第9話 新たな道へ
「巫長、ちょっとよろしいでしょうか」
夕刻、私は巫長の部屋の戸をひっそりとと叩いた。
「なんですか、紅明琳」
巫長が厳しい顔で書面から顔を上げる。
私は神妙な顔を作ると、大きく息を吸い込み、巫長に告げた。
「あの、実は私、巫女を辞めようと思うんです」
……言った!
「まあ」
巫長は少し驚いた顔をしたあと、すぐにいつもの厳しい顔に戻り、こう尋ねてきた。
「それはまた、どういった理由で?」
私は大きな声で宣言した。
「実は私……女官になりたくて!」
「女官? どうしてまた」
巫長が怪訝そうな顔をする。
「いえ、実は田舎にいたころから女官に憧れていて……巫女の招集を受けたのも、都にいけば女官になれる可能性もあるかもと思い来たんです」
私は必死であらかじめ考えておいた説明をした。
もちろん、これ嘘の言い訳。
本当の狙いは、後宮に潜入し、一ノ妃を狙う人物を特定すること。
一ノ妃が何者かに狙われているのではないか。
そしてそれは、静を炎巫にしたい人物と繋がっているのではないか。
そう推測した私は、色々と調べているうちに、最近、一ノ妃様の一人娘、佳蓉様の教育係が辞めたということを知ったの。
そしてどうやら、近々代わりの女官を探す試験を行うらしいということも。
狭い巫宮にいるよりは直接女官として一ノ妃様に仕えて、一ノ妃を狙う人物を特定した方が早い。
そう思い、私は今度の生では巫女をやめて女官として後宮に潜入しようと決意したというわけ。
「まあ、そうだったの。でももったいないわよ。あなたには巫女としての可能性があるのに」
残念そうな顔をする巫長。
私は慌てて首を横に振った。
「いえ、自分の能力の限界は自分が一番分かります。巫女には静のほうが相応しいと思います」
私が力説すると、巫長は諦めたように頷いた。
「そう、そこまで言うのなら仕方ないわね。頑張って女官になれるといいわね」
「はい、ありがとうございます」
私は勢いよく頭を下げて部屋を出た。
まだ心臓の鼓動が早い。
ふう、良かった。上手くいったみたい。
私が額の汗を拭っていると、少し慌てたような声とともに天翼が現れた。
『巫女をやめてしまって大丈夫なのか? お前は炎巫にならなくてはいけないのだぞ』
「そりゃそうだけど、あのまま巫宮にいても運命は変わらないし、それだったら思い切って元の人生と違うことをした方が何か変わるかもしれないでしょ」
私は説明したけれど、天翼はなおも不満そうな顔だ。
『そうだといいが……』
とりあえずこれで、一ノ妃を占うことはなくなったし、処刑の運命は回避できたはず。
「大丈夫、きっと何とかしてみせる」
私は天翼に、そして自分にそう言い聞かせた。
***
「明琳、聞きましたよ、巫女を辞めてしまうんですって!?」
私が部屋へ戻ると、取り乱した顔の梅梅がやってきた。
えっ、もう梅梅にまでそんな話が広まっているだなんて、ずいぶんと早いのね。
「一体どうしてなんですか、明琳だったら絶対に炎巫になれますのに!」
そう言って悲しげな顔をする梅梅。
私は少し慌てつつも、笑顔を作り梅梅に説明をした。
「ええ、実は私、前から女官がやりたかったの。それで、最近佳蓉様の教育係が辞めたという話を聞いて今しかないと思って」
「そう……だったのですか」
梅梅ががっくりと肩を落とす。
「私、明琳が炎巫になるのならば応援しようと思っていたのに」
「ごめんなさい、私の分も頑張ってね」
私はしょんぼりとした顔の梅梅を抱きしめた。
確かに、梅梅とここで離れるのは少し寂しい。だけど――。
「きっとまた、どこかで会えるわ」
そう、運命が回れば、いずれまたどこかで会えるはず。
***
「さて、これからどうしようかなあ」
数日後、巫宮を出た私は、大荷物を手に空を見上げた。
『……まさかとは思うが、これからどうするのか何も考えていなかったのか?』
天翼が呆れ顔をする。
「そんな事ないよ。大体は考えてる」
『大体って、お前それで大丈夫なのか』
少し焦ったような天翼の声を無視し、私は繁華街をぶらついた。
そういえば、前の生では王都にきてすぐに巫宮入りしたから、のんびりと王都の街を歩いたり、外食をしたりなんてできなかったのよね。
見ると、ちょうど近くに美味しそうな食堂がある。
「とりあえず腹ごしらえでもしようかしら」
壁を見ると、野菜や海鮮、お肉を使ったお粥や大根餅、
どうしようかな。どれも美味しそう。
私はとりあえず安い海鮮粥を食べて腹を満たすと、食堂のおばさんに聞いてみた。
「あのう、この辺で髪を染める染め粉を扱っているお店はありますか?」
赤い髪のままだと、もしかしたら女官になった時に目立つかもしれない。
周りに溶け込むように、今から髪を染めておかないと。
「ああ、それなら良い店を知ってるよ」
おばちゃんが紙に地図を書いてくれる。
「ありがとうございます」
私は食堂のおばちゃんに教えてもらった通り、王都の繁華街へとやってきた。
ごみごみした路地を抜け、一通りの少ない裏通りの、今にも朽ち果てそうな店の前に立ち止まる。
ここね。
「すみません」
私は何の看板も無い薄暗い店の戸を開けた。
埃っぽい匂い。中は薄暗く、人の気配がない。
本当にこのお店で合っているのかしら。
「すみませーん」
私が再度叫ぶと、奥から一人の老婆が現れた。
「はい、何の用だい」
老婆がしゃがれた声で返事をする。
「あのっ、染め粉が欲しいのですが」
私が恐る恐る声をかけると、老婆は顔色ひとつ変えずにうなずいた。
「どんな色にしたいんだい」
「えっと……黒とか金とか……何でも良いです」
私は答えた。
老婆は黙ってうなずき奥から染め粉を持ってきた。
「これは髪を黒くする染め粉だよ。赤からなら金より黒のほうが簡単だからね」
「ありがとうございます」
料金は思っていたほどは高くない。
これはお得な買い物だったかもしれないわね。
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