第20話 有馬茜の不信

 広告治安局アドガードのサマーインターンに堀田ほった真理愛乃まりあのとして潜入したあかねは、振り分けられたBチームの面々と共に広告研究部門にやって来ていた。


「この広告研究部門では、各分野に分かれた研究室が広告そのものや広告術アドフォース広告治安局アドガード隊員の能力向上などの研究開発に勤しんでいます」


 インターン生を率いて白を基調とした廊下を先導しながら、真琴まことが説明する。各研究室の廊下側の壁は強化ガラスになっており、中で働く研究員の姿を見ることができた。


「これから皆さんに体験して頂くのは、広告能力開発室の局員テストです」


 学生たちの中からざわめきが起こる。


「ああ、安心して下さい。ここでのテストは簡易的なものなので、入局後の人員配置などには影響しませんので。今回はあくまで簡単な局員テストを受けて頂いて、ご自身の適性分野というものを知ってもらう感じになります」

「入局後に詳しいテストがあるということですか?」


 学生の中から質問が挙がると、真琴は振り向いてうなずいた。


「皆さんもお分かりかと思うんですが、広告治安局アドガードの人員採用はちょっと変わっていまして、こうした研究部門やオペレーター部門、私たちのような治安維持部門などを区別せずに募集しています。入局後、局員テストが行われ、その結果と本人の希望に基づいて人員配置が行われるのです」

「それだと、部門ごとに偏りが出てしまうんではないですか?」


 別の学生の質問が飛ぶ。真琴はここで得意げに微笑んで見せた。


「実は、採用段階で全市民評価システム・浄玻璃じょうはりが人材のバランスを調整しています。局員テストは浄玻璃の提言をチェックし、実際的な評価を下すために行うのです」

「さっき鳥居とりい副隊長は、広告治安局アドガードは各隊ごとに仕事内容は変わらないと仰っていましたが、あれは……?」

「ああ……」真琴は苦笑する。「鳥居が言っていたのは、治安維持部門の広告保全隊──アド・スカッド……私たちのことです。広告事件は多岐にわたりますが、全七隊からなる広告保全隊アド・スカッドは全ての広告事件に対応します。まあ、それなので、広告治安局アドガードの中では、世間で言われているように、多忙な方ではあるかと思います」


 真琴は取り繕うように笑みを浮かべた。


 本当のところは、上の人間から入局者が減るようなことを喋るなと言われていたが、彼女にとっては誠実でいることの方が重要だったらしい。




 局員テストを実施する検査フロアには各種検査室や屋内運動施設などを擁する医療施設とスポーツ施設を混合したような構成になっている。


 茜は検査を進めながらも、この先の自分の身の振り方に思いを馳せていた。


 ──広告研究部門であれば、広告の仕組みを根本から解明して、広告消滅の手掛かりにできるかもしれない……。


 広告がもたらす力──広告効果については、現代の科学力では未だに解明できない領域があるとされている。その人類未踏の領域に広告を消滅させるためのヒントがあると、茜は信じている。


「あらっ」


 ヘッドギアをつけてテストを受けていた茜は、目の前の検査官が声を漏らしたのを耳にして我に返った。


「すみません、私、間違えましたか?」

「いえ……、そうじゃなくて……」検査官は手元の資料に目を落とす。「ええと、堀田さん、現在の広告契約は二つですね?」

「そうですけど……」


【あんしんホームセキュリティ365】と【みかどランド】だ。


 茜は真理愛乃の情報を頭に叩き込んでいた。だが、実際に彼女の広告を発動できるわけではない。


 広告管理法では、広告の発動を契約の第三者が強制することは禁じられているものの、然るべき機関に契約を示す広告主スポンサーロゴを表示するように要請されれば応じる必要がある。


 茜が背中に冷や汗を滲ませる中、検査官は目の前のモニターをくるりと回して茜に向けた。画面には、茜の頭の内部をイメージ化した映像が流れている。


「これはそのヘッドギアから得た情報をもとに、AIが堀田さんの脳活動を予測して描画しているんですけど、今表示しているのは脳の広告効果抽出領域の活動の様子なんです」


 茜の前頭葉に当たる部分がヒートマップになっており、非活性の部分は青く、活性部分は赤く表示されている。


 茜の前頭葉は全体的にオレンジ色で表示されており、これはかなり活性していることを示す。


「今、堀田さんには広告効果抽出のために必要な脳内イメージの具象化作業をしてもらっていたんですが、このように広告効果を抽出するには十分すぎるほどの活動を脳が示しています。つまり、広告術アドフォースの発動に非常に適性があるということなんです。……トレーニングを積んだ隊員と比較してもほとんど遜色のないレベルですよ」


 検査官の目には好奇心が現れていた。茜は咄嗟に真理愛乃の背中を思い出した。


「ええと、夜道で絡まれている女の子を助けたりして、たまに広告術アドフォースを使ったりしていたので、そのせいかと……」


 それでも検査官は納得しきれない様子でモニターに目をやった。


「ほぉ、すごいじゃないの、堀田!」


 声がして振り返ると、そこにはステラが立っていた。


 ──この人、暇なの……?


