第11話 後の祭り

 広告妨害を行った彼方かなたは最寄りの広告治安局アドガード阿戸あど西支局に連行されてきた。屋外の駐車場に停車した伽藍がらんの【フォートレス】に向かって慌ただしい足音が近づいてくる。


「隊長、お気をつけ下さい」


 亜月あづきが助手席の窓越しに駆け寄ってくる男を視認して、すぐさま車外に降り立った。後部座席に身動ぎをする彼方が驚いたように声を上げる。


「父さん?!」

「お前は大人しく待ってろ」


 伽藍は運転席からルームミラー越しに彼方に声をかけると、亜月の後を追って、息を切らした彼方の父・衛士えいじと相対した。


藤堂とうどう彼方のお父さんですか」


 伽藍がそう切り出すのを聞いて、隣の亜月は目を丸くした。そして、警戒心を剥き出しにして、衛士へ視線を投げた。


「なぜここへ?」


 衛士は膝に手をついて息を整えると、汗の滲んだ瞳を二人の隊員越しの【フォートレス】に向けた。


「知り合いから彼方のことを聞いて、ここへ」


 広告妨害の事件発生現場が分かれば、そのエリアを管轄する広告治安局アドガードの支局は特定できる。だが、それでも亜月には衛士のあまりにも迅速な行動が腑に落ちなかった。


「何のご用でしょうか」

「広告管理法に基づく取引をお願いしたい」



 広告管理法に反する行為──広告犯罪は、それが確定した場合には広告裁判によって裁かれる。それが広告紛争だ。


 広告紛争は広告主スポンサーと契約者、犯罪の種類によってはそれ以外の広告主スポンサー代理人エージェントなどを巻き込んだ大きな紛争となるケースも少なくはない。それによって広告罰を受ければ、広告契約を失うなどの社会的ペナルティーが科されることになる。


 ただ、広告犯罪はその性質上、広告主スポンサーと個人の関係性の上に成り立つもので、広告管理法では、広告紛争前に当事者間での解決機会が認められている。それが広告管理法に基づく取引──〝広告法取引〟だ。


 彼方を地下にある留置場に送り、衛士を別室に待たせた亜月が溜息交じりに支局内の詰所に戻ってきた。


「藤堂彼方の父親は刑事だそうです」

「そうだろうと思ったぞ。あのギラついた眼差しは刑事特有のものだからな」

「後出しでそういうことを言うのはやめて下さい」

「父親のあの調子じゃあ、責任を取れずにはいられないってところか」


 亜月は顎に手をやって、藤堂家が歩む未来について考えを巡らせた。


「藤堂彼方にはもともと広告契約がなかったので、家族が広告法取引の場に駆り出されるのは予想されたことでした。【鉄板焼き屋 金のテコ】は一級広告ですし、広告主スポンサー幸博こうはくホールディングスとしては、それ相応の代償を要求することになるでしょう」

「藤堂彼方の父親は刑事だと言ったな。広告法取引に臨むなら、職を追われることになるかもしれんな」


 伽藍はじっと虚空を見つめている。広告犯罪者を捕まえたにしては珍しい様子に、亜月は目を見張った。


「どうしたんですか。一仕事終えたにしてはパッとしない顔ですね」

「藤堂彼方には、友人を庇う気概があった。自分の父親がどうなるかってことも頭をよぎったはずだ。だが、それでも広告妨害に走ったんだ。なんでそんなことを……」

「何を考えているのか分かりませんが、折衝役コーディネーターに引き渡せば私たちにできることはありませんよ」

折衝役コーディネーターねぇ。あいつら、いけ好かないんだよなぁ……」

広告治安局アドガードの治安維持部隊隊長が広告治安を守る仲間を否定するようなことを言うのはどうかと思いますが」


 伽藍はやり返そうとして、ギラリとした目を亜月へ向けた。


「そういうお前はどうなんだ、及川ぁ? 折衝役あいつらのこと、どう思ってる?」

「もちろん──」亜月は眼鏡をクイッとやる。「大嫌いですが、なにか?」



 折衝役コーディネーターは刑事裁判における検事と弁護士を掛け合わせたような役割を広告裁判の中で担っている。折衝役コーディネーターを一手に管理する折衝役コーディネーター協会のスローガンは端的だ。


〝強くあれ──〟。



 彼方が留置場に送られてからおよそ一時間後、臙脂色のセットアップに身を包んだ高身長の女が広告治安局アドガードの阿戸西支局に現れた。折衝役コーディネーター流泉院りゅうせんいんれいだ。


