方は鏡に向かって気恥ずかしさを抱えながら軽く会釈した。


 二人の身体はいつの間にか日中の教室に転移させられ、いつものクラスメイトの面々が寄り集まるど真ん中で、どういう経緯があったのか、新しいヘアスタイルになった彼方と界人がもみくちゃにされていた。


 教室の入口に立っている紫イケメンが青と赤の容れ物を両手に載せ、明後日の方向に目線をやる。


「【インフィニティグリース】で新しい君、デビューしよう。ワンオブ」


 ワンオブは【インフィニティグリース】の発売元──広告主スポンサーだ。


 普段はクラスメイトと触れ合うことのない彼方が戸惑っていると、二人の身体は南野家の玄関の前に転移する。インターホンからは女性の声がしていた。


『どうかされました……?』

「実はお尋ねしたいことがあって──」


 凄まじい切り替えの速さで界人が応じる。いつの間にか広告が終わっていたのだ。


 ──……こいつ、どういう精神してんだ?


 と感心する間もなく、界人の髪型がマッシュヘアなままに気づいて、彼方は自分の頭に手をやった。勝手にセットされたソフトリーゼントのままだ。


 ──髪型は元に戻らないんかい……!


『知らないわね』


 インターホンの向こうから乾いた返事があった。どうやら、真人の母親らしい。


「ええと、どちらに行かれたかなどご存じではないでしょうか?」


 大人らしい声と喋り方で下手したてに出る界人だったが、真人の母親の声は冷たい。


『だから、知らないと言いました』

「そうでしたか……。失礼しました」


 声の調子を落としてインターホンの前から離れる界人に、彼方は笑いかけた。


「マッシュ仲間だと思われて情報くれるかと思ったのにな」


 界人は笑いもしない。


「自分の息子が学校に行かず、友人からの連絡にも応じないと聞いて、あの対応だよ。君には何か思うところはないのかい?」

「……そんなこと言われてもな。自分の子どもに関心のない親だっているだろ」


 界人は奥歯を噛み締めてエレベーターの方へ歩いていく。彼方は悪戯っぽい表情でその背中に話しかける。


「俺たちの高校では、生徒は整髪料などをつけることは禁止されてるんだぜ」

「今はそんなことを言っている場合ではないし、広告による変化は不問だよ。そんなことも知らないのか?」


 界人は厳しい表情を浮かべていた。真人の置かれている状況に心を痛めているのだと気づいて、彼方は大人しく身を引いた。


「それで、これからどうする? 南野先輩を探すのか?」

「少なくとも、彼の無事を確認しなければならないね」


 エレベーターホールに辿り着いた界人は呼び出しボタンを押して、頭上の階数表示に目をやる。


「どうやって? どこに行ったのかも分からないのに……」

「やはり、〝ケースコード・V〟なのか……?」


 独り言のようにそう口にする界人に彼方は歩み寄る。


「なに、〝ケースコード・V〟って?」

広告治安局アドガードは重要事件にケースコードを振り分けているんだよ。〝ケースコード・V〟のVは焼失ヴァニッシュのVだ」

「……失踪ということか?」

「広告と人間の消失が相次いでいるらしい。まだ報道規制が敷かれてはいるが、近いうちに公になるだろうね」


 彼方の肌が粟立つ。恐ろしい事件に片足を突っ込んでいるような感覚が彼を包んでいた。



***



 マンションを出て、界人はどこかに電話を掛け始めた。


「…………ああ、そうだ。それで、南野くんの行きそうな場所に心当たりは…………、いや、そうじゃない。もっと、彼の心の落ち着く場所という意味だ。…………なるほど、今でも彼がその話を? …………確かに、それはあり得る話だ。…………いや、僕の方で対応をするから、君は勝手に行動せず、家で待機していてくれ。それじゃあ」


 長い電話を終えた界人に、彼方は尋ねる。


「何か掴めたの?」

「まあね」

「誰と話してたんだ?」

「ショッピングモールで会った南野くんの友人だよ」

「あの人たち先輩だよね? めちゃくちゃ下の人間と話す感じだったよね、今の電話」


 界人はスマホに目をやった。


「見回り終了後の集まりまではまだ少し時間がある。行こう」


 界人はそう言って歩き始める。


「どこへ?」


 界人が振り返った。


「南野くんの心の拠り所へ」



***



 界人の先導で髪型が決まったままの二人が向かったのは、南野の自宅から徒歩十五分のところにある広い公園だった。


 暗い公園にはすでに街灯が点っており、広場の中心に横たわる巨大なタコの滑り台を照らし出している。


「タコの化け物みたいだな……」

「南野くんは中学時代、ここを基地のように使っていたらしい」

「さっきの電話の相手?」

「ああ、中学からの友人らしい。その話によれば、ここで仲間と駄弁ったり、遊んだり、宿題なんかもやって、学校が終わればここに居座っていたようだ」

「変わった人だったのか……?」


 界人弱々しく皮肉めいた笑み浮かべる。


「あの母親なら納得はできるというものだけどね。彼の居場所はここだったんだよ。その証拠に、今でもその友人にここでの思い出を語っていたようだ」


 タコの足の間は雨風が凌げるようなスペースになっている。小さな子どもの背丈ほどの高さのスペースだ。界人はそこへ近寄って、中を覗き込んだ。


 暗い空間、壁に背中をつけて座る阿戸西高校の制服を着たマッシュ男子がそこにはいた。


「やあ、捜しましたよ」

「何の用だよ?」


 捨てられた子犬のように寂しい目がこちらを向いた。腕章を見せて、界人は努めて事務的な口調で話しかける。


「うちの高校は、今日、頻発している失踪事件を受けて、風紀委員と有志による市内の見回りを実施しています。そこで、南野先輩がここ最近学校へ来ていないこと、友人との連絡を絶っていることを聞いて、捜していたんです」