 茜の辛辣な呟きが心の中に落ちる。


 実際のところ、ステラは四つに分けたインターン生のグループをあちこち見て回っているらしい。


 どこか目敏い印象のあるステラに茜は警戒心を抱いていたが、この検査の結果は彼女に知られたくはないものだった。


 彼女に目をつけられるのは、都合が悪い。


「これならすぐにでも全抽出フル・エクストラクションが使えるね。副隊長にも数えるくらいしかいないよ。まあ、例えばワタシとかね! はっはっはぁ~!」


 まるですでに入局が決まったかのようにステラは茜の背中をバシバシと叩いて、座ったままの茜の肩を自分の腰辺りに軽く抱きよせた。


 良い香りに包まれながら、茜は自己分析する。


 ──この二年、【ブラックリスト】の広告を頻繁に発動させられていたせいだ。


 広告術アドフォースに関する研究論文もネットに公開されているものにはできるだけ目を通していた茜は、広告の発動傾向と広告術アドフォースに関わる脳領域の発達が相関関係にあるという研究結果に行き着いていた。


 つまり、広告発動の機会が多ければ多いほど、広告術アドフォースが向上するというわけだ。


「みんな、覚えておくといいよ」


 ステラが検査室の学生たちに呼びかける。


広告術アドフォースのトレーニングは広告治安局うちじゃ、かなり優先度が高いんだよ。っていうのも、上級職試験に抽出エクストラクションの項目があるからね。っていっても、全抽出フル・エクストラクションできても無能な奴とかいるけどね~。例えば、第七隊セブンス・スカッドの──」

「副隊長~~っ!!!!」


 隣の部屋で学生たちを引率していた真琴が勢いよく飛んできた。


「余計なことおっしゃらないで下さいって!! 皆さ~ん、今、皆さんは何も聞いてませんよね~? 私たち広告保全隊アド・スカッドはお互いをリスペクトして日々の捜査に臨んでいますよ~!」


 心労が絶えなそうな真琴を一瞥して、茜はぼんやりと、


 ──あ、鳥居副隊長は広告保全隊アド・スカッドのことを広告治安局アドガードと言っているのか。


 と考えていた。




 その後、Bチームは屋内運動施設内で、訓練用の単発広告契約を利用した広告術アドフォースの実習に向かった。チームのメンバーは広告治安局アドガードのジャージに身を包んでいた。


 ずっと後をついて来るステラに気づいていた茜は、緊張の面持ちで文字飛来ランディング・レター広告術アドフォースの発動に臨む。


 文字飛来ランディング・レターは、ここでは全国展開するスーパー・アカツキによるシーズンごとの【アカツキ大特価セール】の広告効果を抽出したものだ。上空から巨大な〝大特価〟の文字を招来する。


「あ……、【アカツキ大特価セール】抽出エクストラクテッド……、文字飛来ランディング・レター──」


 茜は文献の上だけで知っていた広告術アドフォース発動の三要素を頭の中に描く、


 ①カットアウト……広告内容から任意の広告効果を切り離す。


 この訓練で全国展開するスーパー・アカツキの広告が利用されているのは、ほとんどの人間がアカツキのテレビCMを目にしているからだ。テレビCMは観る者の脳内にイメージとして残りやすい。