 切れ長の目を真っ直ぐ前に向けながら、セットアップと同じ色のパンプスを鳴らしてエントランスをくぐり抜ける。


「被疑者は?」


 流泉院は背後についていた折衝補佐官の小柄な女性に短く質問した。


「今回の被疑者は──」

滝川たきがわ、遅い。訊かれたら答えだけを言って」

「すみません、藤堂彼方です」


 滝川百瀬ももせはブリーフケースを抱える手にぐっと力を込めて頭を下げた。白くなった手に押し殺された怒りが滲み出る。


「担当を呼んで頂戴」


 自信を誇示するかのように超然と立つ臙脂色の流泉院が小さく言うと、百瀬はサッと窓口まで小走りに駆けて、係の者に用件を伝えた。



 それから数分して、建物の奥から伽藍と亜月が姿を現した。その表情はいつにも増して硬い。伽藍が前に立って作り笑いで挨拶を口にする。


「お待たせしました、広告治安局アドガード治安維持部広告犯対策室ACCD第五隊フィフス・スカッドの──」

「石川伽藍隊長のことは存じていますし、挨拶は不要です。藤堂彼方の身柄を引き受けに参りましたので手続きを」


 流泉院にすっぱりと一刀両断されて伽藍はこめかみをピクつかせたが、それでも作り笑いを維持できるほどには己を律する力がある。そんな伽藍をサポートするかのように亜月が横合いから身を低くする。


「彼の父親から直訴がありまして──」

「事情は把握しています。あなた方とは違うので」

「そうでしたか」亜月はいつも以上ににこやかで、その理由を伽藍は痛いほど知っている。「それでは、彼の父親がお待ちですので──」


 流泉院が亜月を真正面から見つめた。


「私は藤堂彼方の身柄を引き受けに参りました、と申し上げました。折衝局への移送に一般人は同行できません。彼の父親との話は移送後に折衝局で行います。ここではありません。それとも、あなた方は権限を逸脱して、ここで折衝を行えと言うんですか?」

「いや、そこまでは……」


 にこやかな眼力で眼鏡を破りそうな亜月を脇にやって、伽藍が建物の奥を指さした。


「藤堂彼方の身柄は留置場に。案内しますよ」



 被疑者の身柄を引き渡すまでは、広告治安局アドガードの管理下にある留置場には折衝役コーディネーターは立ち入ることができない。無言・無表情ではあるが圧倒的な拒絶を目だけで表していた亜月を流泉院、百瀬と共に留置場の前に残して、伽藍は一人で彼方の入る房の前に立った。


 畳敷きで、あとは鉄格子のはまった窓と重い鉄のドアしかない空間に彼方は腰を下ろしていた。ドアを開けて姿を現した伽藍の顔を見て、彼方は再び俯いた。


「お前の身柄は折衝局に移される。どういう意味か分かるか?」


 彼方は伽藍を見上げて、しかし、黙ったままだった。


「お前の父親が広告法取引を申し出たんだよ。お前を守ろうとしてる」


 彼方の目が微かに大きく開いたのを伽藍は見逃さなかった。


「お前は友達を守ろうとしたな。だが、はじめからつまらんことをしなければ、そんなことをする必要もなかった」

「……〝つまらんこと〟をした覚えはありません」

「広告犯罪に問われた家庭がどうなるのか、お前は知っているか? 悲惨なものだぞ。まわりからは人間扱いをしているとは思えないような言葉を浴びせられる。家庭も今まで通りとはならん。広告契約は打ち切られ、違約金を払わされることになる。それなのに、広告犯罪者を自分の会社で働かせようと思う企業や団体はほとんどない。社会から爪弾き者にされ、それを苦に死を選んだ人間を俺様は何人も見てきた」

「だったらどうすればよかったっていうんですか!」それまで燻っていた怒りが彼方の口を突いて出た。「大切な人を守ろうとしたんですよ! 卑劣な連中から! 俺だけが守れたんだ!」


 そう言って畳に額を押しつける彼方に、伽藍は小さく溜息をついた。


 ──こいつも自分を特別だと思っているのか。若いからなのか、あるいは……。


「お前の父親がお前を守るために何を犠牲にするのかを最後まで見守れ。それがお前のできる贖罪なんだよ」


 伽藍はそう言って、畳の上に崩れるようにしていた彼方の腕を取って立ち上がらせた。文字にすれば突き放したような言葉だったが、そこには伽藍なりの熱が込められていた。



***



 藤堂彼方の身柄を引き渡した伽藍たちは、広告治安局アドガード本部へ帰投する前に自販機の置いてある休憩スペースに立ち寄っていた。


「あの折衝役コーディネーターの口振りからすると」亜月は苦み走った表情で口を開いた。ただでさえ冷たい声色が、今はより温度を低くしていた。「藤堂彼方の父親は警察にはいられないでしょうね」

