第10話 賽は投げられた③
ありがたいことに、俺様は子どもの頃から身体が丈夫だった。
これは子どもの頃のことで、もう時効だろうから白状するが、よくまわりの男に喧嘩をふっかけていた。喧嘩と言っても、俺様が一方的にボコっていただけだ。
今はそんなことは一切しないぞ。そんなことをしている奴を見かけたら、俺様がぶっ飛ばしてやる。だから、
ただ、手あたり次第に手を出していたわけじゃない。
俺様の両親はいくつもの広告契約を結んで裕福な家庭を作ってくれていた。子どもの頃から口酸っぱく「正しくいなさい」と言われ続けていた俺様には、絶対的な戦略があった。
難しいことじゃない。必ず先に相手に手を出させるってだけだ。そうすれば、俺様には反撃をする口実ができる。目撃者を作っておくのもポイントだ。
そのせいか、俺様はいつの間にか一目置かれるようになっていた。小学校の教師たちも、俺様がよくトラブルに巻き込まれる児童だと思っていただろう。
そんな俺様は、なぜかいじめられっ子の駆け込み寺みたいになっていった。俺様が通っていた学校だけでなく、隣町からも助けを求めて何人もやってきた。
その時からだろうか、俺様は自分が正義の味方なんじゃないかと錯覚するようになっていった。
それまでは喧嘩をしたくてたまらなかったが、頼りにされるようになってからはそいつらを守ってやることを考えるようになったんだ。
中学生の頃、
まあ、正直に言うが、鬱陶しかったものの、誰かに頼られるってのは悪い気にはならないもんだ。
「ガーちゃん、助けてくれよぉ~……」
西は俺様のことを〝ガーちゃん〟と呼んだ。アヒルじゃねえぞと何度言っても直らなかったから、もう諦めてそのままにしておいた。
「おいおい、なんだぁ、西? 何があったんだ」
いつもと違っていたのは、西がかけていた分厚い眼鏡にヒビが入っていたことだ。頬に痣を作って、部活中の俺様のもとに駆け込んできたのだ。
「第二中の奴らにカツアゲされたんだよぉ~……」
「お前、だから現金は持ち歩くなって言っただろうが」
「
「誰だよ?」
「売れっ子ミステリー作家だよ。知らないの、ガーちゃん?」
道場の隅で言葉を交わしていた俺様達の背後から、声がかかる。
「石川、なにサボってんだ?」
空手着に身を包んだ部活の顧問・
「わっ、わわわ! すみませんっ!」
西はいつも大袈裟にリアクションをした。今にして思えば、それが不良連中に好評だったんだろう。
「なんだ、また西か」
優等生だった西は、教師には評判がよかったのかもしれないが、トラブルメイカーとしても名が通っていた。だから、教師たちは西が多少怪我を負っていても、見て見ぬ振りをした。面倒ごとに首を突っ込んで広告契約に傷がつくのを恐れていたんだろう。
俺様にはそういう大人たちの及び腰が許せなかったし、それが俺様の正義感に火をつけた。
「用事があるなら先に帰っていいぞ、ガーちゃん」
「ガーちゃんはやめて下さいって!」
宮峯先生は笑いながら部活指導に戻っていった。よくあることだった。
結論から言うと、第二中の連中は話にならなかった。
その頃の俺様には、大勢の追っかけグループがついていた。そいつらを引き連れて、というか、そいつらが勝手について来る中、西と共に第二中の連中がたむろしている公園に向かうと、俺様の姿を見た六人組が顔を青ざめさせて一目散に逃げだした。
その様を見て、俺様の追っかけグループが大口を開けて笑った。
小学生の頃からの積み重ねか、中学生になった頃には俺様と戦おうとする奴らは少なくなっていた。
その時の俺様は物足りずにつまらなかったが、西が「ありがとう」と言ってくれたので、留飲を下げることができた。
「お前はなんでいつも
帰り道、俺様は西にそう尋ねた。広告契約にダメージを与えるのが最も効率のいい不良撃退法だ。現に、それを恐れて〝いい子ちゃん〟でいることを選ぶ人間の方が多い。見かけ上は、誰もがお行儀のいい優等生だ。
「それは正々堂々としてないかなって思うんだよね」
「バカか、お前だって俺様に頼ってるじゃないか」
「ガーちゃんはぼくの拳なんだよ。ぼくにできないことをガーちゃんはできる。だから、いつかガーちゃんができないことがあったら、ぼくを頼ってほしいんだ」
一丁前にビッグマウスを披露した西の表情は真面目で、茶化そうとした俺様は返す言葉がなくなってしまった。
西のその言葉が俺様の心にやけに刺さったってのもある。
それから一週間も経たなかった。
西の父親が広告妨害の疑いで
西は常々言っていた。「広告を扱うのは覚悟がいる」と。それは両親からの受け売りだったらしいが、そんな人間が広告妨害など犯すだろうか?