 ②イメージ……カットアウトした広告効果を脳内で具象化する。


 多くの場合、広告内の別の広告効果がイメージに混在してしまう。そのため、このプロセスが広告術アドフォースの鬼門だという見方が強い。


 ③リリース……具象化した広告効果を適切に発動させる。


「ああぁ~……!!」


 見物していた学生たちから残念そうな声が上がる。


 茜が上空に生成したのは、文字とは到底かけ離れたガラクタだった。


 バラバラと運動上に舞い落ちる瓦礫を、茜はじっと見つめた。イメージのプロセスで、意図的に雑念を混じらせたのだ。


 ──これで私は平凡な人間に映るはず。


「よぉし、ワタシがお手本でも見せちゃおうかな~!」


 ブンブンと腕をぶん回して運動場に躍り出るステラに学生たちは期待の眼差しを送ったが、真琴はジットリとした目を向けた。


「副隊長、お手柔らかにお願いします」

「分かってる分かってる」


 部下の言葉を聞き流して、ステラは【アカツキ大特価セール】の簡易契約を済ませた。


 学生たちから離れた場所に向かうと、その目つきが真剣なものに変わる。


「【アカツキ大特価セール】抽出エクストラクテッド……、文字飛来ランディング・レター!」


 高い屋内運動場の天井が大質量の〝何か〟を受け止めて、あっという間に大きな亀裂が入る。


 大轟音と共に天井から降り注いだ〝大特価〟の文字が運動場の地面に激突した。


 凄まじい揺れと突風と轟音が渦巻いて、何人かの学生はその勢いで吹き飛ばされそうになってしまった。


「みんなもこれくらいできるようになってね~!」


 悲惨な光景の真っ只中に屹立する縦書きの〝大特価〟の文字がシュールさを投げかける。


 茜はそれを見上げて、呆然と立ち尽くした。


 ──これが……、本物の広告術アドフォース……!


 ステラが指を弾くと、刹那の瞬間に〝大特価〟の文字も、破壊された運動場も天井もすっかり元通りになった。


 改めてその様子を目の当たりにして、茜の中の疑問が膨れ上がる。


 ──原状復帰の原則……。どうしてこんなことが可能なの……?


「ついでにもう一つ」


 ステラは満足げに口を開いた。


広告術アドフォースは、こうやって広告が終われば消えてなくなってしまうでしょ。これを原状復帰の原則というのはみんなも知ってると思う。だけど、〝原則解除〟っていうのがあって……」

「副隊長、それ以上は……」


 真琴が慌ててステラを遮った。ステラは、あははっ、と笑って舌を出した。


「そうか、これ言っちゃいけないやつだったか」

「そうです……。いい加減学んでください、副隊長~……!」

「ごめんごめん。久々に気持ち良くなっちゃってさ」


 広告について色々と勉強してきた自負のある茜は、聞いたことのない〝原則解除〟という言葉に眉根を寄せた。


 ポンと肩が叩かれる。ステラが茜のそばに立っていた。


「気になるの?」


 何か挑戦的なその表情に、茜は思わず顔を背けた。


「いえ……、別に」




 着替えを兼ねた休憩時間に、茜はこっそりと付近の廊下を歩いて周囲に注意深く視線を巡らせていた。


 エレベーターホールには四基のエレベーターがある。遠巻きにそのホールを見ていた茜の視界に、一団を引き連れた男性が現れた。


 彼らはホールの隅にあるアクセスキーを必要とするドアを開けると、その中へ入って行く。


 そのドアの奥に、別のエレベータがあるのを茜は見た。


 ──なぜ同じエレベーターホールに設置しないの……?


 茜が不審に思っていると、彼女の肩を叩く者があった。


「きゃっ!」


 今度こそ茜は声を上げて飛び上がった。振り返ると、またステラが立っている。


「探検かな?」


 ニヤニヤとそう尋ねるステラに、茜は苦笑いを返す。


「ちょっと……、トイレを探してて……」

「おかしいな。更衣室の隣にトイレがあったはずだが」


 わざとらしくとぼけてみせるステラはじっと茜を見つめて、さらに追撃した。


「さっき、多目的ホールの時は『お手洗い』と言っていたのに、今は『トイレ』と言ったね」


 ──探られている……!


 茜の警戒心がマックスになる。


「いやぁ、いるんだよ、たまに。インターン生や見学客を装った狼藉者がさぁ~。だから、局員はみんな外部の人間の動きを肉食獣みたいな目で見てるの」

「そ、そうなんですね……」

「そんな怖がった顔しなくてもいいでしょ。別に堀田が狼藉者だとは言ってないんだからさ!」


 ステラはそう言って茜の背中を叩いて、グイっと身体の向きを変えさせた。


植村うえむらのやつ、クソ真面目だから、堀田がいないとパニクるかもしれないよ。さっさと戻ろう。それとも、あいつを困らせちゃうか?」


 イタズラっぽい笑顔で目を覗き込まれて、茜は即答した。


「戻りましょう……!」


 これ以上、不審な動きをすれば後がなくなる……茜はそう悟って、大人しくステラと共にみんなのもとへ歩き出した。

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