第4話 邂逅

 この世界で孤独だと痛感した彼方かなたにとって、自分の世界を守ることは最もプライオリティの高い項目だった。それがなければ、この世界にすり潰されていただろう。孤独だった彼をそしることなくそばで見守っていたのが美言みこと絢斗あやとだった。


「秘密基地作ろうぜ」


 小学二年生の彼方は自覚していなかったものの、世界と隔絶された空間を欲していた。


「めんどくさいよ、そんなガキみたいなこと……」


 大人びた仕草と表情で応じる美言を絢斗が笑う。


「お前も子どもだろ」


 彼方は二人を置いて歩き出そうとする。


「いいよ、俺一人でやるから」

「ちょっと、待ちなさいよ~」


 我が道を行く彼方の背中を、美言と絢斗は追いかけた。



「俺たちが部室を貰えるなんてな」


 絢斗が無意味に映画研究会の部室となった狭い部屋の中を【Eye proアイプロ】で撮影し始めた。静かにはしゃぐ絢斗だったが、美言は眉をひそめていた。


「で、何すんの、映研って? ホントに映画作んの?」


 革張りのボロボロソファの中で、彼方は伸びをした。


「ぶっちゃけ、具体的に何か考えてるわけじゃない」

「校則読んでないだろ」絢斗が彼方へとカメラを向ける。「自主活動は活動実績がないと解散させられるぞ」


 彼方は溜め息をついた。


「つまらないルールだな」

「言っとくけど、あたしは映らないからね」


 改めて予防線を張る美言に絢斗がカメラを向けると、見事に反撃を食らう。映画研究会の発足という思いつきを実現させた彼方は二人の攻防を眺めつつ活動の方向性について考えようとした。


部室のドアを隔てた廊下で声と足音が入り混じり、何やら騒がしいことに彼らが気づいたのは、その時だった。


「中庭で〝競合〟が起こってるらしい……!」


 映画研究会の隣、書道部の部室から生徒たちが飛び出して廊下を駆けていく。ドアを開けて彼らを見送った絢斗が部室の中を振り向いた。


「見に行こう」


 一も二もなくうなずいた美言とは対照的に、彼方は浮かない顔だ。



***



「【わんぱっく】は俺らラグビー部みたいな育ちざかりの味方なんだよ!」

「手軽に食える【カップスタイル】の方がいいに決まってんだろ!」


 中庭に赤と白のボーダーとヘッドギアをつけた分かりやすくラグビー部っぽい男子たちがマッシュヘアなんかの前髪長い系の洒落ついた男子生徒たちと対峙していた。彼らを取り巻く大勢の野次馬の輪の中に彼方たちも身を投じる。


「ねえ、なんかあったん?」


 美言が近くの上級生かもしれない男子の集団に軽々しく声をかけると、はじめは戸惑っていた彼らは口々に答えてくれた。


「カップ焼きそばの競合だよ」

「ラグビー部の奴らが広告展開しているところに、あいつらが来たんだ」

「でも三級同士だからお互い譲らず……」


 絢斗が深くうなずいている。


「それで争いに……」


 怒鳴り合い、今にも掴み合いそうな一触即発の空気が人だかりの内側に満ち満ちている。それを見つめる彼方の目は冷たい。



 広告管理法によれば、すでに展開されている広告に対し、競合する別の広告を同一範囲内に展開することはご法度とされている。競合とは、対象となる商品やサービスなどのカテゴリーと重なるような広告主スポンサーを異にする複数の広告のことだ。