「広告犯罪責任を負うなら、そうなるだろうな」

「さっきは私をあの女と一緒にさせましたね、隊長。忘れませんよ」


 冷気を発する亜月の瞳がおっかなすぎて、伽藍は目を逸らした。だが、亜月は追撃の手を緩めない。


「藤堂彼方と何を話したんですか?」

「気にするな、及川。大したことじゃない」

「悪は許せないのではなかったんですか?」


 図星を突かれたような気がして、伽藍はパッと亜月を振り向いた。


「何を話したと思ってるんだ、及川?」

「それは分かりませんが、隊長があの少年にやけに肩入れしているように感じましたので」


 亜月と伽藍が仕事を共にするようになって五年ほどが経つ。じっと見つめる亜月に根負けしたように、伽藍は肩の力を抜いた。


「緊急出動命令に付属した事件概要を読んだか?」

「私にそれを聞くんですか、隊長?」


 伽藍はフッと笑った。


「いや、いい。【鉄板焼き屋 金のテコ】が広告を発動した場所は〝鉄板焼き屋やまちゃん〟という広告化されていないモブ店舗でのことだった」

「それは単なる状況であって、彼の行為を正当化するものではありません」

「それはお前の言う通りだ、及川。だがな、あいつは言ったんだよ。『大切な人を守ろうとした』……それが引っかかってんだよ」


 広告が平等でないことは誰もが知っている。それがこの〝超資本主義スーパー・キャピタリズム〟の世界での正義であることも。誰もそれを言葉にしないだけだ。


「〝広告が人々を飲み込む〟などという反広告主義者の主張を真に受けているわけではありませんよね? 私たちが何を守っているか、隊長はご存じのはず」


 亜月の真摯でそれでいて剥き出しのナイフみたいな言葉に、伽藍は初期衝動に立ち返らされた気がした。伽藍のそれは単なる憤りという感情だったのかもしれない。


 伽藍は邪念を振りほどくように大きく息を吐いた。


「ひと息つこう。奢ってやるよ」


 伽藍が指さす自販機にはズラリと缶コーヒー【ロードオフ】が並んでいる。自販機はほんのりと温かいオレンジ色の光を放っていて、いつの間にか二人の手には座ったテディベアのロゴの入った缶コーヒーが握られていた。


 休憩スペースのベンチに並んで座る二人が揃ってコーヒーを口に運ぶと、ボンッと煙が立つ。二人は可愛らしいテディベアの姿へと変わっていた。休憩スペースは急速に生え、成長した木々に囲まれて森へと変貌する。


「ふわぁ~~、ひと息つこうテイク・ア・ロード・オフ



***



 依願退職という形で捜査一課を去ることになった衛士を見送ろうと、彼の部下たちが警視庁の駐車場に集まっていた。


「見送りなんていらなかったのに」


 衛士が笑うと、部下たちから声が上がる。


「さすがにそういう訳にはいかないですよ」


 とはいうものの、衛士の退職を見送るための飲み会が開かれるわけでもない。広告犯罪責任を負った者を慰労する行為は公序良俗に反するからだ。だから、せめてもの敬意を示すために彼らはいったん仕事を中断して、こうして外まで出て来たのだ。


「めっっっっっちゃ寂しいっす。つらい」


 そう嘆くのは長年コンビを組んでいた朽木くちき詩英里しえりだ。綺麗に手入れされたパンツスーツをわざとだらしなく着こなし、右手には電子タバコを摘まんでいる。


「詩英里さんがつらいのは、絶対ボクと組まされることになるからですよね……」


 毛量がやけに多い痩身で顔色の悪い男──牧野まきのエザロが後ろ向きに発言すると、詩英里から雷が飛ぶ。


「ぅるっせえなあ! ボソボソ喋りやがってよお!」

「朽木、すまないな。後は頼んだぞ」


 苦笑して差し出した衛士の手を、詩英里は拝むようにして両手で掴んだ。


「勘弁して下さいよお~……。藤堂さんほどつええ男はいないんっすよお……」

「ハッハッハ、強い男が良い男とは限らんさ」

「ですけどお……」


 衛士はポケットの中を探って、表面のメッキがすっかり禿げたオイルライターを取り出すと、詩英里の手のひらにポンと載せた。


「こいつを俺だと思ってくれ」

「藤堂さあん……。こいつを受け継ぐ覚悟、まだわたしにはなかったっすよお……」


 ひとしきり部下たちを別れを惜しんで、衛士は車に乗り込んだ。エザロがキョトンとした目をパチクリさせた。


「車は乗っていいんですか? KURODAクロダから禁止されてないんですか?」


 広告主スポンサーは自社製品のイメージを重要視する。広告犯罪者や広告犯罪責任を負う者が商品やサービスを利用することで、後々新しい広告紛争に巻き込まれるケースも珍しくはない。


「こらあ! てめえはなに失礼なこと言ってんだ、ボケえ! 定時で仕事終わらせられねえくせによお!」

「それとこれとは別の問題でしょう……」

「んだとお?!」


 エザロに飛び蹴りをかました詩英里は、衛士に向かって頭を下げる。


「すんません、ホントに」

「一応、何か言われるまではこの車に乗っていても大丈夫だと思うけどね。牧野、あまり朽木を怒らせるなよ」

「努力してるつもりではあるんですけどね」


 暗に詩英里の人間性の問題をチラつかせるエザロだったが、当の本人は気づいていないようだった。



 いよいよ本当に別れの時がやって来て、部下たちの声のトーンも落ちていく。誰も衛士の息子の彼方のことについて聞かないのは、衛士に対する気遣いの表れだったのかもしれない。


「それで藤堂さん」彼女は最後に尋ねた。「今後は何を?」

「そうだなあ……」


 藤堂は運転席から晴れ渡った空を見上げた。


「それはこれからゆっくりと考えることにするよ」


 そう言って衛士はアクセルを踏み込んだ。およそ二十年にわたる刑事生活はそうして幕を閉じたのだった。


 それはあまりにもごく普通の日であった。

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