第4話 二夜目 異形の獣からの偏執(2)
そんなってなんだよ! 自分にツッコミを入れつつ、冷静を保とうとする。
背中を向ければきっと襲われる。
巨大な獣が、木の幹についていた両手を離し、立ち上がった二足から地面に四肢をつける体勢に戻る。
前肢を曲げて上体を低くし、尻を上げて伏せた姿勢になる。太い尻尾がぴんと立ち、揺れている。
前を向いたまま、そろそろと後退する。後ろ手にして扉までの距離を測る。たぶん、あとすこし。
獣の顔を注視する。その吊り上がった目が見開かれる。興奮して目が血走っている。
飛びかかる気配を察した。
「イヤァ────────ッ! やめて近づかないでえッ」
もう我慢できなかった。脱兎のごとく背後へと身を引き、駆けた。
ぶっちゃけ余裕なんてなかった。とにかくなにか喚いていないと身がすくんで動けなくなる。
危険信号が頭の中で派手に鳴り響く。捕まったら終わりだ。ヤバイヤバイヤバイ、絶対にヤバイ。
身を屈め、扉を開いてくぐる。通り抜ける。
こっちの世界から向こうの世界──自分の世界へと戻る。
突進されて体当たりされたら、とても押しとどめられる重量じゃない。まず間違いなく吹っ飛ばされる。
脳裏に、あえなく自分が宙を舞う無残な姿を思い浮かべた。倒れたらおしまいだ。好き勝手に蹂躙される。
その想像を現実にしたくない。勢いよく扉を閉める。
大きな音が響く。扉が閉じた振動で周囲が揺れた気がした。
呼吸を忘れた。心臓が爆発しそうだった。全身から脂汗が吹き出している。
いや、コレ夢だから。でも……、だけど!
こっち側の世界に、あれが侵入してしまったら絶対に困る。あんなのがこの扉から放たれたりなどしたら、いったいどうなってしまうんだろう。
私、食われちゃうの? 文字通りの意味か、それとも性的な意味なのか、どちらか正しいかはわからないけど。
右手に握っていた鍵を、親指と人差し指でしっかりとつかむ。鍵は汗でじっとりと濡れている。
扉を肩で押さえ、しゃがみこんだ姿勢のまま必死になって鍵穴に鍵を差し込む。
慌てているわりに、手が震えて鍵を取り落としたりするお約束はしなくてすんだ。
かちゃり、と小さな音とともに扉は施錠された。
反射的に扉へと背を向けた。夢中だった。押し寄せる津波のごとく突進してくるケモノに、微力でも対抗しなければ。反射的に行動していた。
ここが唯一の砦。破られまいとの決死の思いで背中で扉を押さえつけ、全身全霊をこめて両脚で大地に踏ん張る。
大きなものがぶつかる音と震動が、小さな扉を揺らす。幾度も。押さえる身体とともに、心臓が跳ね回っている。
自分の呼吸が荒くなっている。目の前が明滅して、くらくらする。目を閉じる。視界が真っ暗になる。苦しい。
思ったよりもレンガ造りの壁と扉は頑丈だった。そして扉のサイズが小さいせいで、ケモノがぶつかってきても通れない。
ふいに振動が止んだ。向こう側の壁を、がりがりと引っ掻く音がする。
扉の向こう側で啼いている。切なげに。
うろうろと左右に行ったり来たりしているのが、声の響きでわかった。
ああ、あれは呼び鳴きだ。異性を求める、求愛の叫び。
その声を聞いて、急に心臓が締めつけられるように痛んだ。苦しくなった。扉に背をつけたまま動けない。
ずるずると背中が下がる。ぺたりと地面に尻餅をつく。
私は視界を閉ざしたまま、両手で両耳を塞いだ。
はっと目が覚めた。
視界が、暗い天井とシーリングの照明の丸い形をとらえる。布団の中で目覚めたのを知る。
まだ胸がどきどきする。なんて夢だ。
私は布団の上に起き上がった。大きな溜め息をひとつ。
耳の中にまだあの呼び鳴きが残っている。
もうひとつ溜め息をつくと、私は両手で顔を覆った。全身、汗びっしょりになっている。
本当に、なんて夢を見たんだろう。
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