 例えば、【ドラゴンズ・スフィア】と【サモナーズ・ウォー】は〝スマホゲーム〟というカテゴリーの中で競合する広告同士だ。


 そして今、この阿戸あど西高校の中庭においては、【わんぱっく】と【カップスタイル】は〝カップ焼きそば〟というカテゴリーの中で競合しているのだ。



「俺たちが最初にここにいたんだ! 出て行け!」


 ラグビー部の面々が異口同音に叫んでいた。相対するマッシュヘア軍団も、目の前の巨漢たちに怖気づくことなく食い下がる。


「お前らみたいな古いカップ焼きそばのイメージはもう要らねえんだよ!」

「あ~やだやだ」美言が半笑いでカップ焼きそば戦争から目を逸らす。「みにあら」

「みにあら?」


 絢斗が訊くと、美言は人だかりから離れようとする。


「醜い争い」


 どこからともなく声が上がって、人垣が割れる。その向こうから見覚えのある長身のシルエットが現れた。徳川とくがわ界人かいとだ。隣に奥平おくだいらゆず風紀委員長を伴っている。絢斗が溢れる思いを声にして漏らす。


「あれは、奥平さんだ」

「徳川もいるだろ。お前にはクラスメイトの姿が見えないのかよ」


 彼方がツッコミを入れる中、カップ焼きそばの戦場に足を踏み入れた奥平がよく通る声を発した。


「あなたたち、今すぐ鎮まりなさい!」


 彼女を一瞥する男たちだったが、引くに引けなくなったのか、お互いに手の中に商品を召喚して、さらなる攻勢に出ようとした。奥平は慌てて争いの渦中に躍り出た。風紀委員の腕章をこれ見よがしに摘まみながら。


「やめなさいと言ってるでしょ!」


 風紀委員長の一喝も、カップ焼きそばの契約者たちにはいまいち効果がない。


「風紀委員は引っ込んでろ!」

「広告の問題に首突っ込んでくるな!」


 口々に攻撃的な言葉を飛ばす男子たち。絢斗は静かに口を開いた。


広告治安局アドガードは学校に簡単に踏み込めないから、あいつら強気だな」


 美言は争いの方に背中を向けたままだ。


「でも、家族が責任取らされることになるかもしれないのにね。それに、広告主スポンサーだって黙ってないよ」


 広告管理法では、広告に関する違法行為を犯した者が責任を負えない場合、その関係者に罰則を求めることができる。それだけでなく、広告主スポンサーは契約者に対し、契約に基づいた私的な制裁を加えることもできる。美言はそのことを言っているのだ。


 混迷を極める状況の中、界人が軽く手を挙げて一同を制した。


広告治安局アドガードが来ないと思って暴れすぎだよ」

「なんなんだよ、お前は!」


 ラグビー部の面々が怒号と共に界人を取り巻く。落ち着き払った様子の界人はゆっくりと口を開いた。


「僕は徳川界人──、市長直轄の広告治安維持部隊〝ウォッチドッグス〟の統括官だ」


 界人が手をかざすと、国産家電メーカー・ウェルチャーのロゴが光って手の甲に浮かび上がる。


「【ナノウォッシュ】抽出エクストラクテッド……、捕獲粒子キャプチャ・パーティクル──」


 ラグビー部とマッシュヘア軍団の周囲に光る球体がいくつも出現して、彼らをひとまとめにして光球同士がギュッと密着した。カップ焼きそばで競合していた集団は堪らずにその場で拘束されてしまった。


 一瞬の出来事を目撃していた人垣の中から、


「あ、広告術アドフォースだ……!」

「すげぇ……」


 と、いくつも声が上がった。



 治安維持に従事する者に許可された特殊技能、それが広告術アドフォースだ。


 広告には、広告現象と呼ばれる説明不能な現象が含まれる。宙に浮く、ドラゴンが出現する、数百年先の未来に一瞬で移動する、死者が蘇生する……広告の中では、あらゆる不可能が起こりうる。


 広告術アドフォースは、契約者が自らの契約する広告から任意の広告現象をそれぞれの能力に応じて抽出し、発動する技術のことだ。


 普通であれば、広告の力を攻撃の用途で用いることは禁止されているが、広告治安局アドガードによる広告術アドフォースを用いた制圧などは秩序の安定という社会貢献の大義名分のもとに認められている。