きなくさかった。子どもの頃から、こういう時の俺様の鼻はよく利いた。
広告管理法に関わる争いは広告紛争という。広告紛争には、何人もの登場人物が必要だ。被害者と容疑者、
契約している
現に、俺様が
広告紛争に首を突っ込みでもして彼らに目をつけられれば、たたでは済まないだろう。
だから、多くの人間は広告紛争に関わろうとしない。だが、あの時の俺様は自分の中の正義に従って魑魅魍魎の渦巻く世界に足を踏み入れたのだ。
とはいっても、その時の俺様には危険なことなどなかった。単に運がよかっただけなのかもしれないが、それが俺様を現在の道に導いてくれたのだろうと思う。
西の父親は【しあわせライフ】という生命保険の広告契約者だった。
つまり、妨害を受けたと主張している相手方も同じ生命保険の広告契約者だということだ。
相手はすぐに見つかった。
なんと、西の眼鏡にヒビを入れた第二中のグループにいた男子生徒の父親だった。契約していた広告は【ルガーノダイレクト】という外資系の生命保険だ。
【しあわせライフ】は二級広告、対する【ルガーノダイレクト】は一級広告……ランクの違いは一つだけだが、広告格差は大きい。
俺様にはピンときた。
このタイミング、この広告格差……偶然じゃないな、と。おおかた、西をいじめて、俺様の姿に恐れおののいて逃げ帰ったのを笑われた奴が卑怯な手でやり返そうとして、自分の父親を焚きつけたんだろう。
【しあわせライフ】よりも【ルガーノダイレクト】の方が先に広告展開をしており、妨害を受けたという主張が通るような工作をしていたに違いない。
しかし、分別のある大人が高ランクの競合広告を妨害するとは到底思えない。
俺様の想像に反して、いくら聞き込みをしても、いくら証拠を集めようとしても、西の父親が先に広告を発動していたという事実を突き止めることはできなかった。
あの時の俺様にはそれが限界だったんだ。
それから数年後、
この不正には
そして、
だが、何らかの力が働いたのか、各企業の広告紛争は有耶無耶になり、西の父親の処分も取り消されることはないままだ。西の家族は、広告妨害の件から一か月も経たずにネット上での炎上や周囲からのバッシングを苦に旅立ってしまった。
俺様が悪を許せなくなったのは、それからだ。陰でコソコソと利を貪る下賤の人間をこの世から駆逐してやろうと誓った。
旅立ってしまった西のために。
あいつの残してくれた言葉を胸に。
「ガーちゃんはぼくの拳なんだよ。ぼくにできないことをガーちゃんはできる。だから、いつかガーちゃんができないことがあったら、ぼくを頼ってほしいんだ」
***
「いまどき一人称が〝俺様〟の人がいるんだと再認識しました」
伽藍はデスクを叩いた。広告犯罪調査の報告書を作成しているはずだったが、いまや熱を持って講談師のように汗と弁を飛ばしていた。
「俺様の感動的なエピソードに対する第一声がそれか、及川ぁ? 切り口が独特すぎるだろう」
「急に熱く語り出してどうしたんだろうと思いました。仕事して下さい」
「分かってないな、及川よ。宇宙だって地球だって最初に与えられた熱を少しずつ放出して生きているんだぞ。初期衝動の熱ってのは、偉大なもんなのよ」
「ハァ……、そうですか。参考にします」
パソコンのモニターで報告書の最終チェックに余念がない亜月は生返事で応戦する。その眼鏡越しの瞳が、ふと伽藍の制服の襟もとに留まる。
「もしかして、そのアヒルのピンバッジは……?」
