第11話 大蛇と一ノ妃

「あれは」


 そこに居たのは、人の身の丈二人分程もある巨大な緑色の大蛇だった。


 あれが一ノ妃のお顔に傷をつけるという例の大蛇ね。


 どうしよう、想像していたより遥かに大きい。


 大蛇は一ノ妃の体に巻き付き、ギリギリとその体を締め付ける。


「やい化け物、放せ!」

「くそっ、なんだこいつ!」


 二人の従者が槍で戦おうとしているけど、まるで歯が立たない。


 まずい、何とかして助けなきゃ。

 怯んでいる場合じゃないわ。


 えーっと……そうだ、巫術でなんとかしよう!


 妖魔相手に戦ったことなんてないから緊張するけど、今はやるしかない。


 私はしどろもどろになりながらも印を結ぶと、右手を大蛇に向けた。


炎矢えんし!」


 これは私の巫力の一つ、炎を操り矢の形にする破魔炎矢はまえんしという技。


 歴代の炎巫は皆、炎を操る術を使えたんだって。


 豪音を立て、矢の形をした炎が大蛇へと飛んでいく。


「ンギャアッ!!」


 炎を顔に浴びた大蛇は、驚いたような声を上げる。


 だけれど大蛇は一ノ妃を離さない。

 嘘。全然効いていない。どうしたらいいの。


「た……助けて……」


 一ノ妃の苦しそうな声。


 ど、どうしよう!


「こ、こらっ、一ノ妃様を放しなさいっ!」


 私が続けざまに炎を放つと、炎の矢は大蛇の尾と首に命中した。


 特に狙いを定めていたわけではないけれど、矢が首に当たった瞬間、大蛇は苦しそうな声を上げる。


「ギイイイイイアアアア」


 どうやらあの蛇は、首元が弱点だったみたいね。


 ようし、それなら!


 私が続けて炎矢を首元に向けて放つと、ようやく大蛇は一ノ妃を放すと、すごい勢いで森の奥へと逃げていった。


「げほっ、げほっ」


 大蛇から開放された一ノ妃が地面に倒れこむ。


「大丈夫ですか!?」


 私は急いで一ノ妃へと駆け寄り、抱き起こした。


「ええ、大丈夫よ」


 一ノ妃が青白い顔で答える。


 良かった。見たところ、どこにも大きな怪我は無いみたい。


「あなたのお陰で助かりました。素晴らしい巫力の使い手なのですね」


「い、いえ、私は別に……」


 私が照れて横を向いていると、一ノ妃はにっこりと笑ってこう言った。


「私の名前は芙蓉。もしよろしければ、あなたのお名前も教えてくださいませんか?」


「は、はい。私は紅明琳と申します。あの、もしかして一ノ妃様では?」


 ピシッと背筋を伸ばすと、一ノ妃は花のようにふわりと微笑んだ。


「ええ、宮廷ではそう呼ばれているわ。よく分かったわね」


「ゆ、有名ですから」


 私はポリポリと頭をかきながら答えた。


 まさか一ノ妃が襲われる運命をあらかじめ知っていただなんて言えやしない。


「それよりも、最近は妖魔がよく出るのかしら。私、ここには毎年一度は来ているのだけど、あんな化け物に会うのは初めてよ」


 不安そうなお顔で辺りを警戒する一ノ妃。

 可哀想に、よほど怖かったに違いない。


「そ、そうですね、街中に大蛇が出るなんて珍しいと私も思います」


「ずいぶんと妖魔にお詳しいのね」


 一ノ妃は感心したようにうなずく。

 私は苦笑いをしながら目をそらして答えた。


「い、いえ、詳しいというか……あの、ちょっと、巫女考試で勉強して……」


 私の言葉に、一ノ妃は大きく目を見開く。


「まあ、今年の巫女考試を受けてらしたの。すごいわ」


「は、はい、残念ながら落ちてしまいましたが」


 本当は自分から辞退したとも言えず、私は嘘をついた。


「それでも素晴らしいですわ。国中から集めたたった十二人の優秀な女の子しか炎巫候補になれないのでしょう?」


 一ノ妃がびっくりした顔をする。

 そ、そんなに凄いのかな。あんまり実感もないけれど。


「もしよろしければ、一緒に参拝しませんか?」


 提案してくれる一ノ妃。

 でも私、一度参拝しちゃったし……。


 迷っていると、天翼が隣に現れ、私に耳打ちした。


『受けておけ。こんな機会は滅多に無いぞ』


 確かにそうかもしれない。


「はい、喜んで」


「お、お妃様!」


 慌てる従者。芙蓉様はスッと手を伸ばし、従者を制した。


「下がりなさい。明琳さんは私の命の恩人よ」


「ですが」


「明琳さんの力はあなたたちも見たでしょう。あの化け物がまた襲ってこないとも限らないし、彼女がいてくれたほうが安心です」


「お妃様がそう仰られるのでしたら」


 従者たちはスッと後に下がると、数歩離れて私たちの後ろからついてきた。


「明琳さんはどちらの出身なの?」


「は、はい。南方の仲州ちゅうしゅうというところです」


「まあ、そんな遠方からはるばるご苦労でしたこと」


 それから私たちは、故郷のこと、妖魔のこと、それから巫女考試のことなどを話した。


 もちろん、静が偽の巫女だってことや処刑を回避するために人生をやり直してることはぼかしてだけど。


『明琳、何をしている』


 隣で天翼が不機嫌そうな顔をする。


 何って?


 私が首を傾げると、天翼はわざとらしくため息をついた。


『せっかく目の前に一ノ妃がいるのだ。女官考試を受けることを話せばいいだろ』


 えっ、でも……。


『お前は一ノ妃の命の恩人だぞ。ここで話しておけばコネで合格できるかもしれん』


 こ、コネって……どうやって?


 確かに天翼の言う通り、これは女官になれる千載一遇の機会かもしれない。


 でも何て言って切り出せばいいの?


 命を助けたのだから自分を女官にしろだなんて厚かましくないかしら。


 私が迷っていると、一ノ妃の方から声をかけてくれる。


「ところで明琳さんは、これからどうするおつもりなの?」


「あ、はい。私は女官考試を受けようかと」


 反射的に答える。


「まあ、そうなの。じゃあひょっとして、それでこの文仙廟に?」


 芙蓉様は目を大きく見開く。


「はい。学問の神様だと伺ったので」


「そう、頑張ってね」


 だけど一ノ妃はそれ以上は何もおっしゃってくれなかった。


『どうした明琳、せっかくの機会だ。一ノ妃に自分を女官にするように頼めば良いではないか』


 天翼が隣で不機嫌な顔をする。

 全く、天翼ったらうるさいなあ。


 そんなこと言ったって、一ノ妃様のようにやんごとない身分の方に、そんなに強引に頼めないよ。

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