『ウォッチドッグス』は広告治安局アドガードに準ずる阿戸市の機関である。


 ウェルチャーの【ナノウォッシュ】は〝ナノ粒子〟の力によって汚れを吸着し、洗浄力を強化した洗濯機で、界人が発動したのはそのナノ粒子の働きを拡大した広告現象を抽出したものだ。



 捕獲粒子キャプチャ・パーティクルから漏れたマッシュヘアの男子が腰を抜かしていた。存在しないはずの洗濯機やその広告の記憶から彼方は冷静に分析する。


 ──CMでよく見る〝取りきれない汚れ〟があいつだな。


 どんなに洗浄力のある洗剤や殺菌能力のある商品でも、広告上では全ての汚れを取り去ることができず、汚れやウィルス、細菌がほんの少しだけ取り残されている。それが彼方のいう〝取りきれない汚れ〟というやつだ。


 どこからともなく駆けつけた風紀委員たちが、すっかり意気消沈したラグビー部とマッシュヘア軍団を取り押さえていく。界人は満足げに奥平と視線を交わして地面に尻を突いた狼藉者たちに告げた。


「君たちの身柄は広告治安局アドガードに引き渡す」


 それまで勝気だったカップ焼きそば軍団の顔から余裕という名の血の気が引いて行った。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! ここでちょっとやり合ってただけだろ! なんで広告治安局アドガードに──」

「広告管理法では、広告違反の目撃者には通報の努力義務が定められている」


 冷たく言い放つ界人には、隣に立っていた奥平もさすがに苦笑を禁じえなかった。


「ええと、徳川くん、ここは口頭注意だけでいいんじゃない……? 彼らも反省してるようだし、彼らには広告主スポンサーによる私的制裁も待っているわ」

「ルールはルールです」


 取り付く島もない様子の界人に、カップ焼きそば軍団からは怒号が浴びせられる。


「ふざけんな!」

「市長の息子だからって調子乗ってんじゃねえ!」


「ルールはルール」……その言葉に彼方は胸の中を掻き毟りたい衝動に駆られていた。ただでさえ納得のできないこの広告世界からルールを強制されることに我慢の限界を感じていた。


 連行を待つしかないカップ焼きそば軍団の苦み走った表情に、彼方は同情を寄せる。だが、界人は動じることはなかった。


「言い訳は広告治安局アドガードにどうぞ」


 絢斗は声を落としていた。


「感情的になって人生を棒に振ることになるとは……」

「そだね……」


 事態を見守る二人の親友たちに、彼方は思わず詰め寄る。その原動力は間違いなくこの世界に対する積年の不信感に他ならなかった。


「それだけで済ませるのかよ。ルールだからって融通の利かない奴のせいで広告治安局アドガード送りにするのかよ」


 熱を帯びる彼方の瞳に映るのは、諫めるような親友たちの瞳だった。行き場のない彼方の憤りは自然と界人の方に向かっていた。


 彼方は速さを増していく鼓動を抱きながら、声を上げる。


「市長の息子だったとしても、他人の人生を狂わせるなんてイカれてる」


 彼方の声に反応を見せた界人はナイフのような眼光をぎらつかせた。


藤堂とうどう彼方くん、今朝の教室で気付いたけど、やっぱり君は広告に対して否定的なようだね」


 底の見えない深い声からは、敵意のようなものが滲み出していた。空気が凍るように張り詰めて、美言と絢斗は息を潜めたが、彼方は屈しなかった。


「奥平先輩が言うように、この場だけで終わらせればいいだろ。わざわざ広告治安局アドガードに突き出してこの人たち犯罪者にする必要なんてない。お前は自分の力を誇示したいだけだ」