「そうさ」
伽藍は指先でピンバッジを弾いた。ウィンクをしたアヒルがきらりと光る。どうやら何十種類もあるピンバッジをその日の気分で付け替えているらしい。
「旅立ってしまった西を忘れないようにしているんだ」
「西さんも草葉の陰で隊長のことを見守っているんでしょうね……」
亜月には珍しくしみじみと呟いたが、伽藍は目を丸くした。
「なに言ってる、及川。西は転校したんだ。まわりがやかましかったからな」
「回りくどく死んだみたいな言い方してたじゃないですか!」
我慢の限界に達したのか、亜月が吠えた。
「なんてこと言うんだ、及川ぁ!」
「勘違いさせるようなことを言わないで下さい!」
「まあ、死んでもらっていた方が都合がいいがな」
「だから、そういう悪役みたいなことを言わないで下さい!」
ギャーギャーと喚く隊長と副隊長を隊員たちは横目でチラチラと窺ってはクスクスと肩を揺らすのだった。
***
「生意気が言えないようにお前たちをふん縛ってやる!」
「また悪役ゼリフを……」
亜月が額を押さえる中、彼方は叫んだ。
「違う! 俺たちは無実だ! あいつらが勝手に入って来て、俺たちを──」
伽藍の目が光る。
「問答無用……! 【サンダーボルト】
伽藍の身体が黄色い光を発し、その周囲に雷光が帯びていく。制圧術の構えを取る彼方を一瞥して、伽藍は地面を蹴った。
稲妻の尾を引いた伽藍の身体が超スピードで彼方の眼前に到達する。
彼方が反応するよりも速く、伽藍の拳が彼方の胴体を直撃した。雷轟が唸って、彼方を吹き飛ばす。天高く拳を突き上げた伽藍を光が包み込んだ。
【サンダーボルト】は、強炭酸が特徴のエナジードリンクだ。数年前に現れた商品で、その刺激と配合成分によって飲んだ者が素晴らしい力を得るという広告は瞬く間に拡大し、特級広告の座に収まった。
伽藍が使用した
大きく宙を舞った彼方が地面に叩きつけられる。
伽藍はゆっくりとそのそばに近づいて、彼方の腕を取ると、【サンダーボルト】の
「待て……! 待ってくれ!」
「ええい、悪ガキめ、ジタバタするなよ。大人しく言うことを聞けぃ」
力強い手で彼方の手首を捻り上げた伽藍は、立ち尽くす
「だから、聞けって! そいつらはただ見てただけなんだ。広告の妨害なんかしてない」
伽藍は彼方の首根っこを掴んでジッと彼の目を見つめた。
「ほう、じゃあ、お前の罪を認めるのか?」
身近な人々の顔が次から次へと彼方の脳裏に浮かび上がっていった。それが彼方に罪の告白を躊躇させたが、彼はグッと奥歯を噛み締めて伽藍を見つめ返した。
「……認める」
長い数秒間、彼方の眼を覗き込んでいた伽藍はフッと息を吐く。
「〝おぼっちゃま〟からは全員必ず捕まえろと言われていたが、ちょっと気が変わった」
「上からの意向に気分で逆らうのはどうかと」
美言と絢斗に鋭い眼光を投げつける亜月を伽藍は手で制した。
「どうせそいつらが関わってたとしても逃げられはしないだろう、及川。それにな、俺様は正々堂々とした顔ってのは嫌いじゃないんだ」
「いや、だから、そういう感情論をやめて下さいという話で──」
「やかましい。グズグズしてると
伽藍は彼方の手を引くと、亜月を連れて【フォートレス】に乗り込んだ。
まるで彼方の人生に幕が下りるような光景を、美言と絢斗は黙って見送ることしかできなかった。
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