 真人は力なく鼻で笑う。


「別に、俺は大丈夫だから」

「そのようですね」


 界人は静かに応じて、真人の状態をつぶさに観察した。


 表情はどこか疲れ果てているようだ。制服のズボンの裾から短いソックスと脚が覗いている。その脚に、打撲痕のような痣が浮いていることを界人は目敏く発見した。


「なぜ学校を休んだんですか?」


 真人は答えない。


「なぜ友人からの連絡を無視するんですか?」


 やはり、答えはない。


「なぜ──」

「分かった。家に帰るから、代わりに黙ってくれ」


 帰り支度を始める真人に、界人は両手を挙げて降参の意を示した。


「分かりました」




 ゆっくりとした歩調で公園を出て行く真人を見送って、彼方はポツリとこぼす。


「ケースコードとか関係なかったじゃん」


 界人はフッと笑みを返す。


「君は、関係あってほしかったのかい?」

「そういうこと言ってるんじゃないよ。関係ないことで無駄に緊迫感を煽るな」


「関係なくないのよ!!」


 唐突に背後から声がして、心臓が飛び出る思いで振り返る彼方の目の前に、ママチャリを引いた見ず知らずの中年女性が立っている。


 彼方は広告感知アド・センスがビンビンに反応しているのを感じていた。


 ──CMのためにヘアセットしてもらった感があってめっちゃ恥ずかしい。


「関係なくないんですか?」


 普段オウム返しなどすることのない界人が首を捻ってそう返事をすると、公園だったはずの場所が淡い色で囲まれた得体のしれない空間にすり替わっていた。


 女性が引いていた自転車も消え去って、空間には巨大なボードが中空に静止している。そのボードには、何やら情報が羅列されていた。


「高校生にも保険があるの! その名もふたば生命の【のびのびハイスクールライフ】!」

「【のびのびハイスクールライフ】?」


 声がする方に、なんの前触れもなく彼方と界人の両親が立っている。無論のこと、界人の父親とは阿戸市市長だ。


「こんな形で市長と初対面なのがなんかめちゃくちゃ嫌だ……」

「うちの息子、通学途中で怪我しないか心配だわ~」


 彼方の複雑な胸中を尻目に、界人の母・杏奈あんなが頬に手を当ててそう言うと、ボードの横の女性のテンションが上がっていく。


「お子さまが怪我をした時にも、【のびのびハイスクールライフ】があれば大丈夫!」

「いや、大丈夫ではないだろ……」


 彼方のツッコミが得体のしれない空間に虚しく漂っていく。


「月々520円で、怪我の場合も補償がついて安心なの!」


 彼方は浮遊するボードに顔を向けて目を細めた。細かい字で何やらたくさんのことが書かれているのが見える。


細々こまごまとした条件が書いてあって読みきれない……」

「うちの子が他の子を怪我させないか心配なの……」


 今度は彼方の母・愛美まなみが不安げな表情を見せている。彼方は思わず苦笑いした。


「いや、そんなことしないから! って言いきれないのが息子として辛い……!」

「お子さまが他のお子さまを怪我させてしまった時にも、【のびのびハイスクールライフ】があれば大丈夫!」

「いや、大丈夫じゃないし、実際大丈夫じゃなかったんだよ」

「うむ!」彼方の父・衛士えいじが大きくうなずく。「【のびのびハイスクールライフ】に入ってなかったからな! これからは【のびのびハイスクールライフ】で安心なハイスクールライフを送ろうな!」

「なんでちょっと棒読みなんだよ、父さん……。よく分からないけど、なんか失望したよ」


 女性が声を大にする。


「ふたば生命の【のびのびハイスクールライフ】! お子さまの安心で楽しいスクールライフにはふたば生命の【のびのびハイスクールライフ】! ふたば生命の【のびのびハイスクールライフ】ですよ!」

「連呼するCM、意外と嫌われてるからやめな」


 彼方の静かなツッコミで広告は終了し、謎の淡い色で囲まれた空間も、界人と彼方の両親も綺麗さっぱり消え去ってしまった。


 ママチャリを引いた女性は公園を横切って、反対側の出口に抜けて行った。


藤堂とうどうくん、もうすぐ時間だ。突っ立ってないで早く学校へ戻ろう」


 彼方はげっそりとした顔で先を行く界人を追いかけた。


「髪型戻したいんだけど……」

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