「おい、やめろって……」


 彼方の制服の背中を引っ張って絢斗が諫めるが、彼の声は彼方を思い留まらせるほどの力はなかった。界人は不敵な笑みを浮かべる。


「僕は広告治安局アドガードとほぼ同等の権限を持っている。その広告治安維持活動を邪魔したらどうなるか分かってるよね?」


 広告治安局アドガードの活動の妨害もまた広告管理法で禁じられている。


「もう、行くよ!」


 美言が彼方の手首を取って絢斗と共に駆け出す。騒然とする中庭から校舎内に飛び込んで、三人は廊下を走った。



***



 しばらく廊下と階段を疾走して、三階の一年C組の教室の前まで戻ってきた彼方は美言の手を振りほどいた。立ち止まる彼方を美言が心配そうに振り向く。


「徳川に喧嘩ふっかけるなんて、なに考えてんの!」

「そうだぞ。家族に迷惑かけることになるぞ」


 二人から責められて、彼方は奥歯を噛み締めた。彼の頭の中を埋め尽くすのは、広告に支配される世界への敵意と目の前の二人をそこから救い出したいという思いと、それが叶わないだろうという自分の無力さを呪う言葉だった。


 広告は利益を上げるために人を操作する。その人が普段は言わないようなことを言わせ、辱めともとられる行動を取らせる。それなのに、人々は広告の契約を得るために強いられた〝人としてあるべき姿〟というイメージに操縦され、自分の契約を誇示しては誰かを攻撃し、得たものを失いたくないために這いつくばる……。人は広告に支配されているのだ。


 彼方にはそれが許せなかった。


 しかし、それと同じくらい、美言と絢斗の存在がかけがえのないものだと感じてもいる。目の前で彼方を見つめる二人の瞳が、まるで異邦人でも見るような光を帯びていることに気づいて、彼方は思わず抜きかけた刃をグッと鞘の奥に押し込んだ。


 美言も絢斗も忌むべき世界の切り離せない一部で、彼らを認めることはこの世界を受け入れることに等しい。


「そうだな。ちょっと熱くなった」


 溢れる言葉のほとんどを飲み込んで、彼方はそれだけを言った。絢斗が優しく微笑む。


 美言は話題を変えるように廊下の窓の外へ目を向けた。


「まーた踊ってるよ」


 窓からは校庭が見下ろせる。夕暮れの校庭の端、アスファルト敷きの広場では、数十人のグループが陣形を描いて激しく踊っている。


 ──【スカイ】の奴らか。あいつらいつもどこかで踊ってんだよな。


 彼方には清涼飲料水【スカイ】の広告に苦い思い出がある。青春を打ち出したような制服姿の集団ダンスに出くわせば、その輪の中に身を投じて踊るか、そのまわりで訳もなく盛り立てる脇役に徹さなければならない。


 一度、不意に【スカイ】に巻き込まれ、仕方なく若者らしく振る舞った彼方は心身ともに激しい疲労感に襲われた。それ以来、【スカイ】の気配には敏感になり、必ず距離を取るようになった。


 夕暮れの校庭の隅で躍動する生徒たち。その向こうに一人の少女が立っていることに彼方は気がついた。


 遠くてよく見えないが、真っ直ぐな黒髪に白い肌、華奢な身体が躊躇いがちに揺れている。【スカイ】の踊りに乗っているのではない。


 ──戸惑っている……?


 彼方にとって、初めて見る広告への反応だった。まるで目の前で繰り広げられる出来事が広告だと認識しているかのような……。そして、その広告に巻き込まれるのを恐れているような……。


 彼方が見つめる中、その少女はくるりと踵を返し、来た道を戻って校舎の影に消えてしまった。


 彼方の中で疑惑が確信になる。


「今の見たか?」


 彼方が興奮気味に美言たちに尋ねたが、二人はその問いかけの意味を理解していないようだった。


 彼方の身体が鳥肌に包まれる。


 ──まさか、あの子は、俺と同じ……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る