第10話 文仙廟
染め粉を手にした私は、再び繁華街へと戻ってきた。
『染め粉が買えたのは良いが、どこで染める気だ?』
天翼が尋ねてくる。
「一応、食堂のおばさんに馴染みの飯店の二階を貸してるって教えてもらったから、そこで染められるか聞いてくる。駄目ならその辺の河原ででも」
『その辺の河原って』
呆れ声の天翼を無視し、私は食堂のおばちゃんから教えてもらったお店に向かった。
「雨雨飯店、雨雨飯店――あった、ここね」
私は目の前の赤い看板のお店を見上げた。
雨雨飯店は、一階が酒場兼食堂、二階が経営者夫婦の住居となっている小さなお店だ。
戸を開けると、香辛料の美味しそうな匂いがふわりと漂ってきた。
「すみません、そこの食堂で教えてもらったんですけど、空いてる部屋はありますか?」
受付のおばちゃんに声をかけるとおばちゃんは心配そうな顔で私を見つめた。
「あると言えばけど、お嬢ちゃんみたいな若い子が一人でかい?」
「はい。私、女官考試を受ける予定なんです」
私が言うと、おじさんとおばさんは驚いたように目を丸くした。
「そう、それは凄いわね!」
「女官だなんて大したもんだ。頑張っておくれ」
「ありがとうございます」
私は勢いよく頭を下げた。
良かった、すごくいい人たちみたい。
「空き部屋はこっちだよ」
私の荷物を一つ持ってくれるおばさん。
「すみません、ありがとうございます」
と、荷物を二階に運びかけて気づく。
あ、そうだ。
「あの、実は染め粉を使いたいんですが、浴室を使っても良いですか?」
恐る恐る尋ねると、おばさんはにっこりと微笑んだ。
「ええ、もちろん。でもまたどうして?」
「え、ええと、黒髪のほうがきちんとしていて真面目に見えるかなって。ほら、面接とかもありますし」
私がしどろもどろになりながら答えると、おばさんは納得したように頷いた。
「まあ、確かに今の髪は派手だしね。よし分かったわ。染めむらがないように手伝ってあげるよ」
「ありがとうございます!」
二階に荷物を置くと、私はさっそくおばさんと一緒に染め粉で髪を染めてみることにした。
おばさんが染め粉を慣れた手つきで手に取る。
「動くんじゃないよ」
染め粉を水で練り、髪に満遍なく広げていくおばさん。
「おばさん、上手ですね」
「ええ、娘が髪をよく染めていてね、手伝ったことがあるから」
「そうなんですね」
「さ、できた。しばらくすると髪色が落ちることもあるから、定期的に染めるんだよ」
「はい」
一回染めたらそのままなんじゃなくて、定期的に染めなきゃいけないんだ。思っていたより面倒かも。
「物によっては水に濡れただけで髪色が落ちることもあるから気をつけるんだよ」
「えっ、そんなこともあるんですか?」
びっくりして私が尋ねると、おばさんはうなずいた。
「ああ。明琳ちゃんみたいに赤から黒ならそんなことはないだろうけど、暗い色から明るい色に染めるのは難しいから、材料によってはそうなるね」
「そうなんですか」
私は染め上がった自分の髪を見た。
黒と言うよりは赤茶色に近い。失敗かも。
「あらま。意外と明るい色になってしまったわね。もう一度染めるかい?」
おばさんが私の髪を梳かしながら言う。
「いえ、これでいいです」
私は自分の髪をちょいとつまんだ。
まあ、黒ではないけれど、元の色よりは目立たないし、少しはましかな。
私は夫婦から貸してもらった部屋で女官孝試に向けての勉強をし、来たる日に備えることにした。
コンコンコン。
部屋の戸が鳴らされる。
「はい?」
私が戸を開けると、立っていたのは飯店のおばさんだった。
「勉強は進んでるかい? これ、お夜食だよ」
美味しそうな水餃子を差し入れてくれるおばさん。
「ありがとうございます、わざわざすみません」
「いえいえ、なんだか明琳ちゃんは我が子のように応援したくなるからね」
そう言って餃子だけでなく、毛布も用意してくれるおばさん、なんだか悪いな。
「でもあんまり根を詰めちゃいけないよ。たまには息抜きに外に出るといい。近くに文仙廟があるから散歩してくるといいよ」
「ありがとうございます。そうします」
おばさんにお礼を言いつつ考える。
そういえば、もうすぐ一度目の生で一ノ妃が文仙廟で大蛇に襲われた日だわ。
もしかしたらその日に文仙廟に行けば一ノ妃を救えるかもしれない。
行ってみないと!
***
そして前の人生で一ノ妃が襲われた日。
私は夫妻に場所を聞くと、急いで文仙廟へと向かった。
「わあっ、これが文仙廟かあ」
飯店を出てしばらくすると、鮮やかな赤い屋根の寺院が見えてきた。
屋根には知恵の象徴である金色の
しかも屋根だけでなく、柱も壁も青や緑の派手な色の装飾が施されていて、何だか見ているだけで目がチカチカしてきそう。
「すごく混んでいるわね」
私は辺りをじっくりと見渡した。
文仙廟は人でごったがえしていて、中には私と同じくらい若い女の子も何人かいる。
もしかしてあの子たちも私と同じく女官志望なのだろうか。
饅頭に色鮮やかな果物、得体の知れない干物や薬、お花の入った素敵なお茶、それからお守りやお土産物。
参道に店を出して商いをする人たちの活気に圧倒されながらも、私は一ノ妃の姿を探した。
一ノ妃はどこにいるのだろう。
しばらく探したけれど見つからないので、とりあえず私は女官考試に受かるように合格祈願をすることにした。
線香を買い、本殿にお供えをする。
どうか女官試験に受かりますように。
処刑の運命を回避して炎巫になれますように。
「さて」
お祈りを終えた私は、今度は寺院の周りを散策してみることにした。
寺院の周りは木々で囲まれており、気持ちのいい木陰が広がっている。
「わあ、王都にこんなに綺麗な自然があったなんて」
私が饅頭を食べながら散策していると、頭の中に呆れたような声が響いた。
『そんなに呑気にしていていいのか』
「大丈夫、大丈夫」
私が答えると、ちょうど遠くに一台の馬車が止まったのが見えた。
どうやら高貴な身分の人が乗っているらしい。
物々しい武器を持ったお付の男の人が二人に、遠目からでも分かる綺麗な馬車。
ひょっとして、あれが一ノ妃の馬車かしら。
だとしたら、急がないと。
慌てて馬車の方角へ向かうと、突然、女性の悲鳴が聞こえた。
「きゃああーっ!!」
この悲鳴……!
『明琳、急げ』
いつの間にか隣にやってきた天翼が急かす。
「う、うん。分かってる!」
私は急いで先ほどの馬車のところへと走った。
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